ライラ「深幸」
「なに?」
「今日は少し酔いたい気分なんだ」
なんて、呼び出されたのが2時間前。
今となっては当の本人は俺の隣に座り、レンズの向こう側の瞼をうつらうつらと重力に逆らわせている。
店を出てタクシーに乗り込むまでの距離すら覚束無い足取りで危なっかしく、やっとの思いで乗り込ませたのがほんの10分前だったと思う。
「ちょっと、さすがに飲み過ぎじゃない?」
と問えば
「大丈夫だ、今日はお前がいるからな」
なんて言うもんだから、全くどの口がだよ、と溜め息と共に吐き捨てた。
皮肉に反して、それでも内心ちょっと妙に嬉しく思う自分もいて、上手いように転がされているようで余計に腹が立った。
こいつに頼られるとむず痒くて仕方ないからやめてほしいんだよな。
そんな俺の心情すら嘲笑うかのように、この男はやけに上機嫌の様子。
珍し過ぎて気味が悪い。
行き先を運転手に伝え座席にもたれ掛かると、転がるように俺の肩に丸い頭が寄り掛かってくる。
こうして並ぶと、やっぱり華奢だな、なんて思ったのも束の間だった。
「!」
「ふふ、硬いな」
「はぁ!?いや、ちょっとなに」
むずっと走る感覚の先で細長い人差し指が、俺の手の甲から指先、親指のマメまでをゆっくりと滑り、思わず肩が跳ねた。
いやいやいや!?まじで何なのこの酔っ払い!
俺の反応がお気に召したのか、手の甲へ戻る指先は更に袖の裾目掛けて登って来ようとしていて、慌てて侵入を阻止すべく掌を立てれば、自ら捕まりに指を絡めてくる。
そのまま座席シートへ縫い付けてやれば大人しくなり、かと思えば規則正しい寝息が俺の肩をくすぐってきた。
「はぁ……」
どっと疲れた。
そもそも思考の違いすぎるこの男と意思が違える事など日常茶飯事だが、普段では考えられない程、無邪気すら垣間見える姿を見る事がなかった為か動揺が拭えず、結構飲んだ気がするのに結局全く酔えないままだった。
それだけ俺と一緒にいてリラックスしていたのか、とか、酒を言い訳にして甘えてきているのか、とか、どうにも都合のいい解釈をしてしまいそうになる。
仮にもこいつに限ってそんな事はないだろうに。それに今起きていたとして、素直に問いたところで「お前が思うのならそうなのかもな」なんて、曖昧な回答をされるだけだ。
里塚賢汰という男がそういう奴である事を俺は知っている。
まぁ、知っているくせに誘いに乗る俺も俺なんだけど。
断ってどこぞの知らない馬の骨を相手にこんな姿を見せていたらと思うと、…さすがに想像したくはないな。こんなの、この場だけ。自分の目の届くところだけでいい。
むかつくけど。
俺はその感情の意味も名前も、多分知っている。
認めたくなくて、でも繋がれたままの手は俺の体温よりも冷たくて、堪えたくて指先が少し力んだ。
運転手から死角になっているとはいえ、よりによってなんで恋人繋ぎなんてしてんだろ。下手に解こうとして目を覚まされても面倒臭い。とか、苦し過ぎる言い訳を理由にして誤魔化した。
今日何度目かの溜め息がまた零れる。
人の気も知らないまま、こいつはすっかり寝入ってしまっているというのに、掻き乱されている自分を情けなく思う。
「ほんと、俺はお前のそういうところが嫌いなんだよ」
言い聞かせるように吐き捨てた自分の口元が微かに緩んでいる事も絶対に認めない。
この心地良さを認めたら、負けだ。
手持ち無沙汰にスマホの画面を確認すると、現在23:59。日を跨いじまうな、なんて思った矢先に0:00に変わり、スケジューラーに入力済みの通知が表示される。
「誕生日おめでと、賢汰」
どうせ寝ていて届かないだろうし、誰よりも先に祝いの言葉を贈る事くらいは許されるだろ。
隣で伏せたままの口元が綻んだ事は、俺は今もこの先もきっと知らないままだ。