オツキアイは計画的に どうしてこうなった、と思うものの結局のところ自業自得以外の何物でもないことはオレだってわかっている。
ちらりと横を見ると、オレの買ってきたケーキをうまそうに口に運ぶ相棒兼……一応、『恋人』の姿。
「おい、口の端についてんぞ」
「え?」
指摘すれば暁人は皿の上にフォークを置いて親指でクリーム拭うと、「ほんとだ」とつぶやいてペロリと赤い舌でなめあげた。
それがやけに蠱惑的に見えてしまい、オレは頭を抱えたくなった。だがそんなこと出来るはずもなく、必要以上に眉間にしわを寄せることで耐えるしかない。
そんなオレの表情をどう思ったのか、暁人は照れくさそうに「行儀悪かったね」と笑ってみせた。
そんなアレコレを目の当たりにする度に、その唇に触れたくなる衝動をどうにかやりすごす。
恋人なんだから好きにしろって? 出来るもんならとうにやっている。出来ねえからオレは自分自身を罵ってんだ。
***************
事の始まりは暁人の告白だ。告白と言っても無理に吐かせたが近いが。
あの夜を越えた暁人が、オレの弟子兼助手兼相棒として仕事を手伝うようになってしばらくしてのことだ。なんだか妙な違和感を感じるようになった。
元々オレたちは、アジトの仲間たちに呆れられるぐらい距離が近かった。二心同体で過ごしたあの夜はオレたちから適切な距離ってやつを奪っちまったらしい。
隣にいるのが当たり前で、離れていると何かが足りない気分になる。きっとそれは暁人も一緒だった。二人で一つだったあの時ほどではないが、魂の一部は未だ絡んでいる部分が残ってるのかもしれない。
それがある日、少しだけ距離が広まってることに気づいた。
距離と言っても拳一個程度かもしれない。他人から見ればさほど変化してないだろうと笑われるだろうその距離が、無性にオレを苛立たせた。だがいい歳をしたおっさんが素直に言えるわけもないし、苛立つ自分に困惑もしてた。
次の変化はもっとわかりやすかった。単純にオレと暁人のスケジュールが重ならなくなった。
もちろん仕事はきちんとする、あいつは真面目だからな。だが仕事の後の共に食べる飯や、暁人がアジトに顔を出す回数などが減っていった。すまなそうな顔で忙しいと言われればそうかとしか返せないが、これは避けられてるなと思うまで時間はかからなかった。
凛子にまで「あなたあの子に何したの?」と聞かれ「こっちが聞きてえよ」と舌打ち混じりに言い返せば「八つ当たりはやめてちょうだい。どうせあなたが悪いんだから、さっさと謝りなさい」とまで言われてしまい、タバコの本数が増えた。
……自慢じゃないが、オレは気の長い方じゃない。仕事が終わった後、ごちゃごちゃ言い訳してそそくさと帰ろうとする暁人を引き止めたのはそれからすぐのことだった。
「オマエ……最近オレのこと避けてんだろ」
まだるっこしい事は嫌いだ。タバコに火をつけながらそう問い詰めれば、霊視をするまでもなく暗闇の中でもはっきりわかるほど暁人の顔色が変わった。
白く紙のような顔色で小さく震える相棒に、オレは胸に石でも詰まったような気持ちになる。わかっていたことだが、認められるとキツイもんがあるな。
それほどまでにこの年下の相棒に入れ込んでる事実もまた、笑えない話だ。
「暁人、なんか巻き込まれてる事件でもあるのか」
このお人好しならあり得ると思って問いかけたが、横に首が振られる。
「……この商売、嫌になったか」
また、横へ首振り。
「なら……」
これを言うのは情けないが勇気がいる。それでもこんな世界に巻き込んでしまった若造を、今ならまっとうな道に戻してやれると思うからこそ続けた。
「オレに付き合うのが嫌になったならそう言え。無理するこたねえよ」
思った以上に苦々しさに満ちた声音になったしまったそれに、暁人が慌てたように「違う!!」と叫んだ。
「でもオマエ……」
「KKが嫌になったとかじゃない、僕が悪いだけ! 僕が……心の整理が出来てないだけ」
「ああん?」
いまいち要領を得ない言葉に、思わず威嚇するような声が出る。……繰り返すようだがオレは気が短い。
「意味わかんねえよ。オレの顔を見て気分が悪くなるならそう言やいいだろうが!」
「だから違う!!」
「――っ」
ボロリと、暁人の目から涙がこぼれた。肩で息をしながら、目を赤くして暁人がオレに視線をあわせる。
「ごめん……KKごめん……僕、KKのこと、」
好きなんだ、と。ささやくような小さい一言が路地裏に消えずに広がった。
思いもしなかった言葉に動揺し、指からタバコが落ちてとっさに足で踏み潰した。
「好きってのはそれは……」
そうやって言う以上、父親みたいにってわけじゃないんだろう。続けられなかった内容を正確に理解して、暁人が観念したように頷いた。
「ごめん、気持ち悪いよね。そういう意味で、好きなんだ……ばれないように、せめてちゃんと隠せるようになるようにって、そう思ってたんだけど」
やっぱり僕はだめだな、と言う暁人になんと返すべきか正直オレは迷っていた。男に告白されれば確かに気持ち悪いと思いそうなもんだが、暁人に対して嫌悪はわかない。ただひたすらに「まじか」という驚きが強い。
「……元から、男が好きなのか?」
やっと出た言葉はそんな陳腐かつアホみたいな疑問で、そうじゃねえだろと思いつつも出てしまった言葉は取り消せない。
「いや……普通に、女の子が好きなはずだったんだけど。男の人をそういう意味で好きになっちゃったのは、KKが初めて」
吐き出したことで少し落ち着いたのか、まだ目が赤いもののしっかりとした口調で答えている。
しかしそうなると……とオレは考える。暁人のその『恋心』とやらは、所謂吊り橋効果の結果ではないだろうか。
命を懸けたやりとりの中、誰もいない渋谷をたった二人で駆け抜けた。他にすがるものもなく、弱いところもさらけ出しあって、お互いの存在だけをよすがに過ごしたあの夜はあまりに鮮烈だった。オッサンですら多少おかしくなってるんだ、ガキが惑わされるのもわからないことじゃない。
ふぅとため息をつくと、暁人がびくりと肩を震わせる。まるきり怒られた子どもだと思うと、なんだかおかしかった。
「暁人、オマエはどうしたいんだ」
「どう……?」
きょとんとした顔は、とっくに成人したはずなのにどこか幼く見える。
「好きだなんだって気持ちにゃ、続くもんもあるだろうが」
オツキアイ、とかよ。と告げれば一拍おいた後、白かった顔が朱に染まった。
「そりゃ、したい気持ちはあるけどさ……」
モゴモゴ言いながら目線をそらす相棒に「じゃあお試しで付き合ってみるか?」と問えば、暁人ははじかれたように顔を上げた。
「え?」
目を見開いたその表情は、信じられないという気持ちが半分と、期待が半分。そんなところか?
「ただな、オレは甘ったるい言葉も言えないし、いわゆる恋人らしいふるまいも出来ねえ」
それは付き合ってるって言えるのかと思わなくもないが、暁人の想いが吊り橋効果によるものなら、多少形をなすことで満足するのではないか、あきるのではないかと思ったゆえの提案だ。
「言い方はあれだが名目だけだ。オレにそういうのを求めるな。それでもいいっていうなら……」
わりとひどい提案の気がするし、馬鹿にするなと激高して去るなら、それはそれで一つの解決だろう。
さあどうする?
挑発するように睨め付ければ、暁人は壊れたおもちゃのように首を縦に振っていた。
「側にいられるだけでうれしいから、それでいい。KKから離れなきゃって思ってたから……そうじゃないだけで、うれしい……!」
ありがとうを繰り返す子どもの頭を、ぐしゃりと撫でつけその日は帰途についた。
***************
で、だ。話は冒頭に戻るわけだ。
清く正しいお付き合い、そうまさしく清く正しいオツキアイだ。賢いお暁人くんはオレの言いつけを守っている。わがままも言わず、公私混同もなく、一応お試しとはいえ『恋人』という形になったわけだが、暁人はまったく変わらない。
拳一個程度の距離は元に戻り、スケジュールは重なるようになり、アジトにくる回数も元に戻った。一見、暁人がオレを避ける前に戻ったような様相だ。
少しだけ変わったというなら、何かの拍子に体が触れたり、手を繋ぐようなことがあると恥ずかしそうに、幸せそうに、はにかむことだ。
それだけだ、本当にオレの側にいるだけで喜んでいるのが気配でわかる。挙動不審だった姿はもうない、仕事も順調で、師として喜ぶべき事だと思う。
だがその一方で、変わってきてるのはオレの方だ。
触れた肩の温もりにざわめく心がある。
にっこりと弧を描いたり、すねてすぼめるその唇に触れたいと思う。
ふとした瞬間に見える赤い舌を、からめ取りたいという衝動に駆られる時がある。
真っ直ぐにオレを見つめるその瞳を、涙で濡らしてやりたいという欲がもたげる。
……暁人を落ち着かせるためだとやり始めたオママゴトのようなオツキアイ。それがオレを変えてしまった。
一度暁人が友人に合コンに誘われていたときなど、とっさに出たのが「オレのもんに手を出すな」という凶暴な感情で、乾いた笑いしか出ない。
あんなひどい始め方をしておいて、求めるなと念までおしておいて、今更どのツラ下げてオマエに触れたいと言えるってんだ。
吊り橋効果で始まったというなら、最初に予想したようにいつか暁人の恋という名の熱病がおさまるのではないか。今のオレはそれが恐ろしい。
ああまったく、オレは前の失敗から何も変わっちゃいないんだと、苦々しく思いながら暁人の笑顔にゆるりゆるりと溶かされている。
……いつかその手を握ることが許されるだろうか。