罪の終わり、贖いの果て(2)「ホントウに?」
幼い自分の声が低く濁る。無垢な笑みが悪意を滲ませるのは、途方もなく醜悪だった。
これが、あの頃の自分なのだ。ドレスの裾を握りしめ、目を逸らしたくなる衝動と戦う。
神が未だに己の中に巣食っているのは、わかっていた。恩恵である読心の力――恐らくは母の機嫌を伺い、母の愛を求めたために授けられた力――は、変わらずマナと共にあったのだから。
「去りなさい。あなたに主導権を渡すつもりはありません」
「ホントウに?」
「本当です。わたしは、償いを諦めなど」
しない、と。断言するより先に、神が上目遣いに己を覗き込んできた。
「ホントウに?」
唇が震える。心の中で思い描いただけの自分の体が、悪寒を感じて縮こまる。
これは、自分だ。自分の声だ。神は途方もない悪意の塊であり、人類を滅ぼそうとする意志は確としているが、その形は憑依した人間に寄り添う。
だからこれは、わたしの罪だ。わたしが、十八年前、世界を滅ぼした。わたしを愛さなかった里を滅ぼした。幸せな男女を、両親に囲まれて過ごす子どもを、その人生を破壊した。覚えてる。忘れない。そう誓った。だから。
「認めます。確かに、挫けそうになっていました。カイムが……死んでしまったから」
声に出すだけで、言葉にして思い出すだけで、喉を切り裂きたくなった。
カイム。わたしが故郷を、両親を、親友を、妹を奪ってしまった人。そして今、その生命も、最愛の相手さえ、わたしの過ちで、的はずれな償いで、奪ってしまった。
彼に引きずられて、世界を放浪した六年間を思い出す。壊れた街、荒んだ人心を肌に感じて、罪の重さを思い知らされる日々だった。
手首に巻いたブレスレットに触れる。カイムに渡されたコレは、マナが罪を忘れないための戒めだった。
かつてはカイムと生き別れた妹の絆の証。今は、マナの罪の証。
「わたしは、誰より、カイムに償いたかった。彼に、許されたかった。
そんな日が来ないのはわかっています。けれどわたしは、その道を歩むことを止めてはいけない。それを思い出しました。
だから、」
神が、嗤った。楽しそうに、心から楽しそうに、一音一音、噛みしめるように、マナの目を覗き込んで、尋ねる。
「ホントウに?」
闇が晴れた。頭上に曇天が広がる。地面には荒野と廃墟。髪をなぶる荒涼とした風。砂埃が舞い、陽射しを曇らせ温もりを遠ざける。
ここがどこだかわかって、マナは瞠目した。カールレオン王国。滅びたカイムの故郷。ここがいつだかわかって、マナは怯えた。
幼いマナがいる。神ではない。六歳よりも成長して背が伸びて。顔は卑屈に――セエレのように心細げにしかめられ。髪は変わらず丁寧に切り揃えられている。
それをしてくれたのが誰だったか思い出す。滅びた王国を見回す、黒い男がいる。
カイム。呼びかけは喉で潰えた。静かな黒い眼差しが、幼いマナを見下ろす。
「やめて」
この先の光景を知っていたから、マナは唱えた。
カイムが手を伸ばす。覚えている。マナに向かって。覚えている。剣を握る荒れた手が、マナの頭に伸びる。
「やめて……!」
哀願が届くはずもなく。カイムはマナの頭に触れて。
ぐしゃぐしゃと、マナの髪をかき混ぜた。
不器用な手つきを覚えている。子どもへの触れ方を忘れた手。力強さに翻弄されて頭が揺れて、離れていった後もくらくらした。
それから、思い出したようにカイムは腰をかがめた。マナの手を取って。己の手首からほどいたブレスレットを、マナの手首に巻いた。
『いいの?』
幼い自分が尋ねる。思いがけない贈り物に、どう反応したらいいかわからなくて。
見上げた先で。カイムは。
微笑んだ。
雲間から覗いた太陽のような、偽りのない澄んだ笑顔だった。
「ごめんなさい!!!」
絶叫が喉を掻きむしった。過去の情景が遠ざかり、赤黒い洞へと舞い戻る。
だがマナの赤い目には、さっきの、かつての情景が焼き付いていた。
覚えている。六年間の旅路。カイムの声にならない言葉。憎しみ。
忘れるな。忘れるな。おまえの罪は死んでも消えない。生きて、目を見開いて、己の罪を見つめ続けろ。
「ホントウに?」
神の問いに、今度こそマナは耳を塞ぎ、目を閉じて絶叫した。