愛しき日々よ、続け もうすぐ、夏が終わる。
私たちはフガヤマでの滞在を終え、屋敷に戻ってきていた。かの地での賑やかなお祭りは、夏という季節の楽しさを凝縮したようで、慣れた場所へ帰ってきた安心感より、寂しさのほうが勝ってしまう。
夏の終わりは、どうにもセンチメンタルになってしまっていけない。
「主様、大丈夫ですか?」
「え?」
「いえ、ため息をついていらしたので」
傍に控えてくれていた担当執事のハウレスは、そう言うと心配そうに眉尻を下げた。私は元気そうに見えるよう笑顔を作って、大丈夫だよと答える。きちんと誤解を解いておかないと、この過保護な執事はどこまでも心配を加速させてしまうのだ。
「ただ……ちょっと寂しいなって思っただけなの。フガヤマで過ごした時間が、とても楽しかったから」
浴衣。ひしめく屋台に盆踊り。温泉。剣舞の観劇。そして夜空に咲いた大輪の花火。今年の夏も、たくさんの思い出ができた。
けれど人間というのは欲張りで、もっと、もっと夏のうちにやりたいことがあるのにと、そんなふうに思ってしまう。夏よ、終わらないでと、詮無いことを願ってしまう。
「そうですね。俺も……この夏は主様とたくさんの思い出を作ることができて、楽しかったです」
「……うん」
増えた記憶を愛しむように微笑んで、ハウレスは「ですが」と逆接を続けた。
「夏には夏の楽しさがあるように、秋にも、冬にも、それぞれの楽しさがありますよ」
しんみりと俯いてしまっていた気持ちが、その言葉で上を向く。ハウレスの言うとおりだった。
ハロウィンにクリスマス、お正月、バレンタイン。去年、十三人と一匹の執事と過ごした秋も冬も、とても楽しかった。今年はさらに、三人の仲間が増えている。きっと、去年よりもっとずっと素敵で楽しい時間になるに違いない。
「それに……夏は来年もまたやってきます」
「そう……そう、だよね。一度で全部終わらせたらもったないよね。楽しみは、次にとっておかないと」
「はい。……主様」
声の調子で、今度こそ本当に元気を取り戻したことが伝わったのだろう。ハウレスはやっと安堵を浮かべた。かと思うと、今度はどこか切なそうな表情になる。
「ハウレス?」
「来年も、その次の年も……叶うならば、この先ずっと。あなたのお傍に、仕えさせてくださいね」
祈るような言葉だった。私はずっと傍にいる、と。確かに伝えたいのに、胸がいっぱいになってしまって、返せたのは首肯のみだ。
夏が終わるのを寂しく思うのは、それだけこの季節が活気に満ちているからだろうか。この季節を境に草木が枯れ、虫たちが死にゆき、いのちの終わりを彷彿とさせるからだろうか。
ああ、まったく――夏の終わりは、物悲しくていけない。
大きく深呼吸をしてから、私はしんみりした空気を吹き飛ばすようににっこりと笑った。元気が出ないときこそ笑顔を浮かべるのだと、気持ちはあとから着いてくるのだと教えてくれたのは、他でもないハウレスだ。
「ハウレス、笑って」
「主様……?」
「ねえ、笑って。そうしたら、秋の楽しい予定を、一緒に考えようよ」
いつまで一緒にいられるだろう。執事たちが時折、そんなふうに確証のない未来を不安がっているのを知っている。私だって、時々は考えてしまう。なにしろ私の大切な執事たちは、人類の脅威と最前線で戦っているので。
喪うことを考えると、恐怖で足が竦んでしまいそうになる。彼らも、きっと同じなのだろう。そんな私たちだからこそ、一緒に過ごす楽しい思い出が必要だ。不安に溺れてしまわないように。心を強く持ち続けるために。
「フッ」
息を吐き出すようにして、ハウレスは笑みを湛えた。
「楽しい予定……というのは、具体的に考えようと思うと、少し難しいですね」
「え、そうかな? 私はみんなとやりたいこと、色々あるよ」
さつまいもを掘って、焼きいもパーティーをしたらきっと楽しい。以前、各階ごとにいちごのスイーツを作ったときのように、さつまいものお菓子を作ってもらうのも楽しそうだ。夜にみんなで庭へ出て、天体観測をするのも素敵だろう。それぞれにおすすめの本を持ち寄って、読書会をするのも良いかもしれない。
「いえ、その……俺たちはきっと、主様が一緒なら、なにをしても楽しいので……」
視線を逸らして言うハウレスの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。こうして照れてしまうのに、言葉にして伝えてくれるのが嬉しい。
「ふふっ。そんなの、私だって同じだよ!」
どんな季節だって、どんなことをしたって、執事のみんなが一緒なら、絶対楽しいに決まっている。
夏が終わる。そして秋が去り、冬が来て、春を迎え、やがてまた夏が巡る。そのひととせの間に、どれだけの新しい思い出が増えるだろう。
終わりは、始まりだ。次の予定の話をしているうちに、季節が去るのを惜しむ心はいつしか、次の季節の訪れを期待するものに変わっていたのだった。