閣下はどこへきえた? これも虫の知らせというのだろうか。
別にどうしても今夜中に伝えねばならない用件でもなかった。明日の午前中に予定されている雑誌の対談。その対談相手が急遽変更になった。凪砂のことだ、茨が相手の資料をまとめてさえおけば、現場に向かう車の中ですぐにインプットしてしまうだろう。
それでも何故か今夜、凪砂へ伝えようと思った。いや用件さえも凪砂へ会いに行く口実かもしれない。
二十二時を回っていた。凪砂はまだ起きている時間だろうが、同室人たちのことを思えば部屋を訪ねるには些か気が引ける時間である。
控え目に部屋をノックするとすぐに返事があった。
「はーい!」
柔らかな声と共にドアを開けたのはUNDEADの羽風薫。不穏なユニット名の割に穏やかで面倒みのよい彼には、凪砂も多分に世話になっている。
「あれ? こんばんは。乱くん? ならいないけど」
「え?」
言いながら不躾にも部屋を探るように見てしまう。そんなはずはない、スマホのGPSはこの部屋を示している。そんなことは言えないけど。
「電話にも出なかったもので、眠っているのかと」
「副所長、こんばんは!」
ひょっこりと顔を出したのは2winkの葵ゆうた。人懐っこい彼ら双子は、夢ノ咲出身のアイドルと茨との優秀な緩衝材となってくれている。
「乱先輩のスマホ、ベッドに置いてありますよ」
「閣下〜」
茨は大袈裟にため息を吐いた。
「乱くん、三十分くらい前かな、電話を受けて出て行ったよ」
「そうそう! なんか上機嫌って感じで」
「誰から、とか何処へ、とかは」
「はは……乱先輩、小学生みたいですね!」
「聞いてないけど……女の人だったりして?」
冗談めかしてというより、割と平常のトーンで薫は言う。
「は?」
「だって、今夜は帰らないかもって言ってたから」
どんな表情で部屋を辞してきたのだろうか。
「そう言えば今夜は日和殿下とお菓子パーティーをすると、コッソリ計画していたようでした! いやはやすっかり失念しておりました。お騒がせしてお恥ずかしい!」
アッハッハ〜!! いつもの如く高笑いしてみせるが、薫もゆうたも戸惑ったように顔を見合わせている。表情も声色も動揺を隠すことに成功しなかったようだ。
茨の頭の中に重たい暗雲がぐるぐると広がっていくようだった。知らぬうちに足音も荒く、共有スペースまでやってくる。今夜は誰もいない。勢いよくソファへ沈みこんでから、先程の薫やゆうたの言葉を思い出す。
『電話を受けて出て行った』
誰から?
『なんか上機嫌って感じで』
どうして?
『女の人かも』
まさか、ね?
『今夜は帰らないかもって』
「──どういうことですか!? 閣下!!」
思わず声に出ていた。静まり返った空間に悲痛な声が響いた。
『乱凪砂、お泊り愛♡』
なんて下世話な週刊誌記事のタイトルが頭を過ぎる。神のごとく至高の存在として売り出している凪砂が、そこらの女性とスキャンダル……。イメージダウンも甚だしい。凪砂は茨にとって替えの効かない最終兵器である。彼なくして、Adam、Edenは存在しない。凪砂自身が兵器であると同時に、その凪砂を上手く扱えることもまた茨自身の武器である。それだけ茨にとっての凪砂は特別な存在なのだ。
……いやそんなビジネス上の建前のために、こんなに動揺している訳では無い。
彼は、凪砂は────茨の恋人なのだ。
茨は両手で前髪をかき上げる。この二日、余り眠っていないせいで働きの鈍い脳味噌へ、グリグリと刺激を与えて覚醒を促す。
そうだ、自分で言ったではないか、もしかしたら日和と一緒かもしれない。茨の耳に入れたくないことがあって、コッソリと行動しているのかもしれない。
茨はすぐさま日和へ電話をかけた。
『はい? なぁに茨?』
不機嫌さを隠そうともせずに日和が応じる。
「夜分に申し訳ありません。あの、閣下とご一緒ではないですか?」
『……凪砂くん? 一緒じゃないけど? なんで?』
「いいえー! それでしたら結構です。失礼いたしました!」
日和に追及される前に電話を切る。続いてジュンへとかける。
『はい、なんすか?』
「ジュン、閣下を……」
『うわっ、ちょっおひいさん!』
『凪砂くんは一緒じゃないって言ったね!』
『おひいさん、勝手に』
『ぼくとジュンくんは今愛し合ってる最中だね! もう邪魔しないでね!』
『何言ってんすか! 嘘ですよ! あっ!』
ブツリと一方的に通話が切られた。
「GODDAMN!! ったくバカップルがイチャイチャしやがって!」
はぁ~と盛大にため息を吐いて再び頭を抱えた。自分も、日和のように恋人に甘えることが出来ていたなら、こんなことにはならなかったのだろうか。『甘えてるんじゃなくて、単なる我儘です!』なんて憤るジュンの声が聞こえてきそうだが、茨には人目も憚らず凪砂に抱きつくことなどできない。
こんなどこをとっても可愛げのない恋人は嫌だろう。いやそもそも平常の可愛げのない茨を好きになってくれたのだから、そこはギリギリクリアしたとしよう。問題は恋人としての触れ合いである。何度もキスをして何度も抱かれた。行為自体は気持ちがいいし、好きだと思う。
でも始めるまでの逆上せるような空気も、我を忘れてみっともなく喘がされる自分も、そのあとの甘い甘いピロートークも、茨には拷問のほうがマシだと思えるくらいに恥ずかしいのだ。
不敵に笑い、盤上の駒を弄んではポイと放る、自分の描く七種茨との乖離に茨は身悶えている。
だからいつも誘うのは凪砂だ。茨は仕方なく応えるふりをしては、凪砂からの熱にはしたなく溶かされる。回数を重ねるごとに凪砂をもっとと求める欲求は高まる。そんな自分が恐ろしくて堪らず、凪砂に枷をつけた。
『翌日午前中から仕事の日はできません。身体が辛いので』
そう言えば凪砂は無理に抱くことはしない。その代わりに甘ったるいキスだけは沢山与えてくるけれど。
前回いよいよという日のことについては、もう申し訳なさすぎて床に頭を擦りつけたいくらいだ。しかもその日は凪砂の誕生日だった。言い訳にもならないが、凪砂と一緒に過ごすために仕事を詰めていて、三日程寝ていなかった。
凪砂は大事そうに茨を抱きしめて、労う言葉を囁き、髪や身体を慈しむように撫でてくれた。凪砂の温かさと心地よい低音の声、優しい香りに包まれて茨は朝まで爆睡してしまったのだ。
「あの、閣下……すみません」
「……疲れていたんだね、よく眠れた?」
翌朝も優しい微笑みはいつもの通りだったが、ふぁっと欠伸をして首を緩慢に回す仕草に、凪砂のほうが寝不足のように見えた。
「はぁ……こんな恋人、絶対嫌ですよね」
自嘲気味に笑って呟いた。もし凪砂に他に好きな人がいるなら、自分との関係はどうなってしまうのだろう。
諦める、それしか選択肢はない。表向きは諦める、そしてユニットだけは何が何でも続けてもらう。だってそうでもしないと……凪砂に関わることができなくなってしまう。それだけは絶対に嫌だ。
茨はスマホのアプリを立ち上げて、凪砂のGPSを確認する。まだスマホは寮の部屋を示していた。普段からこんなものに頼っているから、肝心なときに凪砂がどこにいるのか検討もつかないのだ。
女性と会っているならこの女人禁制の寮にいるとは思えない。せめてESのビル。そこ以外のどこか──レストランやホテルとなると選択肢が広すぎる。
茨は凪砂のことを考えながら、共有ルームを出てキッチンへ、ESビルへ戻り屋上庭園へと探し回るが凪砂には会えない。
茨は凪砂が女性をエスコートする様を想像する。
凪砂の長い腕は女性の腰に回され、雰囲気のよいレストランの座席へと案内する。向かい合わせに座った二人は会話と食事を楽しむ。凪砂は相手に向かって愛おしそうに微笑んでいる。
ホテルの部屋へ入った二人。凪砂は女性を抱きしめる。凪砂の好みは分からないから、想像の女性は黒髪のロングヘアであったり、ショートヘアの茶髪であったり場面によって様々だ。
凪砂はため息のように息を吐き出してから、今度は鼻先を髪に押し当てて香りごと吸い込む。女性に頰を擦り寄せて何事か睦言を囁く。
『……茨……』
耳元で凪砂の声が聞こえるような気がした。
『……茨、かわいい』
何度も囁かれてきたから。
『……茨、好きだよ』
想像の女性はいつの間にか自分にすり替わっていた。いつも自分に向けられる凪砂の言動を思い起こしてしまう。
『……茨、かわいい』
慈しむように髪を撫でられて、茨の瞳を覗き込む。疑いようもなく大事にされているのを感じる。やがて優しい瞳は熱を灯し、獣のように発情して茨をドロドロにする。
『……茨、好きだよ』
妄想の少し掠れた凪砂の声が、現実の茨をジンと熱くした。
──嫌だ!!
俺のものだ。
凪砂の髪も瞳も、声も、温もりも愛情も。全ては茨のものだった。誰にも渡したくない。
震える拳でESビルの廊下の壁を殴りつける。
「いってぇ……」
少し滲んだ涙はきっと痛みに因るものだ。
茨は重い足を引きずるようにして、コズプロの副所長室へと戻った。そんなに長く部屋を空けるつもりは無かったから、全て片付けてきたわけではなかったのだ。
デスクの椅子に荒々しく腰を降ろす。眼鏡を外して乱雑に置いた。デスクに肘をついて手の平に顔を埋めて暫く瞑目する。
「閣下……」
探すあてもないのだから、歩き回っても無意味だ。凪砂が帰宅した明日にでもきちんと話を聞くべきだと分かっているのに、焦燥感が茨を放っておいてくれない。
顔を上げて背もたれに寄りかかり、ズルズルと身体を沈ませる。
「ん?」
身体の角度が変わったことで、先程までは見えなかったソファの向こうに、何かが置かれているのが見えた。眼鏡を掛けると大きな段ボール箱だと分かる。部屋を出ていくときは無かったはずだ。また凪砂が変なものでも通販して、事務所へ配達するようにしたのだろうか。不在の間に社員の誰かが受取り、困って副所長室へ運び込まれたのかもしれない。
段ボール箱へ近づく。爆弾のような物騒なものの可能性もある。万一に備えて、まぁ爆弾なら吹き飛ぶしかないのだが、身構えながらガムテープを剥がし、段ボールの上蓋を捲った。
──そして中身を見て……パタンと再び閉じた。
「茨……」
箱の中からくぐもった声が聞こえる。
「は?」
恐る恐るもう一度段ボール箱を空ける。
「……やっほう」
「はぁっ!?」
窮屈そうに長い手足を折り曲げて、凪砂が段ボール箱の中に縮こまっていた。捨て猫のように首だけを上に向けて、茨の名前を呼ぶ。
「……茨」
「な、何やってるんですか、閣下!!誰かに閉じ込められて!?」
「……ううん、うーん隠れんぼ?」
「何を馬鹿なことを! ……ずっとずっと探していたんですよ!」
「……そうみたいだね、ごめんね茨」
凪砂は茨の差し出した手を掴んで立ち上がった。長い脚はなんなく箱の縁を跨いで、凪砂は茨の前に向かい立った。
「……茨?」
茨の表情を覗き込むように身を屈めると、艶やかな銀髪は肩を滑り落ちて茨へ風を送る。茨を堪らなくさせる凪砂の香りが運ばれてくる。
茨は凪砂の手を引いてソファへ座らせると、胸の辺りを突いて仰向けに押し倒した。自分は凪砂の腰の上に跨がる。
「閣下、しましょう」
「……何を?」
「決まってますよね?」
凪砂のジャケットの下に手を滑り込ませる。シャツの上から指先で臍の辺りを撫でた。
「……どうしちゃったの? 明日は午前中からお仕事でしょ?」
「どうでもいいです」
凪砂の指先は俯けた茨の顔を持ち上げようとするが、茨は凪砂を見ようとしない。
「……茨、今はやめよう?」
「どうして? 誰と会ってたんですか? もう俺は用済みですか?」
責めるようで、語尾は小さく震えていく。
「……それは」
「俺とするの、好きでしょう?」
「好きだよ」
身体を折り曲げて凪砂のシャツに縋りつく。
「じゃあいいでしょ。他の人なんかやめて、……俺だけにしてよっ……!」
凪砂のベルトに手をかけて外そうとする。その手に凪砂の手が重ねられた。
「……ダメだよ、茨」
優しく諭すような声色だった。茨は絶望した気持ちで凪砂を見た。
「閣下………」
もう遅かったのか、凪砂の気持ちはもう他所へいってしまったのか。与えられる愛情を当たり前のように享受するだけで、ちっぽけなプライドのために自分からは与えようともしなかったから。
「……だって」
凪砂は困ったように眉を寄せて、茨の頰を撫でた。
「……だって、日和くんと、ジュンがいる」
「────へ??」
倒れ込んでいたソファの後ろから、日和とジュンがひょっこり顔を覗かせる。
「ごめーん茨!」
「すみません」
「ぎゃあああああああ!!」
悲鳴とも怒号ともつかぬ大声をあげて、凪砂の上から転がり落ちた。
「なっ、なんで」
「もうバレちゃったけど、サプライズだね! 明日は茨の誕生日だからね。ぼくとジュンくんも事務所の他の子たちよりも先にお祝いしたかったから、凪砂くんに協力してたね」
日和はバチンと音がしそうなウィンクを寄越してくる。
「すみません……」
ジュンが申し訳なさそうに頭を下げて茨を見る。
「ナギ先輩の入った箱をオレとおひいさんで飾り付けする予定だったんすけど、茨が電話かけてきたり探し回ってるから、場所を移動したりでなかなか進まなくて……」
詫びるのはそこじゃねぇ……。
「ジュン〜〜」
恥ずかしさで顔が熱を持ち、握りしめた拳がブルブル震えた。
「アイデアはこのぼくだね!」
「ジュ〜ン〜〜〜〜?」
「イテテテ! なんでオレなんすか?!」
ジュンの頭を両手の拳でグリグリする。じゃれ合いの限度を超えて力がこもりそうになるのを、理性がなんとか踏みとどまらせる。
「うわマジでいてぇ、やめろ!」
「あ〜記憶無くせねぇかな」
「こえ〜っすよぉ!」
凪砂が壁の時計を見上げると、ちょうど零時を回ったところだった。
「……茨、お誕生日おめでとう」
凪砂が茨を抱きしめる。
「茨、お誕生日おめでとう!」
日和が茨を抱きしめる。
「茨、お誕生日おめでとうございま……す」
ジュンも抱きしめようとしたが、茨の鋭い眼光に手が止まり肩を叩くだけに留まった。
「じゃあ、ぼくとジュンくんはもう行くね! あとは二人でごゆっくり♪」
「日和くんジュン、ありがとう」
言葉を促すように凪砂が茨の肩をポンと叩く。
「……ありがとう、ございます」
二人がひらひらと手を振りながら部屋を出ていった。
……この七種茨、なんたる不覚……。部屋に三人も潜んでいながら気づけなかったなんて。
Edenなんて生温い楽園で安穏としている間に、軍人として磨かれていた危機察知能力が損なわれてしまったのか。それとも凪砂を失うかもしれないという動揺が、茨の平常心を大きく乱していたからだろうか。
「……茨に心配かけちゃってごめんね?」
茨はフイっと横を向く。
「……怒ってる?」
怒ってるに決まっている。出し抜かれるのは大嫌いだ。しかもあんな恥ずかしい姿を日和とジュンにまで見られた。
だけど、つい数分前まで凪砂が誰か別の人を愛するのを想像していた。身を焦がされる焦燥感を味わっていた。それが箱を開けてみれば(文字通り)、自分の誕生日のためにアレコレ策を練ってウキウキと準備していたと? 自然と頬が緩む。
でも許すのはまだ早い、少しは凪砂にも焦ってもらいたい。
「……茨、こっち向いて?」
両頬を手の平で包まれて、大事そうに撫でられる。怒った表情を保つのもそろそろ限界だ。茨は凪砂を睨み上げた。……つもりだったがすでに口元は緩んでいたらしい。
「……ねぇ、茨。さっきの可愛いお誘いはまだ有効?」
凪砂は茨の耳に口付ける、額、頬、口元と優しく啄んでいく。穢れのない瞳が艶と揺れて茨の内側を覗き込む。この兵器は無意識に茨を蕩けさす。
観念して、茨の方から顔を傾けて唇を合わせた。
「ここじゃ嫌です」
「日和くんがホテルの部屋をプレゼントしてくれた。行こう? でもその前にふたりきりでちゃんと言わせて」
凪砂は茨の両手を取るとそっと口付けた。
「……茨、お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。……私を選んでくれてありがとう」
「────ッ」
息が苦しい、胸も苦しい。
何の足しにもならない、ケツが痒くなるような甘ったるいこと言わないでくれ。涙が出そうになる。
……そんなの、そんなの、本当はそっくりそのまま返したい。でも上手く声が出ない。
「……もう行ける?」
返事をしない茨を覗き込む。
「……大丈夫だよ。明日も仕事だし嫌ならしないから。せっかくの誕生日だし、茨を抱きしめて眠れたら嬉しいなって。あれ? 茨の誕生日なのに私が嬉しいことするのも変?」
凪砂は顎に手を当てて首を傾げた。
「……散々お預けさせられているのに、何もしなくてもいいんですか?」
「……前もあったでしょ? 茨が私に撫でられているうちに眠っちゃって、嬉しかったな」
「酷い顔でしたよね。きっと」
「……ふふっ、愛おしかったよ」
「涎垂らしてましたよね?」
「……うん、美味しかった」
「舐めたんですか!?」
凪砂はにこにこと笑ってとても嬉しそうだ。
「……ずっとずうっと眺めていても飽きなかったよ」
だから翌日眠たそうだったのか、てっきり欲求不満だったのかと。
自分は自身で思うより、凪砂に愛されているらしい。それが分かったことこそ何よりの誕生日プレゼントだ。貰うばかりでなく自分も返したい。この人を喜ばせたい。そのために少々馬鹿になって甘えてみてもいいかもしれない。
「閣下」
「……うん?」
「今夜は沢山髪を撫でてください」
「うん」
「名前を沢山呼んで、好きだって言ってください」
「うん」
「いっぱい俺を気持よくして、その後は朝まで抱きしめて眠ってください」
「……いいよ」
茨がひと言紡ぐごとに、凪砂の表情が幸せそうに緩んでいく。
いつものファンを魅力して止まない、神のごとき美しき凪砂はどこかへ消えた。今はただひたすらに茨を愛する一人の男の顔をしている。
凪砂はため息のように息を吐き出してから、今度は鼻先を茨の髪に押し当てて香りごと吸い込む。頰を擦り寄せて囁いた。
「……いいよ、これからも沢山愛させてね」
茨は言葉の代わりに顎を上げて目を閉じる。すぐに押し当てられた唇に吸い付きながら、焦れたように身体を寄せた。