能面の男 大倶利伽羅がある出陣の際に負った負傷でちょっとした不具合が発生していたことに気がついたのはそれから半月後のことである。もっともそれが本当に不具合だったのか心理的な問題があったのか鶴丸は知る由もなかった。
半月ほど前に一振り目の鶴丸国永が折れた。当然のことながら戦の最中のことで、それはそれは勇猛果敢に敵に斬りかかり大将と相打ちになった末とのことである。大倶利伽羅はそのとき同じ部隊にいたそうだ。
――なんだ、その顔は。
二振り目である鶴丸が初めて大倶利伽羅と会ったとき、彼は呆気に取られた顔をした。
その顔とは。
挨拶もする機会を失い、鶴丸は自分の顔に触れる。
目も、鼻も、口もない。
気味の悪い物を見るかのように大倶利伽羅は鶴丸を一瞥する。
鶴丸は近侍と顔を見合わせる。彼には普通に見えるようだ。
大倶利伽羅には、二振り目である鶴丸はのっぺらぼうに見える。
大倶利伽羅は先の発言の非礼を詫びたが、不具合ならば仕方がないだろうと鶴丸は詫びを受け入れた。その出陣の際に大倶利伽羅は頭部に怪我を負い3日ほど昏睡状態だったらしい。
大倶利伽羅にはさぞ自分が気味悪く見えるだろうと、近侍とへ頼み込み大倶利伽羅とはできる限り出陣も内番も傘ならないようにした。最初のやり取りを知っているからか、近侍も納得し、結果ふたりが共に過ごす機会はほぼないといっていい。
鏡を覗き込み、顔に触れる。
あれからどんな表情を浮かべればいいかわからないから、鶴丸は顕現してから一度も笑ったことがない。ほかの皆にとって鶴丸はのっぺらぼうには見えなくとも、能面のような顔に見えるだろう。
カタン、と音がして鶴丸はそちらを振り返る。大倶利伽羅が立っていた。手には洗面用具を抱えている。これから風呂に入るつもりなのだろう。
悪い、と鶴丸は謝った。なにに謝ったのか、自分でもよくわからない。
あまり俺に気を使うな、と大倶利伽羅が言う。
使ったつもりはない、と鶴丸は弁解した。大倶利伽羅は相変わらず目を逸らしている。大倶利伽羅には鶴丸の目が見えないから、目を合わせて会話などできるはずもないのだが。
沈黙が流れる。誤魔化すように、鶴丸は尋ねた。
一振り目の鶴丸はいったいどんな表情を浮かべていたんだい。
興味本位だった。二振り目の鶴丸は表情というのを浮かべたことがないので、気になったのだ。
覚えていない、と大倶利伽羅は悔しさや苦しさを滲ませた顔で呟いた。
随分と表情豊かだな、とそんなことを考えた。
最期にどんな顔をしたのか、靄がかかったように思い出せない、と大倶利伽羅は言う。
それがなんだか可哀想で、鶴丸は大倶利伽羅の手を取った。
なにをする、と大倶利伽羅が手を引こうとするがお構いなしに、その手をそのまま自分の顔へと持っていく。
触ってもわからないかい。ここに、目がある。鼻がある。そしてこれが口だ。今きみを見て、君に向かって話をしている。
不具合が視覚だけならば触れることはできるのではないかと思ったからの行動であった。大倶利伽羅は鶴丸の顔を指でなぞった。
足りないのなら舐めても齧ってもいいが。
同じだからこそ違いを見つけることはできるだろう、と鶴丸は語りかける。
たぶん、一振り目が浮かべていた表情はこんなものではなかったと思うぞ。
それから長いこと、大倶利伽羅は鶴丸の顔に触れていた。もう鶴丸は手を導いてはいない。
眉の形を確かめ、鼻の角度を確かめ、唇をなぞる。目を舐められたのは少し痛かった。
へんなの、と鶴丸は思う。触れられるたびに自分が形になっていくような気分だ。
あいつは、と大倶利伽羅は口を開いた。
思い出した。あいつは最期に、笑っていた。
そうか、と鶴丸は相槌を打ち、目を瞑る。
ならばきみがそれを忘れないように、俺はずっと笑わないでいよう。
それからも、大倶利伽羅には鶴丸のことはのっぺらぼうにしか見えなかったし、鶴丸も能面のような表情を浮かべたまま笑みのひとつもこぼしたことがない。
時折り、大倶利伽羅は鶴丸の顔に触れることがある。それがこの本丸においてふたりが過ごす唯一の時間だった。