恋する乙女は無敵です!【サンプル】 1 たとえ届かぬ想いでも
話し合いの場に、三毛縞斑が現れることはなかった。
約束の時間は、とうに過ぎている。残念だが、予想されたことだ、と、公園の木の下であんずはため息を吐いた。
ここ最近、彼は仕事の打ち合わせにも来ないことがあった。一対一の話し合いなど、ますます来ないだろうと思う。
それでも、もう少しだけ待つつもりだった。
来る気配がない彼のことを思い浮かべながら、あんずはスマホの時計表示をオフにして、そして辺りを見た。待ち合わせ場所である公園に到着した時と比べて、人の数は少なくなっていた。
あんずが立っている木の正面には砂場があり、子どもたちが遊んだあとがある。現に、先ほどまでそこには子どもたちが数人いたはずだ。
それは雪の日に作るかまくらのような形をしていた。しかし、その穴は子猫も入れないほどの小ささで、せいぜい、子どもの手が通るくらいのサイズだった。おそらく、山にトンネルを掘りかけた状態で、放り出されてしまったのだろう。未完成の姿が、なんともいえず哀愁を漂わせているように感じられた。きっと家族の迎えが来て、子どもたちは家へ帰ってしまったのだ。
時間は有限で、ずっと遊んではいられない――どうしてか、そんなことを思った。
そんなふうにあんずが物憂げになるのも仕方ないくらい、寒さの厳しい時期だった。
昼間は日が差して暖かかったけれど、太陽が傾き始めると、まるで違う季節かのように、空気の冷たさが身に染みた。強い風が吹いて、あんずは思わずぶるりと身体を震わせる。
(こんなに冷えるなら、ブランケットを持って来ればよかった)
あんずは仕事場に置いてきたブランケットを恋しく思いながら、公園の景色に溶け込むように、そこで斑を待ち続けていた。
落ち葉が公園のフェンスの隅っこの方に追いやられていく。少し前まで、見事な紅葉の景色を作っていたイチョウの葉だった。
指定した時間から十五分が過ぎたので、そろそろアクションを起こしてもいいだろう、と、あんずは斑に電話をした。するとあっさり繋がったので、拍子抜けしてしまいそうになる。やや不機嫌な様子で、もしもし、と交わしてから、要件を伝えた。
『ごめんごめん、気づかなかったなあ』
「……そうですか」
一週間前、あんずは「話がしたい」と斑のスマホの留守電に声を吹き込んでいた。聴いてくれるのかはわからなかったけれど、あんずはあえて一本のメッセージだけを残していた。結果は、留守電が入っていることにすら気づかれていなかったという、散々なものだったが。
しかしあんずは、それが本当かは怪しいと勘ぐっていた。つまり、斑は内容を知っていたにも関わらずすっぽかした、という可能性があった。
『急ぎの用事なら、今から行けないこともないんだが……』
訝しんでいるあんずの様子が伝わったのか、斑は殊勝な態度で応えた。その声にもどこかわざとらしさがあるように思えてしかたない。
いや、大げさなのは以前からか。これまでの彼の言動を振り返りながら、あんずはそう思い直そうとする。ただ、申し訳なさそうにしているわりに、その言葉を守る気がないような雰囲気も感じられて、不満が残る。だからあんずは斑からの申し出を断り、次の一手を打った。
「いえ。このあとは私も仕事があるので。代わりに来週、同じ時間は、大丈夫ですか?」
今度こそ来るように、と働きかけたのだ。
実は、こうすることが今日の目的だった。もちろん、時間どおりにここに姿を現してくれていたのなら、必要のない約束だ。けれど、彼を話し合いの場につかせるためには、ある程度戦略が必要だった。
『……ああ。わかった』
斑の承諾に、あんずは態度をやわらげた。
「待ってます。暖かくして来てください」
『ああ。じゃあ、また』
「はい」
あんずは電話を切ると、ふう、と肩をすくめた。
姿は見えないし、返事は短いし、会話らしい会話もできなかったけれど、約束はできた。機械越しだけど声も聞けた。通話という手段を使って。それがお互い、ちょうど良い距離だったように感じられて、少し、ほっとしていた。
たぶん、作戦であることはバレている。それでもいい。斑の能力を侮って実行したわけではないから。とにかく直接会うことが必要だった。顔を突き合わせて話をしないと、何も始まらない――なにも、おわらせられない。目を背けていたことに、曖昧にしていた事実に、向き合わなくては、と、そう心に決めていた。
通話の切れたスマホの画面から顔を上げると、グラデーションの夕焼けが見えた。日が短くなってきたな、と空を眺めて思う。この季節の空は切ないけれど、色がたくさん見えて好きだった。
「……がんばろ」
斑との関係をうやむやにしたまま日々を過ごすことは、あんずには耐えがたかった。仕事に差し障りがなければそれでも良かったのだけれど、あんずが用意した仕事に斑が積極的に乗ってくることはなかった。そのたびに違う仕事を見つけようと躍起になるけれど、ほかの仕事を疎かにすることもできない。要は斑に対してだけバランスが悪いのだ。
なんのために新しいユニットを結成したのだろう、とあんずは思う。アイドルとしての活動を張り切っていたのではなかったのか。相棒のこはくと不仲なわけではなく――むしろ馬は合っている様子だ――だからなおさら、話し合わなければいけなかった。信頼を得るために何が必要で、何を取り除かなければいけないかを。
(ううん、それは建前だ)
あんずはかぶりを振った。
これからどうしたいのか、今までのことは何だったのか。それを問いかけて確認したい。それが本音だった。
距離を、適切にしたかった。個人的な、二人の距離を。
太陽が本格的に沈み始め、辺りが薄暗くなってきた。そろそろビルに戻って仕事をしなければ。今日中に片付けなければいけない書類が、デスクに置きっぱなしだった。
::::
公園に設置されている街灯がそっと光を灯した。その影響か、近くで立っている人物の影が幾重にも輪郭を変えた。日が沈む前の長い影だった。
影の主は斑だった。彼は斜めに位置する公園の砂場の向こうを見た。斑がここにいることをあんずは気づいていないようだった。
通話を終えると、斑は沈黙を守りながら彼女の後ろ姿を見送った。
あんずからのメッセージには気づいていた。それでも斑は会いに行かなかった。会わないことを選んだ。ごまかしきれているかどうかは、彼女の声を聴く限り、微妙だと思うけれど。
それでも斑がここまで来たのは、あんずの顔を見たかったからだ。どんな様子でいるか確認するためでもある。でも、それだけではない。自ら突き放しておきながら、会いたいと思う自分もいて、その気持ちに抗えなかったのだ。
(顔を見るだけなら)
そんな自分を認めて、欲深い、臆病者だと自嘲した。斑は口元に弧を描きながら、スマホを操作し、ある人物と連絡を取った。
「もしもし、椚先生かあ?」
『はい。どうしましたか三毛縞くん。仕事に関しては、まだ手配が整っていません。もう少しお待ちください』
電話の相手はP機関に所属し、夢ノ咲学院で教師も務める椚章臣だった。
斑はつい先日、ソロの仕事を回してもらえるようにと椚に依頼していた。その件についてだと思ったのか、今にも電話を切りそうな勢いで返事をする椚に斑は苦笑しつつ、もうひとつ頼みごとがあると話を切り出した。
「プロデューサー……あんずさんに、休むように言ってくれないか」
『先日の件でも言いましたが、どうして、直接言わないのですか』
「いやあ……俺が言っても、うまくかわされてしまいそうでなあ」
斑が述べた理由に何か思うところがあったのか、椚は諭すように語りかけた。
『心配している人間がいると伝えることは、悪くないことだと思いますよ』
「そういうものかなあ。その辺の機微が、どうもわからない」
あんずに無理をさせている自覚がある、というのは自意識過剰かもしれないが、余計な気を回させていることには違いなかった。そのあたりの事情を、電話の相手が把握しているかはわからなかったから、あえて表現をぼかして言った。
『わかりました。仕事仲間として、教師として、助言しておきましょう。……私も最近、気になっていたところですから』
「すまない」
『要件はそれだけですね? では、切りますよ』
遠慮なく切断された通話に、椚のきっちりとした動作を思い浮かべてしまい、斑はまたもや苦笑した。理解があって助かる、と言い損ねてしまった。
斑はそのあと、あんずの去った公園に足を踏み入れ、フェンスの近くにあるベンチに腰掛けた。落ち葉が風に舞って、カラカラと乾いた音を立てていた。
思うのは、去年一年間のことだった。
転校生。女神様。みんなのプロデューサー。あるいは、特異点。
彼女はそんなふうに呼ばれていた。最近では守護天使などと呼ぶ者もいるらしい。当初の期待を上回る成績を残した。たったそれだけで、彼女は――あんずは、尊ばれていた。
そんな状況と立場だからこそ、斑はあんずに普通の女の子の時間を与えたがっていた。学院の外で遊んでほしかったし、恋もしてほしいと望んだ。周りに候補はたくさんいるのだから、手を携え合える人を選べばいいのに、と、あれこれお節介も焼いた。
その考えは傲慢だと、今なら思う。
プロデューサーであることに幸福を見出そうとする彼女を、アイドルを支えるあんずの未来を、危険視した。いつの間にかかつての――あるいは現在の――自分と重ねていたのだ。だから個人的な関わりを続けてきた。幼なじみであると、大げさに言い聞かせて。世話を焼けるように、近くにいられるように。
けれど、その光景が今は一転していた。お互いの立場が――仕事での足場となる部分が変わったのをきっかけに、入れ替わっていた。
幼なじみであるという斑の主張を信じる彼女は、個人的に斑のことを心配するし、仕事の範疇を超えて接してくる。そもそものあんずの性質もあるとはいえ、ほかのアイドルよりもどこか近しい間柄を受け入れて、それを返してきた。良かれと思って。
さかのぼるとするならば、あの年末の、告白めいた言葉だろうか。否、いつからなどと、断言できるものではない。ゆるやかに、一年をかけて、パンドラの箱を開けていたのだ。
懸命に奉仕する彼女の申し出を、迷惑だと言って拒否できるほど、己の事情も甘くなかった。
二人以上の『ユニット』を結成した今、『プロデューサー』を否定できなくなった。
『普通の女の子』を望むことは、できないわけではない。けれど後ろめたい気持ちは沸くものだ。自分だけ、みんなと同じになったのだから。
だけど。
(俺は、アイドルになったんだろうか?)
冷たい風が頬を切るようだ。その問いかけに答える者は誰もいなかった。
髪がばさばさと靡いて鬱陶しい。そろそろ木枯らしが吹くかもしれない。
そうしてすぐに冬が来るのだなと、斑は空を見上げた。雲は強い風に流されて、月がくっきりと浮かんでいた。
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アイドルが、好きだった。みんなのことが、好きだった。
けれど、恋を、知ってしまった。
声を聞いただけで元気が出て、遠くに姿を見つけただけで、胸が苦しくなる。その気持ちを、一喜一憂と表現するのだと理解した時は、たいそう、慌てたものだった。
恋をして、知ってしまった。特別の『好き』があることを。『恋する乙女』なんて、かわいいものではないのだと。
たった一人を大切に思うことは、以前は禁忌のように思っていたけれど、実は案外、平気でいられるものだった。
そう振り返るあんずは、恋する気持ちさえ、『プロデューサー』としての糧にしていた。要は同じ質量の気持ちを、みんなに振り分ければいいのだから、と。そうするのにどれだけの力が必要かは、度外視しているようだった。
公園で待ちぼうけをくらったあと、ビルまで歩いて向かっていたあんずは、椚からの電話を受けて自販機の前で立ち止まった。
「大丈夫です。はい、心配おかけしてすみません。今からですか? ビルに戻ります。……わかりました。今日は早く上がります。宿題もありますし」
あんずはふふ、とかすかに笑った。椚は同僚でもあるが、そもそも教師でもある。彼を前にすると、自分が学生であることを思い出すのだ。それに、まだ経験の浅い子どもであることも、思い知らされる。
「はい。大丈夫です、失礼します」
足元でゴトン、と音がした。あんずは通話を終えると、自販機から出された飲料缶を手に取った。
「あっつ」
熱すぎて火傷をしそうなこの温度が、今はありがたい。
結局のところあんずは、アイドルが好きなのだ。恋をしても、それは変わらなかった。だから天祥院英智の計画に乗ったし、P機関のトップという不相応な肩書も付けることにした。それでアイドルのことを守れるなら、なんだってよかった。
一喜一憂したところで、現状は変わらない。今では慌てることもない。あんずはどこか達観した気持ちで斑のことを思う。
(もう、仕事をすることでしか関われないのなら)
飲料缶を手に、ビルへと向かった。さきほどより少し、歩くスピードを早めながら。
(中略)
3 ルーツ
秋晴れのある日。深海奏汰は機嫌良く、空中庭園への道を歩いていた。今日はオフなので、存分に池で『ぷかぷか』するつもりなのだ。
けれど、到着したとき、その池には意外な先客がいた。
「あんずさんも、ぷかぷか、しますか?」
そこにいたのは、あんずだった。縁石に腰掛けて膝を折り曲げ、足首から先を水につけている。奏汰は隣に座って、あんずの顔を覗き込んだ。すると、彼女はサングラスをつけていた。普段の彼女と違うスタイルに奏汰は思わず、どうして? と首を傾げた。
「はい、ぷかぷかしたい気分なんです」
あんずはサングラスを外しながら、奏汰の質問にそう答えた。これは私の意志だと示すような、はきはきした口調だった。
「じゃあ、いっしょに、ぷかぷか、しましょう」
奏汰は、仲間がいて嬉しいという気持ちだったので、優しく微笑みかけた。けれど心の中では、あんずのことを心配していた。
人間は、水の中で呼吸ができない。それから、今は人間が水浴びをするのに適した季節ではない。もしかしたらさっきは、水が冷たいのを我慢しながら受け答えをしていたのかもしれない。
奏汰が全身びしょ濡れになる横で、あんずは座りながら、たまに手で水をすくって足首にかけていた。足湯の冷水版だ。滝行のようなつもりでそんなことをしているのだろうか。サングラスをしているのは夏の気分を味わいたいからなのだろうか。不思議に思いつつも、奏汰はあえて理由を聞かず、そばをぷかぷかとしていた。
そうやって、そっとしておいてもらえることはありがたい、とあんずは水中の奏汰を眺めながら思った。
当初は気分転換に散歩していただけなのだが、いろいろなことを考えすぎて、頭の中がオーバーヒートしそうだったので、身体を冷やせば少しは落ち着くのではないかと、気がついたら靴を脱いで足を水につけていた。
いささか不可解な行動にも見えるが、本人いわく、筋は通っているらしい(サングラスは秋の日差しを気にして持ってきたものだ)。
あんずには、考えることが多すぎた。こうしている時も、脳内では目まぐるしくいくつかの案件についての検討がされている。
たとえば、このあとはキャンペーンの現状報告をまとめなくてはいけないし、次の企画の修正もしなくてはならない。ほかにも、後輩からの相談ごと、衣装の修繕、グッズの確認、メールチェック、エトセトラ、エトセトラ……。
その隙間から顔を覗かせるのが、斑との関係をどうするか、ということで、そのたびにあんずはやるせない気分になった。去年の今頃はよく外に連れ出してもらってたな、などということも思い出したりするから。
あんずが斑の仕事に携わったのは数えるほどだ。まともに仕事を任してくれない期間が長かった。いよいよ、というところで避けられだして、なんだか空回りしている気分になる。なんだかだんだん腹が立ってきて、頭がかっとなりそうだ。
しかしそんな気持ちとは反対に、あんずはやがて寒さに震えはじめた。
「……ックション!」
「くしゃみ、してますね。だいじょうぶですか〜?」
「そろそろ、引き上げます」
ずびずびと鼻水をすする音を鳴らしながら、あんずは池から足を上げた。だがその時、タオルも何も持っていないことに気づいた。しかたない、と思って、膝から下をびしょ濡れにしたまま、素足で仕事場へ戻ろうと、あんずは靴を持って歩き始めた。
さすがに奏汰もその行動が異様であると気づく。バシャリと飛沫を上げて池から飛び出し、制止した。
「あんずさん、めっ」
「すみま……ックシ!」
奏汰は手持ちのタオルをあんずに渡した。あんずはそれを受け取り、濡れた部分を拭き、それからぐるぐるとマフラーのように首に巻いてしまった。やはり身体が冷えてしまっていたらしい。
「水浴びしたあとの事を考えていませんでした……洗って、お返しします。すみません」
声を小さくして俯くあんずを叱るように、奏汰は「えいっ」と脇の下に手を差し込み、そして持ち上げた。あんずの足元が十センチほど浮いた。そんな奏汰の突然の行動に、あんずは驚きで声も出せずにいた。服が少し濡れたけれど、それを気にするどころではなかった。
「あんずさん、いがいと、おもいですね?」
しかし、その言葉にショックを受けたのか、あんずは顔を青くしながら、
「だ、ダイエットしなくちゃ……」
と、ボソボソと呟いていた。
あんずをそっと地面に下ろすと、奏汰柔和な笑みを浮かべ、道の向こうを見た。
「それより、ほら、むかえがきましたよ」
「おーい!」
そのよく通る声の主は、守沢千秋だった。急いで走っている姿が見えた。様子がおかしいあんずを見かねて、奏汰が呼んでいたのだ。
「守沢せんぱ、イックシュ」
「風邪をひきかけているじゃないか。シャワー室までついていってやろう。それから、不審者がいると事務所で話題になっているぞ」
「え」
この短時間で、そんなに注目を浴びてしまうものなのだろうか。あんずはぼうっとする頭で考えようとしたが、うまくまとまらず、あとにしようと、いったん、頭の隅へと追いやった。
「シャワー……行ってきます……」
「あんず、とにかく靴を履け! 怪我したらどうするんだ」
「あ、はい。すみません……」
そうしてあんずは、束の間の行水のあと、あれやこれやと世話を焼かれながら、ビル内の女性専用シャワールームへと連れて行かれた。
(中略)
4 恋をして、プロデューサーはきれいになった?
Ra*bitsとDouble Faceの合同会議の初日。桜河こはくはミーティングルームの扉に隠れて、中の様子をうかがっていた。
「あっ、ね~ちゃんだ!」
あんずを見つけた天満光が、入り口に向かうこはくを追い越して部屋の中へ駆け込んで行ったからだ。その勢いは激しく突風が吹いたかのようで、会議の準備のためにあんずが手に持っていた資料があっという間にあたりに散乱した。あんずは目を丸くして驚いていて、それでも律儀に光におはよう、と声をかけていた。
「こら、光~!」
「ご、ごめんなさいあんずお姉ちゃん」
「おれたちで拾うから、あんずは準備の方を……」
光を追いかけるようにして現れたRa*bitsのほかのメンバーは、そろって謝りながら入室した。悪気があったわけではない。それでも、悪いことをしたら謝る。人と人とが関わるうえで大事なコミュニケーションだ。それができるというだけで、こはくには彼らが愛おしい存在に思えた。
こはくはふとこの状況の原因となった光を見た。すると、資料を拾う手がさっそく止まっていて、準あんずのことをじっと見つめていた。視線に気づいたのか、あんずは準備の手を止めて光に話しかけた。
「どうかした?」
「はっ! 女の人をじろじろ見ちゃいけないんだぜ! でも気になるんだぜ~!」
「心にとどめておくべき言葉が声に出てるぞ……」
いったい何を思ったのか、光はあんずのことが気になるという様子を見せるが、それを失礼だと思った真白友也がすかさず光の腕を引っ張ってあんずから遠ざけていってしまった。
「すみません、こっちで言い聞かせますから!」
「そ、そんなに気にしないで……」
苦笑するあんずに、友也は謝った。さっきから人のことで謝ってばかりだな、とこはくは思って、思わずあんずと同じように苦笑してしまった。連れて行かれた光は、友也といっしょに拾った資料の枚数を数えていた。
一連の騒ぎを見ていたこはくの隣に、いつからいたのか、到着していたらしい斑の姿があった。
「俺たちがいることに気づいていないなあ」
隣でつぶやかれた言葉に、こはくは肩をすくめながら、
「なかなか、先が思いやられるわ」
と言って、部屋へ足を踏み入れた。
いち早く二人に気づいたあんずが会釈してくるので、相変わらず気配に敏いのだなとこはくは思った。
「お二人とも、おはようございます」
「おはようさん、あんずはん」
「おはよう、『プロデューサー』さん」
にこっと挨拶を交わす二人に、こはくは寒気のようなものを感じた。
はたから見ればただの挨拶に過ぎないのだが、斑のあんずに対する態度も、あんずの斑に対する態度も、よそよそしいというか、変に他人行儀なのである。
まとめ終えた資料を配っている仁兎なずなも、違和感を覚えたのか、斑とあんずの顔を交互に見た。けれど、二人とも気に留めない様子で、会議に向けてそれぞれの席に移動していた。
「これで準備はおわりですか?」
紫之創は椅子と机のセッティングなど、資料を拾い集める以外にも精力的に手伝いをしていた。あんずはそのことに礼を言い、それからみんなに呼びかけた。
「ありがとうございます。それじゃあ、みなさんはじめましょうか」
今回の会議は企画の説明が主だった。責任者であるあんずから話を聞いて、気になることがあれば質問して、それから次回までの課題を確認して終わるという、ごく簡単なものである。見知った顔ぶれであることも影響してか、終始リラックスムードで会議は進んだ。
「それでは、質問タイムに入ろうと思います。なにか要望があればここでお願いします」
あんずの凛とした声がミーティングルームに響く。こはくは手を上げて質問した。
「全員で集まる会議は、あとは当日だけなん?」
こはくが指したのはスケジュール表の下の部分だった。今回の企画のゴールであるライブの日の、その直前に全員が集まるようにと書いてあった。
「そうですね。あとはホールハンズでのやりとりになるかと思います。もしかしたら、リーダーだけ集合をかけるかもしれませんが、このあたりは未定です」
その言葉に、友也がメモを取っていた。その様子をなずなが見つめ、創が小さくポーズを取って応援していて、ほほえましい。一方、斑は腕を組んだままじっとしていて、こはくは思わず肘で小突いてしまった。
「ん? なんだあこはくさん」
「ちゃんとせえ」
「ちゃあんと説明は聞いているぞお」
しらじらしい、と斑のことを横目に見たこはくは、ユニットのカラーの違いというものを実感していた。
こはくの場合、二つのユニットを兼任しており、そのどちらも、無茶を言う人間がリーダーを務めている。だから友也のような、素朴で懸命なリーダーの存在に感動してしまうのだ。不思議と、応援したい気持ちが沸いてくる。身近さが、Ra*bitsというユニットの持つカラーだった。
くらべて、自分たちの色は何だろうかと考える。リーダーは斑で、正直、彼がいなければDouble Faceは成り立たない、とこはくは考えている。だからほとんどは、彼の色なのだ。
かといって、こはくが自身の存在を軽視しているわけではなかった。こはくの持つ色が、ぽとりと一滴落ちるだけでよかった。それだけで、二人でステージに立つ意味があった。
だから、ちゃんとしないリーダーに、ちゃんとするように言う自分――それがたぶん、Double Faceのカラーなのだと結論付けた。
「それでは、会議を終わります。おつかれさまでした」
リラックスムードが漂っていたとはいえ、会議というものはどうしても身体が緊張して固くなる。こはくはうんと伸びをした。友也と創がそそくさとミーティングルームをもとの形に片づけはじめるので、こはくも手伝おうと立ち上がった。
(中略)
6 疑心暗鬼
ESビルの六階にある衣装ルームでその声は聞こえた。
「ふあぁ……ふ」
あんずの大きなあくびの声だ。向かい合って座っている鬼龍紅郎はそれを聞いて思わず針を持つ手を止めた。
「らしくねぇんじゃねえか、嬢ちゃん。目が腫れてるぞ」
そう言われたあんずは見られていたと思ったのか、しまった、と顔を伏せていた。紅郎は顔をしかめた。何かまずいことでもあるのか。前髪に隠れた目元は赤かったのは見間違いではない。
あんずと紅郎は裁縫道具に囲まれながら、衣装の試作をしていた。このビルが建ってからというもの、二人が衣装に直接手を加える機会は減っていた。久々に腕が鳴ると紅郎は楽しんでいた。とくに今日は刺繍の仕事を割り振られていたから。
あんずも、紅郎と同じように針と糸を手に、ボタン付けをしている真っ最中だった。
「実は……」
そう切り出したあんずの声は地を這うように低く、何かのトラブルかと思った紅郎のこめかみにさらに力が入った。
「昨日、遅くまで映画を見ちゃって」
「な……」
「それで、寝不足なんです」
白状された内容が、あまりによくある話だったので、紅郎はすっかり力が抜けてしまった。
「まあ、そういう日もたまにはあるけどよ」
「鬼龍先輩も?」
「ん、まあな。とはいえ、気を付けた方がいいぞ。針は凶器にもなる。自分の指間違って刺したりしないようにな」
「はい、気を付けます」
紅郎からの助言を承知したらしいあんずは、にこっと笑った。その目元を渋い表情で見る。
(誰かに泣かされたのか?)
その誰かというのが、もしあいつだったとしたら見過ごせないな、と、ある人物の顔を思い浮かべて、それから、いや、まさかな、とかぶりを振った。
作業を再開しようと生地を手繰り寄せていると、あんずがキョロキョロと周囲を気にしていたので、紅郎は怪訝に思って顔を上げる。
「先輩にちょっと聞きたいがあるんですけど……」
あんずは針山に針を片付けて、すっかり手を止めていた。そして紅郎の手元を見つめながら、こう訊いた。
「三毛縞先輩のことどう思います?」
(後略)
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『恋する乙女は無敵です!』
斑あん小説
文庫サイズ 112ページ 帯付き
イベント頒布価格500円(通販価格600円)
*参加予定イベント
2021年12月25日〜26日 星とあんずの幻想曲2(あんず島2)@pictSQUARE
スペース【A島き1 米の丘】※英あんスペースですのでご注意ください
2022年5月24日 brilliant days32 内 apricot diary6@インテックス大阪
攻守入り乱れる追いかけっこ!
これは特別の『好き』を胸に抱いた、戦いだ。