KKのことが好きになっちゃったみたいなんだ。
日が落ち始め、影を負うような背中に向かって正直に伝えるとKKは振り返らず鼻で笑った。
「気の迷いか錯覚だ。こんな四十過ぎの妻とガキに捨てられるような死にぞこないに情を持ってもいいことなんざひとつもねえ。やめておけ」
用意していたような台詞だった。きっと以前から僕の気持ちに気付いていたのだろう。
僕自身いつからKKのことが好きだったかわかっていない。三年前のあの夏の夜にはもう離れられない間柄になっていた。それから生き返った麻里と生活を立て直して大学を卒業して、新社会人として世間に揉まれながら同じく生き返ったKKたちの祓い屋業を副業として手伝うようになって二年過ぎ。更にお互いのことを知ったけれど根柢の部分を知っていたからか、今更好感度は変動しなかった。
相棒、理解者としてこれから相手以上の人は現れないだろうという確信はあった。どちらかが冥界にいくまでこの関係は続くだろうと。
そこに何かを付け足そうと思ったのは衝動に近かった。だからまともに受け取ってもらえないことは予想できていたので僕は素直にわかったと頷いて見せた。
でも僕は意外と諦めが悪いし、KKもそのことを知っている。
別にKKに認められて「オレもオマエを愛している」なんて鳥肌モノの台詞を言わせたいわけじゃない。
ただ僕がKKのことが好きだってことを知ってほしかっただけだ。そういう衝動が恋に落ちるということなのかもしれない。十分自分勝手な行動だとは思う。でも自分勝手に生きていいと言ったのは他でもないKKで、だから僕は好きになってしまったのだ。
KKは黙って煙草に火を点ける。上る煙が空風に煽られて桜の枝に蛇のように絡まった。花芽はわずかに夕陽を映すだけでまだ色づいてもおらず、春までまだ遠いことを示している。
「オレが報告するからオマエは帰れ。妹が待ってるんだろ」
「わかった」
ここでグダグダ言っても何も生まれないし、麻里が夕食を作って待ってるのは事実だ。
またね、と曖昧な挨拶にKKはひらひらと左手を力なく振る。でもそれは肯定の証なので僕の失恋はこれからの空模様のように暗く沈んだものにはならなかった。
三寒四温、とKKが言っていた。まだ衣替えできない厚手のコートを脱いでハンガーにかけ、キッチンに向かいコーヒーをいれる。オレにもとパソコンから目を離さずに言うKKにわかってると軽く返事をしてドリップの準備をする。三寒四温。春が近づいていることの表れ。アジトに来る途中で見た桜の蕾は膨らみつつあるけど僕たちの関係に変化はない。
「花見をしたいって麻里と絵梨佳ちゃんが言ってたね」
「飲めるならオレは賛成だな」
花より団子ではなく花よりお酒か。わかりやすくていいけどね。
あの夜はお酒も煙草も断っていたから、僕の体で緊急事態だったから当然だと思うけど、今はKK本人の体なので多少はいいと思う。もちろん健康に気を遣ってほしいけれど、本人曰く大分マシになったらしいから信じることにしている。
「そういえば、あの夜に桜を見た時にキザなこと言ってたね」
赤くなるのは女の頬だけでいいとかなんとか。あの時は何て返したっけ。突然変なことを言い出すから黙ってしまったかもしれない。
「あれはオマエが」
「僕が?」
コーヒーを邪魔にならない場所に置くと何故かKKは僕を見て黙ってしまった。老眼鏡を着けているKKも渋さがあってカッコイイ。別にオジ専じゃないんだけどな。とか考えている時点で完全に嵌まっているのだろう。
「……なんでもない」
「絶対嘘だろ」
こんなにわかりやすいKKも珍しい。二回り程年上なのもあっていつも彼は僕の先に立っていた。三年経って少しは近づけたかなとは思うこともあるけど、実際はまだまだ遠い。それでもいつかはと思うから、その真意を知りたい。
「大したことじゃねえよ。それより一息ついたなら塩神にでも湯を入れてくれ」
「僕がいるのにカップ麺?」
「ならチャーハンにしてくれ」
すっかり気に入ったらしくこうやってリクエストしてくれる。凛子さんたちは僕のことを通い妻って揶揄するけど僕は嫌な気はしないんだけどな。でもきっとKKは眉をしかめて面白くねえ冗談だとか言って僕がアジトに来るのを嫌がるようになるんだろう。
素直じゃない、天邪鬼の、大嘘つきだ。
「僕のこと嫌いじゃないくせに」
「何か言ったか?」
「ううん、ちゃんとお皿置く場所空けろよ」
パソコン周りに散らばった書類を指摘するとKKはわかってるよと多分眉をしかめて応えた。
最近は本当に春夏秋冬の区切りが曖昧で、開花宣言もいつになるかハラハラしていたけれど無事に正しい花見ができた。
絵梨佳ちゃんの乾杯の合図に食べたり飲んだり。もう大人の集まりなので常識の範囲内で楽しむ。
僕も久しぶりに昼間から飲んで、会社の飲み会はいいのかとデイルさんに問われたのでコロナ禍から中止になってきり再開の目処がないんです、今時はアルハラとか忌避されているから飲み会自体ほとんどなくてと説明する。
そういえばあまり本職の話をしていないなと思い返す。もちろん凛子さんに繁忙期等のスケジュールは伝えているけれど、むしろこちらの方が本職に近いと思っている節も我ながらある。
「そっちの上司はどう?」
「いい人ですよ。穏やかで愛妻家で煙草も吸わないし、お酒もあんまり強くないし、どちらかというと甘いものが好きで」
KKとは正反対に近い人だ。でも僕が好きなのはKKで、だから世の中は難しい。
「この前、何人かで焼肉に行って」
「オマエ、オレとも寿司に行っただろ」
「寿司は寿司、焼肉は焼肉だろ」
大体あれは大きなクライアントが達成された打ち上げだった。僕も新卒の面倒を見たりしてそこそこ評価されたと思う。出世したいとは思わないけど、祓い屋稼業もあるし、本職の会社も気に入っているので貢献できると当然嬉しい。
「本当に面倒な男ね」
呆れた様子の凛子さんにKKが悪態をつく。そりゃあKKは焼肉より寿司派かもしれないけど、僕はまだまだ女郎が恋しくなる若さなのだ。
新しい缶を持って麻里がお兄ちゃんも案外アレだよね、と隣に座る。
「アレって?」
「女狐ってコト」
言いたいことはわかるけど、少し違う気がする。それに僕は悪くないと思う。
「いい加減認めればいいのに」
「それはそう」
麻里にも言われてる時点でちょっと、大分格好悪い。意地っ張りなのは三年経っても変わらない。
凛子さんは僕に甘えてるって嫌そうに言う。僕から離れられないようにむしろ甘やかしてる自覚はある。
やっぱり女狐かも。
良い感じの時間になったところで花見は終了。片付けて女性陣は桜スイーツを買って帰るために離れ、飲めないエドさんは車でデイルさんとゴミを持ち帰ってくれる。
そして残された僕とKKは花見客に釣られてマレビトが出ていないか見回りだ。
「結局仕事かよ」
「酔いざましの散歩と思えばいいだろ」
「オマエも腹ごなしに丁度良いだろうな」
だって凛子さんが注文した花見弁当とオードブルが美味しかった。菜の花のような季節の彩りや、三色団子のような花見らしい品も入っていた。みんなで自由に喋りながら飲む春限定のお酒も美味しかったし、そうして楽しむKKを見ているのも幸せだった。
他の人たちも楽しそうだけどほんの少しの嫉妬や不安からマレビトは生まれるのだから厄介だ。
「そういえば桜の下には死体があるとかも言ってたね」
「千年以上前から戦や戦争があったんだ。死体がねえとこなんかねえよ」
それもそれでどうかと思うけど。
KKは喫煙禁止区域にも関わらず上機嫌だ。酔っぱらっているのだろう。生まれたばかりの小さな穢れを指先ひとつで祓って悠々と歩いている。
「三度目の夏が来るな」
歌の出だしみたいでやっぱりキザだなと思った。その後何を言うのか予想もしていなかった。
「オマエのことが好きになっちまったみたいだ」
「ずっと前からだろ」
嘘つき、と唇を尖らせればKKは愉快そうに笑った。