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    fujimura_k

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    fujimura_k

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    現パロ月鯉。2021/12発行『PRISONER』全文公開。R18。
    本文中に無理やりのような描写があります。不道徳。閲覧にはくれぐれもご注意下さい。

    #やぶこい
    #月鯉
    Tsukishima/Koito

    嘘 / 虜囚一体、何時からだったろうか。
     誰彼となく無邪気にじゃれつく彼の…鯉登さんの姿が目に映る度、妙に苛つくようになったのは。
     鯉登音之進。入社してきたばかりの新卒。弊社大手取引先のご子息。何れはうちを離れて御実家へ戻られると聞いている。
    弊社への入社は上と鯉登さんの御実家との引合いという話だ。よくある『社会勉強の為に。』というやつだろう。弊社としては単なる一社員というよりは大事なお預りものでもある。ご両親より俺と同じ十三歳上の兄が過保護だと言う話も聞いた。そんな曰く付きの新人など面倒で、引き受ける方は堪ったものではない。
    方々が押し付け合いをした結果、彼は鶴見部長の居る第七営業部所属となった。その上、俺は教育係の指名を受けた。社長直々の命だと聞けば断る宛は無い。
    面倒に巻き込まれたとうんざりしたが、当人に会ってみれば、聞こえてきた話に身構えた程の事は無かった
    とは言え、やはり彼は特殊だった。賢く、聡明で、仕事の覚えは早かったが、その人物はと言えば、温室育ちなのか擦れたところは極端に少なく、成人しているとは思えないほどの無邪気さ、純粋さで周囲の人間を困惑させることも屡々だ。
     最初の内は人見知りか、慣れないことだらけの環境での緊張か、親父さんやお兄さんの顔もあってか、或は、その全部だったのか知れないが、昼休みにも所在無げにデスクにぽつねんと佇んでいることが殆どだったが、今ではどうだ。
     彼のあまりに初心な様に、周囲の大人が放っておけなかったのも事実だろう。気付けば、年上に囲まれて、すっかり可愛がられるようになっている。
    気難しい尾形でさえ、仕事のアドバイスをするようになって、女性陣にも揶揄われる始末だ。
     鶴見部長と近しい宇佐美は何かと頼られているし、人当たりのよい谷垣とは話がしやすいのか、よく話しているところを見掛ける。
     そうして、方々に笑顔を振りまきながら彼は…鯉登さんは、最後には必ず俺の所へ帰ってくる。
     「月島さん」と俺を呼んで、気付けば隣に陣取っている。いつだか「月島さんに懐きすぎだろ」と零したのは尾形だったか。
     「月島さんは特別だからな!」
     鯉登さんは悪びれもせずそう言って、少し照れたように頬を赤らめまでしてみせた。
    まるで、『本当に』俺が『特別』みたいに。
    鯉登さんが、そんな表情も見せたのは一度きりの事ではない。
    入社前から営業担当として御実家を訪ねていた頃の俺を知っていたという鯉登さんは「ずっと憧れだったんです」と、配属初日にそう零した。弊社への入社も、この部署への配属も鯉登さんの希望だったという。
    通るとは思っていなかったと、甚く感激した様子でそう零した鯉登さんは「月島さんと一緒に仕事がしたかったんです」とまで言ってのけた。
    本当かは知れないが。事実彼は、俺を頼って、俺によく懐いた。当初は俺にだけ懐いているのかと思っていたが、気付けば皆に笑顔を振りまくようになっている。
    そんな様で、よくもそんな真似が出来たものだと呆れてしまう。どうせ、尾形にも、宇佐美にも、同じように言っているのだろう。危うく騙されるところだった。

    騙される?何に?如何して?何故?こんなにイラつく?

    「おい、鯉登。好きなのは解ったがあんまり月島さんに頼り過ぎんなよ?」
    残務整理を終えてオフィスを出る間際、そう言い置いて振り返った尾形は意地の悪い笑みをしていた。
    含みのあるその笑みに、言葉に、腹の底が沸き立つような気がした。
    ちら、と、鯉登さんの方を見ると閉まりかけたドアに向かって「なっ…尾形っ」と声を荒げて頬を赤らめていた。バタン、と音を立ててドアが閉まり、尾形が戻ってくる気配がないと悟ると「なんでそんな余計なこと…」と、俯いてぶちぶちと文句を言っている。少し前なら可愛らしくさえ思ったろうその様に、如何してだか無性にイラついてわざと聞こえるように溜息を吐いた。
    「…尾形も意地が悪いな…」
     「っ全く…なんで…」
     「全部冗談なのに。」
     「…え?」
     なんてことの無いように。それが当然のように。
     「俺を特別だと言っているの。…冗談でしょう?」
     さらりと言った言葉に、鯉登さんはぽかんと口を開けて丸い眼をして此方を見詰めてくる。
     「…まさか、本気じゃないですよね?」
     薄く笑って、煽る様に。そう言ってのけると、鯉登さんは閉じていた口をきゅ、と、結んで、真直ぐに此方を見てきた。
     「…本気じゃて、言たら?」
     伝えた言葉に、嘘など無い。そう聞こえるような、そんな声音と、視線だった。郷里の訛りが混じったのが、余計にそう思わせた。
    「…なんて…それこそ冗談じゃ…」
    誤魔化す様に、そう添えられた言葉さえ。
    尤も、そんなものは、作り物だとは解っているが。
    「鯉登さん…」
    無意識に口を開いていた。
    「貴方…俺が、特別だと仰いますよね?」
    「…あぁ」
    「俺が、好きですか?」
    揶揄うでもなく、努めて静かに。
    「………………好きだ。」
    沈黙の後にポツリと告げられた言葉に血が沸き立ちそうになる。
    「俺と、寝たい、とか?」
    わざと下種な言い方をすると、一瞬、鯉登さんの顔が強張ったように見えたが、きっと気のせいだ。
    「そう言ったら、私と寝てくれるのか?」
    そうでなければ、そんな台詞など、こんな子供の口から出ては来ない筈だ。
    挑むように見上げてくる鯉登さんに笑いそうになるのを耐えて、答える代わりに鯉登さんの腕を掴んだ。
    「え?」と小さく漏れ聞こえた声を無視して、オフィスを出て目的の場所まで鯉登さんを引き摺るようにして連れて行く。後ろから何度か名前を呼ばれ、何処へ行くのかと問われたが、一切を無視して既に人もまばらになった廊下を進み、トイレに辿り着くと一番奥の個室のドアを開けて鯉登さんを放り込んだ。
    どん、と、突き放して個室の奥に追いやると、鯉登さんは動揺も明らかな様子で声も無く此方を振り返った。
    「此処でいいでしょう?」
    何が、とは、言わなくても解った筈だ。
    そんな予想はしていなかったのか、鯉登さんはひゅ、と音をさせて息を呑むと、ほんの僅か怯えた様子を見せた。
    「嫌なんですか?」と、重ねて問うと、鯉登さんは一度口を開きかけ、それから口を結び直して、緩く首を横に振ってから「ここで、いい」と小さく答えた。
    「俺が抱く方でいいですよね?」
    確認の為に一応そう問いかけると、鯉登さんは瞬間、頬を赤くして、こくりと頷いた。
    「じゃあ、咥えて?」
    ベルトを外し、ジッパーを下ろしてそう告げると、鯉登さんは一度俺の顔を見て、それから、視線を落としてゆっくりと足元に膝をついた。
    その光景を目にした瞬間の俺の絶望が解るだろうか。
    怒るでも抗うでもなく膝をついた男を見下ろしながら俺は静かに嗤っていた。嗤うしかなかった。
    そう広くは無い個室に成人男性二人では窮屈だが、誰にもついて行くような子供を相手にするにはここが似合いだ。この様子では、既に俺以外の誰かに喰われているのかも知れない。
    相手は誰だ?誰が最初だった?一人か?或は、二人?
    つまらない考えに苛立ちが募る。その苛立ちが伝わったものか、足元に膝をついた鯉登さんは、おずおずとジッパーの間から引き出した竿に恐る恐るといった様子で舌を這わせ始めた。
    両の手で竿を包んで緩く扱きながら、仔犬が餌を舐めるように、ぴちゃぴちゃと音をさせて舐ってくる。
    そういったことはあまり慣れていないのか、然程上手くも無い舌の使い方に何故だか少しホッとして、そんな自分に尚更苛立ってしまう。
    「鯉登さん、口、開けて」
    懸命に舌を這わせている鯉登さんにそう声を掛け、無理に口を開かせた。目的は決まっている。開いた其処に、何の予告もせずに竿を突き込むと、鯉登さんは反射で頭を引いて逃げようとした。勿論、そんなことを許す訳がない。上から頭を抑え込んで、無理やりに咥内を犯した。
    「っぐ!…っんぐ…っぅ、んぅ…っ」
    くぐもった声と一緒に流れた涙は、喉奥を突かれたが為に零れた生理的な涙だろう。嗜虐心を煽る苦し気なその顔にそそられる。
    「っん…っぐ、ぅ、…っぅぅ…っ…っ」
    奥まで突き込んでも到底鯉登さんの口に収まり切れるものではないが、深くまで突くと喉奥が締まって先端を刺激する。それが心地よくて、何度も繰り返し奥を突いてやると、まともに息も出来ないのだろう。くぐもった声を漏らし、ボロボロと涙を零しながら、鯉登さんは俺の足に縋ってきた。ろくに力も入らないのか、爪を立てることも無く添えられただけの手は、布越しにも伝わる程、熱を持っていた。
    「っ…ぅ…っぐ…っん…っんん…っ…っ」
    止めたいのか、催促なのか。解らないふりをして咥内を犯し続け、そのまま喉奥に欲を吐き出してやると鯉登さんの肩がびくりと跳ねて、やがてゆっくりと肩が落ちた。
    頭を抑え込んでいた手を離し、咥内からずるりと竿を引き出すと、鯉登さんは途端にげほげほと咳き込んで今口中に出したばかりの俺の欲を幾らか吐き出した。
    「全部呑まなきゃだめでしょう?」
    「っ…ごめ、なさ…っ」
    呆れた様に声を掛けると、咳の合間に鯉登さんが零したのは謝罪の言葉だった。見れば、その身体は小刻みに震えているようで、知らず眉間に皺が寄った。
    未だ膝をついたままの鯉登さんの腕をとり、無理やりに立たせてみれば案の定。何処を触ってやったわけでもないのに、確かな膨らみが解る。パンツの上から掌を押し付け、膨らみをなぞる様に押し付ける。くにくにと弄びながら耳元に唇を寄せて問う。
    「俺の咥えてるだけでこんなになっちゃったんですか?」
    横目にチラリとその顔を窺えば、涙と、唾液と、零した欲で濡れた顔を真っ赤にして鯉登さんが俯いているのが見えた。
    頬を染めた赤が耳まで染める。その赤い耳元に、淫乱。と、吐き捨てるように言って後ろを向かせた。否定するでも、抗議の声を上げるでもなく、素直に後ろを向いた鯉登さんに奥の壁に手を付かせる。腰を此方に突き出す様な格好をさせれば問題ない。ぞんざいな手付きで後ろから手を廻してベルトを外し、パンツをずり下げる。幽かに震えている腰を撫でてやりながら、立ち上がっているのだろう前には手を触れず、零した欲で汚れた鯉登さんの口に指をねじ込んだ。
    「ほら、舐めて。」
    腰を撫でていた手を臀部に滑らせ、丸みをなぞる様に撫でながら後ろからそう言ってやると、意図を察したのか鯉登さんは素直に指を吸い始めた。ぴちゃ、と湿った音をさせて舌を絡め、根元まで含ませた指を唇で食んで吸い付いてくる。
    「ふ…っん…ぅ…っは、ぁ…っ」
    舌を絡める合間に鼻にかかった声が漏れる。
    「…もういいですよ。口、開けて。放して。」
    湿った、誘うようなその声に、収まりかけた苛立ちがぶり返し、少し乱暴に鯉登さんの口から指を引き抜くと、唾液と、俺の放った欲に濡れた指を鯉登さんの後孔に擦り付けた。
    「っ…ぁ…」
    未だ挿れてもいないのに、濡れた指先で入口をなぞっただけで甘やかな声が漏れるのだから苦笑するしかない。随分と敏感に仕込まれたものだと呆れるやら感心するやら…と、思ってから、ふと、これは、嫉妬だろうか。と、思う。
    俺よりも先に、この身体に、鯉登さんに触れた誰かに。
    或は、その誰かに応えた鯉登さんに対する憎悪だろうか。
    そんなバカな。如何して俺が。
    浮かんだ可能性を否定するように首を横に振り、余計な考えを他所へやって目の前の子供を再び見遣った。
    さっきからずっと震えているようだが、その震えは期待の所為だろう。きっとそうだ。そうに違いない。ならばその期待に応えよう。
    入口をなぞっていた中指をつぶりと挿入し、ずぶずぶと差し込んでいく。思ったより強い抵抗は、トイレの個室などという特殊な場所で事に及んでいる緊張の所為だろう。根元まで挿入してぐにぐにと内壁を押してやると、鯉登さんは悲鳴のような声を上げて腰を戦慄かせた。
    「っひあ!…っあ、っぐ、ぅ…っく…っぅぅ…っ」
    内壁を擦る様にしてゆっくりと指を引き抜き、再び奥まで挿入させる。くちくちと湿った音をさせて何度か挿入を繰り返し、気持ちばかり入口がほぐれたところで指を増やした。
    「んぅ!…っん、あっ…っひ…っぃ…っ」
    二本にした指でぬぷぬぷとかき回して、中を慣らしていく。若い身体は柔軟だが、思うほどには拓けていないのか抵抗が強い。三本目の指を入れてぐちゅりと入り口を広げるように指を廻すと、鯉登さんはがくがくと膝を震わせてくずおれそうになった。
    「っい…っっ…っあ、ぐ…っぅぅ…っん…っんんっ…っ」
    膝から落ちそうになる鯉登さんの腰を掴んで、どうにか立たせる。へたり込まれては厄介だ。一人で気持ちよくなって貰ったのでは此方の楽しみも無い。もう少し苛めてやりたかったが、これ以上は難しいらしい。
    小さく舌打ちをして、鯉登さんの中からずるりと指を引き抜くと、未だ濡れた手で緩く自身の竿を扱いて、屹立したそれを今まで指を埋めていた後孔に宛がい、強く打ち付けた。
    「っひ!…っっ…―――――っっ」
    ぐちゅん、と、肉に纏わりつく粘液の音をさせ、鯉登さんを貫いた竿は慣らしきれていなかった内側に思わぬ抵抗を受けた。一度には収まり切れず、半端なところで止まっているのだが、鯉登さんはそれに気付いてはいないらしい。
    声にもならない声を上げて、震えを大きくした鯉登さんは、肩で息をしながら個室のタイルに爪を立てている。爪を立てているといっても、冷たく、つるりとしたタイルでは立てた爪が何に引っ掛ることも無く、鯉登さんの指はタイルの上を滑るばかりだ。
    「っはぁ…っぁ…っは…っ」
    必死に息を整えようとしているのが滑稽だ。そんなことを幾らしたところで、直に無駄になるというのに。虚しく空を掻く手があまりに哀れで、腰を支えていない方の手を伸ばして、震えて空を掻く手に重ねてやると、鯉登さんは驚いたように僅かに身を捩って此方を顧みようとした。
    「ぇ?…ぁ…っ」
    「いいから、前向いて。動くぞ?」
    「あ?…っい…っぐ…っぅう…っっ」
    振り返ったその顔を見てはいけない気がして、鯉登さんと眼が合う前に言葉を投げて、その言葉通りに腰を進めた。
    ばちゅ、と、肉にぶつかる音をさせて、半端に収まり切れなかった竿を漸く根元まで収めると、慣らす様にゆっくりと腰を廻して中をかき混ぜる。
    「!?っひ、ぃ…っあ…っあ!…っぅ…っんんっ」
    切っ先にあたる最奥をぐりぐりと抉ってやると、重ねていた手が強張ってはた目にも解る程に震えた。
    「…奥が良いんですか?」
    背中越しにそう問うてみたが、返答は無い。感じ入っているのかしれないが、返事の無いのは面白く無い。
    聞こえたかも知れないが、小さく舌打ちをして奥まで挿れた竿を入口近くまで引き抜くと、一息に最奥まで貫いた。
    「っあ!っが…っあ!…っぐ、ぅ、ぁ…っあ、ひっ…っ!」
    がくがくと震える腰をしっかり掴んで、奥まで突き上げる激しいピストンを繰り返す。繋がった下肢からは絶えずぐじゅぐじゅと厭らしい水音がして、先走りか、汗か、その両方か、小さな雫が足元にぱたぱたと音をさせて落ちた。
    「鯉登さん、どこがいいんです?」
    背中にのしかかる様にして、後ろから耳元にそう囁きかけると、鯉登さんは幼子が嫌々をするようにゆるゆると首を横に振ってみせた。
    「っわか…っわか、ない…っ」
    「解らないって…」
    苦笑交じりにそう零しても、鯉登さんは尚も子供のように「わからない」と繰り返して、終いには泣き出してしまった。
    「言いたくないんならいいですけど…」
    「っ違っ…違、うぅ…っほんと、に、…わか、…っな、っあ…っぅあ…っあ、ぁ、…っや…っやぁあっ…っぁ…っ」
    問いながら、奥まで挿れて最奥を繰り返し突いてやると、鯉登さんは切なげな声を漏らし始めた。素直に奥が良いと言えばいいものを。可愛くない。
    「…鯉登さん、今更ですけど…」
    「?…ぇ?」
    「少しは、声抑えて下さい。誰か来たらどうするんです?」
    「…っっ…っっ」
    「…まぁ、俺はいいですけど…」
    言われるまで気付かなかったのか、途端に声を詰めた鯉登さんに笑いそうになる。そうして、一層、声を上げさせたくなる。誰か来たら不味いのは俺の方だろうけど。そんな事は最早どうでもよかった。大事な預りものを傷物にしたとクビになるならそれでもいい。
    ぐずりと奥を突き上げて、鯉登さんの一番イイらしいところを狙うと、声を耐えようとしてか、重ねていない方の手で必死に自身の口元を抑えた。勿論、そんなことをしたとて抑え切れる筈もないのだが、何かに耐えようとするからか、鯉登さんの内壁は一層締まって、きゅうきゅうと竿に絡みつき、声を抑えて耐えようとする様とは裏腹に、身体は正直に欲を求めてくる。若さなのか、性根の素直さなのか。欲しいものを求めようともしない口より、欲を煽ってくる素直な身体の方が余程愛らしい。愛しいものは愛でてやらなければ。
    湧き上がる興奮に舌なめずりをして、腰を捉えていた手を離すと、自身の口を塞いでいた鯉登さんの手を無理やり剥ぎ取ってもう片方の手と同じように甲の上から重ねて指を絡めた。
    「え!?…ぁ?」
    そうすると、壁についているとはいえ、両手は捉えられ自由にならず、繋がっている下肢だけで身体を支えることになる。先刻から震えっぱなしの膝がいつまでもつかみものだ。
    戸惑う様子を見せた鯉登さんを他所に、ピストンを再開すると、鯉登さんは背を仰け反らせて声を上げた。
     「っが!っあ!…っや、あ、…っあ!っぐ、ぅ…っ」
     堪えようとはしているのだろうが、突き上げる度に、ひっきりなしに声が漏れてくる。
     「ぁ!っあ!…いぁ…っや、ぁ、…や、だ…つき、し、ま、…っあ!」
     漏れる声に、下肢から響くぐちゅぐちゅという水音に、煽られて一際激しく奥を抉ると、鯉登さんは悲鳴を上げて精を吐き出した。
    「っあ!っや、…いゃ…嫌、だ…っぁっや、あ、あーーーーーっっ」
    高い声を上げて、バタバタと足元に欲を撒き散らした鯉登さんは、最早自分の身体を支えきれない様子で、重ねた手を離せば、或は、後ろから竿を引き抜けば、その場にしゃがみ込んでしまうのだろう。
    「っは…っぁ…はぁ…っふ…」
    震えて漏れ落ちる声を聞くだけでそんなことは容易に知れたが、それでは困る。もうしばらくは、付き合って貰わなければ。此方は未だ終わっていないのだ。
    重ねていた手を慎重に片方ずつ離して鯉登さんの腰を捉え、無理やりに立たせて再び奥を突き上げると、鯉登さんは泣くような声を上げた。
    「ひゃうっ!?…っえ、あ?…っひ…っぃあ…っ」
    達したばかりで弛緩した身体は、今ほどまでよりすんなりと竿を飲み込んで、さらに奥へと誘ってくる。
    「っや、っあ…っ嫌…っやだ、待って…待って、ぇ…っ」
    鯉登さんの肉に誘われるままにぐちぐちと奥を突いて欲を追い続けていると、漏れる声に懇願が滲むようになった。
    「も、嫌…っやだ、ぁ…も、いれな、でぇ…っあ!…っあ、ぐ…っぅ、…っや、ぁ…やめ、も、抜い、てぇ…っあ!っあ!…っやあ!っあっ…っあぁ…っやだ…っや、だぁ…っ」
    泣きながら訴えられても、煽られるだけだ。声とは裏腹に、竿を咥えこんだ鯉登さんの内側は、ひくひくとうねって咥えこんだ肉を放そうとする気配も無い。本当に…一体誰にここまで仕込まれたんだか…。
    「っごめ、…なさい…っ」
    胡乱な考えに持っていかれそうになった思考を呼び戻したのは、鯉登さんのその声だった。
    「ごめん…ごめ、なさいぃ…っ」
    喉をひくつかせ、しゃくりあげながらそう漏らした鯉登さんに、頭の片隅が冴えていく。
    「…何に謝っているんです?」
    鯉登さんからの答えは無い。
    「…じゃぁ、誰に、謝っているんです?」
    ふるふると、小さく首を横に振るのは何の否定なのか。
    「尾形にもそう言うんですか?宇佐美にも?」
    苛立ちも顕わにそう問いかけると、其れには直ぐに返事が返ってきた。
    「っ言わな、い…っ」
    「…へぇ」
    「っこんな、こと、言わないぃ…っ」
    震えながらそう言う鯉登さんの顔が見えないのは幸いだったろうか。
    「じゃあどんな風に誘ってるんです?」
    底意地の悪い、半笑いで問いかけると、鯉登さんは一瞬息を呑んだ。
    あぁ、やっぱり…。そう思い掛けた矢先に聞こえた言葉に、俺は耳を疑った。
    「…………ない…」
    「?…え?」
    「っ誘っ、た、こと、なんて、ない…っ」
    壁についた手を、白くなるほどぎゅう、と握って、鯉登さんはそう言った。
    「………は?」
    「…した、こと、…っない、…っ」
    涙声で、鯉登さんは恐ろしいことを口にした。
    「こんな、こと、誰とも、したこと…ない…っ」
    「…嘘でしょう…?」
    呆然と呟いた言葉に、鯉登さんは強く首を横に振って肩を震わせて顔を伏せた。
    「嘘、なんか、じゃ、ない…」
    小さく聞こえたその声を、いっそ聞かずに居たかった。そんなの、今更だ。いや、若しや、と、思わなかったか?その可能性を示す仕草は、言葉は、幾つも無かったか?それを気付かないふりをしたのは、何故だ?答えは解り切っている。解り切っているから眩暈を起こしそうになる。そんな場合でも、それが許される状況でもないが。
    片腕を伸ばして後ろから鯉登さんの顎先を捉えると、俯いていた顔を無理やり上げて此方を向かせる。身を屈めて、顔を覗き込むようにすれば、どうにかその唇に触れることが出来た。触れる、だけ、だったが。唐突な口付けを鯉登さんはどう思ったか。呆然と見開かれた瞳からぼろりと涙が零れるのを見なかったふりをして、思い出したように強く腰を打ち付けると、鯉登さんは喉を反らせて身を震わせた。
    「っひ!っあ!…あ、っぐ…っぅ…っあ!あ!…っぁあ!」
    漏れる嬌声を聞きながら、熱を、欲を追う事だけに集中して何度も、何度も、鯉登さんの奥を突き上げる。
    「っや、あ、…っあ、も…っ…もぉ、…無理…無理、だか、らぁ…っあ!あぁっん、…っん、ふ、…っぐ、ぅ、ぁ…っ」
    今にもくずおれそうな身体を掻き抱いて、一番深いところに欲を放つと、同時に鯉登さんも精を吐き出して足元を濡らした。
    「っひ、っあ!っあぁ…っぃ…っあーーーーーーーーーっっ」
    最奥からずるりと竿を引き抜けば、途端に抱きかかえた身体が膝から崩れ落ちそうになる。それをどうにか支えて便座に座らせると、鯉登さんは正気を失くしたような顔をして此方を見上げてきた。
    「…そんな顔をしないで下さい…」
    そう、言いはしたが、そんな顔をさせてもしようの無い事をしたのは俺自身だ。俯く鯉登さんの髪をそっと撫でてやると、鯉登さんはそろりと顔を上げた。怯えのようなものが窺えるその顔に、苦笑するしかない。
    「…俺が怖くなりましたか?」
    卑怯な質問だ。けれども、鯉登さんはその問いにゆるく首を横に振ってみせた。
    「…嫌いになりましたか?」
    重ねた問いにも、同じように。ふるふると首を横に振ってみせる。
    「…どうして…?」
    初めてだったのに。こんなところで、こんな風に扱われて。それなのに。どうして…と、浮かんだ疑問を口にした。
    「…好き…だから…」
    聞こえた答えは、信じがたい言葉だった。
    「…月島さんが…好きだから…」
    何度も聞いたはずのその言葉を信じてもいいんだろうか。
    「…ずっと、好きだったから…玩具にされてもいいって…そう、思ってたから…だから…」
    汗と、涙と、涎でボロボロの顔をして、訥々と語る鯉登さんを、その刹那、綺麗だと思った。思ってしまった。
    『これ』は。『この美しい子供は俺のモノだ』と。
    そろ、と、鯉登さんの頬に触れ上向かせると、目を開いたまま、ゆっくりと口付けた。つい、さっきと同じように。驚き、呆然と見開かれた鯉登さんの瞳から、一筋だけ涙が零れるのが見えた。唇を離して、やんわりと鯉登さんの身体を抱き寄せると、座ったままの鯉登さんの頬が、胸のあたりに埋まるようになる。
    「…すいませんでした…」
     言葉は自然と口を突いた。
     「勝手に思い込んで、嫉妬して、暴走した。最初から解っていたら、こんな所で、こんな風にはしなかった…」
     そんな言い訳になんの意味があるものか。そうと解っていても、言わずにはいられずに漏れた言葉に、鯉登さんは腕の中で小さく首を横に振ると、おずおずと俺の背中に手を廻してきて「月島さん」と俺の名を呼んだ。
     「…好き…好きじゃ…わっぜ好いちょ…」
     「…こんな目に、あわされても?」
     「……好きじゃ…」
     聞こえた言葉が俄かには信じ難くて、そっと腕を解いて鯉登さんの顔を覗き込むと、鯉登さんは、出逢った頃から何ひとつ変わらない、きらきらと輝く瞳で俺を真直ぐに見上げてきた。 あぁ、この瞳だ。
    この、きらきらとした真直ぐな瞳が、俺を狂わせた。
     「…だから、ずっと、オイを、月島さんの玩具にして…」
     淡く微笑む鯉登さんに眩暈を覚えながら、俺は縋るように鯉登さんを抱き寄せ口付けた。深く。深く。溺れて、息も出来なくなるくらいに。深く。
     いっそこのまま、二人、溺れて死んでしまえたら。そんな風に、思えるほどに。





    =======================================





     月島さんに、避けられている。気がする。
    気の所為かもしれない。気にし過ぎなのかもしれない。
    けれども、やっぱり、気の所為なんかじゃない。
    月島さんは、私を避けている。

    『あの日』月島さんは私を自分の家に連れて帰った。
    初めて月島さんの家にあげてもらったのに、それを愉しむ事なんて少しも出来なかった。
    身体は酷く怠くて、頭は全然働かなくて、嬉しいのと、哀しいのとが綯交ぜになって、訳の分からないまま風呂に放り込まれて、今度は何をされるんだろう…とぼんやり考えていたのに、月島さんは、何もしなかった。
    風呂場でぼんやり突っ立っているばかりの私を、キレイに洗ってくれただけだった。着替えも用意してくれて、ベッドをあけてくれた。
    「俺はソファで寝ますから。何かあったら呼んで下さい。」
    月島さんはそう言って、ベッドルームを出て行った。
    向けられた背中を、呼び止めることは出来なかった。
    どうして?と、聞こうとして、それを聞いてはいけない気がして。
    せめて一緒に眠りたかったけれど、其れすら口に出来ず、閉じられたドアに向かって「おやすみなさい」と間抜けな声を漏らした。
    ベッドは、当たり前だけど、月島さんの匂いがして、嫌でもさっきまでの事を思い出させた。
    嬉しくて、哀しくて、気持ちよくて、苦しくて、もっと知りたくて、でも怖くて、どうして、こんなにあちこち痛むのだろう。
    月島さんの匂いに包まれて、何故だか勝手に涙が溢れて、身体だか心だか、何処が痛むのか全然解らなくなった。
    「…月島さん…」
    枕を抱えて蹲って、名前を呼んでも、その晩、ベッドルームのドアが開くことは一度も無かった。

    明け方に、夢を見た。
    月島さんと初めて会った日の夢だった。未だ実家に居た頃の事だ。
    取引先の担当者が訪ねて来るとは聞いていた。その事に然程興味など無かった。今夜は知らない誰かが食卓に交じったりするのだろう。兄さぁも来るだろうか。そんなことをぼんやりと考えていた。
    『月島と申します。よろしくお願いします。』
    薄く笑みをして、低くよく通る声でそう挨拶をした月島さんはスーツ姿でも確りとした体躯の解る人だった。
    何故だか知らない。けれども、一目見て『この人だ』と思った。『この人に違いない』と。
    何が『この人』なのかも解りはしない。けれども、瞬間的にそう思った。自分は、この人に逢う運命だった。と。そうに違いない。と、思ってしまった。
    私は、あの日から、ずっと―

    「丈が合えばいいんですが…」
    翌朝、着替えだと用意してもらった月島さんの服をまじまじと見ていると、聞こえてきたのはそんな言葉だった。
    「…大丈夫だと思います。」
    「帰ったら、捨てて下さい…」
    「そんなことせん!」
    「じゃぁ、適当に。鯉登さんの服は、洗って返しますから。」
    「…っ…でも」
    「クリーニングに出しておきましょうか?」
    「そんなのする必要ないっ」
    「洗剤にこだわりでもあるとか?」
    「…ない…」
    「じゃあ、それでいいですね?」
    「…よか。…あいがと…」
    そんな、当たり障りのない会話をして、其の日は、月島さんの車でマンションまで送ってもらった。…そこまでは、普通だった。多分。
    車を降りるときに、キス位してくれるだろうか…と、ほんの少し期待していたのがいけなかっただろうか。一度抱かれたからといって、調子に乗るなと呆れられただろうか。
    それ以来、月島さんに、避けられている。気がする。
    返すと言われた服も結局そのままだ。
    別に、安物だし、返してもらわなくても全然構わないのだけれども、それよりなにより避けられていることが気になって仕方ない。
     尾形や、宇佐美、谷垣。誰かがいると普通だけれど、二人きりになるのを避けられている。気の所為なんかじゃない。
     どうして?なんて、聞いてはいけないのかも知れない。
     聞いたら、戻れなくなるのかも知れない。
     
     戻るって、一体、何処へ?

    *****

     「月島、さん…っ」
     打ち合わせが終わると足早に会議室を出た月島さんを追って廊下に飛び出すと、直ぐにその背中に呼び掛けた。
     必死過ぎて叫ぶようになってしまったからだろうか、幸いにも月島さんは足を止めて振り返ってくれはしたが、その表情は怪訝なモノだった。幽かに眉根を寄せた、不機嫌そうな。あまり見たことの無いその表情に怯まなかったと言ったら嘘になる。
     「っ…あの、……っ」
     呼び止めた癖に、何をどう言っていいのか解らない。

     どうして…?
     どうして、私を避けるんですか?
     私の何が気に障りましたか?
     どうしたら、前みたいに、話しかけてくれますか?
     どうしたら、前みたいに、笑いかけてくれますか?
     どうしたら…
     どうしたら…私を、抱いてくれますか?
     どうして…私を、抱いてくれたんですか?
     それなのに、どうして…?

     聞きたいことは山程あるのに、喉元に閊えて少しも言葉が出てこない。何度も口を開き掛けては閉じる。それを繰り返す私に、月島さんはゆっくり瞬きをすると「服、返してなかったですね。」とため息交じりにそう呟いた。
     「今度、持ってきます…」
     「っ違うっその…」
     「…違う?」
     「いや、その、服は、どうでもよくて…っ…っ」
     折角月島さんが声を掛けてくれたのに、何もちゃんと言えなくて、自分でもどうしたらいいのか解らなくなって、結局、俯いて意味も無く足元ばかりを見る破目になった。なんでこんなことになっているのか、自分が情けない。顔を上げるタイミングさえ失くしていると、やがて視界に月島さんの靴先が映った。
     零された溜息に顔を上げると、目の前に立つ月島さんと眼が合った。
     いつもと違う、静かな、冴えた瞳が『あの日』の月島さんを思い出させて、瞬間的に背筋が強張った。
    強張って、しまった。
    月島さんはそれに気付いたろうか。
     「…何をされたか、解っていますか?」
     聞こえてきたその声は、普段のそれより一段低い。
     「まさか、忘れたわけじゃないですよね?」
     戸惑う私に重ねて問われたその言葉で『あの日』が鮮明に蘇える。
    肌が泡立って、きっと今鏡を見たら自分の顔は耳どころか首まで赤くなっているだろうと解る。解るから、そんな反応をする自分を見られたくなくて、月島さんから目を逸らして俯いた。
     「…覚えては、いるんですね…」
    「っ…忘れるわけ…」
    静かに呟いた月島さんの声に、漸く答えると、次いで「なんで」と聞こえてきた。
    「…だったら、なんで…」
    「…え?」
    私が聞きたかった筈の問いが月島さんから聞こえてきて、思わず顔を上げると、苦し気な表情をしている月島さんが其処に居た。
    どうして、月島さんがそんな顔をしているのか、少しも解らなくて困惑していると、月島さんは静かに問いを重ねてきた。
     「…怖く、ないんですか?」
     「…怖い?」
     「俺が怖くは無いんですか?」
     「…月島さん、が…?」
    「…怖いと、思わないんですか?」
     「っ…怖いなんて…っ」
     聞こえてきた意外な言葉に、ふるふると首を横に振ってそう答えると、月島さんは難しい顔をしてみせた。
    『あの日』聞かれたのと同じ問いに、同じように答えた筈なのに、私の答えを少しも信じていなさそうな月島さんのその顔に哀しくなる。だから…
     「…私の、気持ちは、変わらない…」
     信じて貰えるかわからないけれど、それが本心だからと口を開くと、月島さんは眉根を寄せて眉間の皺を深くしてしまった。
     「…私は、月島さんになら、なんだって…」
     それでも。と、言葉を重ねると、月島さんはふ、と、息を吐いた。
     「…本気で言っているんですか?」
     ほんの少し、ほんの少しだけ和らいだ表情でそう聞いてきた月島さんにこくりと頷くと、如何してだか、月島さんはまた難しい顔をして一度強く目を瞑ると、ゆっくりと瞼を開いて俺を見た。
     「…少し、まとまった休みは取れますか?」
    「休み?」
     「えぇ。三日か、四日…」
    「っ有給は残っているし、急ぐ案件も無いから土日と繋げれば…」
     「…そうですか…」
     何かの誘いを期待して、必死に答えたら、月島さんは考え込むような顔をして俯いてしまった。
     「…あの…」
     「携帯、番号変わってないですよね?」
     こくりと頷くと、月島さんは私の顔をじっと見据えてそれからフッと息を吐いた。
     「…後で連絡します。」
     言い切ると、くるりと背を向けて廊下を進み始めた月島さんを、引留めることは出来なかった。
    待つしかないんだ、と、そう思った。

    *****

     鯉登さんが、恐ろしくなった。
     何を馬鹿なと思うだろうが、それが本心だ。
     
     『あの日』鯉登さんをそのままの姿で家に帰すことなんて出来る筈が無かった。まともに歩くのも覚束なかった鯉登さんを何も考えずに自宅に連れ帰ったが、それが正解だったのかは解らない。
     或はあの晩、そのまま抱き潰してしまえば良かったろうか。欲望のままに。俺のモノにしてしまえば。
    そうすれば、こんな風に悩むことも無かったろうか。
    鯉登さんは俺を怖がって、近付いてこなくなっただろう。その筈だ。尾形か、宇佐美か、或は谷垣を盾にして、俺と二人になることを避けようとするに違いない。きっとそうなった筈だ。そうでなければおかしい。俺がしたのは、それくらいの事だ。
     『あの日』後処理をしたのは罪悪感からだ。易い償いは、自分の保身でしかない。鯉登さんを想ってのことなんかじゃなかった。その筈だ。
     そんな俺を、好きだなんて。
     何をされたか理解していれば、そんな馬鹿げたこと、二度とは思う筈がない。好きだと思っていたのは只の思い違いで、見ていたのは幻だった。悪い夢を見て、酷い目にあわされた。
     そう思って当然だ。
     訴えられたら、俺の負けは確定だ。警察沙汰になったって仕方ないことをしたのだとは解っている。
     御実家に知れたら、俺は即刻首だ。それだけで済むような話では当然無い。会社にも迷惑をかけるだろう。
     けれども、もし、本当に、そうなっていたら。
    俺は、今以上に悔いたろうか。
    何を?何に?一体どこから?

     少しも、怯えも、怖がりもせず、変わらずどころか前以上に懐いてくる鯉登さんが、理解できない。
     全然。全く。少しも理解できない。
     無防備にじゃれついてくる鯉登さんに、不意打ちに指先が触れる度『あの日』の熱を思い出して気が狂いそうになる。
    いっそ誰かの居る前で襲ってやろうかとさえ思う程に。
     玩具にしていいというなら、これは俺のだと見せつけるように。尾形の、宇佐美の、谷垣の目の前で。鯉登さんを押さえ付けて、全部を暴いて、欲に乱れる鯉登さんの姿を曝して、俺のモノだと言ってしまえたら。
    そんなことは、出来ないが。
    そんなバカげた妄想さえ、頭を過ってしまう。
    俺は狂ってしまったのかも知れない。『あの日』から。
     いいや、本当は、もっと以前から?

     怖がってくれれば。恐れてくれれば。
    アレは過ちだったと認めて後悔と一緒に、何もかもに蓋をすることも出来るのに。

    「月島さん…っ」
     打ち合わせが終わって足早に会議室を出た俺を追ってきたのは鯉登さんだった。
     必死に叫ぶその声を無視出来ず、思わず足を止めて振り返ったが、俺はさぞ怪訝な顔をしていただろう。振り返った俺の顔をみて、鯉登さんはほんの少し怯えた様な顔をした。
     「っ…あの、……っ」
     呼び止めはしたが、その先はどうやら考えていなかったらしい。
     いくら待ってもそこから先の言葉は聞こえて来ず、何度も繰り返し、口を開き掛けては閉じる鯉登さんに、痺れを切らした俺はゆっくりと瞬きをして「服、返してなかったですね。」と声をかけた。
     「今度、持ってきます…」
     「っ違うっその…」
     「…違う?」
     「いや、その、服は、どうでもよくて…っ…っ」
     そんなことは、言われなくたって解っている。
    鯉登さんが、本当は何を聞きたくて、何を言いたいのか。解っている。そのつもりだが、俺が其れを口にしては意味がない。
    俯いて足元ばかりを見ている鯉登さんとの距離を詰め、目の前に立って、溜息を一つ。
     すると、顔を上げた鯉登さんと眼が合った。
     いつもと違う、怯えと、期待に満ちた瞳が『あの日』の鯉登さんを思い出させて寒気が走る。
    今すぐ鯉登さんの腕を取って、何処かに引きずり込んでしまいたい。力づくで抑え込んで、ねじ伏せて、声も枯れる程に泣かしてしまいたい。
    『あの日』のように。いや、もっと…。
    その衝動を懸命に抑えて俺は静かに問い掛けた。
     「…何をされたか、解っていますか?」
     漏れた声は、思っていた以上に低いものになった。
     「まさか忘れたわけじゃないですよね?」
     問いを重ねた刹那、鯉登さんの顔にさっと朱が走り、忽ち首まで赤く染まった。そんな解りやすい反応をしておいて、今更恥じらう様に目を逸らして俯いたって滑稽だ。
     「…覚えては、いるんですね…」
    「っ…忘れるわけ…」
    俯いたまま零された答えに、知らず「なんで」と問うていた。
    「…だったら、なんで…」
    「…え?」
    思わず、といった様子で顔を上げた鯉登さんは、困惑の表情を浮かべていた。如何してそう問われたか、少しも解ってはいないんだろう。
     「…怖く、ないんですか?」
     「…怖い?」
     「俺が怖くは無いんですか?」
     「…月島さん、が…?」
    「…怖いと、思わないんですか?」
     「っ…怖いなんて…っ」
     答えながら、ふるふると首を横に振る鯉登さんが、益々理解出来ない。『あの日』と同じだ。どうしてあなたは…
     「…私の、気持ちは、変わらない…」
     聞こえてきた言葉に眩暈がして、眉間の皺を深くした。
     「…私は、月島さんになら、なんだって…」
     その先を聞きたくなくて、声を遮る様に息を吐いた。
     「…本気で言っているんですか?」
     最後通告のつもりで聞いた言葉に、鯉登さんは、なんの迷いも無くこくりと頷いた。眩暈が一層酷くなって、一度強く目を瞑りゆっくりと瞼を開くと、真直ぐに俺を見詰める鯉登さんと眼が合った。
     ただ、ただ、真直ぐ。
     『あの日』俺を好きだと言った、その眼が其処に在った。
     澄んだ瞳があまりに綺麗で、あまりに、恐ろしかった。
     「…少し、まとまった休みは取れますか?」
    「休み?」
     「えぇ。三日か、四日…」
    「っ有給は残っているし、急ぐ案件も無いから土日と繋げれば…」
     「…そうですか…」
     何を言い出したんだと、自分でも思う。無計画に口走っておきながら、その先をどうするか。それを本当に実行すべきか。
    もしや誰かに相談出来たなら、きっと誰もが俺を止めただろう。
     「…あの…」
     「携帯、番号変わってないですよね?」
     黙ったまま、こくりと頷いた鯉登さんに思わずため息が出た。
     「…後で連絡します。」
     そう言い置いて鯉登さんに背を向けた。引留める声は聞こえて来ない。きっと鯉登さんは、大人しく、何かに期待して、ほんの少し怖がりもして、俺からの連絡を待つだろう。
     何をされるか、解っているだろうに。
     解っていないとでも言うつもりだろうか。
     
     玩具にしろと言うのなら、望み通り玩具にしてやろう。
     これは、俺の望みなんかじゃない。
     鯉登さん、貴方の望みだ。
    その筈だ。
     無垢な子供の願いを、叶えて、壊してやろう。
     それが出来るのは、俺だけなのだから。
     そうするのが、きっと、貴方の為なのだから。
     そうするのが、きっと、俺の為でもあるのだから。

    *****

     着替えだけ用意しておけばいい。
    言われたその通りに、着替えだけ用意して待合せ場所で待っていると、月島さんは約束の時間より少し早く迎えに来てくれた。
    「待たせましたか?」
    「いや…待たせちゃ、いけないと思って…っ」
    「…そうですか。車、こっちです。ついてきて下さい。」
    言うなり、私の荷物を取り上げて歩き始めた月島さんを慌てて追いかける。
    「暫く留守にするって、御家族には伝えましたか?」
    「っ…あぁ。ちょっと、出掛けるから、って…」
    「電波の入りにくい所に行くから携帯は繋がらないと思っておいて下さい。連絡つきにくくなるって伝えておいた方がいいかもしれません…」
     「それは、大丈夫だ。」
     「大丈夫…って」
     「…電波の届かない所に行くかもしれないって、誰かに、邪魔されたくなかったから、だから、そう、言ってあるから、大丈夫だ。」
     呆れられるかと思ったけれど、気の所為じゃなければ、月島さんは少しだけ笑ってくれた。ように見えた。
     「…それならよかった…」
     ポツリと零して車のドアを開けた月島さんは、後部座席に荷物を置くと、私に助手席に座る様に指示して車に乗り込んだ。
     言われた通りに助手席のドアを開けて、ふと『あの日』乗せられたのは後部座席だったな。などと思う。
     『横になっていてください。』と、私を後部座席に寝かせた月島さんは、柔らかなブランケットを掛けてくれた。ちら、と、覗った後部座席に積まれたブランケットに記憶が蘇って、嫌な思い出ではない筈だのに、如何してだか、見ていると苦しくなるような気がして、月島さんに気付かれないようにそっと目を逸らした。

     車が走り出すと、車内はずっと静かなままだった。
     電波の届きにくいところだとは言っていたが、月島さんはそれ以上何も言わず、何処に行くとも、何をするとも教えてはくれない。…何をするかは、聞くまでも無いのかも知れないけれど。解らないふりをして、大人しく助手席に座ってぼんやり窓の外を眺めていると、 FMラジオから流れてくる天気予報は夜には雨だと告げていた。
     高速を走っていた車は、いつの間に一般道に降りて、其処からどんどん山奥へ進んでいった。何処を見ても緑に囲まれた見たことの無い景色ばかりで、自分が何処へ連れて来られたのか見当もつかない。携帯を確認してみると、さっきから圏外になっている。偶に電波をひろえても直ぐにまた圏外に戻ってしまう。窓の外には民家も疎らになってきて、今この場で車から放り出されたら、家に帰ることなんて簡単には出来そうも無い。
     頼りは、月島さんだけだ。
     そうして、漸く辿り着いたのは山奥にポツネンと現れた旅館だった。確りとした日本家屋はよく手入れもされており、山の緑に囲まれた中でそこだけが拓けているように見えた。館内は然程広くも無い様子だが、あまり人の気配は無い。しんと冷えた宿の空気は少しばかり怖くも感じられるくらいだ。どうしてこんなに人の気配がないのか…と考えるうちに訳は知れた。客室の大半が本館とは別建ての離れになっているらしい。受付を済ませ案内されたのは、宿の脇から続く細い道を下った先の本館から一番遠く離れた場所に或る離れ屋だった。
     一度車に戻って、離れ屋の近くに車を止め直す。
    中に入ると、平屋建ての一軒家のような作りで、普通の家と違う事と言えば、裏手に庭に面した露天風呂があることくらいだ。宿からは随分離れているから、ドアを閉めれば完全に二人きりになる。
     庭先から辺りを窺うと、少し離れたところに似た様な離れ屋があるのが見えたが、此方から声を張り上げても届きそうにはない距離だった。携帯は、当たり前のように圏外のままだ。部屋の中には古い映画やドラマでしか見たことの無い据え置きの電話(黒電話というものだろうか?)があるけれど、使い方は解らない。
     「しばらく、ここに籠ります。」
     「宿代は…」
     気楽に来られそうにない作りに思わずそう口走ったら、月島さんは小さく笑って「俺にもこの位の蓄えはあります」と言った。
     「でも…」
     「それより、他の事を心配した方がいいんじゃないですか?」
     笑ってそう言った月島さんが、何のことを言っているのか解らなかった。
     本当に、解らなかった。その時は。
     月島さんが、俺の肩を少し乱暴に掴んでも。それでも。
     何を心配する必要があるのだろう。
    そう、思っていた。

    *****
     
    ふと、壁際の時計に目を遣れば、いつの間に日付が変わろうとしていた。
     瞬きをして視線を落とせば、布団の上で横たわる鯉登さんの若い肢体が目に映る。
     シーツに手足を投げ出したまま、ぴくりとも動かずにいるその様を見ていると、生きているのかさえ疑いたくなるくらいだ。
    ふと不安になって顔を覗き込むと、浅く息を吐く呼吸音が聞こえて漸く安堵する。
     鯉登さんをそんな風にしたのは自分だというのに。随分な話だ。
     けれども、なにも、こんな風にしたかった訳じゃない。鯉登さんと、こんなことになりたかった訳じゃない。何を今更と思われようとそれが本心だ。

     本当は大事にしたい。丁寧に愛してやりたい。
     初めから、そうしたかった。
    その筈だった。
    その、筈だったんだ。本当は。
     その筈なのに、それが出来ない。
     何を、如何して、俺は、一体何処から間違ってしまったんだろう。
     いいや、これは間違いだろうか。
     間違わなければ、そもそも俺は鯉登さんに触れる事さえ出来なかったかもしれないじゃないか。
     ならば、これは正しいのだろうか。
     鯉登さんを、こんな様にしている、今の俺は。

     正しいのだろうか。
    *****


     あぁ、本当に、鯉登さんは何も解っていない。

     宿代より他の心配をした方が良いと忠告してみたところで、鯉登さんは何を察した様子も無く無垢な瞳でぼんやりと俺を見上げてきた。
     不思議そうに、何の疑いを持つこともなく真直ぐに見上げてくるその瞳にぎしりと胸が軋んだ気がしたが、きっと気のせいだ。
     突っ立ったままの鯉登さんの肩口を強く掴むと、背後の壁に押し付けるようにして逃げ道を塞いで口付けた。
     衝撃に驚いて薄く開いた鯉登さんの唇をべろりと舐めて、口を開くようにほだすと、鯉登さんは素直に口を開いて俺の舌を受け容れた。
     「っんぅ…っ…ん…っぅ」
     あまり経験が無いのか、舌を絡めてみたところで鯉登さんはされるままだ。唾液を擦り付けるようにして舌を捉え、吸い上げてみても怯えて震えるばかりで何を返してくることも無い。
     「っふ…ぅ……んんっ…っ…っ」
    呼吸も儘ならないのか、何度か角度を変えて鯉登さんの舌を貪るうちに、次第に苦し気に声を漏らし始めた鯉登さんは、震える手で俺のシャツを掴んだ。その手が、その震えが、先を求めるものか、制止を求めるものかなど解りはしない。
    「は…っぁ……ん、ん…っ…ぅ、ん…っ」
    肩を掴んでいた手で首元を撫でて、頬を捉え、空いている方の手で鯉登さんの腰をするりと撫ぜてやると、途端にがくりと膝が落ちた。咄嗟の事で、腰を支えてやるのも間に合わず、鯉登さんは柱に身を凭れさせるようにしてその場にズルズルとしゃがみ込んだ。
    「っはぁ…っ…は…ぁ…っ…っ」
    俯いたまま、肩で息をする鯉登さんを見下ろしながら、ひとつ息を吐いてから漏らした声は、思いのほか低いものになった。
    「此処には、誰も来ません。」
    俯いていた鯉登さんが、声に反応して幽かに髪を揺らした。
    「今日から三日。俺と、貴方の二人きりです。」
    ゆるゆると顔を上げた鯉登さんの口元は、零れた唾液で濡れている。
    「携帯の電波も届かない。叫んだ処で声が誰かに届くことは無い。」
    乱れた髪の隙間から、見上げてくる瞳は紅く縁取られていた。
     「…逃げ場はありません。」
     濡れた唇が固く結ばれ、上下した喉に唾を飲み込んだのが解る。
     「…怖くなりましたか?」
     憐れむように、蔑むように。そう、聞こえるように。
    掛けた言葉に、鯉登さんは緩く首を横に振ってみせた。
     「…今なら、まだ逃げられる…」
     それは最後の良心だったろうか。
    知らず口を突いて出た言葉に、鯉登さんは乱れた髪の隙間から、潤んだ瞳で真直ぐに俺を見上げてきた。
     「…逃げる、くらいなら、最初から、来ない…」
     震える声で、今にも泣き出しそうな顔をして。鯉登さんは、一体、何を思ってその言葉を口にしたのだろう。確かめる術などない。それを聞いたところで、明確な答えも返っては来ないだろう。解っているのは、もう後戻りは出来ないという、その事実。それだけだ。
     目線を合わせたまま、鯉登さんの目の前に膝をついて頬に手を伸ばすと、鯉登さんは瞬きをして視線を伏せた。
     瞼の下がるのを見計らって唇を重ねていく。啄ばむように、二度、三度と唇を食むうちに薄く開いた唇を舌先でなぞる。そうしながら、頬を捉えていない方の手で鯉登さんのパンツに手を掛け、前をくつろげると、下着の中に手をねじ込んで、直接、鯉登さん自身に触れた。
     瞬間、驚いたのだろう鯉登さんが反射的に腰を引いたが、構わずに触れたその手で鯉登さん自身を握りこんだ。
     「っい!?…っ…あ、ぁ、…っっ」
     鯉登さんの喉から漏れた悲鳴のような声を聞きながら、既に熱を持って緩く立ち上がりかけていたモノを乱暴なくらいに強く扱いてやると、鯉登さんは縋る様に俺の肩を掴んだ。つい今まで頬に触れていた手であやす様に背中を撫ぜてやりながら、一層強く下肢を刺激してやると、撫ぜる背中が戦慄くのが解る。
     「っや…ぁ、…っ…っあ、…っぅ」
     先端から零れた先走りが竿を掴む手を濡らして、扱く度にぐちぐちと厭らしい音を立てた。
     「ぁ、ぁ、…っふ、ぅ、…っん…っーーーー…っ」
     先刻から開いたままの口から一際切なく声を漏らしたかと思うと、鯉登さんは呆気なく俺の手の内に精を吐き出して身を震わせた。
     「はぁ…っ…ぁ、…ぁ…っ」
     息を荒くして、縋りついてくる鯉登さんをあやしてやりながら、鯉登さんの性で濡れた手をするりと後ろに回して指先で後孔をなぞると、肩口で鯉登さんが息を呑むのが解る。
     「っ待って…っ」
    未だ息も整わないというのに、だからこそだろうが、切羽詰まった様子でそう声を上げた鯉登さんの言葉を俺が大人しく聞くと思っているだろうか。そんなことがあるわけはないのだが、もしも望みを持っていたのだとしたら馬鹿げた話だ。
     当然、待つ事などせず濡れた指先で後孔の周囲をぐるりと撫ぜると、怯えて固くなっている中心にゆっくりと中指を沈めた。中へ入っていく指の形が解るように。ゆっくり、ゆっくり、内側をなぞるようにして根元まで指を飲み込ませ、同じ速度で引き抜いていく。
     「っぃ、ぁ…っ…ぅぅっ」
     異物の侵入に漏らされる声は苦し気だ。けれども何度か出し入れを繰り返す内、異物を押し返そうとしていた内壁は次第に馴染んで指に絡みつくようになる。その頃合いを見計らって抽出の速度を不規則にして内側で指を曲げて内壁を擦りあげれば、苦し気だった鯉登さんの声が、切なげなそれに変わっていった。
     「っんぅ…っん…っ…ふ、ぅ…っ」
    ぐるりと指を廻して慣らし、沈める指を二本、三本と増やしていくと、浅く息を吐いていた鯉登さんの口から漏れる声が次第に甘ったるい、粘度を持ったものに変わる。
     「はぁ…っ…ぁ、…っ…ぅ…っあ、ぁ、ん、…っんぅ…っ」
     俺の肩口に額を預けたまま、声を漏らし続けるその背中をあやしていた手をシャツの裾から滑り込ませて、シャツを捲りあげるようにして脇腹を撫ぜると、鯉登さんはびくりと肩を跳ねさせた。
     「…脱げますか?」
     耳元に唇を寄せて端的にそれだけを問うと、鯉登さんは肩口に預けていた額を外して、俯いたままこくりと頷いた。
     「…いい子だ」
     俯く鯉登さんの前髪を梳いて額に口付け、後ろに沈めたままだった指をずるりと引き抜くと、鯉登さんは「ん」と、小さく声を漏らして身を震わせた。震えは目にも明らかで、中途半端に捲れたシャツを脱ぐのが精一杯といったところだ。顕わになった上半身は、薄らと汗ばんで色付いている。つい先日、自宅に連れ帰った時にもその身体を見て、触れた筈だのに、初めて見るような気さえするその肢体に、思わずごくりと喉を鳴らしたのを鯉登さんが気付いた様子は無かった。細身のパンツは震える手では上手く脱げないのか、もたついた様子に苛立ってしまい、鯉登さんの手を止めるとそのまま押し倒して強引に脱がした。
     「ぁ…っ」
     全裸で転がされる形になって、途端に恥ずかしくなったのか、顔を隠すように両の腕を眼前で交差させたその手首を取って腕を開かせると、羞恥と不安の綯交ぜになった鯉登さんの顔が見えた。
     与えられる刺激と、襲ってくる欲と、未知への期待と、恐怖に満ち満ちた瞳に吸い寄せられるように目を開いたまま口付けると、鯉登さんは唇の触れた刹那、ぎゅ、と固く目を閉じた。
     浅く、深く、キスを繰り返して、唇を顎先から、首筋、鎖骨を辿って胸元へと滑らせていく。
     薄らと筋肉の乗った胸の淡く色付いた飾りを唇で食むと、与えられたことの無い刺激に未だ若く少年の名残さえ残る身体がびくびくと震える。
     「っふ、ぁ…っぁ…っ、ぅ…っんん」
     舌先で押し潰すようにして突起を舐めると、鯉登さんが声を漏らした。聞こえた声を不自然に感じて上目に見遣ると、鯉登さんが今ほどまで顔を覆っていた手を口元に当てて声を堪えているのが見えた。
    「声を抑えるな。」
    鯉登さんの胸元から顔を上げ、そう告げると鯉登さんが頬の朱色を濃くして信じられないものを見るような目で俺を見た。
     「…っ」
     「さっき言ったでしょう。貴方がどれだけ叫んだ所で、此処には当分誰も来ないし、誰にも聞かれやしない…」
     諭すように、釘を刺すように。
    そう告げて、口許に当てていた手を俺の首へと回すように促すと、鯉登さんは納得したのか、諦めたのか、おずおずと俺の方へ腕を伸ばしてきた。
     素直なのか。愚かなのか。
     言われるまま、されるままの鯉登さんに思わず苦笑が漏れた。
     こんな好き勝手をされているというのに、それでも何の疑問も持たず(或は、持っているのかも知れないが)俺に縋る鯉登さんがあまりに愚かしくて、あまりに、愛おしくて。
    不意に湧き上がった情を打ち消すように鯉登さんの首筋に顔を埋めて、再び下肢に手を伸ばした。
     太ももから臀部を撫ぜて後孔に指を這わせると、一度解したそこはすんなりと指を受け容れて、ぐちゅりと厭らしい水音を立てた。
     「んぅっ!…っぅ、あ…っあ、ぅ…っぐ、ぅ…っあ」
     汗の滲む首筋に舌を這わせながら、ぐちゅぐちゅと音をさせて後孔をかき混ぜると、抑えきれなくなったのか、俺の指示に従ったものか、鯉登さんの口から耳馴染の無い高い声が漏れ始める。
     後孔が三本の指を楽に飲み込むようになった頃には、直接になんの刺激を与えたわけでも無いのに鯉登さん自身が緩く立ち上がっていた。
     「っは、ぁ、…ぁ、っつき、し、まさ、…っぁ…月島、さん…っ」
    「『さん』いらないから」
    「ぇ?…ぁ…っ」
    焦点のあっていないような目で、熱に浮かされたように繰り返し俺を呼ぶ鯉登さんに告げてやった言葉がどれ程通じたものかは知れないが「名前、そのままでいいです」と、重ねて告げてやると、鯉登さんはほんの僅か嬉しそうに笑った。ように、見えた。
    その刹那、身の内に沸き起こった感情を、どう表現したらいいか、自分でも解らない。
    目の前に居る鯉登さんが、自身の腕の中に居る鯉登さんが、恐ろしくて、愛おしくて、鯉登さんから逃れたくて、鯉登さんを離したくなくて、いっそ、この手で、全部を奪ってしまえたら…。
    得体のしれないその衝動に押されるように、鯉登さんの後孔に埋めていた指を引き抜き、代わりに俺自身を一息に突き立てた。
    「!?っひ!…あっ!?…っーーーーーーっっっ」
    充分に解したつもりが、質量の違うものはやはり飲み込みきれるものではなかったか、それでも半分ほどを飲み込んだ鯉登さんは、衝撃に背を反らせて、そのままびくびくと身を震わせると欲を吐き出して自身の腹を白く汚した。
    「っぁ…っ…ぁ…っは、ぁ……っ」
    見開いた眼から雫を零しながら、鯉登さんは自身の身に何が起こったのか少しも解っていないのだろう。
    「…ぇ?…ぁ、…っなん、で??」
    困惑したまま、鯉登さんは震えて俺にしがみついてきた。
    「何?…ぇ?…なん、でぇ?」
    瞬きの度、零れ落ちていく雫が頬を濡らす。
    「っつき、し…っ…何?…ぇ?」
    がたがたと震える鯉登さんの焦点は定まっていない。
     「っ…怖、い…」
     耳元に聞こえてきたのは、弱々しいそんな言葉だった。
     「…何が怖いんです?」
     「わか、…ない…っ」
     「?解らないって…」
     「っ知ら、な…っこんな、の、知ら、な、…っ」
     ぎゅう、と、縋る手に力を込めて鯉登さんが震えて声を漏らす。
    「解…っない…っ怖、い…怖いぃ…」
    泣くように、そう訴える鯉登さんの声を聞きながら、憐れむでもなく、慈しむでもなく、俺は、唯々、鯉登さんが恐ろしかった。
    解らない。も、知らない。も、如何して鯉登さんが口にするのか。
     「っ…助け、て…っ」
     そう言いたいのは、俺の方だ。
     「っい…っ!?…っあ…っ…あぁあっっ」
     縋ってくる鯉登さんの腰を掴んで強く引き寄せ、飲み込み切れていなかった竿を根元までねじ込み、ぐずりと突き上げると、鯉登さんは悲鳴のような声を上げて喉を反らせた。
     声を途切れさせた口は、酸素を求めてはくはくと開くが、上手く息を吸えてはいなさそうだ。
     「…解らないから怖いんですね?」
     問いかけても、返答は無い。
     「…だったら、教えてさしあげます…」
     「っぁ……ぇ?」
     声にならない声を漏らして、目を瞬かせて漸く此方を見た鯉登さんの眼を覗き込むと、潤んだ瞳が不安に揺れるのが解る。
     「全部。…全部、俺が教えます。」
     浅く息を吐く鯉登さんの唇を、震える背中をゆっくりと撫ぜて、言い聞かせるように。
    「…だから、俺以外、誰も見るな…」
    告げて、最奥を抉るように腰をスライドさせると、鯉登さんは再び声を上げて俺の背に爪を立てた。
    「っぐ、ぅ…っぅあっ!…あ、あ、っ…や、あ、…っあぁっ」
    突き上げる度に声を上擦らせる鯉登さんは、嬌声を漏らしながら、それでもなお「怖い」と口にした。
    「ゃあっ…っい…っぅ…ぁ、ぁ、や…っや、ぁ、…や、だぁ…」
    ぐずぐずと、まるで幼子が泣くように。
    「怖、い…っぃ、ぁ…っや、ぁ…っあぁ…っぅ、んん…っ」
    ずぶずぶと俺を飲み込みながら、それでも鯉登さんは繰り返す。
     「…俺が、怖いですか?」
     鯉登さんを揺さぶりながら、耳元に唇を寄せてそう問えば、鯉登さんは激しく首を横に振って「違う」と、はっきりそう言った。
    「…つき、しま、さ、…っが、怖いんじゃ、な…い」
    上がった息もそのままに、切れ切れに訴える鯉登さんの声に嘘は無い。
    「ホント、に、解…ない、解、ない、ぃ、…っ」
    「『さん』はいらないと言ったでしょう?」
    幼子が嫌々をするように、力なく首を振る鯉登さんに冷えた言葉を投げて先端を最奥にぐりぐりと擦りつけてやると、鯉登さんは縋る腕に力を込めた。
    「っぐ…ぅ、んん…っぁ、も、っもぉっ…ぃや、…っぁ、…や、だぁ…っ…もぉ、やだ、ぁ…っ」
     ボロボロと涙を零しながら訴える鯉登さんの声に、湧き上がるのは哀れみでは無く、欲ばかりだ。
     「奥がいいんですか?」
     「っわか、っ、ない…っぅぅ…っ」
     解らないと繰り返す鯉登さんを、優しく抱いてやれたらどんなにかよかったろうに。
     「いいんでしょう?」
     ぼそりと耳元に囁いて、強く奥を突き上げると、鯉登さんは眼前に火花を飛ばして唇を戦慄かせた。
     「!?っい…っひ…っあ、ぁ、う…っぐ…っ」
     「いいって言ってみろ」
     「ぇ?…ぁ…」
     「…言え」
     僅かだけ身体を離して、真上から鯉登さんを見下ろした俺の眼は、どれほど冷えていただろうか。
     「っ…い、い…っ」
     怯えも明らかな震えた声に思わず笑みが零れたが、鯉登さんの眼に映ったその笑みはさぞ歪なモノだったろう。
     「ほら、ここだろ?」
     突き上げる度、声が上擦るところを狙って抉ってやると、鯉登さんの顔から怯えが消えて、再び欲が滲み始める。
     「っ!?っあ、あ、い、…っ」
     確りと腰を捉えて、繰り返し鯉登さんのイイところを攻め立てると、無自覚だろうが、鯉登さんは切なく腰を揺らし始めた。
     「っい、い、…っ気持ち、い…っん」
     たどたどしく、それでも、必死に欲を追うように。
     「はぁ…っ…ぁ、ぅ…っん…っい、ぃ……気持ちい、…っぁ」
    身を擦りつけてくる鯉登さんを深く、浅く、突いてやると、その度に鯉登さんは声を漏らした。
     「ぅあっ…ぁ、ぁ、…っぃ、…っいい…っ…ぁ、ぁ」
     ぐちゅぐちゅと派手な水音をさせて俺を飲み込む鯉登さんは、次第に息を浅くして、眉根を寄せて再び制止を求める声を上げ始める。
     「つき、し、…っ月島、っ待っ、て…っ」
     俺の首元に回していた腕もそのままに、殆ど叫ぶように鯉登さんは訴えた。
    「っねぇ、…っ待っ、て、…っ待っ…っお願、…っぁ」
    それは、懇願に等しい声だ。
    「っおかし、く、なる…っ…おかしく、なる、から…っぁ」
    「どうして?」
    「わか、なぃ…気持ちい…から…っぁ…ぁ、も…っダメ、ぇ」
    「何が駄目なんです?いいんでしょう?」
    「んぅっ…っぃ、…いぃ、から…ぁ、ぁ、」
    縋りついてくる手をあしらいながら、弱いところをぐりぐりと責めたてると、鯉登さんはボロボロと涙を零しながら悲鳴を上げた。
    「っぁあ!っあ、あ、い…っゃ、あ、ぁ、いや…や、だぁ…っ」
    「いや、じゃ、ないでしょう?」
    「ぅぅ…っん、ぅ…ゃ、やだ、や、だぁ…も、変、に、なる…ぅ」
    ぐずぐずと泣きながら、子供のように駄々を捏ねる鯉登さんに笑いが込み上げてくる。
    変になるというのなら、おかしくなるというのなら、いっそ、そうなってしまえばいい。綺麗に壊れてしまえばいい。
    そうなれば、貴方を俺のモノにしてしまえるじゃないか。
    「…なら、壊れてみせろ…」
    思わず漏れた声は、鯉登さんの耳に届いたろうか。
    「ぇ?ぁ?…っあ!っぅあ!あ、あ、…っや、あ、ぁあーーーーっ」
    無意識の怯えで逃げそうになる腰を捉えて引寄せ、一番奥に欲を吐き出すと、それに応えるように鯉登さんも自身の欲を吐き出した。
     俺の下でびくびくと身を震わせて、肩で息をする鯉登さんを見るうち、不意に、鯉登さんを抱き締めてやりたい衝動に駆られた。そしてその衝動の儘、震える鯉登さんを抱き締め、慰めのようなキスをした。
    してしまった。そんなことをするつもりでは無かったのに。
     唇を離せば、間近に見た鯉登さんは驚いた顔をして、それからうっとりと笑ってみせた。
     鯉登さんは、俺を好きなのだと。
    否が応でも解らざるを得ない、そんな笑みだった。
     「…つき、しま、…」
     甘く、名を呼ばれて、一瞬、ぐらつきそうになる。
     いっそ、受け容れてしまえばいいのではないか。鯉登さんから向けられている好意をそのままに受け容れて、当たり前の恋人のように。そうして、何もかも、俺の好みに作り上げてしまえば…。
     「っん…っ…っ」
     愚かしい考えを振り切るように頭を振って、ずるりと鯉登さんから自身を引き抜くと、鯉登さんは小さく声を漏らして眉根を寄せた。
     肩に乗せられたままの腕を払うと、鯉登さんは途端に心細そうな顔をする。所在無げな、迷子のようなその顔に、また胸の何処かが痛んだ気がしたが、それもきっと気のせいだ。
     「…月島…」
     さっきとは打って変わって、俺を呼ぶ声は不安げな声音だ。優しい男なら、その声に甘く答えてやるのだろう。けれどもそうは出来ない俺は、応える代わりに鯉登さんの肩に手を掛けると、そのまま鯉登さんをぐるりとひっくり返して俯けにさせた。
     「!?え?…ぁ」
     鯉登さんの口から漏れた戸惑いにも構うことなく、高く腰を上げさせて四つん這いにさせる。
    此方に差し出す形になった鯉登さんの臀部を左手で撫でながら、今ほど抜いたばかりの自身を雑に扱いて屹たせ、未だ濡れたままの後孔にひたりとそれを押し当てると、眼前の背中がびくりと跳ねた。
     「ぇ?…ゃ、…やだ…ぃゃ…っ」
     途端に怯えたような声を漏らし始めた鯉登さんをみれば、小刻みにその背中が震えている。それでも、逃げようとはしない(出来ないのかもしれないが)背中に後ろからじわりと伸し掛かって、わざとゆっくりと中に押し入っていくと、鯉登さんはすすり泣きのような声を漏らしてがくがくと震え始めた。
     「ひぁっ!…ぁ、ぁ、ぅ、…っぅぁ、あっ…っぁっ…っ」
     ぐちりと音をさせて根元まで飲み込ませると、鯉登さんはそれだけで膝を震わせて今にもくずおれそうになった。今の今まで甘ったるい声を上げていた癖に、何を今更と少し乱暴に奥を突いてやると、漏れる声に涙が滲んでいく。
     「っい!…っあ、あぁっ…っあ…っぅ…っっ」
     がくがくと、目に見える程に身を震わせる鯉登さんの反応は、つい今までとはまるで違うものだった。
     「や、…っいや、ぁ…や、だ、っ…いや、ぁ…っあ、ぅ…っ」
     「…おい」
     突き上げる度に弱々しく拒否の声を漏らす鯉登さんに声を掛けても、返答らしい返答は無い。
     「や、…ぁ、っい…嫌…っ…ぃ、ゃ…ぁ…ぁ…っこわ、ぃ…怖い、ぃ…っやだ、…っやだぁ、ぁ…っ」
     揺さぶる度に口から漏れるのは、すすり泣きと、拒む声ばかりだ。鯉登さんのイイところを突いてやっても、ひくりと肩を跳ねさせるだけで漏れる声に変わりはない。
     嫌だ。怖い。と繰り返す、湿っぽいその声が鬱陶しくて知らず舌打ちが漏れた。それが聞こえたものか、繋がった先から怯えが伝わってくるようで、いい加減うんざりして四つん這いにさせていた鯉登さんの脚を取ると体制を変えさせ、横抱きにしてその顔を窺った。みれば上気していた頬は色を失って、涙に濡れている。
     「っぅ…んっ…っふ、ぅ…っ」
     「…どうしたんです?急に…」
     「っ…こわ、かっ、た、…っから…っ」
     「…どうして?」
     「…顔、が…」
     「…顔?」
     「つきしま、さん、の、顔、が、見え、なかった、から…」
     顔を覗き込んで問う俺に、震える声で答えた鯉登さんは、はぁ、と、息を吐いて、恐る恐る手を伸ばしてきた。
     ひた、と、頬に触れてきた手から震えが伝わってくる。
     その手の震えを抑えるように手を重ねてやると、鯉登さんはホッとしたように薄く笑ってみせた。
     「顔が見えないと、怖いですか?」
    「…っ」
    「貴方を抱いているのは、誰です…」
     「…月島さん…」
     「『さん』はいらないと言ったでしょう」
     「っ…ごめ、なさ…っ…っ」
     「俺が、怖いですか?」
     重ねた問いに、鯉登さんは緩く首を横に振ってみせた。
     嘘だ。
     嘘に決まっている。そうでなければ、この手の震えはなんだ。
    顔が見えないのが怖いというのは、この前の、貴方を犯したあの日の事が、少なからずトラウマになっているからではないのか?それなのに何故貴方はそんな嘘を吐く?
     「…それなら、大丈夫な筈ですよね?」
     吐き出したその声に低さに鯉登さんは怯えた顔を見せたが、構わず俺の頬に触れていた手を引き剥すと、再び鯉登さんの頭を押さえつけて腰を高く上げさせた。
     「っい!?…っあ!…あ、っぐ、ぅ…っ」
     俺の顔など、少しも見えないようにして、繋がった下肢と、触れている手が、誰のものか解らないように。
     「嫌っ…っあ、あ、い…っ…っひ、ぃ…っぁ」
     あの日を思い出すように。
     「あぅっ…っう、ぅ…っぁ、あ、嫌…嫌、ぁ、あぁ…っ…ぃ」
     玩具を扱うような雑さで、己の欲望だけを追って鯉登さんの身体を使う内、苦痛に満ちた悲鳴のようだった鯉登さんの漏らす声に再び色が戻り始めた。
     「っはぁ…っ…あ、あ、…っん、…ぅ、…っふ…っぅうっ」
     欲に忠実なのは若さだろうか。何も知らなかった身体を、無理に暴いた反動だろうか。凡そ大事になど扱っていやしないのに。それだのに、熱に押し流されて欲に飲み込まれてしまう鯉登さんを、その背中を、何処か冷めた目で見下ろしながら、そうさせたのは俺ではないかと冷静になる。
     「…どうしてほしい?」
     汗ばむ背中に問い掛けると、鯉登さんは嬌声の合間に「…わからない」と掠れた声でそう答えた。
     「鯉登さん…」
     「…名、前…」
     「?…名前?」
     「名前、呼んで、…欲し…」
     「…音之進」
     望まれるまま名を呼んでやると、鯉登さんはびくりと背中を跳ねさせて内壁をキュウ、と、締めた。
     「…ぁ…あ…っ」
     「…音之進……音之進……っ」
     「ぅあっ…っあ、あ、…っは、ぁ、…ぃあっ…ぁっん…んんっ」
     繰り返し名を呼んで突き上げると、無意識なのだろうが、鯉登さんは過ぎる快楽に逃げようとする。
     「っや…やぁっ…あ、ぁ…やだ、やだ、いや、や…ぁ、あああっ」
    ろくに立たなくなっている膝をがくがくと震わせる鯉登さんの腰を掴んで執拗に責めると、鯉登さんは泣くような声を上げて果てた。
    がくん、と、膝から力が抜けて倒れかかる身体を横抱きに抱え直し、抱き留めたその顔を見遣れば、鯉登さんは半ば気を失いかけているようだった。
    此方は未だ達していないのだからと構わず揺さぶり続けても、薄く開いた口からは最早意味のある言葉など漏れては来ない。零れた唾液が口元を濡らすだけだ。
    「…音之進」
     再び名前を呼んでやると、鯉登さんは閉じかけた目を薄ら開いて、意思を持ってか否か、ゆるゆると此方に腕を伸ばしてきた。
     伸びてきた腕を首に回させて、身を屈めて唾液に濡れた唇を舌先で舐めて、そのまま歯列に舌をねじ込んだ。腰の動きに合わせて深く口付けながら中に欲を吐き出すと、鯉登さんは大きく身を震わせて、それきり意識を手放した。
     首に回していた腕は力なく落ち、離した唇からは浅い息が漏れた。
     涙と、汗と、欲に塗れて転がる鯉登さんを呆然と見詰めながら、気付けば、如何してか、俺は泣いていた。
     零れる涙が何の涙かは知れない。
     知り様も無い。知りたくも無い。
     ただ、俺の下で力なく横たわる鯉登さんを呆然と見詰めることしか出来なかった。
     
     俺は一体、何をしているんだろう。
     俺は一体、何をしたいんだろう。
     俺は…

    *****

     目が覚めたら、部屋の中は真っ暗だった。
     身体が、あちこち痛くて、頭がぼうっとする。真っ暗なのは、開いているつもりの眼が開いていないからだろうかと思ったりもしたが、どうやらそうではないらしい。眼が暗闇に慣れる頃には、部屋に明かりがついていないのだと解った。
     見慣れない床の間が視界に映って、ほんの少し、新しい畳の匂いがして、一瞬、此処が何処だか解らなくなる。そうだ。と、思い出す頃には、俺の顔は真っ赤になっていたんじゃないだろうか。
     重たい身体をそろ、と、動かしてみると、どうやら鈍く痛むだけで問題なく動くようだ。ゆっくり起き上ってみると、裸のまま布団に寝かされた身体にタオルを掛けられていたのだと知れた。
     ドロドロだった筈の身体は、キレイに拭ってあるのだとも。
     無意識の自分がそんなことをした筈は無い。俺が眠っている間に、月島さんがそうしてくれたのだと思うと、嬉しくて、恥ずかしくて、きっと、今鏡を覗いたら、俺は酷い顔をしているんだろう。部屋が暗くて良かった。と、思い至って辺りを見回してみると、部屋の中にはどうやら俺一人きりで、月島さんの姿は無いようだった。
     壁際に時計があることに気付いて目を凝らして見ると、日付はとっくに変わってしまっているみたいだ。
     此処についたのは夕方だったはずだから、一体どれくらい眠っていたんだろう。
     耳を澄ませてみても、辺りはしんと静まり返っていて物音ひとつしない。時計の針の音が静かに響くだけだ。
     月島さんは、何処に居るんだろう?
     まさか、俺を置いて、帰った、とか?
     俺が、嫌だって、怖がったりしたから、うんざりして?
     ふと、湧き上がった不安に押しつぶされそうになる。堪らず、月島さんを捜そうと布団に手をついたのと、すらりと障子が開いたのはどちらが先だったろう。
     逆光で顔は見えなかったけれど、開いた障子の先に居るのが月島さんだとはすぐに解った。
     あ。と、小さく声を漏らした俺に聞こえたのは「目が覚めましたか?」という静かな問いだった。
     月島さんの声だ。
     そうだと解って、それだけでホッとした俺は笑っていただろう。それを月島さんがどんな風に見たかは解らない。
     「…今、眼が、覚めて…」
     そう答えた声は思いのほか掠れていた。それを聞いて月島さんは何を思ったのか、障子を開けたままくるりと踵を返して何処かへ行ってしまうと、程なくして戻ってきた。
     逆光の中、ゆっくりと近付いてきた月島さんの顔が見えず、どうしても不安になって俯いていると、布団の上に座り込んでいる私の目の前に月島さんが膝をついた。
    そろ、と私の頬を撫でてきた手に誘われて顔を上げると、間近に見えたのは、見慣れた、穏やかな顔だった。
    「喉、乾いているでしょう?」
    静かにそう問われて、こくりと頷くと、月島さんは私の頬を撫でていた手を放して持っていたペットボトルのキャップを捻った。そのままそれを手渡されるのかと思っていたのだけれど、月島さんは無言のままペットボトルの水を煽ると、再び私の頬を捉えて口を開くように促してきた。恐る恐る口を開くとゆっくりと唇が重ねられて、月島さんの体温で少し温くなった水が口の中に流れ込んでくる。口移しなんてされたことが無いから、上手く飲めなくて口の端から幾らか水が零れ落ちてしまうのだけれど、月島さんが構わず何度も繰り返すものだから夢中になって口を開いた。月島さんが飲ませてくれる水は、なんだか甘いような気がして、もっと、と、強請るように舌を差し出していたら、いつの間にか、口移しがキスに変わっていた。
    ちゅ、と、水音をさせて私の舌を吸う月島さんと間近に眼が合う。愉快そうに笑うその眼に、急に恥ずかしくなって口を閉じようとしたけれど、月島さんがそんなことをさせてくれるわけはなかった。
    頬を捉えられて、舌を絡め取られて、何をどうされているのかさっぱりわからない。解らないけれど、月島さんの手が、舌が、気持ちよくて、何も考えられなくなって、月島さんにされるままだ。
    口を塞がれたままで、呼吸も儘ならなくて、息苦しいのに、その筈なのに、触れてくる月島さんの手が、舌が、体温が心地よくて、気持ちよくて、このままずっと月島さんに触っていて欲しくて、他の事なんかどうだってよくなってしまう。
    どれだけそうしていただろう。唐突に唇を解放されて、途端に息がし易くなった。楽になった筈なのに、触れられていないのが不安で、縋るように離れていく月島さんの腕を掴むと、月島さんはほんの少し眉根を寄せて「立てますか?」と聞いてきた。
    声は出さず、黙ってこくりと頷いて肯定の返事を返す。
    然し頷いてはみたモノの、いつも通りにはいかなかった。
    前の時と同じか、もっとダメかも知れない。大丈夫だと思ったのに、いざ動こうとすると身体が怠くて、腰が重くて、全然まともには動けない。それでもどうにかのろのろと立ち上がると、月島さんは私の肩を抱いて支えるようにして歩き始めた。
    裸のままで、何処に連れて行かれるのだろうか。
    このまま外に放り出されても、なんの抵抗も出来ないだろう。
     さっきのキスは、最後のお情けだった可能性だってなくは無い。
     ぼんやりとそんな後ろ向きな事を考えている内に、連れて来られたのは来た時に見た露天風呂だった。外には違いないけれど、放り出されずには済みそうだ。
     内心でホッとしていると、月島さんは私を椅子に座らせて、黙ったまま私の背中にお湯を掛けてきた。
     驚いて、思わず月島さんを振り仰ぐと、月島さんは表情のない顔で「いいからそのまま座っていてください」と、突き放すようにそう言った。
     「背中流しますから」
     「っ…そのくらい、自分で…っ」
    「いいから」
    きっぱりと言い切られて、それ以上は何も言えなくて、あとは、さっきまでと同じ。月島さんにされるままだ。
    人形みたいに、ただ座っている私の髪を、身体を、月島さんの手が洗っていく。その感触が心地よくて、うとうとと瞼を閉じそうになってしまったのは一時で、髪を洗い終えた月島さんの手が身体のあちこちを触り始めると、どうにも落ち着かなくなった。
    タオルで洗ってくれているだけなのに、月島さんに触れられているんだと思うと、それだけでぞくぞくしてしまう。そんな風になっているのを気付かれたくなくて膝頭を合わせて俯いていたけれと、気付かれない訳がなかった。
     「…どうかしましたか?」
     「っ…なんでも」
     不意に後ろから投げかけられた言葉に、慌てて答えたら妙に声が上擦ってしまった。
     「…へぇ…」
     含み笑いでそう零した月島さんには、きっともう全部解ってしまっているんだろう。恥ずかしくて、情けなくて、泣きそうな気分になったけれど、本当に泣きたくなったのはその直後だった。
     タオルでは無くて、泡に塗れた手で、月島さんが直接私自身に触れてきたからだ。
     「っひ!?…っぁ…っ月島、さ…っ」
     前触れも無く、突然に触れられて思わず声を上げて肩を跳ねさせた私に、月島さんは小さく笑っただけだった。
     「っあ!…ぁ、や、…っ…やめ、…っぁ、あ、…っぅ」
     月島さんの手が動く度、自分の股の間からくちゅくちゅと濡れた音が漏れるのを、止めたいのに、止められなくて、申し訳程度に月島さんの腕に沿えた手は、あっさり払い除けられた。
     「っは、ぁ、…っあ、あ、…っく、ぅ…っんぅ…っ」
     何処にも置き場の無い手で必死に口を押えてみたけれど、漏れる声すら抑えきれない。
     「っや、ぁ、…っ月島、さ、ぁ、ぁ、…やぁ…っあ!ーーーーっっ」
     強く握りこまれて根元から擦りあげられると、背筋が泡立って一瞬で目の前が真っ白になった。
     「…若いな」
     そう囁かれた耳は、きっと真っ赤になっていただろう。恥ずかしくて、いっそ消えてしまいたいくらいだ。今度こそ泣きそうになって項垂れていると、泡と欲をキレイにお湯で流してくれながら、月島さんは「可愛いですよ」と、小さく呟いて首筋にひとつキスをくれた。
     その声は、あまりに優しくて、甘い。月島さんが一体どんな顔をしてそう言ってくれたのか確かめたかったけれど、恥ずかしさの方が勝ってしまった。結局私は顔を上げられないまま、月島さんに言われた通りに大人しく湯船につかることしか出来なかった。
     背後で月島さんが部屋に戻る気配を感じたけど、振り返ることも、引留めることも出来やしない。
     少し温めのお湯に沈み込むように肩まで浸かりきって、どんな顔をして部屋に戻ったらいいのかも解らなかった。
     月島さんが、私をどう思っているのかも。私を、どうしたいと思っているのかも。何もかも、解らない。
     『あの日』みたいに、冷たい眼をして強姦まがいの抱き方をしたと思ったら、恋人にするように優しい言葉を掛けてくれる。
     月島さんの本当が解らない。
     玩具でいい。
    そのつもりでいるのに、それでいいのに。そんな、甘い声を聞いてしまったら、期待してしまう。
     月島さんが、私を…
     そんな事なんて、あってはいけないのに。或る筈が、ないのに。

    *****

     本当に、俺は、一体どうしたいんだろう。
     鯉登さんに触れた手をぼんやりと眺めながら思う。いくら思ったところで、答えなど見つかりそうにないが、いや、本当は、とっくに解っているのかも知れないが。
    それを認めてしまったら、俺は俺自身を許せなくなってしまう。二度と鯉登さんに近づけなくなってしまう。
     けれども、夢を見る。
     鯉登さんが、本当に、本心から、俺を求めてくれるなら…
     そんな事が、あってはいけないのに。或る筈が、ないのに。
     
     すっかり濡れてしまった服を全部脱ぎ捨てて浴室に戻ると、気配を察してか、湯船に浸かったまま鯉登さんが此方を振り返って、一瞬目を丸くした。
     「なんです?」
     「…いや、その、…っ」
     問いかけると、鯉登さんは途端に頬の朱色を濃くして視線を逸らした。
     「男の裸なんて珍しくも無いでしょう」
     「…そう、だけど…」
     「なんです?」
     「…月島さん、だから」
     呆れる俺に気付いた風も無く、鯉登さんは俯いてぼそぼそと言葉を続けた。
     「想像、したことはあったけど…見たことは、ない、から…」
     「…想像、していたんですか?俺の裸を?」
     黙ったままでこくりと頷く鯉登さんに驚くしかない。
     「で?ご感想は?」
     隣に並んで湯につかり、俯くその顔を覗き込みながらそう問いかけると、鯉登さんは一瞬、ぐ、と息を呑んで、それから真っ赤な顔をして消え入りそうな声で呟いた。
     「…わっぜ、カッコよか、…って…」
     朱を濃くした頬を、その顔を、隠すように覆った鯉登さんの右手を取って引き寄せると、湯船の中でバランスをとるのが難しかったのか、鯉登さんはぐらりと体制を崩して此方にしな垂れかかってきた。
     「っ…っごめ、なさ…」
     「謝ることないでしょう?引き寄せたのは俺です…」
     「…っ…っっ」
     何を焦るのか、鯉登さんは言葉に詰まって潤んだ瞳を伏せた。掴んだままの鯉登さんの右手にそっと口付けて、べろりと舌を這わせると、ひくりと肩を震わせて、鯉登さんが此方を窺ってきた。
     「また、抱かれたくなりましたか?」
     「…っっ」
     聞く必要も無い事を聞いて、羞恥を煽って、目を開いたままゆっくりとキスをしかけると、鯉登さんは唇が触れる寸前にギュッと目を閉じて身を固くした。
     キス如きで、今更だろうに。
     そうは思ったが、本人の言うように、鯉登さんが本当に俺しか知らないというなら、行為は愚かキスにさえ然程慣れていないのも本当かも知れない。だとすれば、この反応は当然だ。
     覚えたての欲に溺れてしまうのも、欲しいと思っても、羞恥が勝ってしまうのも。
     触れるだけのキスを、二度、三度と繰り返して、四度目に深く口付けると、肩口に鯉登さんの手が伸びてきた。
     ばしゃりと派手な水音をさせて、温い手がまだ冷えたままの肩に添えられる。遠慮がちなその手は、所在無げに震えていた。
     掴んだままだった右手を離してやって、代わりに身体ごと抱き込んで膝に乗せてやると、驚いた鯉登さんが弾みで唇を離した。
     「!?っ…ぇ、…ぁ」
     戸惑う鯉登さんを他所に、そのまま後ろから抱きこむようにしてやると、どうやら何を意図しているか解ったらしい。
     「わかりますか?」
     「…っっ…っ」
     膝に乗せた鯉登さんの肩口でぼそりと問うと、何を問われたのか流石に察したらしく、鯉登さんは耳の裏まで真っ赤に染めてこくこくと頷いた。
     「っ…月島さん、…っあの…っ」
     戸惑いと期待が綯交ぜになって狼狽えている鯉登さんを抱え直し、予告もせずに鯉登さんの後孔を指先でなぞった。
     「っぁ!?…っんん…っ」
     中心に中指を沈めると、夕刻の名残の所為か、湯の中に居る所為か、鯉登さんは容易く指を飲み込んだ。
     「っはぁ…っあ、ぁ、…っうぅ…っ」
     沈めた中指を根元までいれて、抜き差しを繰り返し、頃合いを見て指の数を増やすと、鯉登さんが声のトーンを高くした。
     「やぁ…っ…あ、…っぐ、…っんぅ…っぁ」
     増やした指で腸壁を広げるようにして後孔をかき混ぜると、鯉登さんは身を屈めて震え始めた。
     どうにか声を抑えたいのだろう。がくがくと眼に見える程震えながら、その手で自身の口元を必死に覆っていた。
     「声を抑えるな」
     そう、言ってはみたが、聞こえているだろうか。
     「人なんていないって言ったでしょう。気にしなくていい。」
     そう言葉を繋げると、鯉登さんは荒い息の合間から「でも」と小さく零した。
     「…外、だし…もし…」
     「大丈夫ですから」
     不安げに漏らされたその声に苦く笑って、三本目の指をねじ込むと、最早抑えが効かなかったのか、鯉登さんはあっさりと声を上げて俺に身を預けてきた。
     「ぅあっ!…っあ!…っぐ、ぅ…っあぁあっ」
     奥までいれた指をぐるりとかき回すと、鯉登さんは口を大きく開いて必死に息を吸おうとしたが、内壁を擦る度、吐く息は浅くなるばかりで少しもまともに息を吸えている様子は無い。
     抱かれることに慣れ始めた身体は、与えられる刺激に過敏になっているのか、ねじ込んだ指を奥へと誘うように蠢いて、絡みついてくる。
     「っはぁ…っぁ、ぁ、…っあ、ぅ…っふぅ…っん、ん…」
     水の中で逃げ場もなく、鯉登さんは俺の肩口に頭を預けて切なげに声を漏らし続けるだけだ。
     「っぁ…っ」
     ずるりと指を引き抜いて、俺自身を後ろに当ててやると、期待なのか、怯えなのか、鯉登さんは小さく声を漏らして震えてみせた。
     「力抜いて…」
     申し訳程度に声を掛けて、内壁をなぞる様にしてゆっくりと飲み込ませていく。水の浮力があるとはいえ、体重でじわじわと腰を落として飲み込ませれば、自分の中に収まっていく様が嫌でも解るだろう。
     「っ…ぁ、ぁ、…っ…ん、ぅぅ…っんん…っふ、ぅっ…っ」
     根元まですっかり飲み込ませて、馴染ませるように緩く腰を揺するとそれだけで鯉登さんはびくびくと肩を跳ねさせた。
     「っぅあ!あ、ぐ…っ…っあぅ…っ」
     馴染んだ頃を見計らって、腰を掴んで思い切り突き上げると、鯉登さんはばしゃりと湯を跳ねさせるほど身を反らせた。
     「ひっ…っあ、あ、い…っぅ…っんぅ…っ」
     突き上げた最奥をぐりぐりと抉りながら、湯の中で所在なく彷徨っていた鯉登さんの手を取って、鯉登さん自身の腹に当てさせると、そうされた本人は何をされているのかまるで解っていないようだった。
     「入ってるの、解りますか?」
     腹に当てさせた手を押さえ付けながら耳元で問うと、漸くされていることの意味を理解したのか、鯉登さんはゆるゆると頷いてみせた。
     耳裏まで真っ赤になっているその耳を、べろりと舐めて「動きますよ」と囁けば、鯉登さんは何かを訴えようとしたものか、束の間口を開いた。けれども薄く開いた口から声の漏れる気配はなく、気付かないふりをして腰を進めれば、其処から漏れるのは嬌声ばかりになった。
     「うあっ!…っあ、っあぅっ…っぐ、ぅ、…ぅ、あ、あ、あぁっ」
     湯の中の不安定さの所為か、膝に乗せられた体制の慣れなさか、責め立てる度にぐらぐらと揺れてバランスを崩しそうになる鯉登さんをどうにか支えてはやるが、抱きかかえるようになってしまえば自然と一番奥まで届くようになる。
     「っ!?ひぅ…っあ、ぃ…っ……っんぅ…っ」
     意図せず最奥に届いた先端で鯉登さんの一番イイところを繰り返しノックして、誘われるままに最奥を抉ると鯉登さんはボロボロと涙を零しながら意味のない、声にもならない声ばかりを漏らし始めた。
     「ぅぁ、ぁ、あーー…っ…は、ぁ…んぅ…っあ、ぁー…っ」
     仰け反る喉をなぞり、顎先を捉えて無理やりに此方を向かせて口付けると、鯉登さんが融けた目をして此方を見てきた。
     「っはぁ…ぁ…ぁ…っ」
     朱に縁どられた眼で此方を見るその眼もとに唇を寄せて抱え直すと、鯉登さんは喉をひくつかせて身を摺りつけてきた。煽るようなその仕草が、無意識だというなら相当だ。
     「…もう、怖くは無いですか?」
     後ろから抱いているというのに、さっきから一度も先刻のように『怖い』とは口にしていない事に気付いてそう問いかけると、鯉登さんはやんわりと笑ってみせた。
     「…月島さん、だって、解ってる、から…大丈夫…」
     熱に浮かされたその声そのままに、密着させた肌は温く熱を持っている。このまま続ければ逆上せてしまうだろう。もう逆上せかけているのかもしれない。可愛がってやりたいのは山々だが、倒れられても厄介だ。
     「そうですか」と短く答えてやって、こちらに身体を任せきりにしている鯉登さんの首筋に触れるだけの口付けを落とし。ゆっくりと竿を引き抜くと、鯉登さんは動揺も明らかに此方を振り返ってきた。
     どうして?と、問われずともその顔に書いてある。
     捨て犬のような不安げなその顔に苦笑して、怯えたその眼に口付ける。突き放したわけではないと諭すように。
    湯船の淵に座って手を伸ばし、鯉登さんの腕をひくと、鯉登さんは何を求められているのか察してゆっくり立ち上がり、おずおずと俺に向かい合う形で跨ってきた。
     然し、膝はついたものの、そのまま腰を下ろす勇気は無いらしい。
     幽かに震えて俺の肩に手をつく鯉登さんの腰を緩く撫でて、見上げる形になったその顔を見れば、緊張も明らかな面持ちで唇を噛んでいた。
     そっと手を伸ばして唇に触れてやると、結ばれていた赤が綻んで「月島さん」と頼りなげに俺の名を呼んだ。求められていることを察することは出来ても、どうすればいいのか解らないのだろう。
     「…ゆっくりでいいから、腰、落として」
     そう指示して腰に手を添えてやると、鯉登さんはこくりと頷いてそろそろと膝を折り始めた。屹立したままの自身を鯉登さんの後ろに宛がって入口に擦り付けると、鯉登さんの頬の朱が一際濃くなる。
     俺の肩に添えられていた鯉登さんの右手をとって、竿に添えるように促すと、鯉登さんは躊躇いながらもそろそろと指を這わせてきた。
     「んぅ…っ…ん、ん、…っふ、…っぅ…っんん…っ」
     ぐちゅりと音をさせて先端を受け容れると、ゆるゆると身を沈めて竿を飲み込んでいく。鈍い水音をさせて、徐々に竿を収めながら身を震わせる鯉登さんの下肢を覗けば、触れてやったわけでも無いのに鯉登さん自身はすっかり立ち上がって、今にも欲を吐き出しそうな有様になっていた。
     「っぁ…ぁ、ぅ…っ…ぅ…っ」
     「いい子だ。音之進。」
     半分ほど飲み込んだ辺りで震えて動けなくなった鯉登さんの頬を撫でて緩く口付けてやると、鯉登さんが泣きそうな顔をしてしがみついてきた。俺の首に腕を廻して、ぎゅう、と、縋りつくように。
     「っつきしま、さ…月島さん…っ月島さん…っっ」
     縋りついてくるその背を撫ぜて、収まり切っていない竿を根元まで押し込むように下から突きあげると、鯉登さんはしがみついたまま、悲鳴を上げて俺と自身の腹を汚した。
     「ぅあ…っぁ、ぁ、…は、ん…っん、…んぅ…っん」
     下肢に流れる白濁と、肉の擦れる水音の合間に、鯉登さんの甘い声が漏れる。耳を擽るその声に、ぐちゅぐちゅと水音を激しくさせて鯉登さんを揺さぶり続けていると、いつしか鯉登さんの口から「好き」という言葉が漏れ始めた。
     「ぁ、…は、ぁ、…月島、さ…月島…っ好き…っ好き…っ」
     欲に浮かされているだけではない、涙交じりの甘い声を耳元に聞きながら、その声に何を答えることもせず、唯々鯉登さんの身体を貪り続けている俺を、それでも、鯉登さんは「好き」だと繰り返す。
     「っあぁ…っぁ、ぁ、…ぃ…っすき…月島さ…好いちょ…つきしま、さ…っ」
     ぎゅう、と、しがみついて、泣きながら訴え続けていた鯉登さんは、ふと顔を上げ、堪りかねたように自分から唇を重ねてきた。
     震えて、まともに合わせることも出来ない不器用な口付けを、どうして、愛しく思わずに居られただろう。
     「…音之進…」
     幽かに唇の離れたその隙に、名前を呼んで此方から口付ける。
    そのまま、強く突き上げて奥に欲を吐き出すと、鯉登さんは震えながらそれを受け止めた。
     「っは、…ん…っ…ふ、ぅ…っ…ぁ…っ」
     「…鯉登さん?」
     肩で息をして、しがみついたまま離れようとしない鯉登さんの顔を覗き見れば頬の朱色もそのままに息を荒くしている。逆上せているのだと解ってしまえば、さすがにこれ以上何をする訳にもいかない。ゆっくり体を離してやって、そのまま抱き上げると、鯉登さんはなんの抵抗もみせずにすんなりと俺に身を任せてきた。
     「っ…つきしまさん…?」
     「いいから。」
     抱き上げられたのを不思議そうに見詰めてきた鯉登さんを諭して、いったん洗い場に座らせて、ざっと身体を流してやる。
     「少し待っていて下さい。すぐ戻ります。」
     洗い場にぺたりと座り込んで、ぼんやりと此方を見上げてくる鯉登さんの桃色の頬を撫ぜてやってそう言い聞かせると、鯉登さんはこくん、と頷いてみせた。
     脱衣所からタオルと、部屋に置きっ放しにしていたペットボトルを掴んで戻り、鯉登さんの肩にタオルを掛けてやる。ペットボトルごと水を渡そうとして、少し考えて口に含んだ。
     此方を見詰めてくる鯉登さんが、それを期待しているように見えたからだ。
     読みは間違っていなかったのだろう。鯉登さんは薄ら笑って、俺の唇が降りてくるのを待っていた。
     二度、三度と、繰り返して、今度はキスに変えるのではなく、ボトルの水がなくなるまで、キレイに飲ませた。
     は、と、息を吐く鯉登さんの頬は未だ紅い。
     「…落ち着きましたか?」
     額をつけて間近に問うと、鯉登さんは瞬きを一つして、うん。と、小さく答えた。その答えが宛になるかはわからないが。
     空になったペットボトルをその辺りに適当に放って、タオルごと鯉登さんを抱き上げると、今度は何の疑問も示さず首元に腕を廻してきた。緩く、けれども振り落とされないようにとしっかり腕を廻して肩口に額をつけてくる。そのまま部屋まで運び、布団の上に下ろしてやると、鯉登さんはそこで漸く口を開いた。
     「ごめんなさい…」
     聞こえたのは、そんな言葉だ。
     「何を謝るんです?」
     「っ…だって、…」
     逆上せたことを言っているつもりだろうか。それならむしろ、謝るべきは俺の筈だろうに。
     今にも泣きだしそうな顔をして、なおも何かを訴えようと開き掛けた鯉登さんの口をそっとキスで塞いで、そのままゆっくり布団に寝かしつけた。
     「少し、休んでください…」
     間近に顔を覗き込んでそう言ってやると、鯉登さんは不安げな顔をして離れようとした俺の腕を掴んだ。
     「…水を…」
     「っいらない…っ」
     「…鯉登さん」
     「っいらない、から…」
     どうやら、離れてほしくないらしい。
     「…解りました。…此処にいます。大丈夫ですから。」
    隣に横になって、そのまま抱き寄せてやると、鯉登さんはホッとしたように息を吐いて、遠慮がちに俺の方に手を伸ばしてきた。
     「いいから、もう寝ましょう…」
     抱き寄せた肩を撫ぜてやって静かに声を掛けると、鯉登さんは瞬きを二つして、それからゆっくり瞼を下ろした。
     やがて聞こえてきた静かな寝息に誘われるように、傍らを覗き見れば、酷く穏やかな寝顔が目に映った。
     ただでさえ子供のような鯉登さんは、目を閉じてしまえば未だ十代のあどけなさも消えていないようで、年よりもうんと幼く見える。
     幼い。のだろう。実際。
     鯉登さんは、本当に何も知らなかった。
     仕事の事もそうだが、セックスも、色も、欲も、恋も、何も。
    何も知らなかった。
     それなのに、どうして、俺のような男を好きだなんて。
     何も知らなかったから、俺のような男に逆上せたんだろうか。
     どうして。何故。俺だった。
     俺なんかでなければ、こんな目に合わずに済んだろうに。

     早く俺を嫌いになってくれ。
     逃げ出してくれ。
     俺が、貴方を、壊してしまう前に。

    *****

     目が覚めたら、月島さんは居なかった。
     霞む眼を擦って辺りを見渡してみても、部屋の中には気配すら感じられない。さっき眼が覚めた時と同じだ。
     何処か、別の部屋に居るのだろうか。また風呂に行ったろうか。せめて月島さんの居た痕跡を確かめたくて、目を閉じた時には月島さんが居た筈の場所に手を伸ばしてみると、シーツはすっかり冷え切っていて、まるで初めからそこには誰も居なかったみたいだ。
     そんな筈は無いのに。
     その証拠に私の身体には、月島さんが触れた痕が幾つも残っている。身体は相変わらず怠くて、信じられないくらい重い。あちこち軋んで、何処かを引っ張られたら身体がバラバラになるんじゃないかと思うくらいだ。そんなことは無いのだろうけど。体力には自信があった筈だのに、こんな様になっているのは経験の無いせいだろうか。
     うっかりすると、また瞼が降りそうになる。
     頭がまともに働いている気はまるでしないし、身体はこれ以上ないくらい重いけれど、どうしてだろう。不思議と嫌な気がしないのは。如何して、なんて、答えは解っているのだけれど。
     解っている、けれど、その答えが、見当たらない。
     一人きりで、布団の上に手足を投げ出して、じっと耳を澄ませてみる。聞こえてくるのは、時計の針の音ばかりで、何処にも、誰の気配も無い。部屋の中には、一人きりみたいだ。
     さっきと同じ筈だけれど、なんだか嫌な予感がして、重たい身体をどうにか起こして辺りを見渡してみた。
     「…月島さん…」
     声に出してその名前を呼んでみても、当然のように返答は無い。
     あまりの静けさに、不安が湧き上がってくる。
     どうにか立ち上がって、部屋の外に出てみても、物音一つしない。目に映る範囲の何処にも、月島さんの姿は無かった。
     「っ…っっ」
     一人きりのこの状況が急に怖くなって、放りっぱなしにしていた携帯を掴んでみたけれど、当たり前のように表示は圏外だ。
    外に出れば、と、思い至ったものの、自分が裸の儘な事に気が付いた。慌てて着替えようとして、眼についた浴衣を適当に着て表に飛び出すと、母屋に続く通路の脇に在った筈の月島さんの車は無くなっていた。
     捨てられた。

    瞬間的に、そう思った。
     置いて行かれたんだ。と。
     私が、月島さんを満足させられなかったから。怖がったりしたから。
    それなのに、傍に居てほしいなんて、引留めたりしたから。
    呆れられたんだ。うんざりしたんだ。私みたいな子供なんて。
     当たり前だ。

     少しくらい、優しくされたからって、もしもなんて思うだけ馬鹿だ。そんなこと、やっぱりあるわけ無かった。これが現実だ。解っていた。解っていたのだ。初めから。月島さんが私なんかを使ってくれただけ良かったじゃないか。一時だって、私を求めてくれたのだから、それで十分過ぎるくらいだ。解っている。頭では、解っている、つもり、なのに。
     どうしても、涙が溢れてくるのを抑えきれなくて、立っていることも辛くなって、部屋の前の通路にそのまま膝をついた。
     「っ…月島、さ、…っ…」
     呼んだところで意味なんか無いのに、勝手に口を突いて出たその名前に自分で呆れてしまう。
     情けなくて、恥ずかしくて、寂しくて、哀しくて、しても仕方のない後悔でいっぱいになってしまって、だから気付かなかった。
    いつの間に、月島さんの車が戻ってきていることに。
     月島さんが、直ぐ傍にいることに。
     「何をしているんです…」
     突然、頭上から降ってきたその声に顔を上げると、目の前に月島さんがいた。
     幻だと思った。
    あんまり、月島さんに会いたいと思いすぎたから、幻覚が見えたんだと。だから呆然と目の前の姿を見詰めてしまった。
     「…逃げようとしたのか?」
     幻覚じゃない。聞こえたその声にそうだと気付いて、気付いてしまえば、堪らず月島さんに飛びついた。
     「っ月島さん…っ」
     「っ!?」
    「っ…捨てられた、かと、思っ…っ」
     月島さんが驚いた顔をしたような気がしたけど、それを気にする余裕なんてない。
     「っ…ずっと…月島さんが好きじゃった…」
     必死だった。
     「会社に入ってからじゃなか…親っどの担当じゃち、月島さんが初めて家に来た時から、オイはずっと月島さんのこと…っ」
     今更、そんな話をしてなんになる。
     「話したことも無いのに、ずっと気になって…ずっと月島さんのことばっかい考えちょった…オイは…びんてがおかしゅうなったんじゃと思た…」
     必死で、縋りついて、ボロボロ泣きながら訴えた。
     「それでも…どうしても…月島さんのことが頭から離れんで、親っどに無理を言って月島さんと一緒に仕事させて貰えるように…」
     見苦しい。格好悪い。情けない。恥ずかしい。
     「…その上、月島さんに好いてもらおうなんて虫が良すぎた…」
     きっと月島さんに嫌われる。
     「…嫌い、で、いい…好いて貰わんでよか…玩具でも…」
     こんな面倒な奴、相手にするのも嫌だと、捨てられる。
     「…っ月島さんが使うてくれるなら…何でんよか…っなんでもす…っ」
     解っているのに、醜く縋りつく俺に、月島さんは何も答えない。
     「…っ…月島さん…っ…っ」
     答えない、けれど、何度目かに名前を呼んだその後に、月島さんはゆるゆると私の背中に腕を廻してきた。
     必死な私を、宥めるように。慰めるように。
     柔らかく抱いて、背中を撫でてくれる手は、あまりに優しい。
     「…つきしまさ…っ」
     「本当に…」
     「え?」
     「本当に、俺が望むことは、なんでも?」
     顔の見えない位置で、耳元に直接問い掛けられて、それだけで背筋がぞくぞくする。
     「っ私に、出来る、事なら…っ」
     「約束できますか?」
     躊躇いも無く答えたら、月島さんがほんの少し身体を離して眼を覗き込んできた。
    真直ぐ見詰めてくる月島さんの瞳に、自分が映っている。それを確かめてゆっくり頷くと、月島さんはふ、と、息を吐いて「馬鹿だな」と小さく呟いた。
     呆れるような、憐れむような、そんな声音だった。
     「…馬鹿でん、よか…」
     「何を言っているのか、解っているんですか?」
     「…ちゃんと、解っちょ…」
     「…鯉登さん」
     反論するように零した言葉に、月島さんは一度目を閉じて、それからゆっくりと瞼を開くと頬に触れてきた。
     やんわりと、頬を包むように、触れてきたその手は優しい。
     「…あなたは、何処まで…」
     如何してだか、泣き出しそうな顔をしてそう零した月島さんを、抱き締めてしまいたくなった。
    それなのに、結局いつの間にか自分が月島さんに抱きしめられている。
    月島さんの腕の中は温かで、それだけで安心する。
     「…月島さん…」
     抱きしめてくる腕に応えるように、そっと月島さんを抱きしめ返すと「部屋に戻りましょう」と呟く声が耳元で聞こえた。
    「うん。」と、短く答えた唇は、次の瞬間には月島さんに塞がれていた。自分が眠っている間に、月島さんが何処に行っていたのか、聞くことは出来そうになかった。

    *****

     一瞬、目の前が暗くなった気がした。
     部屋の外に出ている鯉登さんを見た瞬間、湧き上がったのは、安堵では無くて、恐怖にも似た何かだった。
     あれ程、逃げてほしいと、嫌って欲しいと願った癖に。
     いざ目の前にその姿を見ると此の様だ。
     何を口走ったかは覚えていない、フラフラと鯉登さんに吸い寄せられるように近付くと、俺に気付いた鯉登さんが飛びついてきた。
     逃げ出すのだと思ったのに。俺に怯えて、俺を嫌って、逃げてしまうと思ったのに。
     鯉登さんは、必死な様子で俺にしがみついて、俺の望みに応えるという。「馬鹿だな」と、思わず漏れた声にも、それでも構わないというのだから相当だ。
     そんな風に言われては、信じてしまうじゃないか。
     貴方は、俺を好きなんだと。
     ただの思い違いや、気の迷いじゃなくて、本当に、俺を、好いていてくれるのだと、信じてしまう。
     こんな、散々な扱いまでされて、それでも、こうして大人しく腕の中に収まって、俺の望みに応えるだなんて。
    そこまでされて、どうして信じずに居られるだろう。

     鯉登さんを、信じてもいいのだろうか。
     俺を、そのままの俺を、受け容れてくれるのだと。
     俺を、愛してくれるのだと。

     こんな子供を、騙して、誑かした。そうだとしても、鯉登さん、俺は、貴方が、貴方さえ…

    「…月島さん…」
     嬉し気に名前を呼んで、ゆるく背中に腕を廻してきた鯉登さんに「部屋に戻りましょう」と囁くと、鯉登さんは短く「うん。」と答えた。その唇を直ぐに塞いだのは、怖かったからだ。
     肯定の、返事以外が漏れるのを、聞くのが、怖かった。
     鯉登さんに、拒まれるのが、否定されるのが、怖かった。

    *****

     キスをしたまま部屋へと続くドアを開けて鍵を閉めたら、キスが一層深くなった。
     壁に押し付けられて、何度も、何度も、キスを繰り返されるうちに頭の奥が痺れてくる。何も考えられなくなる。
     身体は怠くて、重い筈なのに、月島さんに求められているのだと思うと、少しも抵抗しようなんて気は起きなかった。
     月島さんの舌は、手は、唯々気持ちよくて、心地よくて、ずっと触れていて欲しいとさえ思う。そんなことは叶いっこないし、それだけで月島さんを好きな訳じゃない。月島さんが好きだから、触れていて欲しいと思ってしまう。私を欲しがって欲しいと思ってしまう。私だけを、欲しがって欲しいと、思ってしまう。
     唇を離れた月島さんの舌が、首筋から耳を舐めてくる。
     殆ど羽織っていただけの浴衣の帯はあっさり解かれて、月島さんの手が肌を這い始めた。片手で胸を弄りながら、もう片方の手は脇腹から腰をなぞっていく。その手が下肢に伸びてくるのを感じながら、ほんの少し、怖くなる。
     求められているのは、身体だけなのだろうか。と。
    それだけでも、十分なのだけれど。身体だけなら、いずれ飽きられてしまうだろうか。どうしたら、ずっと欲しがって貰えるのだろう。男の私は、いずれもっと固い身体になっていく筈だ。触れたことがないから解らないけれど、きっと女とはまるで違うこの身体を、月島さんはいつまで欲しがってくれるだろう。
     どうしたらいいか少しも解らない馬鹿な私は、月島さんにされるまま、その手に身を任せてしまう事しか出来なくて、情けなくて、泣きたくなってしまう。
     「っふ…ぅ…っ…っ」
     漏れる息が涙交じりになって、だから月島さんに気付かれてしまった。
     「…鯉登さん?」
     覗き込まれそうになって、慌てて顔を伏せたけど、泣いていたのはばれてしまった。嬉しいのに、哀しくて、幸せなのに、不安で、如何していいのか、どうなるのか、解らなくて。勝手に零れてきた涙を止めることが出来なかった私に、月島さんはきっと呆れるだろう。
    そう思ったのに、その予想は外れてしまった。
     月島さんは、頬に伝っていた雫を掌で拭うと、私の頬を包むようにして、今までされたことの無いような優しいキスをくれた。
     「っ…月島、さ…っ」
     戸惑う声に構うことなく私を抱き寄せると、月島さんは首に手を廻すように言って、そのまま私を抱き上げた。風呂場で逆上せた時と一緒だ。けど、抱き上げてくれたその腕が、あの時より随分と優しい気がするのは、気の所為なんだろうか。
     寝室にしている部屋に運ばれるまでの間、月島さんは何も言わず、けれども、代わりに幾つもキスをくれた。耳に、目に、頬に、額に。触れられるところに、幾つも、幾つも。
     自惚れで無ければ、私を慰めるように、安心させるように、そう、触れてくれているような気がして。きっと月島さんは泣き止ませたかった筈だろうに、少しも涙を止めることが出来なくなってしまった。
    月島さんが、好きで、好きで、堪らなかった。

    *****

     下手で当然か。と、下肢に蹲る鯉登さんの頭を撫でてやりながらぼんやりと思う。
    強要したわけではない。この前のは、そうだったが。そんなことをさせる気は無かった。いや、嘘だ。此処に鯉登さんを連れてきた当初は、なんだってさせる気だった。思いつく限り、無茶をやってやろうと思っていた。身体に派手な痕跡を残さないように、それだけに注意して、鯉登さんを最大限貶めるつもりでいた。そうして、二度と俺に係わろうなんて思わないようにするつもりだった。
     今になってしまえば、悍ましい話だが。それでも、俺は本気だった。
    いつか鯉登さんが俺を蔑むようになるなら、一度でも、俺に寄り添って、それから離れていくようになるくらいなら、最初から傍に置きたくないと本心で思っていた。
     そんな風に思うこと自体、もう手遅れだったのだけれど。
    俺は気付きもしなかった。いいや、気付いていたのに、気付かないふりをし続けて、何もかもに蓋をして、その結果が此の様だ。
     無駄に、鯉登さんを傷つけただけじゃないか。
     「…鯉登さん…」
     柔らかな髪にそっと指を絡めて髪を梳いてやると、鯉登さんがひくりと反応して上目遣いに此方を見詰めてきた。その口には、俺の竿を咥えたままだ。頬を上気させて、紅い眼をして。何の経験もなかったろうに、この前させられたことを思い出しながらなのか、どこかでAVだか動画でも見てみよう見まねなのか、懸命に舌を這わせてくるのがいじらしい。少しも上手くなくて、拙いだけなのに、鯉登さんが自分からそうしてくれているのだと思うと、それだけで興奮する。
     「っ…ん…っふ……っえ、ぅ…っ」
     どうにか口の中に収めようとして、飲み込めなくて、涙目でえづきそうになりながら尚も続けようとする鯉登さんに「もういいから」と伝えてやると、ホッとしたような、叱られてしょげたような顔をして鯉登さんはそろそろと自分の口から俺の竿を出した。
     唾液だけではないもので濡れた鯉登さんの唇を指先でなぞって、頬を撫ぜてやる。
     うっとりとしたその顔に「自分でいれられますか?」と問うと、鯉登さんは一層頬を赤くして、それでもこくりと頷いてみせた。
     頷きはしたが、要領などまだよく解っていないのだろう。さっきの風呂場でのこともあってか知れないが、何を慣らすことも無くそのまま跨ってこようとする鯉登さんを思わず引留めると、鯉登さんは不思議そうな顔をして此方を見てきた。
     「ちゃんと解さないと入りませんよ。」
     「…解、す…」
     どうやら、何をされていたのかも解っていないらしいと知れて、罪悪感に胸が痛む。痛むだけで、何を止めるわけでも無いのだけど。
     枕元に転がしていたローションを手に取って、蓋を開ける。
     「手、出して下さい」
     指示をすれば鯉登さんは何の躊躇いも無く俺の前に手を差し出した。広げられた掌に零れるくらいのローションを乗せて鯉登さんの手を濡らしてやると、漸く理解したらしい鯉登さんは恐る恐るその濡れた手を自身の後ろに伸ばした。
     「っん…っ…っふ、…っぅん…っ」
     くち、と、鈍く濡れた音がして、次いで、くちゅくちゅと控えめな音が漏れてくる。
     散々弄られても、自分でするのは躊躇うものか、少しも上手くできそうにない様子に、思わず焦れて手を伸ばした。
     「っひ!…っぃ、あ!?…っっ!」
     鯉登さんの指に俺の指を添えてそのまま指を沈めると、後孔はぐちりと音をさせて二本の指を飲み込んだ。
     「ひあっ…っぁ、ぐ、…ぅ、…ぅぅ…っ」
     「自分で準備できるように覚えておくといい…」
     ぐちゅぐちゅと後ろを掻き回しながらそう告げると、鯉登さんはこくこくと頷いてどうにか俺に倣って指を動かし始めた。とはいえ、到底間に合いそうも無くて、鯉登さんに指を抜くよう促して、代わりに俺の指の数を増やした。
     「どこを、どう触ってるか、解りますか?」
     「っん……ぅ、ん、…」
     ゆっくりと、沈めた指の腹で腸壁をなぞり、解すように指をぐるりと廻す。入り口近くまで引き抜いた指を、またじりじりと根元まで飲み込ませて、一番奥まで届く中指の先を幽かに曲げて、鯉登さんの敏感な部分を強く押すと鯉登さんはびくりと跳ねて声を高くした。
     「ぃあっ!?…あ、ぐ、…っぃ…っぁ、あ…っ…っ」
     「今の、解りますか?」
     「え?…あ…」
     「自分の指じゃ、届かないかもしれませんが…」
     言いながら、再度同じところをなぞると、鯉登さんはがくがくと震えて俺の肩に指を食い込ませた。
     「っひ、ぃ…ぃあ、あ、あ、ぅ…ぅぅ…っん」
     過ぎる快感に戸惑う鯉登さんに口付けを一つ落として、後ろに沈めた指でぐちゃぐちゃと派手な水音をさせて出し入れを繰り返すと、鯉登さんの息が次第に浅くなっていく。
     「っは、…っは、ぁ、…ぁ、…は、ん…っ…っ」
     漏れる息に色のついたのを確認して、ずるりと指を引き抜き、代わりに鯉登さんの後ろに竿を宛がってやる。
     「自分で出来ますか?」
     問いかけると、鯉登さんは緩く頷いて、そろ、と、腰を落とし始めた。くちゅりと湿った音をさせて、鯉登さんが俺を飲み込んでいく。
     「っふ…ぅ…っん…っ」
     二度目とは言え、勝手が違うのか、じりじりと腰を進めて、どうにか自力で飲み込めたのは半分にも満たなかった。
     「っ…ぅ、…ふ、ぅ…っ…月島、さ…っ…ぁ…っ」
     震えて、そこから動けなくなってしまった鯉登さんは、泣きそうな顔をして俺に助けを求めてきた。
     「もう無理ですか?」
     そう聞いたのは酷だったろうか。顔を歪ませた鯉登さんの頬を撫ぜてやって、慰めのキスをひとつ落としてやると、鯉登さんは片目からぼろりと涙を零した。
     「まぁ、いいです…よく頑張りましたね。」
    震える鯉登さんを褒めて、そのまま腰を掴んで一息に突き上げると、鯉登さんは前のめりになってぎゅう、と、縋りついてきた。
     「っひ、ぃ、…っぐ、…ぅ、あ、ぁ、…っあぁ、…っぅっ」
     「ほら、しっかり腰振って」
     縋りついてくる鯉登さんにそう言ってはみたが、到底出来る筈などなく、突き上げられるそのままだ。
     どうにか応えようと本人なりに動こうとはするが、覚えたての快楽に身体と思考がまるでついていけていないのだろう。ずぶずぶと俺を呑みこんで、もっと、と、欲を強請る身体は、けれどもどうして欲を追えばいいのか未だ覚えきってはいないのだ。
     「っごめ、なさ…っごめん、…っごめん、なさい…っぃ…っ」
     欲に流されて、どうにもならなくなった鯉登さんは、泣きながら「ごめん」と繰り返して無意識に腰を揺らし始めていた。
     零れた涙で濡れた頬に口付けて、目の端をべろりと舐めてやる。
     「今日は此処までですね…」
     下から突きあげる感覚にはそう長くは耐えられそうも無い様子に、ぐるりと体制を変えて鯉登さんを布団の上に転がすと、大きく足を開かせて一番奥を狙って竿を突き立てた。
     「ぅあっ!あ、あぁ…っあ、ぐ、…っ…んん…っ」
     最奥をぐりぐりと抉ると、鯉登さんの内側がそれに応えるようにひくついて竿に絡みついてくる。勝手は解っていなくても、身体は正直に欲を覚え始めているようだ。
     「っふ、…ふぅ…っぁ、…は、ぁ…っ」
     虚ろになりかける鯉登さんの眼を覗き込んで、問い掛ける。
     「俺が好きですか?」と。
     熱に浮かされた目をして、それでも、鯉登さんはこくりと頷くと、掠れた声で「好き」と呟いた。
     「…つきしま…好き…わっぜ好いちょ…」
    俺の首に回した手に、ぎゅ、と、力を込めて。鯉登さんは何度も「好き」と繰り返した。
    「俺の傍に、いてくれますか?」
    「…っ月島さん、の、傍に、居たい…っ」
    「ずっと、離れずに居られますか?」
    「…ずっと…ずっと、月島さんの傍が良い…っ」
    ぼろぼろと、鯉登さんの眼の端から流れ落ちる雫は澄んでいる。
    「…なんでも…なんでも、する、から…月島さん、だけ、居てくれればいいから…だから…私……アタイ、だけ、傍に、置いて…っ」
    「…音之進…」
    名前を呼んで、重ねた唇は、もう何度も重ねた筈だのに、初めて触れた様な気がした。
     あまりに幼く、あまりに愚かな鯉登さんが、愛おしくて、愛おしくて、ただ、それだけだった。

    *****

    薄暗い部屋の中で目を覚ましたのは、これが何度目だろう。時計が示すのは只の記号で、何の意味も持っていない。今が昼だか夜だかもわからない。解った所で、其れすら意味などないのだけれど。
    目を覚ましたら、月島さんの手が伸びてきて、あっと言う間に腕の中に捕らえられる。そのまま、布団の上に押し付けられることもあれば、他の部屋に連れて行かれたりもする。風呂場だったり、居間だったり、庭先に続く縁側だったり。閉じたドアの内側で、ずっと月島さんと二人きりだ。
    月島さんは、水は定期的に与えてくれるし、何か食べますか?とも聞いてくるけれど、不思議と何かを口にしようとは思わなかった。お腹が空いた。という感覚がまるでなくて、ずっとふわふわと、現実感を持てずに居る。現実だとは、解っているのだけど。
    それでも時々は、何も食べないままでいるとよくないから、と、月島さんが何処かから持ってきた食べ物を口にした。束の間、月島さんが居なかったのは、こうした食料を何処かに買いに行っていたのだろうか。結局聞けないままだから、本当の所は解らないけれど。
    果物だったり、ゼリーだったり。差し出されたものを私がのろのろとつついていると、月島さんは手ずから食べさせてくれた。
    月島さんが優しくて、その優しい月島さんと『あの日』私をトイレに連れ込んで犯した月島さんがイコールにならない。どっちが本当の月島さんで、いったいこれは本当に現実だろうか。現実じゃないように思ってしまうのは、私の頭がどうかしているのかも知れない。
    モノを食べている間と、トイレに行っている間以外、月島さんはずっと私に触れてくれていた。其れこそどうかしているのだろうけれども。
    けれども、それを望んだのは私だし、月島さんも、きっとそのつもりで居た筈だ。
    何処をどんなふうに触られたかなんて全部は覚えていないけれど、きっと、多分、私の身体は、月島さんの触れていないところなんてもう一つもなくなってしまったんじゃないだろうか。自分自身が触ったことも、見たこともない所も、全部月島さんに触られた。見られてしまった。と、思う。それでも未だ月島さんが大事そうに私に触れてくれるのが嬉しくて、けれども、少し、怖くもある。
    本当に、思ってくれているだろうか。
    私に触れたいと、思ってくれているだろうか。
    私がこんな様だから。哀れに思って、付き合ってくれているだけなのではないだろうか。憐れみだとか、同情だとか。それだけの優しさには思えないけれど、それでも、その可能性を考える。
    ぼんやりと、後ろ向きな考えに囚われていると、月島さんが軽々と私を抱き上げて膝に乗せてくれた。
    後ろから抱きすくめられても、もう怖いとは思わない。抱き締めてくる月島さんの腕を、もうすっかり覚えてしまった。首筋にキスを受けながら、その心地よさにうっとりしていると「鯉登さん」と名前を呼ばれて、目の前のテーブルに広げた紙を示された。
    何の紙だか解らないけれど、薄くてぱりぱりと乾いた音をさせる其の紙には、既に月島さんの名前や住所が記入されている。
    意味が解らなくて、首をひねって月島さんの顔を窺うと、其処にサインするようにと求められた。
    「…サイン?」
    「鯉登さんは、俺とずっと一緒に居たいんですよね?」
    酷く頭の悪そうな問いかけをした私に、月島さんはにこりと柔らかく笑ってみせた。問いの答えは、当然イエスだ。こくりと頷くと、月島さんは笑みを深くして頭を撫でてくれた。
    「だったら、ここにサインして下さい。これは、俺と、鯉登さんが、ずっと一緒に居られる為のサインですから。」
    誓約書、みたいなものだろうか。何の意味があるのか解らないけれど、月島さんが其れを望むなら、それでずっと月島さんと一緒にいられるなら、何を躊躇うことも無い。
    差し出されたペンを手にとって直ぐにサインを書こうとしたのに、どうにも手に力が入らなくて、どうにか記入したサインは元からそんなに上手じゃないにしても自分の字とは思えない汚さだった。
    「いい子だ…。」
    不格好なサインは恥ずかしかったけれど、それでも、書き上げた書類に満足したのか、月島さんは嬉しそうにそう言ってくれた。
    握ったままだったペンを取り上げられたかと思うと、次の瞬間には天井が見えた。背中に感じる乾いた畳の感触に、押し倒されたのだと解る。
    畳の上だと、ちょっと背中が痛むのだけど。上から見下ろしてくる月島さんの顔が、あまりに穏やかで、何も言えなくなってしまう。
    「…音之進…」
    愛し気に名前を呼ばれて、柔く頬を撫でられる。
    「…俺のモノだ」
    降ってきたその声に、一瞬、泣きそうになる。
    「…俺のモノでいてくれ…」
    うん。と、小さく答えて頷くと、深く、深く、口付けられた。

    もうどこでだって、なんだっていい。
    月島さんが良いんなら。月島さんが、私を求めてくれるのなら。
    どうせ、もう、月島さんのことしか考えられなくなっているのだから。

    *****

     「明日には、帰ります。」
     宿に籠って三日目の晩にそう告げると、鯉登さんは暫くぽかんとして此方を見詰め、不思議そうに呟いた。
     「…帰、る?」
     信じがたい話だが、どうやらこの三日ですっかり日常を忘れていたらしい。そうさせたのは、俺なのだけれど。
     聞こえた言葉で漸くずっとここに居られないのだと思い出したらしい鯉登さんは、解りやすく眉尻を下げた。
     「…そんな顔をしないでください。」
     「…だって…」
     「だって?」
     「…帰ったら、月島さんと一緒じゃない…」
     「…鯉登さん、」
     「ずっと一緒だって言ったのに…」
     「勿論です。俺は貴方を手放す気なんて…」
     「月島さんと、一緒が良い…」
     「職場でもずっと一緒でしょう?」
     泣き出しそうな顔をして俯く鯉登さんの頬を撫でてやると、鯉登さんは唇を尖らせて「サインだってしたのに」と嘯いた。
     「直ぐに一緒に住むわけにはいかないでしょう?」
     「私は、別に…」
     「未だです。」」
     ぴしゃりと遮ると、鯉登さんはもの言いたげに唇を噛んだ。
     「鯉登さんの家族や、周りの目もあるし…少し、時期を待ちましょう。」
     諭すようにそう言って聞かせると、鯉登さんが上目遣いに此方を見詰めてきた。
     「…待ったら、ずっと、一緒にいられるのか?」
     「えぇ、貴方が裏切らなければ。」
     「っ裏切るなんてっそんな…っ」
     「解っています。」
     「月島さん、…」
     「解っています。解っていますから。今のは、俺が悪かった。」
     「月島さんを、裏切ったりなんかしない…絶対…」
     訴える、鯉登さんの瞳に嘘は無い。

     真直ぐに、あまりに真直ぐに見詰めてくる、澄んだその目が怖かった。
    そんな目で、見詰められたことが無かったから。
    誰かに好意を向けられたことが無い訳ではない。けれども、誰一人、こんな風に、純粋な好意だけに満ちた視線を寄越したことはなかった。皆何かしら、哀れみや計算の滲んだ眼をして俺を見た。だからこんな風に、唯々、真直ぐに、俺を好きだなんて。そんなことが、在る筈がないと思ってしまった。
    未知の視線に困惑した挙句、俺はその眼を拒んで、不必要に鯉登さんを傷つけた。
    それでも、未だ、鯉登さんは、変わらぬ澄んだ眼で俺を見詰めてくれる。
    あまりに真直ぐで、何にも汚れていなかった貴方を、最初から信じてあげられたらよかったのに。

    「…早めに出て、少しくらい観光して帰りますか?近くに…」
    後悔を誤魔化すように告げた言葉に、鯉登さんは緩く首を横に振ってその提案を拒んだ。
     「…別に、観光なんてしなくていい…」
     頬に触れている俺の手に、そっと手を重ねながら、鯉登さんは言う。
     「…ぎりぎりまで、此処に居たい…」
     「…鯉登さん」
     「月島さんに、抱かれている方が良い…」
     澄んだ瞳に、色を滲ませて。誘うような視線を投げて寄越すようになった鯉登さんに、知らず笑みが零れた。
     「…俺が、欲しいですか?」
     零れた問いに、鯉登さんが瞬きをして、その唇が「欲しい」の一言を象った。
     「…月島さんは?…」
     そうして、問いを重ねてくる。
     「…もう、欲しくない?」
     重ねた手と、見詰めてくる瞳から伝わる熱に誘われるように目を開けたまま、重ねるだけの口付けをして鯉登さんに応えた。
     「欲しいです。」
     放した唇の、触れそうな距離で繰り返す。
     「貴方が、欲しい。」
     唇の代わりに、額をつければ、漏れる鯉登さんの吐息が頬を掠めた。
     「ずっと…ずっと、貴方が欲しくて堪らなかった。」
     頬を捉えていない方の手で、鯉登さんを引き寄せて抱きしめる。
     「…俺の…俺だけのものになって下さい…」
     祈るように告げた言葉に、鯉登さんは応えるようにゆっくりと俺の背中に手を這わせて、緩くシャツを掴んだ。
     「もう、とっくに月島さんのモノだ。」
     耳元に、愉快そうに響いたその声を聞きながら思う。

     俺は、鯉登さんを捕まえたんだろうか。
     鯉登さんを、俺のモノにしたんだろうか。

     
     それとも





     「月島さん…月島……」

     「…ずっと…ずっと、私の傍に…」
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    fujimura_k

    PAST2023年12月発行『喫茶ツキシマ・総集編』(番外編部分)
    月鯉転生現パロ。喫茶店マスターの月島と作家の鯉登の物語。総集編より番外編部分のみ。
    喫茶ツキシマ 総集編(番外編)例えば
    こんな穏やかな日々が
    この先ずっと

    ずっと
    続いていくなんて

    そんな事があるのでしょうか。

    それを
    願っても、いいのでしょうか。


    ***


    図らずも『公衆の面前で』という派手なプロポーズをして以来、鯉登さんは殆ど俺の家で過ごすようになった。
    前々から昼間は大抵店で過ごしてくれていたし、週の半分近くはうちに泊っては居たのだけれど、其れが週四日になり、五日になり、気付けば毎日毎晩鯉登さんがうちに居るのが当たり前のようになっている。
    資料を取りに行くと言ってマンションに戻ることはあっても、鯉登さんは大抵夜にはうちに帰って来て、当然のように俺の隣で眠るようになった。
    ごく稀に、鯉登さんのマンションで過ごすこともあるが、そういう時は店を閉めた後に俺が鯉登さんのマンションを訪ねて、そのまま泊っていくのが決まりごとのようになってしまった。一度、店を閉めるのが遅くなった時には、俺が訪ねて来なくて不安になったらしい鯉登さんから『未だ店を開けているのか』と連絡が来た事もある。
    19591

    fujimura_k

    MOURNING2022年5月発行 明治月鯉R18 『鬼灯』
    身体だけの関係を続けている月鯉。ある日、職務の最中に月が行方を晦ませる。月らしき男を見付けた鯉は男の後を追い、古い社に足を踏み入れ、暗闇の中で鬼に襲われる。然し鬼の姿をしたそれは月に違いなく…
    ゴ本編開始前設定。師団面子ほぼほぼ出てきます。
    鬼灯鬼灯:花言葉
    偽り・誤魔化し・浮気
    私を誘って

    私を殺して


     明け方、物音に目を覚ました鯉登が未だ朧な視界に映したのは、薄暗がりの中ひとり佇む己の補佐である男―月島の姿であった。
    起き出したばかりであったものか、浴衣姿の乱れた襟元を正すことも無く、布団の上に胡坐をかいていた月島はぼんやりと空を見ているようであったが、暫くすると徐に立ち上がり気怠げに浴衣の帯に手を掛けた。
    帯を解く衣擦れの音に続いてばさりと浴衣の落ちる音が響くと、忽ち月島の背中が顕わになった。障子の向こうから射してくる幽かな灯りに筋肉の浮き立つ男の背中が白く浮かぶ。上背こそないが、筋骨隆々の逞しい身体には無数の傷跡が残されている。その何れもが向こう傷で、戦地を生き抜いてきた男の生き様そのものを映しているようだと、鯉登は月島に触れる度思う。向こう傷だらけの身体で傷の無いのが自慢である筈のその背には、紅く走る爪痕が幾筋も見て取れた。それらは全て、鯉登の手に因るものだ。無残なその有様に鯉登は眉を顰めたが、眼前の月島はと言えば何に気付いた風も無い。ごく淡々と畳の上に脱ぎ放していた軍袴を拾い上げて足を通すと、続けてシャツを拾い、皺を気にすることもせずに袖を通した。
    54006

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