鶴丸国永の宝箱 美しいものを見た。
「……飽きないのか」
「飽きないねえ」
大倶利伽羅が呆れた声を出すのを、鶴丸は笑って返す。
話している間も、大倶利伽羅は手元から手を離さない。
手入れの最中である。
怪我によるものではない。己の刀を手入れしているのだ。審神者は物の心を聴くことができたが、かといって刀の扱いに関して詳しいわけではない。そのため、打粉などを用いての刀の手入れは自分の手で行う。
鶴丸は、大倶利伽羅が手入れしている姿を見るのが好きだった。大倶利伽羅もそれがわかっているから、もう諦めて追い返すことはしない。眺めている時、鶴丸が静かにしているせいかもしれない。ぶっきらぼうだが、優しい男だ。
「美しいな」
彫られた龍の、美しいこと。
目を細めて眺める鶴丸に、大倶利伽羅はなにも返さない。
刀にとって、美しいとは言われ慣れている言葉だろう。それでも、言わずにはいられないのだ。
「美しい、なあ」
「やる」
縁側で茶を飲んでいると、こつん、と頭になにか硬いものを押し付けられた。
顔を上げると、大倶利伽羅が立っている。
「なんだい、これ」
「祝いの品だ」
祝い、と鸚鵡返しにする鶴丸に、大倶利伽羅が呆れた声を出す。
「今日で顕現してから一年経ったろう」
「ああ!」
鶴丸は大倶利伽羅から「それ」を受け取った。
「意外だな。きみがこんなふうに祝ってくれるなんて」
「あんたは俺の分を祝ったから、返さないわけにもいかないだろうが」
「気にしてないんだけどなあ」
鶴丸が大倶利伽羅に贈ったのは万年筆だ。大倶利伽羅はそれを、日誌を書く際に使ってくれているようだった。
「洒落た箱だな」
小さな木箱だ。振ると、中でかさかさと軽いなにかがぶつかる音がする。
「ありがとな」
さっそく開けてみようと箱を眺めてみたが、首を傾げる。
「これ、どうやって開けるんだ」
どうやら普通の箱ではないようだ。
「教えたら、面白くないだろう」
ふ、と大倶利伽羅が息を吐く。
笑ったのだ。本人も気づいていない、仕草。
「仕掛けがある。自力で解いてみろ」
「へえ、楽しそうだ!」
さっそく箱に向き直る。
しかしいくらいじっても、箱が開くことはない。
「……これ、初心者向きじゃないよな」
「さてね」
それからも、鶴丸は暇ができるたびに箱を開けようと試みた。
中に入っているのは流石に生物でないだろう。中を開けたら腐っていた、なんて流石に笑えない驚きだ。
大倶利伽羅のことだ、それも考慮に入れているはずだった。
箱の中になにが入っているのか、想像するだけでもわくわくしたし、大倶利伽羅の隣で箱に触れているのは楽しかった。
飽きもせず、何度も箱を開けようとする鶴丸に、大倶利伽羅は焦らすようなことは何も言わず、ただ見守っていた。
箱が初めて開いたのは、大倶利伽羅が折れた翌日のことで、それ以降箱は二度と開いていない。
辛うじて回収できたそれは、多くが喪われているがそれでも変わらず美しい。
けれどこんなふうに、美しいものに触れたくはなかった。
「……おかえり」
ただいまの声は、帰ってはこない。
大倶利伽羅がくれた箱の中には、花の種が入っていた。ご丁寧に、育て方も書き記されている。あの男がどんな顔をしてこれを箱に入れたのか、想像して少し笑った。こういうときにも、笑みは溢れるものだというあまり知りたくはない驚きがあった。
花の種の代わりに、美しいものをそこに納めた。それ以上、見ているのが辛くなったのかもしれない。後悔した時にはもう箱は開くことはなく、それでも美しいものは瞼に焼き付いて消えることはない。
種を蒔いたその年に、花が咲くことはなかった。
少しずつ、欠けた日常が正常となった。
鶴丸は再び、箱を開けようと試みた。あの時のようにわくわくする感覚などなく、ただ、美しいものを閉じ込めてしまった後悔からだ。もう一度、あの美しいものが見たかった。もう二度と、見られないとわかっていながら。
二年という歳月は、悲しみを呑み込むのに長いのか短いのか、鶴丸には判断がつかない。
それでも、竜胆が咲いた日、鶴丸は兆しというものを感じていた。
大倶利伽羅含む第一部隊は壊滅状態で帰還した。大倶利伽羅の傷が一番浅いが、それでもきつく巻いた包帯からは血が滲み出ている。
鶴丸にも、久しぶりの出陣命令が下った。大倶利伽羅と入れ替わりに、戦場に立つことになる。厳しい戦になるだろう。連絡のつかない第二部隊は果たして無事なのか。
戦支度を整える鶴丸に、大倶利伽羅は怪我をした身で手伝ってくれた。手入れ部屋は埋まっており、顔には隠しきれない苦痛の表情が浮かんでいる。
「もし、あの箱が——」
鶴丸は思わず口を開き、いや、と首を横に振った。
おそらくは、これで最後だろうという予感があった。この若き龍に、なにかしたらの重しのようなものを鶴丸は遺したくはなかったのだ。
彼がかつての彼と違うからこそ、違う道を歩んでほしかった。
叶うならばもう一度あの美しいものを見たかったけれど、叶わないことを鶴丸は知っている。
あれは、彼がそこにいることを前提としたものだったから。
あの穏やかな時間を含めて、美しいものだったから。
だから鶴丸は、その一部分だけでもそれ以上失いたくなくて、箱に閉じ込めたのだ。
あれは、鶴丸国永の宝箱だった。
もう、二度と開くことはない、宝箱だった。
美しい、箱庭の世界だった。