「チェズレイ、ごはんだよ〜」
モクマのウキウキと弾んだ声にチェズレイはタブレットへ集中していた意識を剥がした。夕食の時間のようだ。今晩はメニュー決めと調理をモクマへ一任していた。今夜中に情報を整理するために書斎で集中したかったからだ。
チェズレイは、眼鏡を取り去り書斎机の上に置いてから立ち上がった。
廊下を進み、ダイニングテーブルへ向かう。
(今日の献立は……)
ランチョンマットの上には深めのお椀。その中は真っ赤な海で満たされており、アツアツの湯気が立っていた。白くて丸いものが浮島のように3つほど浮かんでいる。豆腐だ。その上に散らされた小ネギが島の草原のように見える。真ん中には黄色の円があった。卵の黄身が落とされている。
これはたしか、スンドゥブチゲという料理ではなかっただろうか。辛い料理だったと記憶している。
「ほい」
チェズレイの対岸に座ったモクマが銀のスプーンを手渡してきた。
受け取った銀の匙にチェズレイの苦笑が映る。
「真っ赤に煮えたぎる海……まるで地獄の煮え湯のようだ」
「詩的な表現だねえ。単に暑い日にこそ身体を熱くさせるものを食べたいってだけだよ。苦手だった?」
「いえ」
「そう。ダメそうなら真ん中のお月様を割ってやるといい。マイルドになるよ」
「お気遣いをどうも」
2人向かい合って手を合わせる。
「「いただきます」」
チェズレイはすぐにスプーンを手に取ることはしない。まずは目の前の男の様子を見守る。
銀の匙にすくった赤いスープをモクマが飲み込むところだった。
彼はぎゅっと強く目を瞑った。視覚を遮断して舌に意識を集中させて深く味わっている、わけではなさそうだ。どちらかと言うと、痛みに耐えている顔である。
「んんっ……からっ! うまっ! くうッ……でも、からーい!! ひぃいいい……!」
喚きながらモクマは匙を握る手を止めない。
既にモクマの額には汗が滲み出している。カプサイシンによる発汗作用で汗腺が開ききっている。新陳代謝の良いことだ。
「言葉に出すと五臓六腑に沁み渡って、より辛味の感覚が増すのでは?」
クスクス笑いながらチェズレイも赤いスープを一匙口の中へ。ごろっと口の中へ転がって来たのはアサリのようだ。きちんと砂抜きされている。手で千切って入れた木綿豆腐も滑らかな舌触りで好みだ。
小休止にとグラスに注がれた水を含んだモクマが「ぷはー」と息を吐き出した。
「お前さんは涼やかな顔を崩さんねえ。辛いの得意な人?」
「フフ、どうでしょう?」
汗もかかずに辛口のスープを飲み進めるチェズレイへモクマが鋭い視線を投げかける。彼の目の色が怒りの赤へと変わった。
「もしかして……、自己催眠で痛覚を麻痺させてる?」
「……」
辛味は舌の味覚細胞で感じ取る感覚ではなく、痛覚と温感覚で感じ取る刺激である。
かつて痛覚を麻痺させて無茶をした前科がある手前、疑うのも仕方がない。
チェズレイは再び喉を鳴らして笑った。とたんに喉の奥に残っていた辛味成分が喉を刺す。痛い。
「フフフ……フッ……ゲホゲホ、ごほっ!」
チェズレイは笑いながら噎せた。
テーブルに伏せって肩を震わせ時折ゲホゲホ咳き込むチェズレイを見下ろしてモクマは困惑した。
「え? 大丈夫」
「……フッ、そんな、しょうもない理由で、自己催眠など施しませんよ。は、……折角、耐え忍んで食べていたというのに。あなたという人は……」
チェズレイの目の端に涙が滲む。色んな理由で、この人には泣かされてばかりだと思った。