公国の興り(2)凍てず熔けぬ鋼の銀嶺 道行く花に光を灯しながら、アデラティア公子一行は海に臨む丘にたどり着きました。丘に咲く白い菫を見渡して、公子は軽やかに宣言します。
「ここにわたしたちの都を作りましょう」
こうして光る菫の咲き誇る白き都コノラノスは作られました。号は公国。龍王国最後の公子が興した国です。
公子は精霊の声を聴く神官を集め、神殿を築きました。血ではなく徳と信仰で精霊に耳を澄ませ、精霊の祈りを叶え、世に平穏をもたらし人心を守る組織です。
国の運営は神殿の信任を受けた議会が行います。アデラは神殿の代表たる公主を名乗り、花龍ペスタリスノの光る花【霊菫(たますみれ)】を国に広めました。
霊菫は花龍の息吹。花の光が照らす場所に魔物は近寄らず、死者の魂は慰められ、地に還ります。公国が花の国と呼ばれる由縁です。
花龍が特別というよりは、龍と共に暮らす国はどこもそうだと言っていいでしょう。龍の息吹……【龍燐(ブレス)】と呼ばれる現象を生活に取り入れ、精霊と龍を信仰し、死後その元に還ることを実感することで魔物の発生を抑える。ええ、他の国もそうでした。
都に白い神殿が築かれ、コノラノスの名が他国にも広まり始めた頃。公国の北方にある国で、龍の住まう火山が噴火しました。
噴煙が空を覆い、明けぬ夜が訪れます。山を伝う溶岩が木々を焼き払い、飛び散る岩石が獣を、人を打ち据えていきます。
荒れ狂うは山の薄氷/銀嶺を燃やす火鼠/鋼龍カウンキパゴウン。龍王の祈りにより眠っていた活火山の象徴が、魂の姉妹の死を弔い嘆いているのです。
「わたしがまだ生きてるっつうの!! ってか弔いにしても傍迷惑すぎる!!」
飛び出したアデラ公主は飛び散る噴石を蹴り払い、マグマを手刀で割り、山の頂き目指して一直線に……え? アデラ様は何なの、って……王族だけど? 王族ならこんぐらいやるでしょ。いや別にマッチョじゃなかったよ。見た目はむしろ小柄で、あー、んー。
この世界は肉体を構成する霊力……霊体が先で、肉体が後なんだよ。だから霊体を鍛えたら肉体も強くなるの。武術を極めた王族なんてその最たるものだね。法術? よく覚えてたね。現代の定義だと法術だけど、霊体で肉体に影響を及ぼすのは【仙術】と呼ばれてるかな。こんなところでいい?
コホン。そうしてアデラ公主は山の頂きにたどり着き、泣き喚くカウンキパゴウンを叱り飛ばしました。
「龍よ、決して熔けぬ氷を抱くとこしえの炎よ、輝く涙を燃やす我がきょうだいよ、なぜこうも嘆き、荒れ狂うのか」
「妹よ、我の最後の人の身の妹よ、千年の蜜月が過ぎ去ってしまった。数多の我がきょうだいの中で、母の似姿であるそなたらは特別だった。儚く溶け散る雪のように愛しい存在だった。
妹よ、妹よ、我を笑うか? 那由汰の時を経る大地の象徴でありながら、か弱き人の血が絶えることを嘆く我を、愚かと嘲るか?」
「愚かと笑いましょう、弟よ。千年を超える大地の象徴でありながら、曇り狭き眼しか持たないあなたを。
見なさい、あなたが踏み焦がしたあなたの膝下を。そこで生きる人々を。我らの母の祈りを叶え、その遺志を継ぐ者たちを、あなたは無価値と焼き払ったのです。ただ母の血を継いでいないというだけで!!」
アデラの叱責に、カウンキパゴウンは我に返りました。燃え盛る大地、焼け焦げた森、噴煙に閉ざされた空、死に絶えた生き物。それもまた自然の営みでしょう。それが心なき大地の表れなら。ただ自然の法則が導いた解だったなら。でも今の世ではそうではないのです。
己の行いを悔い、恥じ入り、カウンキパゴウンはしおしおと縮まりました。赤々と燃え立っていた針毛は銀をまぶした繊細な氷柱に。見上げる雄大な四肢は掌に乗るほどの矮躯に。荒れ狂う火山のヤマアラシは、静かな雪山のハリネズミになりました。
「そなたの叱咤に感謝する、妹よ。千年の蜜月を誓い新たに広げる者よ。
我はこれより、この山の炎を鎮め、輝く氷として守り抜こう。我が膝下で暮らす獣たちが母の祈りを忘れぬ限り、二度と踏みにじらぬとここに誓おう」
「その誓いを見届けましょう、弟よ。あなたの詫びの証を麓の人々に。新たな友愛の絆としましょう」
こうして公国にカウンキパゴウンの龍燐、決して熔けない氷【霊鋼(たまはがね)】がもたらされました。
霊鋼は山の霊気を凝縮させた氷。如何なる炎でも熔かすことはできず、精霊と龍への祈りによってのみ形を変えます。
熔けず壊れぬ霊鋼は最上級の鉱物として人々の暮らしを大いに助け、鋼龍の座す氷剣山脈は公国と龍脈を交わし、公国に加わりました。
アデラ公主の在任中に、公国はさらに二つの龍脈と繋がりました。
沃野の九尾/小川華やぐ麗狐/実龍アンシステルウマは作物を実らす川を公国に流し、彼の龍の統べる公国南方は世界最大の農耕地帯となっています。
最果ての極星/海松ゆらめく巨亀/星龍ポリマクリアを信仰する公国西方は神殿の力が弱く、他地方と距離がありますが、果てなき海の幸を公国にもたらしています。
花龍ペスタリスノの発祥である公国東方、鋼龍カウンキパゴウンの在る公国北方、アデラティアの遺志を継ぐ公主が冠を戴く公国中央神殿。
霊菫の咲く花街道が繋ぐこの五地方が、公国の全容です。国土の広さ、人口ともに今の世界で最大。もちろん色々と苦労はあるけどね。アデラが国を興してからおよそ百年。よくやってるほうじゃないかな?
これが君が生きる国。明日には神殿に着くから、そこで友達作りなよ。教育もさせてくれるし、君頭いいからがんばったらそのまま神殿でエリートコースに乗れるんじゃないかな。うん? あまり興味ない? まぁまぁ、稼ぐのは大事だよ。生きやすくなるからね。
僕? 僕はまたその日暮らしさ。君と会うことはまぁもうないんじゃないかな。ご恩は忘れません? いやいいよ別に忘れて。元気でそこそこ幸せに道を踏み外さず生きてくれたら。いや真面目な話。助けた子どもが不幸になると怒られるんだよ、僕が。
はいはい、じゃあ元気でね。僕の名前? うーん、まぁいいか。僕はね。
<追記>
以上の記述は、村が魔物に襲われ困窮していた幼い私を神殿に送り届けてくれた、旅の吟遊詩人が語ってくれたものの覚書である。
公国の歴史はともかく、旧世界に関する記述は一般に伝わっているものとはまるで違う、というか、旧世界の話は現代に全く伝わっていないため驚いた。でたらめな創作にしてはあえて語らず流したような箇所もあり、彼がどこでこれらの話を聞いたのか尋ねておけばよかったと、今になって後悔している。
彼を探そうと思ったこともあるのだが、名前も顔もなぜだか朧で、思い出せず断念した。幼い幻だったのかもと思う日もあるが、私が考え出したにしては頓狂すぎる。
だからこの記録の客観性を証明する手段はない。私の自己満足だ。ただ、彼が確かに実在した証になればと思い、ここに記す。
きっと彼がこの文を目にする機会はないだろうが、心から感謝している。ありがとう。
<吟遊詩人の独り言>
いやだから忘れてくれてよかったんだけど。義理堅い子だな、ほんと。
まぁいいや。どういたしまして。元気で幸せに道を踏み外さず生き抜いてくれたようで、何よりです。