あなたのおかげ 隣で作業をする女の横顔を眺めて、ベリアンは小さく感嘆の息をついた。
普段、穏やかに笑みを湛えていることの多い顔は、真剣そのもの。手元の書物に落とされた瞳が、忙しなく文章を追っている。ゆらゆらと揺れるロウソクの火に照らされたその姿には、得も言われぬ美しさがあった。
「……ベリアン?」
「っ、はい」
見つめていた横顔が、ベリアンのほうを向く。彼女はちょっと困ったように、眉尻を下げていた。
「どうかなさいましたか?」
「そういうわけじゃないけど……なんというか、あの……ちょっと、こっちを見すぎじゃない?」
女はずいぶんと躊躇ってから、恥ずかしそうにもごもごと言った。どうやら、熱い視線を注いでいたことに気づかれていたらしい。
ただのベリアン・クライアンとしてならば、その可愛らしい反応を微笑ましく思っていても構わないのだろう。だが、今は仕事中だ。執事として、主人が作業に集中できる環境を用意するのがベリアンの役目であるのに、かえって邪魔をしてしまったとは。
「申し訳ありません。邪魔をするつもりはなかったのですが……作業に集中されている主様のお姿が、あまりに美しかったものですから」
つい、視線を奪われてしまいました。ありのまま本心を伝えると、彼女は顔を赤く染め、俯いてしまう。
「……主様」
ベリアンは呼びかけて、長い髪の影に隠れてしまった頬を両手で包んだ。そうして傷つけぬようにそっと、彼女を上向かせる。
再び顕になった女の顔は、羞恥で上気していた。ハッとするような艶を含んで見えて、ベリアンは思わずごくりと喉を鳴らす。
「主様……お美しくなられましたね」
ベリアンはうっとりとマゼンタの瞳を蕩けさせた。
もとより、彼女は美しいひとだった。けれどそれは、溌剌とした健康的な美しさであり、あるいは、誠実な人柄から滲む穏やかな美しさだった。
今の彼女は――それに加えて、蠱惑的に滴るような美しさを纏っている。腕の中に閉じ込めて、誰にも見せたくない。独り占めしたくなる美しさだ。
「自分ではよくわからないよ。でも……もし私が前より綺麗になっているとしたら。それは、ベリアンのおかげだと思う」
「そう、でしょうか」
「そうだよ」
女には確信があるらしく、きっぱりと断言した。今度はベリアンがよくわからないと首を傾げる番だ。
担当執事として、彼女が規則正しい生活を送れるようサポートを行ってきたという自負はある。だが美容面でであれば、マナー指導係であるベリアンより、フルーレやフェネスのほうが貢献しているのではないか。
「こっちでどうかは知らないけど。向こうではね、恋をすると女性は綺麗になるって言われてるの」
だからね、ベリアンのおかげ。そう言ってはにかんだ顔は、もはや屋敷の主人としての顔ではなかった。引きずられるようにして、ベリアンからも執事としての体面が剥がれ落ちる。
ベリアンは女に顔を寄せた。甘えるように鼻先を擦り合わせ、彼女が目を閉じるのを待って唇を重ねる。
「――様」
「……うん」
普段は呼ばない名前を呼ぶと、彼女は花が綻ぶように微笑んだ。
本当に――なんと美しいのだろう。その引力に抗わず、ベリアンは美しいひとをその腕で閉じ込めた。腕の中で、ふふ、と幸福そうな吐息が揺れる。
途中になってしまった作業のことが一瞬頭を掠めたけれど、ベリアンは腕を解く気になれなかった。いっそう腕に力を込めて、再びキスをねだる。すっかり恋人の顔になった女が拒まないのをいいことに、ベリアンは彼女の顔中に、雨のようにキスを降らせる。
彼女の美しさを引き出したのが、真実ベリアンだと言うのなら。このひとときくらいは、己が独り占めしたって構わないだろう。そんな、都合の良い言い訳を考えながら。