気の利かない男「え、じゃあ今日の弓場ちゃんもしかして全身神田くんコーデやったりする?」
立ち昇る薄煙の向こうから、相変わらずの無表情で生駒が弓場の腕時計を指差す。目の前の友人は基本的にコンクリートで固めたように表情筋が動かないが、その代わり身振りや声の調子で如実に、誰よりも分かりやすく感情を伝えてくる。その不器用だか器用だか分からない友人は声にありありと愕きを乗せながらカルビを裏返した。生駒の隣に座っていた柿崎も生駒の声に釣られ弓場を頭の天辺から辿るように眺めると、「あー、確かに」と感心したように頷く。
「そういやそのシャツ神田くんと買い物行った時買ったって言ってたよな」
「靴は確か去年の誕生日プレゼントに神田くんから貰ったんだよな」
「もうこのオシャモテ眼鏡以外神田印がついてないコーデ無いやろ。今日って弓場ちゃんやなくて神田ちゃんって呼んだ方が良かったりする?」
「人を神田に乗っ取られたみたいに言うんじゃねえ」
一応のツッコミを入れつつも今日の己のコーデを振り返る。確かに生駒の言う通り本日の弓場はなんらかしらの神田の介入が全身に挟まれている服装であった。シャツとスラックスは以前神田と買い物に行った際に選んでもらったものであるし、靴は嵐山の言う通り去年の誕生日に「弓場さんに似合うと思って」と言われ贈られたプレゼントを大事に履いている。今年の誕生日プレゼントにもらったこの腕時計とて決して安いものでは無いだろう。もちろんその分神田の誕生日には弓場なりのお返しをしてはいるが、それにしたって神田に贈られたものが自分の身の回りには多いことに指摘されて気がついた。
「おれは今年玉狛合同でスーツもらったよ。高校卒業して制服無いから何かと入り用だろって」
「俺はスニーカーだったな。文香がケーキを手作りしてくれてな、スゲー美味かったんだよな」
「え、待ってみんなオシャレ過ぎん? 俺七色に光るレインボーソード生駒隊合同でもらったんやけど」
「深夜の任務に使えそうで良いじゃないか。今度見せてくれよな!」
完全にウケ狙いであろう生駒のレインボーソードは置いといて、迅にとっては半分実家のような玉狛のメンツからもらったスーツと、柿崎が隊員達からもらったスニーカー、そして自分が神田個人から贈られた腕時計を比べ弓場はひっそりと首を傾げる。やはり、価格設定がおかしい。というか年々上がっている気がする。弓場は同期たちの歓談を眺めながら、汗をかいた烏龍茶のグラスをあおった。
今日は少し遅れての柿崎の誕生日会ということで同年代の五人で集まり焼肉屋に訪れていた。誕生日にはご飯を奢りプレゼントを渡すというのが五人の中での恒例行事であり、当然今日も柿崎へのプレゼントを用意していた。といっても高すぎない範囲で贈り合うのが暗黙の了解となっていたのでお取り寄せのお菓子であったり、以前から相手が欲しがっていたキッチン用品なり、可愛い値段のものを互いにプレゼントし合っている。間違っても個人で贈り合う場合はゼロが四つつく価格帯に到達することはない。けれども、いくらボーダーでの稼ぎがあるとは言え学生の仲間同士の誕生日プレゼントなんてものは精々この程度だろう。普通は。では、神田が弓場に贈ったこの時計は一体なんだというのだろうか。
「弓場さんが気にいると思って」
これが神田の口癖であった。遠出した先で入った雑貨屋に並べられたアクセサリー、百貨店に立ち寄った時に見かけた珍しいフレーバーの紅茶、コンビニを訪れた際に見かけたパウンドケーキのカップ。そういう物を目ざとく見つけてきては、先ほどのセリフと共に弓場に差し出す。実際神田の目は確かで神田があの柔和な笑みと共に持ってくる差し入れは余すことなく弓場の好みの品で、弓場は毎回礼を述べると共に感心したように息をつくのがお決まりであった。
また、同時に何事にも気のつく男でもあった。弓場が報告書に追われていれば何も言わずとも温かい飲み物を差し出し、個人で鍛錬に取り組んでいる際は「弓場さんのフォームを参考にしたいんで俺も一緒にやって良いですか?」なんて言いながら遅くまで弓場に付き合う。帯島や外岡に対しても、自分や藤丸がつい厳しく締めがちなところを二人が萎縮しすぎないよう然りげ無くフォローに回る。まさしく、王子が以前ポロリとこぼした『痒い所に手が届く男』という冠がピッタリと似合う、チームになくてはならない存在であった。
神田のその性質は何もチーム内だけに留まるものではない。高校でもよく後輩に呼び止められているのを見かけたし、教師からの覚えも良かったと記憶している。そう、神田は基本誰にでもあの柔和な態度を崩すことなく気を回し、人を助け、尚且つそれを他人に悟らせない。神田の気遣いとはそれほど目を凝らさないと気が付かないほどには自然で、嫌味がなかった。それが弓場の知っている神田の姿だ。よって、他人に指摘されるほどの施しは弓場から言わせれば『異常事態』に他ならない。散々プレゼントを受け取っておいて何を今更と自分でも思わなくないが、一度気がついてしまえば見過ごせないのは性分としか言いようがなかった。
「考え事ですか?」
声をかけられ顔を上げればそこには今し方まで散々頭に思い浮かべていたあの柔らかい、穏やかな微笑を湛えた神田の顔があった。先ほどまで隊室にはいなかったはずだが、どうやら神田が入室して来たことに気がつかない程度には深く考え込んでいたようだ。弓場は「まあな」とだけ返すとタブレットに視線を戻す。流石に「お前のことについて考え込んでいた」と言うのは小っ恥ずかしさが勝った。神田は塩対応の弓場を気にとめるでもなく「そうですか」と返すと、弓場のそばの椅子に腰掛ける。どうやら今日は大人しく見て見ぬふりをしてくれる気はないようであった。
「今日は特に来る用事もねえだろ。どうした?」
「諸々書類を出すついでに顔を出しました。まあちょっと息抜きですね」
確かに制服姿のままな辺り、少し隊室に顔を出しにきただけなのだろう。それもそのはずだ。なんせ神田は今人生で最も忙しい時期なのだから。
ボーダーを辞め三門市外の大学を受験することを決めた神田は、絶賛受験勉強の真っ最中であった。師も走る年の瀬の終わり、最後の模試も終了しいよいよ本番まで大詰めというこの時期はまさに寝る間も惜しんで勉学に励んでいる様子であった。現に深夜の防衛任務の待機時間も神田は基本的に仮眠ではなく勉強の時間に充てている。ボーダー推薦で現在の大学に進学した弓場には想像することしか出来ないが、ランク戦や任務をこなしながらの受験勉強は相当な負担になっていることだろう。それでも、神田がやると言い切ったことだ。よって弓場は勉強に励む神田に眠気覚ましのコーヒーを淹れてやりつつ、黙って見守ることに徹していた。
「そうだ、ちょうど良い。弓場さんこれもらってくれませんか? 間違えてボタン押しちゃって」
神田はそう言うとカバンの中からペットボトルを取り出した。ミルクティーが入ったボトルはまだ温かく、今し方購入したことが窺える。確かに神田は普段甘い飲み物はあまり好まず、コーヒーもブラックをよく口にしている。ミルクティーはむしろ弓場の好みであるだろう。神田ではなく、弓場の。弓場は漏れ出そうになるため息を寸でのところで呑み込むと、素直に礼を口にした。
「俺も丁度甘いもんが欲しくなって来てたところだ。ありがとな」
「いえいえ、こちらこそ受け取ってもらえて良かったです。ミルクティーも嫌いじゃないんですけれど、これ一本飲むとなると俺にはキツいんで」
「……神田」
「はい?」
「勘違いだったらすまねえが……。お前、俺を甘やかそうとしているか?」
弓場の問いかけに神田の目が丸くなる。どうやら弓場の言葉がよっぽど意外であったのだろう、いつもは流暢に巧言を紡ぐ神田の舌が縺れる。耳鳴りがするほどの沈黙の中根気強く神田の答えを待てば、やがて神田は諦めたのか困ったように笑って眉を下げた。
「迷惑でしたか?」
「そんなことはねえ。迷惑だと思うならそもそも最初から受け取ってねえよ。ただ、俺たちは……、俺は、今後お前がいない環境に慣れていかないといけない。いつまでもお前に甘えてるわけにはいかねえだろ」
実際ランク戦も神田がいたからこそ点数を稼げた場面がいくつもある。神田がいなかったら恐らくまず自分たちはB級上位をキープするのに四苦八苦といった有様であっただろう。帯島への指導も「引退する前の最後の大仕事ですんで」なんて言いながら神田は積極的に行っている。お陰で今期のランク戦を通じ帯島も自分で点を取る場面が増えていった。もちろんそれは帯島自身の弛まぬ努力の結果に他ならないが、同時に神田の指導の賜物であることも間違いなかった。それ程までにチームに尽くし、報いてくれた神田だからこそ、笑って送り出してやりたいのだ。神田自身が「あれ、俺もうお役御免ですか?」なんて笑って言えるほど、安心してボーダーを去れるように。それが隊長としての責務であると考えているし、今のチームならそれができると弓場は信じている。けれども、弓場の説明にイマイチ納得していないのか神田は相変わらず困ったように微笑むと椅子から立ち上がる。グッと近づいた視線はいつも通り柔らかく、けれども目を逸らすことは躊躇われた。
「それは今後俺がチームを抜けて、ボーダーを辞めて、三門を去った後でも弓場さんは大丈夫ってことですかね?」
「実際そのためにお前はこんな受験間際になってもチームに残って、帯島や外岡の指導にあたってくれてんだろ」
「そうですね、チームは。でもね、俺が言うのもなんですけれど実はそんなに心配していないんです。帯島はこれからどんどん強くなっていくと思うし、トノだってもう十分強い。だから俺が居なくなっても大丈夫だろうなって、確信があります。……でも、弓場さんはどうですか?」
神田の指先が掌に触れる。瞬きの音すら響きそうな室内で、向けられた視線は焦げそうなほどに熱烈であった。神田は弓場の手を掴むと顔を寄せる。トリオン体越しであるはずなのに触れた掌が妙に熱く感じて、弓場は思わず顔を顰めた。
「俺、卑怯なんですよ。甘やかされているって弓場さんは言ったけれど、実際は違う。甘やかされているのは俺の方なんです」
「弓場さんが許してくれるからつい調子に乗って、余計なことまで手を出して。今だって弓場さんが慣れなくちゃいけないって言ってくれたのが、舞い上がるほどに嬉しい」
「あなたの中で俺の存在が大きくなれば良いのにって、自分のことばっかり考えている。俺が居なくなって、困ってくれれば良いのにって、縋ってくれれば良いのにって……。ねえ、ほら、最低でしょ?」
「分かってるんです、そんなことにはならないって。弓場さんって立つのが上手いから。俺なんかいなくても、俺がどう足掻いても、きっとなんの問題もなく一人でまた歩き出す」
「そういう所を俺は尊敬しているし、……憧れているし。でも、なんででしょうね。俺は確かに弓場さんの美点だと正しく認識しているはずなのに。たまに、無性に、どうしてか……、憎たらしくなりますよ」
そう言葉を切ると神田はもう言うことは無いとばかりに顔を伏せる。しかしイジけたような態度に反比例するように弓場の掌を掴む力は強く、縋るようでもあった。
「……つまり、お前は俺があまりにしっかりもんだから気に食わねえってことか?」
「ハハ、そうまとめますか。んー、でもそうかもしれません」
「おめぇ、そりゃあまた……。随分な拗ね方じゃねえか」
「アハハハハ! あー、うん。そうかも。そっか、俺拗ねてたんですね。さすが弓場さん、俺のことなんか俺よりお見通しなんだ」
長ったらしい独白を弓場なりにまとめれば、神田は何がツボに入ったのかおかしくて仕方ないとばかりに目を細め腹を抱えた。さっきとは打って変わって綻んだ眦がいつもより幼くて、そういえばこの男はまだギリギリ高校生であったことを思い出す。自分より一つ年下の、拗ねて弱音を吐くような可愛げを持ち合わせた男なのだ。弓場は今度こそ先ほど吐き出し損ねたため息を思い切り吐くと、手を振り解き腕を組む。脇に抱えたミルクティーのぬるさはまるで弓場を急かすようでもあった。
「んで、お前はどうしたいんだ」
「……困らせたいわけでは無いんですよ、本当です」
「困るかどうかは俺が決めることだ、おめぇが決めんじゃねえよ」
「……まあ、それなら、そうですね。俺は今後卒業しても、ここを去っても、いつまでもこうやって拗ねていたい。その度に弓場さんに叱られたい。……そうやって、甘やかされたいのかもですね」
「……そうか」
んだそりゃ
漏れでそうになった文句をまたしてもギリギリで神田は喉奥に詰め込んだ。どうやら神田は弓場の想定よりもずっと面倒で、そしてなんというか、少しアホであった。そういえば普段はなんでも卒なくこなすくせして意外と料理オンチだったり、雑であったり、抜けたところがある男だ。しかもそれらを笑顔で覆い隠して『大抵のことを難なくこなす男のちょっとした愛嬌』として昇華させていたから常日頃からタチが悪いと弓場は眺めていた。まあでも仕方がない、それも引っくるめて向き合うと決めたのだ。弓場は隊室にかけられたカレンダーを確認すると口を開く。
「おい、お前最終任務は確か二十三日で合ってたよな?」
「え? あぁ、そうですね。夕方の任務に出てそれで終わりです」
「分かった。じゃあお前任務後ちょっと残って俺に付き合え」
「え?」
「首洗って待ってろォ……」
「あれ? 俺もしかしてその日弓場さんに沈められたりします?」
逃げないように釘を刺せば神田がこてんと首を傾げる。沈められるようなことをしている自覚があるのなら是非とも改めてもらいたいとこだが、まあ今は良い。相変わらず笑みを崩さない神田の態度に鼻白みながら弓場はただ黙って腕を組むのみであった。
◇◇◇
「逃げなかったな、神田ァ……」
「逃げた時の方がどちらかと言えば怖いですしね」
「おう、よく分かってんじゃねえか」
任務も終わり、他の隊員はとっくに帰宅し隊室に残るのは換装を解いた弓場と神田の二人のみとなった。以前隊室で二人きりで話した時から約二週間が経過し、今日はとうとう神田の最終任務の日であった。互いに忙しく顔は合わせてはいても特に二人になる機会も無かったので、こうやって向かい合って話すのも二週間ぶりである。どこか緊張した面持ちの神田を座らせると、弓場はロッカーの中にしまい込んでいた紙袋をそのまま手渡す。突然無言でショッピングバックを押し付けられた神田はますます訳がわからないといった顔で助けを求めるように弓場を見上げた。
「えーと、中見てもいいですか?」
「おう」
弓場の許可を得てから神田が袋の中身を確認する。小さな紙袋から出てきたのは、これまた小さな、白いリボンがかけられた箱であった。それを弓場は恐々と解くとゆっくりと開く。中から出てきたのは箱よりまた更に小さな、石すら無いシンプルなデザインの指輪であった。
「……え?」
「一日早ぇがクリスマスプレゼントだ。いつも俺ばっかり貰ってるしな」
「や、え? えっと、これは指輪ですよね? クリスマスプレゼントって、え、指輪?」
「お前、卒業後も俺のこと縛って甘やかされてえんだろ」
「あっ…………、はい」
「でも一方的に縛られんのもフェアじゃねえだろ。だからお前もそれあっち行っても着けとけ」
ポカンと口を開く神田に弓場は手首を見せつける。弓場の左手首には今年の誕生日に神田から貰った腕時計がきっちり嵌っていた。ようやく弓場の言いたいことを理解したのだろう、神田はじわじわと顔を赤くすると恥ずかしそうに片手で顔を覆う。
「あーーー……。そこまでバレてましたか」
「お前年々俺に贈るもんの値段が上がってってるんだよ」
「だって、弓場さん俺が贈ったものちゃんと着けてくれるから嬉しくて。すごい、俺好みに染めてる感じがして」
「おい、想定より邪だな」
「……本当にいいんですか?」
指の隙間から覗く瞳が弓場を捉える。この後に及んでまだ最後の退路を確保しようとする神田にとうとう弓場は痺れを切らした。
「おい、ヒヨってんじゃねえぞ! 俺もケジメつけたんだ、てめぇも態度でケジメつけろ!」
「あー、すみません。そうですね、フェアじゃない」
弓場の恫喝に神田は慌てて立ち上がる。笑顔を引っ込め、大きく息を吸い込んだ神田の少し強張った面立ちはいつも余裕の態度を崩さない男の滅多にお目にかかれない姿だ。
「弓場さん、……好きです。俺と付き合ってくれませんか?」
「おう……。俺もだ」
「……アハハ、すげー嬉しい」
耳まで赤く染まった神田の眦が下がる。お前遅いんだよとか、イモ引いてんじゃねえとか、本当はもっと言いたいことはあったのだが。神田のなんとも嬉しそうにとけた笑顔の前では弓場の文句もどこかへと消えていってしまう。なるほど、これが惚れたが負けというやつなのだろうか。らしくないことをしている自覚は大いにあるが、まあでも不思議と嫌な気分でもない。神田によって徐々に新たな自分に整えられていくこの感じは、嫌ではないんだ。
「次俺からプレゼントを贈るときは俺も弓場さんに指輪を渡していいですか?」
「バカ高ェ指輪持ってきそうだからダメだ」
「ちゃんと常識の範囲内にしますから! ね、俺も弓場さんに着けてもらう指輪選びたいです」
「お前なあ……」
嫌ではないが、これはもしやとんでもない男を好きになってしまったのではないか? 弓場は今更ながら若干の不安を抱える。どうしたものかと眉間を揉む弓場の頬を、神田はどうやってキスに誘おうか考えあぐねながらじっと見つめた。