シリィ・カーニバル第2話05「~~~~ッ!」
くるりと体が回転し、自然と壁に着地する。魔物に蝕まれた足に激痛が走るが、それも一瞬のことだった。
「いたくない~♪ いたくない~♪」
隣に飛んできたランが珍妙なリズムで指を踊らせる。柔らかな白い光がカイの足を包み込むと、痛みがすぐに引いた。瞬く間に傷が癒える。灼けて皮膚に貼り付いていた生地まで修復され、カイは半眼になった。
靴裏が天井際から離れないのを確認して立ち上がる。本来なら荘厳な天井絵を映してまさしく晴天の湖のようだったろう地上は、嵐の渦巻く夜空のようだった。杯の影を中心に、清水を穢す濁流が悪臭を放っている。
その中に立つレクトが、ぼんやりとこちらを見上げている。相変わらず正気に返る様子はないが、本来の身体能力を発揮してこちらに跳んでくる気配もない。周りに生えた泥の手も無力にゆらめくばかり。射程が足りない、にしても、理性のない魔物ならこっちに手を伸ばしてくるくらいはやりそうだが。
(レクトが死霊に同調してるように、魔物もレクトに引っ張られ始めている? なら……)
さほど猶予があるわけではない。杯に立つ影が再び詠唱を始めている。カイは隣に浮いているランを見た。
変わらず呑気な笑顔で、深刻さの欠片もない。自分で魔物を倒す気もない。が、手助けする気はあるらしい。
「ラン。向こうの攻撃を防げるか?」
「できるーっ」
「わかった。やれ」
意識を集中させる。言葉で、動作で、意志で、詠唱を行う。自分の存在が世界を捻じ曲げ改変させる、一つの機構になる。
「『定義する――両腕(かいな)は鋼――火花を散らし、いづるは炎――風を喰らい、影を喰らう――空を目指し、築くは階(きざはし)――』」
『祈りを捧げます――どうか、わたしの手に、あなたの手を――重ね、繋ぎ、届かせてください――この雨を止める、堰となるために!』
渦巻く泥が、無数の礫となって飛来してくる。一つ一つが意志を持つ流星。互いに連携し、防御を掻い潜り必中を狙う魔弾。
そこまで術式を読み取り、四肢を緊張させたカイの耳に、軽やかな声が響いた。
「ばりあーっ」
礫が花弁となって弾けた。白い花吹雪が舞い散る中で、ランが楽しげに宙を泳いでいる。
それを横目に、カイは柏手を打った。青い炎が掌からあふれて緻密な文字と図形を描く。起動した術を媒介にさらなる術式を描く、連鎖術式。
「『定義する――天へと至り、彼方で輝く――其の銘(な)は星――届かぬ果てより、地を照らし給う――其は光――地の底さえ照らす――』」
炎の描いた術式が青白く燃え上がる。光で構成された鏃(やじり)が杯に照準を合わせる。
杯に駆け寄る仕草を見せたレクトに、カイは怒鳴った。
「一歩でも動いたら飯抜きッッッ!!」
レクトの動きがビタリと止まる。レクトに釣られた泥の手も。その刹那にカイは術を放った。
「『闇を払えっ!!』」
払暁の矢が杯に立つ影を射抜いた。杯が消えて、空間に白い穴が開く。
「ラン!」
「はーいっ」
空白が燃え広がる。聖堂の景色が消え去り、カイの体が宙に浮く。一瞬の浮遊感に頭上を仰ぐ。
絵ではない、本物の青空が、カイの目に飛び込んできた。