シリィ・カーニバル1話幕間「無茶ぶり公主と薄幸笛吹き」(やっぱり苦手ですね、ここ)
だだっ広く白い広間に足を踏み入れて、ネリアは居心地の悪さを噛み殺した。緩く結った淡い金髪を揺らして、音もなく歩く。わざわざ心掛けずとも、毛足の長い絨毯が勝手に足音を殺してくれた。
初めて足を踏み入れたときから、この聖堂が苦手だった。壁も天井も調度品も何もかもが白で統一され、頭上の窓すらヒビ硝子で細かく光を散らして白く染めている。
白く、白く、白く、自分がこの場を汚すシミのように思えるほど白く、正直息が詰まる。スカートの裾を払って背筋を伸ばし、薄碧の目を前に向ける。
光あふれる広間の中心に、一際輝く女がいた。
南方の麦穂に喩えられる波打つ黄金の髪。西の海を閉じ込めたような深く青い瞳。北の白雪を思わせる肌。東の花弁のような瑞々しく赤い唇が蕩けるような微笑みを浮かべて、深みのある柔らかな声が広間に響く。
「ネリア!」
「お待たせしました、猊下」
ほっと息を吐いて恭しく一礼すると、女はクチナシの花弁めいた袖を頬に触れさせて、切なげに声をこぼした。
「ネリアったら。ユイナって呼んでって、いつもお願いしてるじゃない」
「公私の別は付けたいタチですので。ユイシスティナ公主猊下」
きっぱり告げると、公国中央神殿の主たる女は拗ねたふうに唇を尖らせた。ネリアより年上のはずだが、少女じみた仕草が嫌味なく可憐に見える。
いつも思うが、生地は上等だが飾り気のない神官衣が、ユイナが纏うと豪奢なドレスのようだ。身につけている装身具は緑の宝石をあしらった額冠だけだが、それ以上は不要だと納得させられる。
「それで、普段は閉鎖している聖堂に秘密裏に来させた用件は? いつものお忍びのお誘いじゃないんでしょう?」
「ネリアとデートしたいのは山々なんだけど、今日は頼みがあって来てもらったの」
柔らかな肢体から花の香りを弾ませて、ユイナが手を伸ばしてくる。逆らわず、ネリアはこめかみにユイナの指が触れるのを待った。ほのかな体温。驚くほど滑らかな指から、圧縮された情報が巫術によって伝わってくる。
若草色の髪。緑がかった金色の瞳。人形じみて整った顔立ちの、十五歳くらいの少女。
「その女の子を探してほしいの」
「わかりました。捜索範囲は?」
「世界中」
沈黙は、瞬きより長く続いた。
「あの、ユイナ? 公国がどれだけ広いか、ご存知ですよね?」
「あら、公国だけじゃないわ。他国はもちろん地図から抹消された危険地帯から未踏地域まで、ありとあらゆる場所が捜索範囲よ?」
「無茶言わないでください! どれだけ人手がいるとっ」
「ああ、この件は議会にも神殿にも秘密にしてほしいから、人海戦術はダメ。協力をお願いするのは信頼できる人だけにしてね?」
「え、これ左遷ですか?」
「まあ」
ネリアが思わず口にした疑問に、玲瓏とした声が悲しげな響きを帯びた。甘えているが、媚びてはいない、絶妙な響き。
蝶のようにたおやかな指を豊潤な胸にそっと止まらせると、ユイナは青い瞳を可憐に潤ませて、上目遣いにネリアを見つめた。
「わたしたち……お友達よね?」
「絶縁したくなってきました」
「ごめんなさい。ネリアしか頼れる人がいないのよ」
謝罪しつつも折れないユイナに、ネリアも諦めた。全世界を隈なく探すのはさすがに無理だが、伝手を頼れば人探しはなんとかなる。
「でも、そんなに機密の高い事案なんですか? 髪や目の色は変わってますが、海上連盟(ノストコール)の出身なら珍しくないですし」
「ああ、その子は海上連盟の生まれではないわ。この額冠が公主の証なのは知ってるわよね?」
「? ええ。初代公主アデラ様の遺した、龍王国の王冠ですよね? 宿していた力は既に精霊に返還されているそうですが」
ユイナの額を飾る宝石は、木洩れ陽を浴びる湖を一滴写し取ったかのようだった。深みがあり、透き通って、内側から輝いているようにさえ見える。
宝石を留める鎖は細やかな金細工で、儀式ならばともかく、普段の政務で王の威光を示すのに不足はないと思われたが。
「実はコレ贋作(レプリカ)で、本物はアデラ様が公主を辞されて以来行方不明なのよ。歴代公主にしか伝わってないことだから、内緒ね?」
「……ぇ?」
聞いてはいけない機密事項を、さらっと暴露された気がする。
凍りついたネリアに、ユイナが信頼を込めた温かな微笑みで言い添えてくる。
「だから、その子のこと、お願いね?」
先程は読み流した情報を精査する。若草色の髪。十五歳くらいの少女。緑の宝石を一粒あしらったネックレス。
「ユイナ。辞表を提出したいのですが」
「だぁめ」
親友の甘やかな声音に、ネリアは自分がとんでもない面倒事を背負わされたと悟った。