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    8_sukejiro

    @8_sukejiro

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    8_sukejiro

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    文豪とアルケミストの夢小説。
    ルビ振りの消し忘れ、誤字脱字があるかもしれません。
    侵食は一般人の小冊子。

    司書が持ってた学生時代の小冊子が侵食され、文豪2人…佐藤春夫と中島敦を巻き込み潜書する。
    司書の学生時代、その周りにいた人間との関係性、恋人である江戸川乱歩とのこれからを考える話です。

    夢小説サイトに他の夢も載せてます。
    https://lyze.jp/hachi3511/

    #夢小説
    dreamNovel

    密心と恋慕密心と恋慕


    涙海(るいかい)
    著:オカルト研究部


    「では、私はこれで失礼しますね」
    「なんだ、もう行くのか?」
    席を立つ司書、蜂巣の近くに座る佐藤春夫が声をかける。
    佐藤春夫は、お碗を持つ手を机に置いて蜂巣へとそう問いかけた。

    「ええ。司書室にやりかけの書類がありますから。それに、そろそろ有碍書を探索していた乱歩さんや徳田秋声さん達が帰ってくる頃ですし…、」
    それの対応にも…と言った所で蜂巣は、はたと周りを見る。
    蜂巣は周りの視線に言葉を止めて「…なんですか?」と訝しげに問いかけた。
    微笑むというよりは、ニヤニヤと揶揄うような視線を向ける国木田独歩は「いやぁ〜…」と声を溢すと、言葉を続ける。
    「"乱歩さん"ねぇ…と思ってな」
    「え?」
    「アンタ、気が付いてないかもしれないけどさ。江戸川乱歩以外、苗字かフルネームで呼んでるだろ?だから、乱歩と結構仲良い関係なんだなーと思ってな」
    蜂巣はまたしても、え…と声を溢す。

    国木田独歩の言う"良い関係"というのは、恋人という関係を指すのだろうと蜂巣は思った。
    国木田独歩の言う通り、蜂巣と江戸川乱歩は恋人関係にある。
    以前の"幽霊滝の伝説"から変化した2人の関係は、江戸川乱歩自身が書いた"幽霊"という小説の関与により晴れて恋人関係へと進んだ。

    特段隠すつもりも無かったが、面白い話でもないだろうと考えていた蜂巣は皆には聞かれない限り伝えていなかったのだ。
    蜂巣は国木田独歩の言葉に、1つ頷いた。
    「仲は、良いでしょうね。恋人同士ですし」
    蜂巣がそう言えば、国木田独歩はやっぱりなと呟き、祝福の言葉を蜂巣へと送った。

    神妙な顔つきをしていた三好達治は、えー?!!!と声を張り上げ、そして、その向かいに座る吉川英治はむせ返り、口元を手拭いで押さえた。
    吉川英治の隣に座る佐藤春夫は気遣うように、彼の背中を叩く。
    「なんだ、お前ら。知らなかったのか?」
    「そうだぜ、結構前から話題になってる話なのによ」
    噂は本当だったんすね…と目尻に涙をためて項垂れる三好達治のその姿を見た国木田独歩は、やっぱ司書に憧れてたんだな、おまえ…。と呟いた。

    蜂巣は苦笑をこぼすと、時計へと目をやり時間を確認する。
    時計の針は午後12時半を指している。
    もう1人の特務司書、山岳と共に任務にあたったのは午前9時半。終了予定時刻は13時だと山岳は言っていたはずだ。
    なら、話題の恋人が帰るには、もう少しかかるはずだ、その前に書類を済ませてしまおう。と考える。

    「すみませんが、そろそろ行きますね」
    蜂巣が席を引くと「あぁ、まってくれ」と佐藤春夫が立ち上がる。
    「俺も行くよ。アカに呼ばれてるんだ」
    そう言うと佐藤春夫は同席していた皆に手をあげて
    じゃあな!と挨拶した。


    食堂の賑やかな話し声を聞き流し、職務に戻ろうと2人は司書室がある方へと足を向けた。
    その瞬間、コツン、と蜂巣のつま先に硬いものが当たる。
    なんだ?と言う佐藤春夫の言葉に首を傾げる。
    目線を下げれば、それは一冊の冊子。
    拾って見れば、オカルテットという題名で、著者の欄にはオカルト研究部と書いてあった。

    「懐かしいなぁ。オカルト研究部の冊子ですね、これ」

    それはとても懐かしい物だった。
    これは、蜂巣が学生時代オカルト研究部なる珍妙な部活に所属していた時に、部員全員で作成したオカルト冊子だ。
    オカルトの研究論文を載せる者もいれば、蜂巣や友人達のようにオカルト関連の短編小説を載せる者もいた。
    そのオカルテットとは、オカルトとカルテットを組み合わせたもので、当時部長を勤めていた先輩がつけたものだ。
    壊滅的ネーミングセンスの持ち主だった彼女は、この題名を酷く気に入り断固として周りの意見を受け付けなかった。何故カルテットを混ぜたかは誰にもわからず仕舞いだが、恐らく何も考えはないのだろうと蜂巣は思っている。

    私は確か…怪談話を載せたはずだ。と蜂巣は目次を見る。
    親友の"きさらぎ"
    後輩の"13"
    部長の"涙海"
    そして、私の作品。その後にも何人かの部員の題名が載っている。

    「しかし、何故こんなものが此処に?」
    佐藤春夫の言葉に首を傾げながら、「どうしてですかね?」と冊子の裏も表もみてみるが、怪しい場所はない。
    確か、これは司書室の本棚に置いていたはずだ。
    以前、江戸川乱歩が蜂巣に渡した"題名の無い、江戸川乱歩の名だけが書かれた小説"の隣に。
    誰かが司書室から持ち出したのだろうか…?
    そう考えるが、周りには誰もいなかったし、特に汚れているわけでもないようで何故持ち出したかも分からない。

    「わかりませんが、後で戻しておきますよ」
    また必要なら取りに来るだろう。
    ぱらぱらと捲りながら、そう足を踏み出した瞬間、蜂巣は異様な浮遊間に襲われる。
    へ…?と蜂巣が声を出したと同時に、異変を察知した中島敦と佐藤春夫の蜂巣を呼ぶ声が重なった。

    「司書さん!」
    「蜂巣!!」
    手を伸ばして蜂巣へと駆け寄る中島敦を、蜂巣は瞠目した目で見つめた。
    急降下する身体を守るように、佐藤春夫は蜂巣の肩を強く抱きしめた。


    ん…。と蜂巣が目を覚ませばそこはグラウンドだった。
    下敷きにしているものに温かさを感じ、見てみればそれは佐藤春夫である。
    「あっ、わ!!ごめんなさい!」と躓きながらも春夫から退ければ、拍子に彼の脚を蹴る形になってしまい申し訳なさがつのる。

    その衝撃と声量に目を覚ました佐藤春夫は、顔を顰めながら、「此処は…どこだ…?」と呟く。
    蜂巣の顔をみると「あぁ、無事だったか」と安堵するように息を吐いた。
    佐藤春夫は立ち上がると、未だに気を失っている中島敦の元へと近づき優しく声をかける。
    佐藤春夫に起こされた中島敦は戸惑いながらも眼鏡を直し、周りを見渡した。
    彼も2人と同様に、此処の場所を尋ねるが2人は知らないと首を横に振る。

    ――

    だだっ広いグラウンドに、不規則に並ぶ校舎。空にはまるで海を泳ぐかのように遊泳する魚達がいた。
    一際目を引くのは大きな金の鯨だ。この場所に石川啄木がいたら喜びそうだなと、佐藤春夫は苦笑する。


    歪なこの空間は、大きなアクアドームの中にいるようで神秘的にも思えたが、今までに見た事のない世界に2人の文豪は困惑の表情を浮かべた。
    「潜書…でしょうか…?」
    そう呟く中島敦に「…そうみたいだな」と佐藤春夫は答える。
    「だとすると、有碍書はお前のそれになるわけだな?まさか有碍書とそして特務司書と潜書する事になるなんてな」
    そう指差すのは蜂巣の持つオカルテットという冊子。
    蜂巣は、そう…ですねぇ…。と呟き、冊子をめくる。
    確かに、読む事の不可能になった文字の羅列が幾つか見てとれた。

    だが、おかしいと蜂巣は首を捻る。
    「ですけど…有碍書にしては、本の侵食傾向が薄いようにみえますね」
    「薄い…ですか?」
    「そんなはずはないだろう。俺達ごと呑み込んだんだ。かなり侵食されてる筈だ」
    「ですが、この本を見る限りではそこまでではないんです。むしろ、これに比べたら先日浄化したルイス・キャロルさんの作品の方が断然酷かったですよ」
    蜂巣はそう言うと、適当に開いたページを2人に見せる。

    「少しお借りしますね」と中島敦がその冊子を受け取り、ページを捲っていく。
    それを覗き込むように佐藤春夫も冊子の中を確認する。
    「本当ですね。侵食度は低いように見えます」
    「そうだな。消えている文字もそこまでないな。だが、それだと…」
    佐藤春夫の言葉に、「あれ?」と蜂巣がこぼした言葉が重なる。
    「どうした?」
    佐藤春夫と中島敦が蜂巣を見遣れば、蜂巣は目をぱちくりさせていた。
    それを見た瞬間、2人は目を見開いた。
    「っ…蜂巣!その目はどうした?!」
    ぱちくりしている目は片方だけだ。
    蜂巣の片目はまるで墨汁をたらしたかのように真っ黒に染まっていた。
    蜂巣は首を傾げて、「さぁ…?」と答える。
    「何故かいきなり片目が見えなくなって…。私の目、どうなってますか?」
    佐藤春夫と中島敦は互いを見合い、困惑の表情を浮かべる。
    「痛みは無いのか?」
    「ありませんね」
    中島敦は、蜂巣に近づくと「少し失礼しますね」と顔を覗き込む。
    どうぞ。と答え背筋を伸ばした蜂巣たが、次第に顔が曇っていく中島敦に少しの不安を覚える。

    「…あの…私、どうなってますか?」
    中島敦は言いづらそうに、ええと…と言葉を濁す。
    「僕の推測なんですが…恐らく、蜂巣さんは侵食されているのではないかと思うんです」
    「侵食?」
    「ええ。蜂巣さんの片目は、まるで侵食された書物のような文字の羅列で埋め尽くされています。今も尚それが広がりつつある…その、文字の羅列が顔に…」

    取り乱す中島敦をみて、思わず「へぇ…」と呟くと、佐藤春夫は「へぇ、じゃないだろう」と頭をこつかれる。
    「なんだか、不思議な感じですね。侵食されてるというのに、私自身にはなんも感じないなんて」
    どんどん広がる顔の侵食を止める方法を考える2人に、蜂巣は冊子を渡して欲しいと頼んだ。

    侵食されているのは私だとしても、冊子が原因なのは明らかだろう。だって、侵食というのは文字を壊す媒体なのだから。
    蜂巣が冊子を手に取れば、蔓のよう首元にまで侵食していた文字の羅列がぴたりと止まった。
    それは、自分でもなんとなく理解できて、おや?と声が無意識に漏れた。
    「蜂巣が持った途端止まった…か」
    「冊子を手放した事で侵食が始まり、再度手に持つ事で止まる…。やはり、司書さんがなにかしら関係していると見て間違い無さそうですね」
    「しかしなぁ…蜂巣がこれだけ侵食されたとなると、侵食者が寄ってくる可能性も出るだろうな」
    「ええ。今の司書さんは謂わば鍵でしょうから。痛みなどがないのは幸いでしたが、危険な状態である事には変わりありませんね…」
    中島敦はそう言うと、何かに気が付いたようで視線を背後へとやる。
    眼鏡を外したその瞳から先程までとは違う鋭い視線が、そこにいる者へと突き刺さる。
    「言ったそばから来たようだな。おい、お前」
    口調の変わったもう1人の中島敦に呼ばれた蜂巣は、きょとんと、はい?と返す。
    「俺のそばから離れるなよ。倒れられると迷惑だ」
    「勿論です」
    蜂巣は、佐藤春夫と視線を合わせて一度頷き「御二方!頼みます!」と彼らに言う。
    それが戦闘の合図とばかりに、中島敦と佐藤春夫は駆け出し侵食者との戦闘を開始した。

    ――

    「みんな怪我がなくて良かったです。お疲れ様でした、佐藤春夫さん、中島敦さん。拍手したくなるぐらい見事な戦闘でした」
    「当然だな。ほら、お土産だ」

    出てきた敵は、いつも潜書する本の敵よりも弱いように見えた。それは、"本"ではなく"冊子"という学生が作った素人作品だからかもしれない。
    けれど、相手は侵蝕者だ。対抗する術を持たない蜂巣が襲われればひとたまりもないだろう。

    戦闘はあっという間に片付き、倒れた侵食者が遺した色とりどりの小石を蜂巣は2人からもらう。
    それをポケットに入れた時、視界の隅にうつる校舎に動くものを見た気がした。顔を上げて、校舎を見つめる。
    目を細め、目を凝らせば、そこには確かに動く者…女子生徒が廊下を歩いていた。
    この距離からでもわかるほどのスカイブルーの美しい髪を靡かせた彼女は、足を止めて蜂巣へと顔を向ける。
    遠目からでも分かる程、彼女は美しかった。

    蜂巣が微動だにしないことを不信に感じた中島敦は、蜂巣の隣に立ち、蜂巣が見つめる視線の先へと目を遣る。
    「なんだ、あの女は…」
    中島敦の言葉に蜂巣は首を傾げる。

    目と目が合っている、そんな気がする。
    遠くにいる彼女は蜂巣と目を合わせた時、涙を流したように見えた。
    彼女は何かを呟くと、廊下を駆け出した。
    その瞬間、蜂巣も足に力を入れて駆け出す。
    何故かはわからない。彼女の事が気になってしまったのだ。
    佐藤春夫が呼び止める声も気にせずに、蜂巣は彼女のあとを追った。

    それはどこかで読んだ小説の一部のようだと蜂巣は思った。

    "グラウンドを見つめる視線は、決して恋してはならぬ女性へ向けられている。
    見ているだけで良いのだ。告げてはならぬのだ。
    2人を繋ぐ青い糸がぷつりと切れてしまうから。
    歪にゆがんだ青の空間では、この心も手も届かない事を知っている私は、海のように辛く青い涙を流しながら言葉をこぼす。
    それは、決して告げてはならない呪いの言葉だ。
    「…好き」
    私はそう言って、その場を去った。"

    蜂巣は道を駆け抜けながら、校舎へと入る。階段をかけのぼり、校舎の2階へ。
    今思い出した小説の一部を頭に浮かべながら、あれは誰の作品だっただろうかと考える。
    思い出した文面から見れば、ライトノベルに近いようにも見えるが、実物の小説が手元にないので何もわからない。

    廊下を走り抜けて、先程彼女がいた所を通り抜ける。
    廊下を進めば上と下へ進む階段が姿を表す。
    その先は、厠。それを抜ければ、別棟へと繋がる渡り廊下がある。
    どちらに行ったのか分からず、完全に彼女を見失った。
    蜂巣は階段の前で速度を緩め、足を止めた。
    荒い呼吸が肺に酸素を入れる。肺の苦しさに顔を歪め、胸に手をやった。

    「蜂巣!!」
    佐藤春夫の焦りを含む呼び声に振り向こうとした瞬間、蜂巣は後ろから肩を掴まれ、勢いよく振り向かされた。
    目の前にいるのは中島敦だ。

    「死にたいのか!?おまえは!!」

    突然の怒声に、蜂巣は肩を震わせる。
    瞠目した蜂巣のもとへ佐藤春夫が追いつき肩に手を置く。
    怪我はないか?侵食者に遭遇したりは?
    佐藤春夫の質問に唖然としたまま頷き返す。
    司書の身になにも問題がないと分かった佐藤春夫は、盛大に安堵のため息を吐くと、蜂巣の頭に手を置いた。
    撫でるというよりは掻き乱すと言った方が良いほどに髪をくしゃくしゃにされ、蜂巣はわっ!と声を漏らした。
    「いきなり走り出したら心配するだろう。さっきも言ったが、蜂巣は今侵食者を呼びやすい体質になっているんだ。お前はこの本の鍵なんだからな。さっきの敵もお前を真っ先に狙っただろう?!」
    「馬鹿が死のうがどうでも良いがな、あちらへ帰るには鍵であるお前が必要だ。軽率な行動はするな、迷惑だ」
    蜂巣は苦笑し謝罪を口にする。

    「う…すみません…。気になっちゃって」
    「あの女か」
    「はい。此方を向いていたので、何か関係があるのかと思ったんですが…」
    先程通り過ぎた彼女がいた窓辺の廊下を見ながらそう言うと、なに…?と中島敦が声をこぼす。
    「向いていただと?あの女はずっと背を向けていただろう」
    今度は蜂巣が、へ?と言葉をこぼす。

    「俺は見てなかったが、2人は見てるものが違うみたいだな」
    佐藤春夫はそう言うと、顎に手をやり少しの間考える。
    そして、顔を上げると蜂巣に問いかける。

    「蜂巣、お前にはこの廊下がどう見える?」
    「え?廊下、ですか?いきなりどうしたんですか?」
    「いいから。ここの廊下と窓の外。空の景色。お前が見えているものをただ口に出して教えてほしい」
    訝しげに蜂巣を見る中島敦の視線に、蜂巣は少したじろいだ。まるで、尋問されているみたいだと思ったからだ。
    困惑しながらも、蜂巣は景色を見渡し口を開く。

    「えっと、景色は学校の校舎です。外にはグラウンドがあって、空は夕陽に変わりつつあります」
    「廊下は?」
    「あー、廊下は真っ直ぐ続いてます。グラウンドも綺麗に整備されていると思います」
    「っ…!」
    「…やはりな…。空には何が見える?」
    「え?空、ですか?空…は…」
    えっと…と呟きながら、蜂巣は窓から身を乗り出し空を見る。
    蜂巣の目に映るのは、ごく普通の夕空だった。
    ううん…と声を溢すだけで返事のない蜂巣を、中島敦は襟を掴み屋内へと引き戻した。
    わっ!とふらつく蜂巣を支えた佐藤春夫は、どうだ?と問いかけるが、蜂巣は苦笑をこぼす。
    「あー…、雲が、浮かんでました。あと、夕日が綺麗だったです…?えっと、…こういう返事で良かったですか?」
    体勢を直しながら不安そうに2人を見る蜂巣。
    文豪2人は、お互いの顔を見合わせた。
    何か言いたいことがあるようだ。
    なんだろうかと首を傾げる蜂巣に、佐藤春夫は言う。

    「蜂巣。やっぱりお前は俺達とは違う景色を見てるみたいだ」
    「違う景色?」
    ありふれた学校の景色で、何が違うのだろうかと蜂巣は廊下を見渡す。
    「お前が走りだした時に、俺はお前が躓いてこけるか、足場の悪さにすぐに息が上がると思っていた。だが、お前は楽々と道を駆け抜けていき、俺達よりも前を走っていた」
    「足場が悪いって、どこも平坦な道ですよ?グラウンドはたしかに砂場ですが…」
    「そこまででは…」と言葉を続ける蜂巣に、中島敦は「違う」と否定する。
    「あぁ、そもそも俺達が見る景色では、廊下もグラウンドも真っ直ぐじゃないんだ。この廊下も、まるで大木の幹のように畝りあげて、蜂巣のように全速で走るのは難しいぐらいだ」
    蜂巣は目を見開いた。
    さらに佐藤春夫は言葉を続ける。

    「空もそうだな。蒼天の空には魚や鯨が泳いでいるし、雲は存在しない」
    「なかなかに、ファンタジーですね…。じゃあもしかして、まだ帰宅してない生徒達も見えないですか?ピクリとも動きませんが」
    「あぁ、俺には見えていないな。そっちはどうだ?」
    「俺にも見えていない」
    「だそうだ。…それでだな、思ったんだが。もしかすると、蜂巣はこの物語の登場人物の1人として扱われているんじゃないかってな」
    「私が?でも、それだとおかしくないですか?私よりも、ファンタジーな世界をみている2人の方が可能性は高いように思えます」
    「だが、お前は侵蝕もされているだろう」
    「…そう、ですけど…」
    中島敦の言葉に蜂巣は、ううんと首をひねる。

    たしかに、冊子を手放したことで人体に侵蝕が起き、蜂巣の片目は見えなくなった。
    蜂巣が冊子の一部と扱われているのなら、蜂巣が侵食されたことも頷ける。
    だけれど、蜂巣よりも世界観を体験しているのは2人の方なのも確かだ。

    「もしもの話だが、俺達の見ている景色が侵蝕されたのが原因だったら、どうだ?」
    佐藤春夫の言葉に、蜂巣は「あー…なるほど…」と呟く。
    「…あり得なくはないですね。侵食によって物語がかわったり、いない筈のものが居たりする時もありますし…」
    「どちらも推測に過ぎんだろう。馬鹿な事を考えていないで、さっさと先に進むぞ」
    「あぁ、そうだな。何にしても、侵食を浄化しなければ戻れないんだしな」
    「行くぞ、蜂巣」と佐藤春夫に肩を叩かれて、蜂巣は返事を返す。
    もしも此処に乱歩さんがいたら、このトリックも解明してくれたのだろうか。
    眼鏡をかける中島敦を視界の隅に捉えながら、ふと、元の世界にいる彼のことを思い出した。
    「乱歩さんに、また心配かけちゃうかなぁ…」
    ,
    ,
    ,

    江戸川乱歩は、読んでいた本から顔をあげる。
    誰かに呼ばれた気がしたからだ。
    周りを見渡してもそこはいつもと何も変わらない室内。ただ一つ、その部屋の持ち主がいないだけ。
    「気のせい、ですか」
    また本へと視線を戻そうとした時、後ろから声が聞こえた。
    「ソレは、守護霊かもしれないデスね」
    その特徴的な喋り方から声の主が誰なのかが分かる。
    顔を向ければ、司書室の入り口にいたのはやはり小泉八雲だった。
    「守護霊とはまた奇怪な事を仰いますね」
    「守護霊は誰にでも存在すると言われてマス。もしかすると、司書殿の守護霊が教えてくれてるのかもしれないデス」
    「さぁ、どうでしょうかね」と江戸川乱歩は苦笑する。
    小泉八雲もいつも通りの笑みを浮かべて、江戸川乱歩に近づいた。
    「此処にいると思いました。みんな、貴方を心配してマスよ」
    「心配?何故です?私はこの通りピンピンしていますがね」
    本を閉じて、戯けるように両手を広げてみせる。
    「そうは見えないけど」
    その声に、江戸川乱歩は眉をしかめ、身体を正す。
    入り口の枠に寄りかかるように立つ徳田秋声は「それ」と江戸川乱歩が持つ本を指さした。
    「それさ、君が司書さんに渡したラブレターだろ?そんなん読んでるぐらいなんだ、大丈夫そうには見えないよ」
    「ら…ラブレター…。あの方がそう言ったんですか…」
    なんとも言えない表情をする江戸川乱歩に徳田秋声は首を傾げた。
    「あれ?違った?前に司書さん、俺に江戸川乱歩さんからラブレターもらったーって報告しに来たんだけど」
    江戸川乱歩は少しの間をあけた後、大きなため息を吐いた。

    「えぇ…まぁ。そうですね」
    「やっぱり、ラブレターじゃないか」
    「いや、それは…。あー…はい、それもですがね」
    「司書さんの事デスね?」
    「えぇ…。心配ではない、というと嘘になりますが…ですが、そこまで心配していないのも事実なんです」
    そう言うと視線を本へとおろす。
    江戸川乱歩は、題名の無い、自身の名だけが書かれた小説の表紙を指先で撫でた。
    「この小説を書くまでは、彼女が死ぬ夢ばかりを見て、それが正夢になるかのように同じ現象が起き続けていた。ですが、今はそんな夢は全く見ないんです。だから、大丈夫だと思うんです」
    「初めて聞いた。そんな事があったんだ」
    江戸川乱歩は小さく頷くと「それに」と言葉を続ける。
    「もう1人の特務司書さんが頑張ってくれてますからね。私達が手出し出来ない中で、彼女はアルケミストとして有碍書を調べてくれてる。彼女は優秀なアルケミストですから、心配はしていませんよ」
    そう言い、小泉八雲を見つめ「そうでしょう?」と問いかければ彼は笑顔で頷いた。
    「ええ、勿論です。私の司書殿は優秀なアルケミストですからね」
    「まぁ、蜂巣さんは頑丈で肝も据わっていますしね。今頃、いつものように好奇心に負けて共に潜書した人達に怒られてるのではないでしょうか」
    江戸川乱歩がそう言うと、2人は苦笑して頷いた。
    「確かに、司書さんならやってそうだね」
    徳田秋声の言葉に江戸川乱歩は微笑し、本をもう一度撫でた。
    .
    .
    .

    へぇっくしゅん。ー。
    蜂巣は両手で顔を覆った。
    「噂でも、してるのかな」
    そう呟いた時、佐藤春夫に指先で頭をツンと叩かれる。
    「こら、ちゃんと話を聞いてるのか?」
    「あ、すみません」
    「好奇心に任せて、勝手に走るなって言ってるだろ?」
    「今回は私達が間に合いましたが…次はどうなるか分からないんです。気をつけた方が、良いと思いますよ」
    佐藤春夫と中島敦の言葉に蜂巣はまた謝罪を口にする。

    数時間前、校舎にいた佐藤春夫、中島敦、司書の3人は、渡り廊下を抜けた先にある隣の校舎に彼女の姿をみた。蜂巣は2人に説明をして、3人でその別棟の校舎へと向かった。
    だが、少女の姿がまた消えて、次は上り階段に出現した。

    "私は悲しみの中に漂う。"
    その時、少女の言葉が文豪2人に届いた。
    2人は蜂巣に聞こえた内容を説明をする。
    "胸が焦がれ、想いが溢れる。壊れそうなほどに。"
    "私を助けて、貴女が救って…"
    蜂巣には聴こえない声が、2人のもとに届く。

    そこでまた悪癖である蜂巣の好奇心が刺激されたのだ。
    私が聞こえない声。もしも、あの少女から直接話を聞けば、どうなるのだろうか、と。
    あの少女が鍵となるのは確かだ。
    蜂巣の目には他の生徒もちらほら見えているが、皆固まったまま動かない。動いているのは、あの少女だけなのだ。
    あの少女から直接話を聞き出す事ができれば…。
    そう思った時、少女が階段を登った。
    蜂巣はまたあの少女の後を追って走り出したのだ。
    忠告された事さえも忘れて、無我夢中に。

    少女はまるで浮いているようにするすると階段を登り、屋上の扉を抜けた。
    階段を駆けあがり、息の上がった蜂巣はその勢い任せに扉を開けて転がり込むように屋上へと入る。
    眩い光があけて初めに目にしたのは、侵食者の姿だった。

    あ…。と蜂巣が呟いた時には、侵食者の刃は蜂巣に振り下ろされていた。
    だが、すんでのところで佐藤春夫の刀が敵の刃を受け止めた。
    そのすぐ後、侵食者の首は刎ねられ「また馬鹿に振り回されたか」と中島敦が現れた。

    そして、最後の侵食者との戦闘が終わり、今に至るのだ。

    説教をおとなしく聞き終えた蜂巣は、屋上の鉄柵に寄りかかるように立っている少女へと視線を移した。
    その視線は外へと向いている。
    「2人には、彼女の姿どう見えますか?」
    蜂巣は正座から立ち上がり、2人の文豪にきく。
    2人の答えは、蜂巣と同じものだった。
    物憂い気に眉を下げて、今にでも泣きそうな顔で景色を見ているその姿。
    話をするなら今だろう、と蜂巣は足を踏み出す。
    その時、彼女の口が動いた。

    "空には大きな金の鯨。群れをなす小魚に、雲を駆けるイルカ達"
    「え?」
    "貴女には見えるかしら?この景色が。…いいえ、きっと見えないわね"
    "だって、貴女は海に生きていないもの"

    その言葉を、蜂巣はきいたことがあった。
    いや、読んだことがあった。
    それは、オカルテット。後輩の作品の後に掲載された、作品の一部分だ。

    「この台詞は…部長の"涙海"…」
    「どうした?何か、聞こえるのか?」
    「え…」
    「涙海って、確かその冊子の中にあった小説ですね?」
    「ま、まってください、聴こえないんですか?」
    私がそう言うと、2人は首を横に振る。
    「私達には何も…」
    彼女のこの言葉は、蜂巣にしか聞こえていなかった。
    蜂巣は困惑した表情で「なんで…わたしだけ…」と呟く。
    「さっきまでは、2人にしか聞こえなかったのに」
    何かがひっかかる。
    なぜ、私の見る景色と、彼らの見る景色が違うのか。
    なぜ、私にだけ聞こえて、彼らには聞こえないのか。
    なぜ、彼らには聞こえて、私にだけ聞こえないのか。

    何気なく窓の外を見上げれば、夕の光が照らす空。
    けれど、私の見る空は青の海。
    貴女と目を合わせる度に、言葉を交わす度に、この世界は歪にねじ曲がる。うねり上げる道は貴女と私を遠ざけ、歪む校舎は貴女と私を引き離す。
    呪いを告げないように、私の世界は貴女を守る。
    何も知らない、見えない貴女は、また私に声をかけ、笑顔を見せるのだ。
    私を見る。残酷な程、ありふれた普通の景色として。

    大雑把に記憶された小説の一部が脳裏によぎる。
    もしも。これが涙海の一部なのだとしたら。
    涙海には2人の見る景色の違いが書かれているはずだ。

    蜂巣は地面に冊子を置くようにしてオカルテットを開く。
    涙海、涙海…と呟きながら、ページを捲っていき目的のページを見つける。

    「…ここかな」

    "涙海"
    "名瀬 たか子"

    "目覚めて1番に見る景色はいつも同じものだった。
    目の前には青い、青い世界が広がる。
    まるで海の中にいるようなこの景色を見る度に、私は幸せな夢を忘却する。
    青い世界が広がり始めたのは、彼女の笑顔を見た時からだった。
    なんて事ない、ただの世間話に花を咲かせて笑い合った時だ。後輩の彼女は目尻に涙を浮かべながら笑っていた。
    その姿が何故か頭に焼きついた。チカチカと、まるで眩い光を見ているかのような目の痙攣。
    その時だ。彼女がとても素敵に見えた。好奇心に駆られ無鉄砲に行動する所も、先輩後輩隔てなく気さくに話しかける姿も、全てが素敵に見えた。
    しかし、彼女の瞳に映る私の姿に私は絶望し、私というものを呪った。
    同性という叶わぬ想いを抱え、あまつさえ彼女との関係を断ちかねないこの言葉をどうして言えようか。
    その日から、私の世界は彼女との関係のように青く、そして歪に畝り曲がっていった。
    冷たい冬の海のように私の心は凍えていく"

    次のページを捲る。

    "私と彼女は同じ部活に所属する。
    先輩と後輩という関係柄、会って話せるのは殆ど部活の時だけだ。
    彼女はいつも通りに私の隣に座り、鞄からお菓子を取り出す。それが合図だった。私達は下らない世間話を始める。いつも通りの馬鹿な話。
    大分話した後、何気なく彼女が窓の外を見上げる。そこは夕の光が照らす空。
    彼女の瞳に光が宿るように煌々と夕の光が映り込む。私は彼女と同じ世界が見たくて、その視線の先へと目を向ける。
    だけれど、私の見る空は青の海。
    「先輩」と彼女が、笑顔で私を見る。その口が動き、言葉を紡ぐ。世界が畝る。彼女が遠くにいる。
    彼女と目を合わせる度に、言葉を交わす度に、この世界は歪にねじ曲がる。うねり上げる道は彼女と私を遠ざけ、歪む校舎は彼女と私を引き離す。
    その眩さにあてられ呪いの言葉を告げないように、私の世界は、私から彼女を守るのだ。
    何も知らない、何も見えない彼女は、残酷な程ありふれた普通の景色を見たまま私に声をかけるのだ。
    私と違う想いのまま、私に笑いかけるのだ。"

    蜂巣はそこまで読むと、顔を上げた。
    あった。先程、脳裏によぎった小説の一部が。

    語り主の見ている世界と、語り主が好意を抱く"彼女"の見ている世界は違うのだ。
    語り主は、歪んだ青の世界を見ている。
    おそらく、佐藤春夫さんや中島敦さんが見ている景色と同じ物だろう。
    これは侵食による影響でも何もない、この歪んだ世界こそが語り主の見てる世界そのものなのだろう。
    そして、"彼女"が見ている世界は恐らく普通の景色。
    私と、同じ景色を見ているんじゃないだろうか。
    つまり、それは…。

    蜂巣は、視線を佐藤春夫へとやる。
    前屈みになり困惑した表情を浮かべる佐藤春夫と目があった。
    「…どうした?何か、分かったのか?」
    その言葉に、蜂巣は何も言わぬままこくりと頷いた。
    ゆっくりと口を開く。
    仮説でしかない言葉を、蜂巣は2人に伝えた。


    "私はこの世界が好きよ。だって、これは貴女と私の友情の色だもの。"

    語り主である彼女は、海のように青い髪を靡かせながら振り向く。
    彼女と、彼女の正面に立つ蜂巣の目が合わさった。
    まるで指を絡めるかのように絡みつき、少しも逸らすことの出来ない視線を蜂巣は真っ向から受け入れた。
    彼女の瞳は、恋に焦がれる少女そのものだった。
    作中では 恋した少女に対して、"彼女の瞳に光が宿るように煌々と夕の光が映り込む" と、表現していた。
    だが、蜂巣はそれと同じ瞳の輝きを彼女に見る。
    それは彼女の願望だったのかもしれない。恋した相手が、自分を愛してくれているのなら、という表現なのかもしれないと蜂巣は思った。

    彼女は叶わぬ恋と分りながらも願っていた。想い続けていた。
    何一つ答えを出さぬまま、彼女は自身を呪い殺して幕を閉じるのだ。

    だが、私は違う。
    少なくとも、この目の前の彼女が恋している"私"は違うのだ。
    私は、作中の"彼女役"であって、"彼女"ではないからだ。
    だから、私は私のやりたいように動く。私らしく。
    好奇心に駆られるがままに、彼女の話を聞いてやるのだ。


    "彼女と話す最後の日。彼女はいつも通り何も知らぬ顔で笑って、私に話しかける。
    卒業すれば、彼女とはもう会う事もないだろう。
    私と彼女の世界は違う。故に、彼女は残酷なまでの笑顔で言うのだ。
    おめでとうございます、と。
    海の水のように辛く青い涙が、ぽつりと零れる。
    私はそれを隠すように彼女に背を向けて、外の景色を見た。
    「良い天気ですね、空も青くて綺麗で」
    呑気に笑う彼女。
    貴女も青の世界を見ているのかしら。そんな馬鹿げた事が頭を過ぎる。
    「空には大きな金の鯨。群れをなす小魚に、雲を駆けるイルカ達。貴女には見えるかしら?この景色が」
    それは最早願望だった。
    「先輩?」
    「…いいえ、きっと見えないわね。だって、貴女は海に生きていないもの」
    自身の髪が黒へと変わる。
    「私はこの世界が好きよ。だって、これは貴女と私の友情の色だもの」
    涙をおさめた私は、無理やり作った精一杯の笑顔で彼女へと振り向く。
    「貴女と友達になれて、良かった!」
    そう言えば、彼女はいつもの笑顔で頷いた。
    青の世界が、黒く変わる。
    まるで深い深い深海のように、暗闇へと変わる。
    ありがと。
    震える口は、たった4文字の言葉も声にする事が出来なかった。
    心は、最後の言葉を拒絶した。
    心に宿る本当の言葉は違うものだったからだ。
    うそつき。
    その言葉は呪いとなって、私を真っ黒に染める。
    沈む。深くへ。
    足元に大きな空洞が出来たかのように、私は、這い上がることの出来ない深海奥深くで、息絶えた。"

    "貴女と友達になれて、良かった!"
    彼女は蜂巣に向けてそう言った。
    蜂巣に向けた目は苦しげに細められている。

    次第に黒く染まる彼女の髪を蜂巣は見た。
    水墨を流し込むように暗闇へと変わる世界を文豪は見た。

    無理をして笑う彼女に、蜂巣は眉を顰めた。
    「本当の事を教えて」
    そんな彼女に、蜂巣は真っ直ぐ彼女目を見つめて言葉を放つ。
    彼女は少し目を見開き、その顔から笑みをなくした。
    「貴女の本当の気持ちを教えてください。私はなんで貴女がそんなに苦しそうに笑うのか、知りたいです」
    蜂巣がそう言うと、彼女は唇を震わせ目線を地面へと下げた。
    今にも泣きそうな表情の彼女は今、何を思っているのだろうか。蜂巣は、もう一度同じ言葉を彼女に問いかけた。

    "言えないわ"
    長い沈黙の中、ようやく彼女の声が絞り出される。
    その声はか細いが、確かに蜂巣の耳に届いた。
    佐藤春夫、中島敦、2人の文豪が蜂巣を見守る。
    その視線を感じながら、蜂巣ははっきりと声を出す。
    「どうして?」
    "壊れてしまうもの"
    「それは、青の世界?」
    蜂巣の問いに彼女は両手で顔を覆って首を横に振る。
    「怖いんですね」
    その言葉に彼女は肩を震わせた。止めて…と呟く声は、水泡となりぶくぶくと上へと浮かんでいく。
    「決意が壊れるのが、怖いんでしょう」
    彼女の姿を見て、蜂巣はそう思ったのだ。

    ラストの4文字、"うそつき"。
    それを最初に観た時、蜂巣は誰に向けての言葉だろうかと考えた。"彼女"に向けた言葉なのか、主人公自身に向けた言葉なのか。
    だが、彼女をみて違うと分かった。人物に向けてではないのだと。
    それは、恋をかくした己に向けた言葉ではない。
    黒に変わった世界は、恋を捨てたからではない。
    この目の前にいる彼女は、"彼女"との友情諸共全てを捨てたのだ。
    好きと言葉にすれば、その言葉は呪いとなり"彼女"を傷つける。
    気持ち悪いと思われるかもしれない。嫌われるかもしれない。もう2度とその好きな笑顔を見れないかもしれない、好きな"彼女"からその笑顔を消してしまうかもしれない。

    だから、全てを捨てた。
    迷惑をかけないようにと、全てを無かったことにした。
    彼女を恨む事によって、全てを捨てたのだ。
    "うそつき"は、貴女と友達になれて、良かった。のところに向けられているのだ。

    「決意が壊れてしまうのが、怖いんですね」
    目の前にいる彼女は黒い涙を流す。
    私は迷う事なく、「ねぇ、部長」と彼女へと声をかけた。
    部長、と呼ばれた彼女は顔を上げる。
    「その気持ちに決着をつけましょうよ」
    " え?"
    困惑、不安、それらによって涙を流し、下げられた眉。
    「きっと、私は部長の気持ちに答えられない。けど、このまま何も言わずに終わって良いとも思えない。貴女が辛いだけなんて私は嫌です」
    この世界の青は、友情の青だと蜂巣は思う。
    彼女の髪が黒く染まったと言うことは、その友情が無くなったということ。
    そんなの悲しすぎるじゃないか。
    なぜ、彼女だけが苦しみ、全てを消してしまわなければいけないのか。

    「私は、大丈夫ですよ。だって、友達だもん。何言われたって、嫌いになんかなりませんよ。だから、貴女の気持ち、聞かせてください」
    私がそう言うと、目の前の彼女はボロボロと海のように青い涙を流し始めた。
    彼女が苦しんでいたのは恋をしたからじゃない。
    誰にもそれを打ち明けられなかったから。
    その恋心で好きな人を傷つけてしまう事が怖かったから。

    彼女は胸に手を当てて、蜂巣の目をまっすぐに見つめる。
    黒い瞳は青い輝きを取り戻していく。
    「私、貴女の事が好きよ。大好きよ。心から愛しているわ、たとえ、貴女に好きな人がいたとしても、ずっと貴女を愛しているわ」
    「人に好かれるのは嫌いじゃありませんよ。でも、私には恋人がいます。だから、貴女の気持ちには応えられません」
    "分かってたわ。貴女に恋人ができたことも、ずっと見てたから"
    「ずっと?」
    "ええ、ずっと。ねぇ、これからも友達で、いてもいい?"
    「勿論です!」
    そう笑って言えば、彼女は涙を拭いながら笑顔で頷いた。

    「世界が青に戻っていく…」
    佐藤春夫のその呟きに、蜂巣は空を見上げた。
    蜂巣には、小説と同じように何も変わらない蒼天の空に見える。
    これは、友情の色だ。青春の色だ。
    彼女が自分を殺してしまうほど苦しんだ結末は回避されたのかもしれない。

    "貴女と友達になれて良かった!"
    その大きな声に視線を彼女へと戻せば、彼女は笑っていた。
    海のように青い髪を靡かせて、とびっきりの笑顔で言った。
    "ありがと!!"
    目を細めて笑った彼女の目尻から、一粒の青い涙が落ちた。

    その涙は地面に落ちると、コンクリートの地面に波紋を広げる。
    それはまるで、水面のようだった。

    「わ、わわわ!」
    後ろから中島敦の慌てる声が聞こえて振り返れば、2人の文豪は空を見上げながら此方へ来ていた。
    「どうしたんですか?」
    そう首を傾げれば、2人は驚愕の瞳で「どうしたじゃない!」と大きな声で言う。
    益々意味がわからない蜂巣は、んー?と唸るが、彼女の言葉で全てを理解する。

    "元の世界に帰れるのよ"
    「元の世界に?…どうやって?彼らを見てると、普通に帰れそうにもないですが」
    "それは、起きてからのお楽しみよ"
    お楽しみなら仕方ないか。と諦めた蜂巣は、へぇ。と返す。そして、先程から気になっていた事を質問した。
    「さっき、"ずっと見てた"て言ってましたよね?あれは、どういう事ですか?」
    "そのままの意味よ。私は貴女をずっと見てたの"
    風で靡く髪を耳にかけた彼女は、恋する少女のように微笑む。
    "私は、貴女への恋を綴った小説だから"
    「え?」

    「蜂巣!!」
    佐藤春夫にそう呼ばれた時、佐藤春夫と中島敦に手を引っ張られ、2人目掛けて背中から倒れ込んだ。
    2人の腕にしっかりと抱かれた蜂巣は、仰向けになったまま視界の先にある空を見つめた。
    そこには海があった。
    青い綺麗な海が空を覆い、金の鯨、群れを成したイルカが海原を駆けていた。
    まるで海は降って来るかのように此方へと近づいてくる。間近に見える美しい海の景色。
    その美しさに吐息を漏らした瞬間、海は蜂巣達を飲み込んだ。

    バシャアンッ!!

    一面青の世界で、彼女は微笑み手を振った。
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    Replies from the creator

    8_sukejiro

    DONE私的に泉鏡花の星あかりは、幽霊視点で描かれた作品だと考えています。最後、医学生を見た幽霊の意識は寝ている医学生自身へと視点変更します。それは取り憑いからじゃないかなと。

    青空文庫さんに「星あかり」「幼い頃の記憶」がございますので、そちらを読んでいただけると分かりやすいと思います。又、「かもめの本棚」さんの解釈が私の中でしっくり来たので参考にさせていただきました。是非、両方読んでみてください。
    星アカリヲ浄化セヨ星アカリ
    一章
    ――――


    " もとより何故という理はないので、墓石の倒れたのを引摺寄せて、二ツばかり重ねて台にした。
     その上に乗って、雨戸の引合せの上の方を、ガタガタ動かして見たが、開きそうにもない。雨戸の中は、相州西鎌倉乱橋の妙長寺という、法華宗の寺の、本堂に隣った八畳の、横に長い置床の附いた座敷で、向って左手に、葛籠、革鞄などを置いた際に、山科という医学生が、四六の借蚊帳を釣って寝て居るのである。"


    ――――


    カラカラと音を立てたキャリーケースは、ある建物の前で止まった。
    蒲田哲也は、そのビルを上から下まで舐めるように見渡し、満足そうに頷いた。

    「うん、上等だな」

    口元に弧を描き、目を輝かせた。
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