sweet medicine ふ、と。
意識が浮上した。
まだ眠っていたいという怠惰な欲に逆らって、寝ぼけ眼をこじ開けたのは、近くで聞こえた囁き声のせいだ。
「……こら、静かに。まだ早いだろう」
ぶんぶんと尻尾を振る音。ハッハッと期待の息遣い。
「散歩はこの雨が止んでから。予報では午後だよ」
諭すような声音。
ついさっきまで息を弾ませていた鳴き声が、途端にきゅん、と寂しげなものに変わる。
ようやく焦点が合った眼前の光景。
自分と同じようにまだ寝台上の人でありながらも、腹に乗った愛犬の首を撫でる男の姿。
彼の愛犬は彼の腹の上でしゅんとしょげて耳を垂らしている。その顔があまりにも可愛らしくてクスリと笑みを零すと、隣の彼と目が合った。
「ごめん、起こしたな」
「ううん。……雨?」
「ああ。結構降ってる」
言われて耳を澄ませば、何故今の今まで気付かなかったのかというほど、ざあざあと強い雨音が響いていた。
時刻は早朝。太陽は休日を決め込んでいるらしい朝の空は薄暗く、カーテンの隙間から零れ落ちる日差しは姿を潜めたままだ。
「いつ、帰ってきたの?」
「一時過ぎだったかな」
どんな時間に帰宅しようと、熟睡している彼女のベッドに潜り込もうと、彼の自由だ。
けれども―――
「声、かけてくれてもよかったのに」
「そう? 起こす方が悪いかと思った。なら今度からは一声かけるよ」
「うん……」
そっと、手を伸ばす。
雨の朝、常夜灯の橙の色を受ける蜂蜜色の髪に指を通し、さらさらと掬い零して。
「おかえりなさい、零さん」
それはそれは、幸せそうに微笑んだ妻――志保の姿に、降谷はただいまの言葉さえ発さず、その唇を己のそれで塞いでしまう。
「や、今、あさ…」
「ん、ほら、疲れて、帰ってきたんだし、ね?」
薬がほしい、と囁いて再度、問答無用の口づけ。
「もう……ん…」
ぎしり、と手をついて、彼女をベッドに縫い留めるように覆いかぶされば、志保は恥じらいながらも抵抗せず、少しばかり期待を込めた上目遣いが降谷を捉えた。
縫い留めたのはこちらなのに、縫い留められたような感覚。
衝動のままに再度、口づけようとした、その時。
わんっ!と、元気な鳴き声と衝動が、乱入した。
「きゃっ」
「っと、こら、ハロ!」
「やっ、もう、くすぐったいわ。こーらっ」
二人の間に割り込んで、僕も仲間に入れてよと言わんばかりにペロペロと唇を舐めてくるハロに、志保はケラケラと笑出した。
尻尾をぶんぶんと振る無邪気さに充てられて、先ほどまでのしっとりとした空気があっという間に霧散してしまう。
「……まったく、もう」
ソレは本当は俺のものだぞ、なんて毒を零すのは、流石に子どもじみている。
頭をぽりぽりと搔きながら起き上がった主人など目にも見えていないかのような愛犬に、思わずジト目を向けてしまうことくらいは許してほしい。
「ほら、もう。わかった、起きるわ。雨が止んだら散歩に行きましょ」
降谷のぼやきなど聞こえないというように愛犬と戯れる彼女の、輝かしいまでの笑顔。
「ね?」
くるりと自分へと注がれた瞳に、悪戯げに弧を描く唇。
ああ、こんなのも悪くないな、なんて。
―――君の笑顔は、何よりの特効薬。