ある滅び その人は、コノラノス公国の灯花(クエリ)州の、神殿もない小さな村で生まれ育ちました。
神殿のない村には霊菫もありません。そんな村は、花龍ペスタリスノの力が弱まり霊菫(たますみれ)が枯れて光を失う冬、神殿のある町に身を寄せて冬を越すのです。
そんな村の人は立場が弱いものですが、ええ、幸い、その人が冬を過ごす神殿の人々は、優しく親切な方々でした。
村人も色々と町の仕事を手伝いましたが、給金はきちんと支払われ、幼いその人も冬の間勉強をさせてもらえました。
町の神殿長は、年老いたお爺さんでした。初代公主アデラ様にお会いしたこともあるそうですよ。
お爺さんはその人に、よくアデラ様の話を聞かせました。その豪胆さ、御力の凄まじさ、何よりもその御心の慈しみ深さ、気高さ、聡明さについて。
その人は尋ねました。「どうして王様はいなくなっちゃったの?」
お爺さんは答えました。「精霊さまに預かった御力を返されたんだよ」
それは真実の一端でしかありませんでしたが、その人は思いました。じゃあその力があれば、王様は帰ってくるのかな、と。
筋が良いと褒められて、春に来る巡礼に連れられて、その人は白央(オラノス)州の神殿で勉強させてもらえることになりました。真面目にコツコツ修行を積んで、精霊の声に耳を澄ませて、神官になったのです。
神官になったその人は、故郷に赴任することになりました。小さな村に小さな祠を建てて、冬はいっしょに町の神殿へ。
故郷は変わっていませんでした。町も変わっていませんでした。いませんでした。変わった、なかったんです。みんな変わらず穏やかで優しい人たちでした。
ある年の冬でした……町に魔物が現れました。神殿長が重傷を……ええ、あのお爺さんです。
魔物は祓えたけれど、食糧庫は腐ってしまいました。魔物に蝕まれ、冬を越すための食糧がダメになってしまったんです。
仕方のないことです。まだ菫橋が限られて、大神殿からの救援も望めなかった頃。町の人たちは不安と恐れに駆られました。当たり前のことです。
ですから、町の人たちは他所の村人を追い出しました。ええ、自分たちが飢えないために。仕方のないことですね。ええ。
え? いえいえ。その人の故郷は例外です。神官さまのご家族をそんな。町の人たちだって好きで追い出すわけじゃないですしね。
故郷のみんなもその人に感謝しましたよ。お前のおかげで追い出されずに済んだ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
みんな、穏やかで優しい人たちだったのに。それは本当だったのに。町も、故郷も、変わってなかったのに。たった一冬で。
神殿長はその冬を越せませんでした。最期まで王のことを懐かしく慕わしく語りながら、王さえいれば、こんなことにはと嘆いて、追放された人々に詫びていました。
町も故郷も、今はありません。追放された人々が、魔物になって帰ってきましたから。人の住めない土地になりました。穏やかで優しい町だったんですよ。本当に。
その人は? いえいえ、神官を辞めてなんかいません。今も人々を救うため、より多くの人を救うため、尽力しておられます。
その耳には今も、亡き神殿長の言葉がこだましています。
王さえいれば。王さえいれば。王さえいれば。
王が、蘇れば。