俺のレッスンは厳しいですよ! フルーレは、地下の執事室で新しい衣装のデザインを考えていた。進み具合は、残念ながら芳しいとはいえない。ペンを握ってはいるものの、その手はしばらく止まったままだった。
少し気分転換でもしてこようか。外の空気を吸えば、なにかいいアイディアが浮かぶかもしれない。
そう考えたフルーレがペンを置いたところで、扉を叩く音が響いた。
「はい、どうぞ」
「入るね」
応答を受け、ドアの向こうから返されたのは柔らかな女性の声だ。十人を超えるデビルズパレスの住人の中に、女性はたった一人。訪ねてきたのが大切な主人であることに気づいて、フルーレは目を丸くした。
「あ、主様!? 呼んでくだされば、俺のほうからお伺いしましたのに……!」
主人に足を運ばせてしまったことに、フルーレは恐縮する。けれど当の本人は気にした素振りもなく、用のあるほうが出向くのが礼儀だと笑った。
フルーレたち悪魔執事の面々は、貴族たちの自己中心的な横暴に慣れてしまっているので、あまりに気さくな主人の振舞いには戸惑うことも多い。しかし同時に、道具ではなく人として扱ってくれる彼女のことを好ましく、また誇らしく思ってもいるのだった。
主人を部屋に招き入れたフルーレは、椅子を進めた。まさか、立ち話をさせるわけにはいかない。本当なら、お茶や菓子でもてなしたいところだが、せっかく訪ねてきてくれた主人を放り出してまでお茶の準備をするべきか迷って、フルーレは先に彼女の用件を訊ねることにした。
「えっと……俺になにかご用でしょうか?」
「うん。実は、フルーレにお願いがあってね」
お願い。それを聞いて、フルーレは胸が躍った。屋敷の衣装係としては自信を持って仕事に取り組んでいるフルーレだったが、主人に仕える執事として、あるいは天使と戦う戦士としては、まだまだ一人前とは言い難いと感じている。
そんな自分に、主人は頼みがあるのだという。リーダーとして個性的な面々を束ねるハウレスでも、常に冷静かつ節度を守って仕事をこなすミヤジやベリアンでもなく、フルーレに。それは彼に、望外の喜びをもたらした。
「なんなりと、お申しつけください!」
胸をそらし、張りきって請負うと、主人は優しい笑みを浮かべた。
「あのね、フルーレに、バレエを教えてもらえないかと思って」
「バレエ、ですか?」
「そう」
意外な内容に驚いて、フルーレはオウム返しにした。不思議そうに首を傾げる彼に、主人は言葉を続ける。
「フルーレは、いつもすごく素敵な衣装を作ってくれるでしょう。だから、私ももっとかっこよく着こなせるようになりたいんだ。姿勢とか、歩き方とか、直せるところはたくさんあると思うんだよね。それで、正しい姿勢を保つには、ある程度筋肉も必要でしょう? 筋肉をつけるのと、姿勢を直すのと、バレエなら両方できるんじゃないかと思ってさ」
「主様……」
話を聞いて、フルーレは感動に言葉を詰まらせた。嬉しかった。自分の作った衣装を素敵だと褒めてくれたことも、その衣装の魅力をさらに引き立てるために努力したいと考えてくれたことも。あまりにも嬉しすぎて、目の奥が熱くなった。胸の中に収まりきらない感情が、涙となって溢れてしまいそうだ。
「もちろん……もちろんです! 俺でよければ、いくらでもお教えいたします!」
「よかった……引き受けてくれてありがとう! あ、でも、フルーレも忙しいだろうから、時間のあるときでいいからね」
「お気遣い、ありがとうございます。では、手の空いたタイミングでお声がけさせていただきますね」
「うん。よろしく、フルーレ先生」
またね、と手を振りつつ退室していった主人を、フルーレはその背中が見えなくなるまで見送った。執事としては、主人の部屋までエスコートするのが正しいのだろうが、爆発しそうな感情を隠し通すので、今のフルーレは精一杯だった。
(あああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!)
フルーレはドアを閉めると、その場にしゃがみこんで声を出さずに絶叫した。肺が空になるまで息を吐き出して、顔を上げる。そのまま机に向かうと、ペンを取って一心不乱に線を引き始めた。
先ほどまでの不調が嘘のように、後からあとからアイディアが浮かぶ。まるで、込み上げる喜びがそのままデザインになっているかのようだ。
大切な主人のために、たくさん、たくさん衣装を作りたい。もっと、もっと彼女の魅力を引き立てるような衣装を。
その思いに突き動かされ、フルーレはしばらくの間、ペンを置くことができなかった。