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    yuno

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    yuno

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    曦澄で『100万回生きたねこ』のオマージュのつもりで書き始めました。死にオチはありません、末永く爆発しろリア充的なオチです。そばにいてもいいかい?いいぞ、がやりたかったんです。

    #曦澄

    【曦澄】百万回断った男藍曦臣はこれまで幾度となく見合いの申込みを断ってきた。
    物心ついた頃から縁を結びたいとの申し入れが後を絶たず、毎日釣書が届いたが、そのいずれにも色よい返事をしたことはない。
    だが、何度断りの返事をしたためても、申し入れが絶えることはなかった。

    「もしかしたら、私はもう百万回は断りの返事を書いたのではないだろうか」

    そんなため息が漏れる。どうして皆諦めてくださらないのか。
    不肖のこの身を望んでくださるのは有り難いこと。けれど、未だ婚姻を願う気持ちに藍曦臣はなれなかった。
    中にはすでに断ったと言うのに、年月を置いて、娘を変えて、再び釣書を送ってくる世家もある。
    そうして積み上げられる釣書に、恋文に、ぜひ見合いをとの書簡に断りの返事を書き続けて幾星霜。
    数えたことこそないものの、気分的には百万回は断り文句をしたためたような気がした。

    それがまさか業のように自分に重くのしかかるなど、藍曦臣は考えたこともなかった。


    「貴方をお慕いしております。江晩吟」

    それはこれまで恋われ続けた藍曦臣が、初めて自ら恋うた言葉だった。

    苛烈な言葉ではあれど道理を踏まえた考え方に、不器用ながらも清廉な姿勢に、懐に入れた相手に示す情の深さに、気付けば強く惹かれていた。

    好意を伝えたい、知ってほしいと願い、口にした言葉は、けれど、不思議そうな眼差しが返されただけだった。

    「私は男だが」
    「もちろん存じております」
    「不毛だろう」
    「不毛、とは……」

    江晩吟の困惑する様子に、藍曦臣こそ困惑を隠しきれない。
    これまでは自分が好意を見せれば、皆が喜んでくれた。嬉しそうにしてくれた。
    だから、藍曦臣は自身の想いを江晩吟も好意的に受け取ってくれるのではないかと思いこんでいた。少なくとも無碍にされることはないだろうと。
    だが、江晩吟は無碍にすることこそなかったものの、およそ好意的とは言い難い様子である。

    「貴方も私も大きな世家の宗主。婚姻は政治的な意味を持つ。跡取りを作る上でも良縁を結ぶことが望まれている身ではないのか」
    「それは……そうですが」
    「宗主同士であることもそうだが、何より同性同士で関係を持つなど、不毛であろう」
    「……」

    自分は今お断りをされているのだ。藍曦臣は頭を殴られたような衝撃を受けた。
    これまで、藍曦臣は想いを寄せられ、情を請われ、縁を求められて続けてきた。自分は常に求められる側であり、そして断る側であった。その立場が逆転したことを思い知ったのだった。

    「……」

    絶句する藍曦臣に、江晩吟は怪訝そうにしつつも、用が済んだのならと行ってしまった。
    後に残された藍曦臣は、去っていく背を呆然と見つめながら、己の傲慢さを悔いていた。

    断られるなど想像だにしなかった。すぐには同じ想いを返されなくても、少なくとも喜んではもらえるだろうと思いこんでいた。
    だが、結果はご覧のとおりだ。

    「これは思い上がっていた私への罰だろうか……」

    取り付く島もなかった江晩吟の様子に、藍曦臣はがっくりと肩を落とした。


    すっかり意気消沈してしまった藍曦臣に、不思議がった魏無羨が声をかけ。藍曦臣は己の懺悔とともに事の次第を話した。

    「私はこれまでおよそ百万回ほど、自分に寄せられる好意を断って参りました。もしかしたら同じだけ断られなければ、この業から抜け出せないのかもしれません」
    「いやいやいや。それは考えすぎじゃないかなあ」

    ショックが大き過ぎたのか、明後日の方向に思考を飛ばし始めた藍曦臣に、思わず魏無羨が待ったをかける。だが、藍曦臣は大真面目な顔で首を横に振った。

    「いいえ。私はこれまで傲慢にも、どうして諦めてくださらないのかと思っておりました。何度断りを入れても文を送られることを憂いていたのです。ですが、今になってようやくわかりました。諦めきれぬ想いというものが人の心の中にはあるのですね」
    「え……? まあ、うん……それは……そういうことも、あるけど……」

    なにせ己の夫であり、藍曦臣の実の弟が大変執念深かった。自分が死んでも諦めなかったほどだ。人の心は簡単には割り切れないの極端な例である。
    そして魏無羨は察していた。夫の兄である藍曦臣も、箱入りの純粋培養故に思い込みが激しく、一度情を傾けたら並大抵のことでは諦めないだろうと。
    藍家の男の執念というやつだ。正直相手が死んでも諦めないのなら、諦めさせる方法が思い浮かばない。我が義弟ながら江澄もとんでもないのに見初められたなと、魏無羨は内心でこっそり手を合わせた。ご愁傷様としか言えない。

    「百万回断られねば己の業から逃れられぬというのであれば仕方ありません。百万回を超える想いを伝えるまでです」
    「へぁ?」
    「となれば、悠長にはしていられません。ぐずぐずしていたら江宗主がどなたかと縁を結んでしまうかもしれない。急いで巻いていかねば」
    「え? え? ちょっと待って??」

    巻いていくって、え?!
    ぎょっとして聞き返すも、藍曦臣はすでに決意を固めてしまっていた。まずは文をしたためさせていただこう、お会いできた際は直接お伝えしてと、百万とんで一回の告白を行う算段をつけ始めている。
    こうなったらもう止まらないなと魏無羨は天を仰いだ。

    「ま、まあ、沢蕪君は結構江澄の好みの条件を満たしていると思うよ? 美人だし、控えめで優しいし」

    修位が高すぎるのはあれかもしれないけど。そもそも男だけど。立場も宗主同士だから難しいかもしれないけど。
    それさえ目を瞑ればなんとかなるかも?

    まさにそれを理由に江澄は素気なく断ったのだが、前向きな意欲に燃えている藍曦臣に、魏無羨はそれ以上強くは言えなかった。


    その日のうちから藍曦臣は己の業を打ち払い、乗り越えるために、せっせと江晩吟に恋文をしたためた。
    江晩吟が政務や座学に通う金如蘭の後見として雲深不知処を訪れた時には、仕事の終わった頃合いを見計らって声をかける。
    強引に迫って引かれないようにと、募る思いを控えめに伝え、繰り返し繰り返し想いを告げて愛を請う。それはそれは熱心に訴えたのだが、江晩吟胡乱げに見返してくるばかりだった。

    「私は男だと、藍宗主はご存知のはずだが」
    「江宗主は男性だと、もちろん存じ上げております。私は貴方を女人の代わりにしたいのではありません」
    「私と添っても子はなせない。時間の無駄では?」
    「子を成すために貴方を求めているのではありません。私はただ心のままに貴方をお慕いしているのです」

    話はまったくの平行線だった。藍曦臣が何度想いを告げても、江晩吟は男同士で子は成せないのだから論外だと返すばかり。百万一回への道は険しいとため息をつく。

    「私が女人になるか、男同士でも子を成せる方法が見つかれば良いのでしょうか」
    「いやいやいや! 沢蕪君待って? それは流石に明後日の方向に飛び過ぎだから!」

    今の言葉を藍じじいが聞いたら血を噴いて倒れると魏無羨は慌てて嗜める。まさか自分が沢蕪君を嗜める日が来ようとは。人生何が起こるかわからない。死んだのに生き返ったりもするし。
    待てよ、となると、性転換も、男性同士で子を成すことも、為せば成ったりする?
    危うく思考が釣られそうになって、魏無羨は気まずげに咳払いした。

    「まあ、江澄は跡継ぎを望んでるからな。今も懲りずに見合いしてるのはそのためだろうし」
    「そんな……。でも、江宗主はお相手を厳選してらっしゃいますよね……」

    未だ婚姻を結ばないのは相手が決まらないためだ。何が何でも子を成したいのでは選り好みなどしていられないはず。だが、そうではない。子作りよりも優先する何かがあるのでは?
    思考する藍曦臣に、いやぁ、それはあいつの選り好みが厳しすぎて相手に断られているからじゃないかな~と魏無羨は苦笑いを浮かべた。

    「あいつ、連敗続きだっていうのに、全然理想を妥協しないんだもんな」
    「それは女人であれば誰でもいいというわけではないでしょうし、それこそ宗主の奥方として相応しい方を見極めていらっしゃるのでしょう」

    そして、未だ彼の目に叶う女人は現れていないということだ。

    「江宗主にはぜひともそのまま、折れないままでいていただきたい。妥協されて、どこぞの女人を選ばれてしまっては困ります」

    私が口説き落とすその日まで独り身でいてくださらねば。

    「……えーっと……」

    この人凄いこと口にするな? さすがの魏無羨もこれには唖然とする他ない。
    そのままでいてほしいというのも江澄の心のありようを尊重している発言とも取れるが、だが、考えてみてほしい。子を成したい江澄にとって、逆立ちしても子を望めない断袖の関係は妥協以外の何ものでもないのでは?
    だが、藍曦臣は大真面目の真剣顔である。本心からの発言だ。やっぱり箱入りのお坊ちゃんってズレているなあと思わざるを得なかった。


    藍曦臣はめげなかった。さすがあの含光君の兄よと言わしめる執着と諦めの悪さで、その後も熱心に江晩吟に愛を告げ続けた。
    何度も季節が移り変わり、年月を重ね、袖にされ続けても、藍曦臣はめげなかった。これまで自分が数多の世家からの見合いを断り続けた年月を思えばまだまだ短い方である。業は深いのだ。

    その頃には江晩吟も言われ慣れてきたらしい。告白を繰り返す藍曦臣に怪訝そうな顔をすることはなくなり、はいはいと聞き流すようになってきた。
    これは藍曦臣にとっては良い傾向であった。江晩吟は自分の愛の言葉を疑っていないということである。あとは彼が応えてくれる気になるまで口説き続けるのみ。
    己の想いを疑われることは辛いものだ。少なくともその苦しみはない。

    「江宗主。江晩吟。貴方をお慕いしております」
    「そうか」
    「ええ」

    その日、清談会のために蓮花塢を訪れた藍曦臣は、いつものように世間話の折に紛れて想いを口にした。それに相槌を打つ江晩吟。以前の一線を引いた格式張ったやり取りばかりの頃に比べれば、随分気安く言葉を交わせるようになったと藍曦臣は胸の内が温かくなる。
    喜びに浮かれて、つい藍曦臣はもっと欲しくなった。

    「今は蓮が咲く頃ですね。蓮は明け方に花開くのでしたか。願わくば、貴方と共に眺めたいものです」

    二人で夜明けの蓮を眺めたい。眼前の湖を眺めながら願いを口にする。

    「いいぞ」
    「……え?」

    てっきり、いずれ機会があれば等、そんな社交辞令で躱されるものとばかり思っていた藍曦臣は、自分の願望が幻聴を起こしたのかと疑った。

    「明日でも構わないが」

    幻聴が続く。江晩吟はどうした? と言いたげに藍曦臣の方を見ていた。

    「私は明日の朝でも構わないが。貴方は早起きが苦にならないだろう? それとも清談会中はやめて、日を改めるか?」
    「い、いいえ、いいえ! ぜひ明日の朝に」

    早起きは得意ですと言い募れば、その勢いがおかしかったのか、江晩吟がくすりと笑った。

    「では、明日の朝に。貴方の客房に迎えに行こう」
    「ありがとうございます!」

    手を握らんばかりに喜色を浮かべる藍曦臣に、大げさだなと江晩吟は苦笑した。

    「そんなに嬉しいか?」
    「嬉しいですとも。初めて貴方が私の言葉に色良い返事をくださったのですから」

    うきうきと声を弾ませる藍曦臣に、江晩吟が首を傾げた。

    「貴方は今まで何度も俺に好きだと言っていたが、俺にどうしてほしいとは一度も言わなかっただろう?」
    「え……?」
    「貴方が俺をからかってはいないことはわかったが、俺に何を望んでいるのか、今ひとつわからなかったからな」
    「そんな、からかうなど! 私はいつだって本心を告げておりました」
    「ああ、それはわかっている」

    飄々と返す江晩吟に、藍曦臣は瞬きした。もしかして、自分はただ想いを告げることばかりに意識を向けてしまっていたのでは?
    想いを告げるばかりで、彼にどうしてほしいと、彼とどうなりたいと、そういったことは一度も伝えていなかった気がする。とんだ自己満足だ。
    百万回告げるよりも先に気づくべきだった。

    「江宗主。江晩吟。私は、貴方と共に人生を歩みたいです」
    「……」
    「貴方が好きです。叶うことなら貴方の傍にいたい。許してくださいますか」

    前を歩く背中に問いかける。まっすぐに伸びた背。自分よりも細身のその背中は、けれど逞しく勇ましく、雲夢江氏を率いてきた背中だ。
    この背中を好ましいと想い、見つめてきた。
    叶うことならその背を支え、寄り添う手が自分のものであるようにと願ってきた。

    「貴方の傍に、寄り添ってもいいでしょうか」
    「……いいぞ」

    重ねて告げた問いかけ。照れたようなぶっきらぼうな声が藍曦臣の耳に甘く響いた。
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    PROGRESS長編曦澄14
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     また、会いたい、とあの情熱をもって求め 1698

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     苦しめたいわけでも、悲しませたいわけでもない。
     魏無羨の言った「別れたいの 1909