早春 目を覚ました師は、しばらくぼんやりとしたお顔でこちらを眺めていらっしゃる。
寝惚けているというよりも、記憶がうまく繋がらなくて緩慢に逡巡しているといった風情だ。
はて?とでも言わんばかりに僅かに眉根を寄せ、斜め左上に瞳を動かした表情は、日頃の清廉風雅な面持ちとは相反した幼さをも感じさせる無防備なもので、無自覚な様子であるのがまた愛らしい。
そう。師自身はお気付きではないようだが、ごくたまにこういった隙のある一瞬をお見せになるのが、この弟子としては嬉しいやら悩ましいやらトキメキが過ぎて具合悪くなるほどだけれど一周回って結局つまり嬉しいやら・・・・・・
などと。
無限ループしそうな気持ちにブレーキをかけつつも、思わず溢れてしまった笑みをそのままに俺が朝の挨拶をすると、師尊も返してくださろうと薄く唇を開き、そこで一瞬、眉を顰めた。
「ん」と、とりあえず最低限の音での返事はあるが、その音すら掠れていて痛ましい。
「ん、んんっ」と咳払いのような音を出して喉を整えると、ふいっと顔を隠すように横を向いてしまわれてから、感情の伺えない単調なお声で小さくボソボソと小言を仰る。
どうやら昨夜からの記憶が繋がったようだ。
何を伝えようとしているのか聞き取るべく、緊張しながら耳をそばだてているのだが、これがまた聞かせるつもりを疑うくらいの、超単調な超小声。
抑揚をつければそれだけ喉に負荷がかかるためというのもあるだろうけれど、本当のところは『とりあえず言っておかねば矜持が立たぬが、さりとて相手のせいにばかりもできぬ』という、こんな場合ですら物事を正当に取扱おうとされるお人柄からの苦し紛れのお振る舞いであろうと推察された。
「師尊、この弟子は・・・・・・」
と、無理をさせたことへの謝意を伝えようと口を開くと、顔を背けたままの師から、手のひらを振って中断させられる。
言わずともよい。このような恥ずかしい話はもう終いだ ということである。
口には出されていないが、何よりも半分隠された横顔から伺える、拗ねたような照れたような何ともお可愛らしい表情に因ってその意図が充分に伝わってきて、俺は安心と歓びで満たされていく。
赦してくださっている。
そしてこれからも、許していただける──
舞い上がるような今の気持ちを素直な言葉にして師に聞いていただきたいけれど、恥ずかしがり屋の娘子を追い詰めて怒らせてしまうといけないので、俺は満ち溢れる幸せを自分の中だけで噛み締めてから、スッと立ち上がり、拱手する。
「朝餉の支度をして参りますね」
計らずも潤んできてしまった目元を悟られぬよう、努めて平静を装い素早く部屋を後にしようと踏み出したところを、小さく呼び止められる。
続く言葉を聞き漏らさぬようにと再び牀榻の脇に跪けば、気怠そうに身を起こした師から、優しい手つきでふわりと髪を撫でられた。
少し驚いて顔を上げたその耳元に唇を寄せて、師はぽそりと求めを口にする。
「・・・・・・粥がよい。いつものを」
近付いた顔。耳をくすぐる吐息。掠れた低い・・・でも微かに甘い声。
狙った訳でもないのだろう。
何か特別な言葉でもない。なのに・・・・・・
ぶわり と一瞬にして、首から耳まで赤くなってしまった俺の反応に目を丸くした師は、虚を突かれたような表情を浮かべたが、これまた一瞬の後
綺麗なその面に見惚れるほどの華を浮かべ
嬉しそうに、咲った。