キャンプウィルルオ2 ル・オーの到着が随分と遅れたのは、最後までここに来るべきか悩んで眠ったせいである。たっぷり9時間も寝た末に、仕事では絶対にしないような大遅刻をし、慌てて自転車ではなく車で家を飛び出した。
先日のキャンプ場はすっかり桜の花が満開になっており、同じ場所とは思えないほどの混雑ぶりを見せ、駐車するのにも一苦労した。まず近くの公園から屋台が並んでいるし、道は写真撮影する客たちで溢れており、ル・オーはそれだけで体力を削られながら、キャンプ場へと辿り着く。
既に太陽は真上を通り越して、夕方に差し掛かろうかという頃合いだ。一般の花見客は帰る者も多いけれど、キャンプ場は大賑わいである。
花見ついでにキャンプをするのか、それともキャンプついでに花見をするのか。色とりどりのテントで埋まったそこを見てげっそりした気持ちになる。嫌な季節だ。落ち着いてひとりでいられないなら、キャンプをする意味が無い。
しかし、今日は目的が違う。足早にキャンプ場へ入って行くと、目当ての男を探した。
彼は遠目にもよくわかる。あれほど背が高く、しかも髪も派手なのだから当然だろう。桜の木の下、花見には良い場所に陣取っているようだ。まっすぐ彼の元へと向かうと、ウィルナスはバーベキューコンロを用意するために奮闘しているところだった。
声をかけるより先に、すぐ近くにあった彼のテントを見る。きちんと設営できているようで、感心した。
「遅れて申し訳ないのだよ」
声をかけると、ウィルナスが顔を上げる。そしてル・オーを視界に捉えると、ニカ、と花が綻ぶように笑う。まるで赤子か幼児だとル・オーは感じた。
「到来、到来! いや、鼎も今来たところだ!」
嘘が下手すぎる。あるいは気遣いというべきか。
既にすっかりテントやテーブル、椅子もできあがっているのだから、ル・オーが相当遅刻したことは見ればわかるというのに。苦笑しながら、「すまないね」と自らも荷物を降ろす。
「隣にテントを作っても?」
「無論、無論! 鼎も手伝いやがろうか」
「君はその炭火をどうにかすべきではないかね?」
「むむ!」
ウィルナスは慌ててコンロを覗き込む。火の取扱についてはよく言って聞かせたから、真剣な様子だ。ル・オーはふと表情を緩ませて、自分のテントを張り始めた。
花見に行こうとウィルナスが誘って来たのは、つい先日のことである。
ル・オーのほうからはできる限り彼と連絡を取らないつもりでいた。しかしウィルナスはまるで知己のようにメッセージを送って来たのだ。
最初はキャンプの思い出を振り返り、またキャンプがしたいというような感想から始まり。「道具を新しく買いたいがどれがいいか」とか「いいキャンプ場を知らないか」とか。自分ではなく、その目の前のスマホに聞けばいいのに、とル・オーは思いもしたが、どうしてだか律義に返信を続けてしまった。
一緒に花見がしたい、バーベキューがしたいと言う。花を見たいのか、肉が食いたいのかどちらかにしろと言いたい気持ちにもなったが、きっとどちらもしたいのだろう。それなら、と初めて会ったキャンプ場について触れたら、一緒にまたキャンプをしようと誘われた。
冗談じゃない。
桜が咲いている時期、休日のあそこなんて落ち着けるわけがない。場所取りをする為に早朝から並ばないと、いやそれでも前日からの客がいるから、確保できるかどうか。それに休日ぐらいひとりで過ごしたいのだ。
そう考えているのに。
心のほうへ、あの楽しかった時間が住み着いているように、行きたいと訴えるのだから。ル・オーは大いに混乱した。
そして今に至るというわけだ。
一人用の小さなテントをこしらえて。作業もひと段落し、溜息を吐きながらウィルナスを見ると、彼はちゃんと教えた通り、火熾しをできたようだ。コンロに網を置き、ゴソゴソとクーラーボックスを漁っている。
もうひとりでもキャンプはできるだろうに。ル・オーはぼんやりとそう思った。
あれほど人懐こく、明るい男なのだ。自分以外にも誘える相手など、いくらでもいそうなものだが。どうして、自分が呼ばれたのだろう。
「ル・オー! アルコールはいけやがるか?」
「ん、まあ、人並には飲めるつもりだが……飲むのかね?」
「酒宴、酒宴! 桜、肉、酒! そしてル・オーと一緒のキャンプ! これ以上に楽しいことはありやがらないぞ!」
他の人間がそう言ったなら、調子のいいことをと感じたかもしれない。けれど、ウィルナスときたら本当に嬉しそうに身振り手振りを交えて語るものだから、嘘偽りない本心のように聞こえた。そうなると、職場では冷たいだの怖いだの囁かれているル・オーだって、なんとなく胸が温かくなってしまう。
「……そう、かね」
努めてそっけなく答えることで、誤魔化すことしかできなかった。
ル・オーだって花見自体は嫌いではない。桜が陽の光の下で揺れるのも、その花びらが舞うのも。美しいと感じる。バカ騒ぎする連中が嫌なだけで。
こうしてゆっくり桜を見るなんて、いつぶりだろう。ル・オーはアルコールの入ったコップを傾けながら、ぼんやりと思う。
大学まで生真面目と言われるほど勉強をし、社会人になってからも同じほど真剣に働いていたら、何故か出世した。嬉しくないわけではないが、常に忙しい。責任ある立場は元々「怖い」と言われがちな表情をますます冷やした。
だからこそ、だ。こうして日常を離れる場所を、ずっとずっと欲していた。
太陽が山の向こうに消え、辺りが暗くなるころには桜がライトアップされた。それを眺めながら周りは賑やかにしているが、ウィルナスは酒を片手に肉を食らい、時折ル・オーに話しかけては笑う程度だ。思っていたより穏やかな時間を過ごせ、アルコールの効果も相まって、気持ちが柔らかく解けていく。
「ル・オーにはキャンプ仲間はいないのか?」
尋ねられても、素直に答えるぐらいには。
「そういう間柄の人間はいないね」
「では、ずっとひとりでキャンプを?」
ひとつ頷くことで答える。寂しい奴だと思われることへの不安は、とうの昔に無くしたけれど。ウィルナスがどう反応するかは、少し気になった。
しかし彼は屈託ない笑顔で言う。
「であれば、鼎たちはお互い初めてのキャンプ仲間か! 」
「…………」
「あ、……キャンプ仲間ではなかったか?」
嬉しそうに言った後で、不安そうに尋ねる。その様子がおかしくて、ル・オーは思わず小さく笑った。
「……いや、構わないのだよ。君と私は、初めてのキャンプ仲間。そういうことで、問題無い」
「おお……! ではでは、これからもよろしく頼みやがるぞ! さあ、まだまだ肉は有るし、チーズフォンデュもできる、それに酒も有る!」
「私は君ほど多くは食べられないのだがね……」
グリルの上に肉を並べていくウィルナスに苦笑しながらも、ル・オーは心地よい時間を過ごした。
「……ん……」
小さく声を漏らし。意識が浮上する。寝返りを打った拍子に、僅かに思考が巡った。
いつの間に家に帰ったのだろう。布団で眠っているなんて。自分は確か、ウィルナスとキャンプをしに行ったけれど、どうやって別れたろうか。
ぼんやりと考えて、それからハッと目覚めた。
見慣れた壁や天井ではない。テントの中だ。しかも自分は、何故か敷布団に掛布団で寝ているではないか。つまり、これは自分のテントでもなく寝具でもない。
さあっと血の気が引く。酔いも睡魔も一瞬で飛んで、ル・オーは上体を起こした。
「ぬ、起こしてしまいやがったか……」
声に振り返ると、テントの外からこちらを覗き込んでいるウィルナスと目が合った。外はまだ暗いようだ。ウィルナスの布団で朝を迎えたわけではなさそうなのが、とりあえずのところ救いである。
「わ、私は、どうして、」
「酒のせいか、途中から座ったまま寝始めてしまってなあ。声をかけたが起きないし、そのままでは風邪を引くが、勝手にル・オーのテントを覗くわけにもいかないし。とりあえず、鼎の布団に寝かせやがったのだが……」
「……っ、す、すまないのだよ!」
ル・オーはあわあわと布団から出る。羞恥で頬が熱い。まさか自分が、酒の席で居眠りを、しかもウィルナスの口ぶりからして運ばれた挙句布団に押し込まれても目が覚めないなんて。どれだけ気が緩んでいたのだろう。
「否、否。ル・オーも何かと疲れていらっしゃるに違いない。鼎はまだ火を消さなければいけないし、ル・オーはそこでくつろぎやがってくれ」
「そ、そういうわけにはいかない。私は自分のテントで寝るから」
テントから出ようとして気付く。靴に上着も脱がされているのだ。どうしたらここまでされても目が覚めないのか。ますます恥ずかしくなって、ル・オーはウィルナスと顔も合わせないまま、身だしなみを整えて外に出る。
夜も更けてはいるらしい。桜のライトアップは消え、キャンプ場は随分と静かになっていた。ウィルナスはル・オーに教えられた通り、火が消えるまでしっかりと待っているらしい。のろのろと元座っていた椅子に腰かけると、溜息を吐き出す。
とんだ醜態を晒してしまった。自分の長い耳がぺたりと伏せていないか手を伸ばして確認したが、しっかり伏せていた。
「……迷惑をかけてしまったね……」
「鼎は何も迷惑してないぞ! むしろそのまま眠らせてやりたかったのだが……」
「いや、運んだのなら重かったろうに」
「否、否。昔バイトで運んだ洗濯機に比べたらずっと軽かったぞ!」
その比較は大丈夫だろうか。ル・オーは眉を寄せたが、ウィルナスは朗らかに笑っている。
「気にしやがらないでくれ。むしろ、ル・オーを強引に誘って呑ませてしまったのではないかと思っているのだ」
「……? いや、そんなことは……」
強引、だったろうか? 確かにメッセージは頻繁に来ていたし、花見キャンプに誘って来たのは事実だが。それが嫌なら最初からここにはいない。
「君こそ、私で良かったのかね? 他に知り合いぐらいいるだろうに」
「あー…………」
ウィルナスは僅かに表情を曇らせたけれど、すぐに笑って答えた。
「ル・オーとが良かったのだ!」
「……そう、かね……」
あんまり真っ直ぐ言われるものだから。ル・オーはまた頬が熱くなるのを感じて、目を伏せた。