Drunk off Side:KK 据え膳。
頭に燦然と輝くその三文字を、なけなしの理性でねじ伏せながらオレはため息をつく。
「あー。ためいきつくと、しあわせにげちゃうんだよぉ、けぇけぇ」
ろれつの怪しい甘ったるい声と共にまた一つ、頬に落とされる柔らかな感触。とんでもない幸福感と、とんでもない欲求不満で胸が(むしろ下半身が)グルグル熱を持ちそうになる。
ああ、どうしてこうなった。
暁人を晩酌に誘うにはさほど珍しいことじゃない。健啖家なアイツは飲ませてみてもけっこういける口で、しかも礼だと簡単な肴を作ってくれたりもするもんだから(これがまたうまい)一人酒を好んでたはずがついつい二人の酒宴は数が増えた。
今日もまた依頼人からちょっと良い酒をもらったから飲ませてやろうと仕事終わりに「付き合え暁人」と声をかければ、「やった、楽しみ」と二つ返事をよこした相棒にオレも機嫌が良くなった。
うまいがちょっとアルコール度数の高いそれを気をつけて飲めと忠告をし、暁人も素直に頷いてアジトで二人、ちびりちびりとやってたはずなのに。
酒精の強さか、ペースがはやかったか、それとも今日の依頼の疲労のせいか。気がつけば暁人はオレの隣ですっかり出来上がっていた。どこかぽわっとした焦点のあわない目がゆらりゆらりとあちこちに動いている。
「けーけー。おいしぃね」
「そうだな」
「ふふ、嬉しいね」
「そうか」
……飲ませすぎたか。もう少し水を……と手を伸ばした先は空で、仕方なく台所にとりにいくため立ち上がろうと体を傾けた瞬間だった。ぷにっと。頬に柔らかい感触がしたのは。
――は?
思わず思考がかたまり、一拍をおいてその原因を探ろうとすさまじい速度で回り始める。同時にそっと離れていく温もりに静かに横を見れば、目を見開いて「やってしまった!」とでも言ってるような暁人の顔に、やはり頬にキスされたのだと理解する。
ぐっと胸に荒れる感情を抑えて「なんだ、今日はずいぶん出来上がるのがはやいじゃねぇか。この酔っぱらいめ」と、なんて事ないように言ってやればあからさまにほっとしたように目を閉じる。……やめろ、こっちもアルコールで理性はわりとガッタガタなんだ。キス待ちみてえな顔されたらせっかく整えたメッキがはがれちまう。
そうだ、オレはコイツにそういう意味での情を抱いてる。父性だなんだと誤魔化してみた時期も今は遠く、薄汚い劣情を隠して隣にいるのも慣れてきた。二人きりの酒宴だって、下心というか、助平心がまったくないとは言えないのが正直なところだ。
とは言えオレだって元刑事としての職業倫理も、年上としての矜持というか、こんなオッサンが二十以上も年下の未来ある若者に手を出すべきじゃないという分別ぐらいはある。だからこそ惚れた相手のちょっと朱に染まった顔やトロリとした目、無防備な姿を夜のオカズ用にしっかり記憶してるのは許されたい。どうせいつか他人のものになるだろうコイツを、今だけ、少しだけ独り占めしたって罰はあたらねえだろ?
……それで我慢してたというのにコイツときたら。
必死に冷静さを装うオレの横、相棒はなぜか百面相をしている。花が飛びそうな機嫌良さげなものやら、眉間に皺を寄せて何か考えているようなものやら……そしてまた杯を傾けちびりちびりとアルコールが暁人の喉を通り過ぎていく。
いい加減止めるべきか? と思った頃、暁人が空になった杯をテーブルにおいてオレを見つめる。酒で少し濡れた唇がどこか扇情的だった。
「けぇけぇ」
「どうした」
まろい声が、少しかすれて色気がにじみ出る。じゃっかん目が据わってるように見えるのは気のせいだろうか。それすら可愛いなと思うオレもそれなりにイかれている。だからだ。普段だったら出来るはずの行動が全部後手に回るのは。
ちょっとふらつきながら暁人が立ち上がり、あれよあれよという間にオレの片足をまたぐとそのまま尻をおろす。そして唖然とするオレの思考を置きさったまま、手を伸ばすと今度は頭へと口づけた。
「――っ?!」
そのまま額、まぶた、鼻、また頬へ――やりたい放題に降らされるキスの雨に「暁人、あきとくーん?」と慌てて声をかけるとようやくぴたりと動きが止まる。至近距離にある酒に潤んだ瞳が不安そうに揺れて「……いや?」言われたら「嫌じゃねえよ」としか言えないだろそうだろ?!
にこーっという擬音が聞こえそうなぐらいご機嫌な面になった暁人が、オレの顔を撫で回してまた再びキスの雨を降らす。アルコールのせいか常より熱い吐息がくすぐってえ。
――おい、これはなんだ。据え膳じゃねえのか。据え膳って言ってくれよ。
誰にともなくそう心中でぼやく。チュッチュチュッチュと落とされるキスはリップ音だけで稚拙なもんだが、オレを煽るには十分すぎる劇薬だ。加えて太股に感じる尻の感触と、男にしちゃ肉付きのいい胸部がどうしてもオレの思考をあられもない方向に導こうとする。いや、導かれて当然では??
そして話は冒頭へと返る。ほんとどうしてこうなった。オレしか見てない、オレたちしかいない。その事実が必死に踏ん張る理性を蹴飛ばそうとしているのを感じながら、ひきつるような喉を開いて相棒の名を呼ぶ。
「おい、暁人……」
この性悪な酔っぱらいを止めるべきだという理性と、このままいただいてしまえと唆す淫欲がゴングを鳴らして戦っている。形勢有利はどっちの方か、そんなん火を見るより明らかだ。
「なぁに、けぇけぇ」
うっとりと、暁人が笑う。オレに名を呼ばれてたまらないとでも言うように。それにああもうだめだ、と他人事のように脳内で誰かがつぶやいた。
――そして理性と本能の天秤が、少しだけアレな方に傾いた。
オレの顔を撫で回していた手を取り、男にしちゃきれいな指先をオレの唇に触れさせる。
「ここは、してくれねえのか?」
ピクリと震えた指先の感触が心地いい。暁人の性格上、伊達や酔狂でこんな事が出来るはずないとオレはふんだ。酔っ払いの戯言と片付けるにはあまりに熱烈な求愛行動だろうこれは。
オレは我慢したぞ。この気持ちをオマエに見せまいと、隠し通そうと、地獄の果てまで持って行くと。……その蓋を開いたのはオマエだ、暁人。
蜂蜜のように溶けた目がそろりと視線を外し、やがてか細い声が「そこは、だめだろ……」とつぶやいた。
「なんでだよ」
「くちびるは、あれだよ。こいびとじゃなきゃ、だめだろ……?」
「……オマエ、さんざん人の顔にぶちゅぶちゅしておいて今更じゃねえのか」
「ほ、ほおはしんあいだし、ひたいはしゅくふくだってみたからセーフ!」
往生際の悪い奴だ。だいたいオマエは『親愛』で男の膝にのっかるのか? と問い詰めたい気持ちがあふれるが、そんな話をしてる場合じゃないととりあえずは横に置く。
腰に手を回し、ぐいと引き寄せる。胸に倒れ込んできた体はアルコールのせいか服の上からでも熱い。
「――オマエが好きだ。それならいいか?」
万感の想いを込めながら、親指で唇をなぞる。声にならない声をあげる子供のうっすらあいた口に、そのまま親指をつっこんで舌先を撫でてやれば快楽にふるりと震える素直な体に舌なめずりしそうになる。
もう一押しか…?
「あんだけキスさせたんだ、オレがしたっていいだろ」
させてくれよ、と言いながら顔をゆっくり近づけあと数センチというところで――間に暁人の手が挟まった。
「……あきとくんや、なんだこの手」
しばらくの沈黙の後、暁人は力強く言い出した。
「けーけーよってるんだよ」
「ハァ?」
「じゃないとぼくにキスさせろとか、す、すきだとかいうはずない」
……酔っ払いの権化がなんか言ってやがる。
「あさおきたら、きっとこうかいする。けーけーにそんなかおされたら、ぼく……」
そのまま青菜に塩とばかりにしおしおとしていく暁人に、先ほどまでの甘ったるい雰囲気が霧散したのを感じる。
コイツ、言い出したらきかねえ頑固なとこがあるんだよなぁ。……しかたないか。
「わかった。酔ってなきゃいいんだな? 朝起きて、素面でもオマエが好きだって気持ちが変わらなかったら……そん時は今度こそキスするぞ」
いいな、と念を押せば「わかったぁ」と間延びした声で返事する酔っ払い。ほんとにわかってんのかコラ。
まぁだが言質はとった。恋人じゃないとダメとは言われたが、KKとはしないとは言われてない。それが全てだ。
気が抜けたのかうとうとし始めた暁人に「もう寝ろ」と告げればまぶたがゆっくりおりていく。
「……お利口さんだなオマエは」
さすがに布団まで運ぶのはアルコールが入っている今危険だろうと、床にそっと寝かせるにとどめる。気休めかもしれないがブランケットをかけてやった。おまけとばかりに耳に一つ口づけてから立ち上がる。
「とりあえずシャワーだな」
朝がくるのがこんなに楽しみなのは久しぶりだ。
「悪いな、暁人」
もう手離してやれねえわ。