名前を呼んで[Sco博♂]「■■■・■■■■……ああ、呼びづらいでしょうから、よろしければ”ドクター”と」
彼はその立場が立場であるので、このような商談や交渉の席に呼ばれることが非常に多い。『私にもできる数少ないことなんだ。ほら、私のボウガンの成績は知っているだろう?』などと嘯く口調は本気そのものだったが、その内容を真実ととらえるような人間はどこにもいないだろう。不発に終わった冗句に肩をすくめながら、彼は本日もまたにこやかにそのふくよかなキャプリニーの男性と握手を交わすのだった。
「■■■・■■■■?」
「驚いた。君はとんでもなく耳が良いな。だがそれは今回だけの偽名だからおぼえておく必要はないよ」
ということは、ここに来ることはもう二度とないのだろう。交渉は順調に進んでいた様子に見えたのだが、彼の中ではもう終わりということらしい。せっかく、と思いかけてScoutはその理由を自覚し、そっと飲み込んだ。なにせその見つけた理由というものがあまりにもみっともない――せっかく彼の真実の一端に触れたと思ったのに、というものだっただなんてウルサス式の拷問にかけられたって口を割れるものではなかった。などと葛藤するこちらのことなどまったく気にも留めずに、彼はいつも通りの温度のない口調で言葉を続けている。
「彼らが連れてきた護衛を見ただろう? あの武器は隣国のものだよ。巧妙に偽装はされていたけれど」
「……あの三本矢のマークといえばこのあたりじゃ有名なメーカーだったはずだが」
「それでもね、連中のあの目は駄目だ。珍しく話が通じる人間を見つけたと思えばこれだよ。まったく嫌になるな」
砂埃に汚れた一回り小さいブーツの足取りが軽いのは、なにも気分が良いわけではなく一刻も早くこの場所を離れなければならないからだ。合流地点までの時間を測りながらいくつかのルートをピックアップしていると、不意にそのフードとバイザーに覆われた頭部がくるりとこちらを向いた。
「先ほど使った名前は、できるだけ彼らの言語にない発音を使ってもっともらしいものを組み立てたんだが、君の声で聞くと、うん、なんとも良いものに聞こえるな」
今度からああいった偽名にするのも悪くない、と言いたいことだけ言って再び軽やかな歩みを進める姿に、足どころか心臓が止まりそうになった。
「おいおい……」
「なんだい、気がついてなかったのか? 君はとてもいい声をしてるんだよ。貴重な武器だ、大事にしてくれ」
覆面を着けていて良かったと、この時ほど思ったことはない。背中にすら目が付いていると評判の彼の前では何もかもがお見通しだろうが。だがそれでもいい。これからの一端を許され預けられたという事実が、そこにはあるのだから。
「”ドクター”」
「うん? 報告でもあったかい」
「いいや。アンタのコードネームは、呼びやすくて助かるなと思っただけだ」
そうだろう、そうだろう! と上機嫌な足取りに、Scoutはもう一度だけ、ただ一つ許された名前を口にしたのだった。