かわいいあのヒトには既にトゲが刺さっていた 魔関署に研修にやってきた俺は早々に打ちのめされていた。まず普通に訓練が厳しい。寮住まいで早朝から夜に布団に倒れるまで逃げ場もなければ愚痴を吐く余裕すらなく扱かれている。
もうヤダ。辞めたい。辞めて地元で畑とか耕したい。そんな泣き言を言いつつも俺が投げ出さずにいるのは何故か。
ハチャメチャに可愛くて優しい先輩がいるからである。ナルニア様直属部隊である牙隊に入署一年目から所属しているという優秀な女悪魔で、なのに偉そうにせず俺みたいな下っ端研修生にも優しく接してくれるすんごいヒトだ。おんなじ牙隊大佐のアミィ様とは正反対。アミィ様も凄いヒトだけどとにかく怖くて仕方ない。厳しい話し方も鋭い目付きも、なんもかんもが恐ろしいのだ。
牙隊の飴と鞭などと言われているのは納得でしかない。
その飴こと癒やしの先輩に、俺はまあ、コロっと惚れたわけだ。こんな苦しい環境で優しくしてくれるなんて、俺のこと好きなんじゃ!? っていうね。まーもちろん先輩は誰にでも親切だから、新人あるある勘違いなんだろうけどさ。ちょっとくらい可愛い先輩に夢見たっていいじゃん。
優しい笑顔が俺だけに向けられてるんじゃとか、俺にだけ特別親切なんじゃとかさ。
「先輩、アミィ大佐が怖くないんですか?」
ある時、俺が彼女に聞いたことだ。あの恐怖の大王であるアミィ大佐にも先輩はニコニコしながら話しかけているから、不思議で仕方なかった。
「怖い? 厳しくはあるけど、怖くはないです。筋が通ってますから」
うーん。懐が深いのか、なんなのか。俺からすれば怖くて仕方のない大佐のことも、先輩は可愛い笑顔で話していた。名前が出ていなければフワフワのウサギかなにかの話だと思ったかもしれないくらいの笑顔だ。
そんなある日、先輩に書類を届けに牙隊の事務室へと顔を出した。室内にいたのはアミィ大佐と先輩だけで、一番奥のアミィ大佐の机の向こうで二人は何かを話している。
「あの、これを頼まれて」
「はい、ありがとうございます」
先輩はいつもみたいに優しい顔でニコッと書類を受け取った。なので俺は頭を下げて事務室を出る。そして言伝を忘れたことに気が付いて踵を返す。
ふと嫌な予感がしたから音を立てないように扉を僅かに開けた。
「……!」
一番奥の机の向こう。アミィ大佐も先輩も反対を向いている。けど、何をしているのかなんて一目瞭然だった。先輩の手がアミィ大佐の腕を掴んでいて、その腕は先輩の腰に回されている。アミィ大佐が僅かに屈んで先輩に顔を寄せた。すぐ離れたけど、その目がめちゃくちゃギラついていて。ほんの一瞬の事だけど、一生忘れないだろうなってくらいの衝撃だった。
そりゃ、怖くないわけだ。そういう仲なのだから。
扉をそっと閉め直す。そういうときに限って周囲に人影がなくて、俺は嗚咽が漏れないように、口を抑えて廊下を駈け出した。