※今回突発パラレル、超3×チチさんです。唐突にはじまり唐突におわります。
それはここではないどこかの、日常。
幸せだべなぁ、とチチは手を動かし続けながら思い、その思いは言の葉にもなって珊瑚色の唇から零れていった。
言葉こそ小さいつぶやきだったが、さすがは獣というべきか、「彼」の丸みを少し帯びた大きな耳は拾ったらしく、グルグルと喉を鳴らしていた巨躯の虎はうっとりと閉じていた眼を開き、己の頭を預けていたチチの膝から彼女自身をその金色の眼に映す。
虎は獰猛と言われる大型肉食獣であるが、撫でるチチの手を求めて自分から彼女の手のひらに額を擦り寄せてくる様子は猫そのものだ。
とはいえ、甘噛みの力を少しでも誤れば女の腕に牙はたやすく刺さるし、爪が肌をひっかけただけで些細ではない傷を負うことになる。しかしながら、長くこの邸で番犬ならぬ番虎をしているこの個体は人間との付き合い方を心得ており、敵ではないものに対しては基本無関心だ。逆に心許せるものに対してはこのように甘え、もし危機的状況に陥った場合は頼もしい味方となる。
虎の催促に応じてチチはまた虎の頭から首を撫で、逆の手は頬辺りの毛をくすぐるように撫でてやる。
眼を閉じて再び喉を鳴らし始めた虎を愛でながら、チチはこの邸に迎えられることになった記憶を思い起こしていた。
チチには父親と母親の記憶はなく、物心ついたときには孤児院で生活をしていた。
彼女が生活していた院には親のいない子が多く、ある程度の読み書きができるようになり、体力には自信があったチチはいつまでも世話になっていてはいけないと独り立ちをすべく王都へと向かおうとし――――、そこから様々なことが発生、重なりあって、最終的にはこの国の「闘将」であるカカロットの寵姫となっている。
髪も眼もどちらも黒色のチチとは違い、背中へと大きく流れる金色の髪に闇夜でも光を失わないような橄欖石色の双眸。美丈夫という言葉が似合う見事な体躯の持ち主である彼との出会いは、男が黒光りする大剣を今にも振り下ろそうとする者と、振り下ろされようとする者というそれだった。
「ぶった切られてたかもしんねぇのに、こんな立派なとこで住まわせてもらって、暑くも寒くもねぇ、おいしいものも食べさせてもらって生活してるんだから人生ってわっかんねぇもんだべなぁ…」
幸せだけど、どうしてこうなった。心から不思議だという気持ちまた零すと、膝の上に頭を乗せていた虎はぱちりと眼を開け大きな欠伸をした。
鋭い牙が露わになるが、彼はチチを傷つけないという確信があるので怖くはない。「闘将」カカロットの相棒であるこの虎は、同時にチチの守護獣でもある。
起き上がった虎は艶やかな毛皮の身体で伸びをし、額をチチの胸元にぐいぐいと押し付けて甘えたあと、猫科の親愛の情を表すキスするようにも見える鼻先をチチに寄せてくる動作をする。
いつものことなので、それを受け入れ自らも顔を寄せていったチチだったが、突如背後から大きな手が喉にかかり、驚くよりも速くその手はチチの顎を下から捉えると彼女を上向かせ、そして唇が塞がれた。
「んぐっ」
「…………色気ねぇ声」
触れるだけのものではあったが、力強くしっかりと押し付けられた唇の感触の強いキスから解放され、言われた言葉にチチは唇をへの字にする。
「帰ってきたんならまず声をかけるだよっ、カカロットさ! おめぇさ足音も気配もさせねぇんだからおらびっくりしちまうべっ」
「そういうタチだからしゃあねぇだろ。でもよ、そいつは気付いてたぞ」
なぁ? とカカロットが声をかけると、座した金色の虎はゆるりと長い尾を持ち上げて揺らす。
ぐるる、と主人の帰りを喜ぶように喉を鳴らした虎に、カカロットの眦が少し緩み細められてチチのものよりもずっと大きな手が獣の頭に触れた。そのまま彼もまた先ほどチチがしようとしていた虎との親愛の情を示そうとしていることを察し、チチは己の両手でカカロットの両頬を捕らえると強引なのは承知でぐいっと引き寄せて自分から唇を重ねる。
「…………」
「おかえしだべ」
いつだって不敵な表情を崩さない闘将の、世にも珍しいだろう驚きの表情を見ることができてにっこりと笑った寵姫だったが、この直後、彼女は彼の全力での反撃を食らうことになる。
もちろん、「悦」の意味での。
寵姫を守護するは巨躯の黄金の虎。しかし、真なる虎は、金色の髪に橄欖石色の闘将である。彼による甘い爪痕と牙痕を身体中無数に刻まれ、時折気怠さに悩まされながらも、チチは邸で美しく咲く華としての日々を送っていくのだった。