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    ことにゃ

    @kotonya_0318

    各種サイトで細々と活動中。19歳。
    いろいろ垂れ流してます。うちの子語り多め。
    詳しくはツイフィール(twpf.jp/kotonya_0318)の確認をお願いします。
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    ことにゃ

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    バーベナ本用に描き下ろしたやつ

    #バーベナの花が咲く頃に
    whenVervainFlowersBloom.

    絶望の笑顔「あれ、あの子」
    「……先輩?」
    「エリスくんにフローリーさん! 今日のペア、君だったんだね!」
     寮対抗のマジックモートゥス大会も終わって、学校内のお祭りムードがだんだんと引けて来た頃。先輩――赤寮の、フィービー・マレット先輩と任務の集合場所で鉢合わせたのは、朝の冷たい空気にすっかり慣れてきた一一月の末のことだった。
     
     嬉し気な笑顔でこちらへ駆け寄ってくる先輩に、こちらに対する敵意や悪意なんかは全く感じない。それが、ありがたい反面複雑だった。……俺は、一年前までこの人に対してひどい対応をしていたから。一年の頃、任務で一緒になった彼女に、俺はひどい言葉をいくつも投げた。生家で刷り込まれていた純血主義と、赤寮所属ということに対する嫉妬。生きていくためには欠片も役に立たないそんな感情を、俺は彼女に突き刺していた。あまりにも情けない話だ。そうして、愚かだった俺はそんな対応をしばらくの間続けていたのだ。
     いっそ、俺が生家から勘当されたと聞いた時にでも酷く詰ってくれたらよかった。けれど、それすらなく、このひとは態度を変えていった俺に対して笑顔を向けてくれるようになった。俺は、いまだ彼女に謝ることすらできていないのに。それがどうしようもなく情けなくて、申し訳なくて。……でも、いまだに彼女に謝ることはできていない。
    「今日はねこは居ないんだね?」
     フローリーの言葉が耳に入ってハッとする。ぼんやりするな、これから任務だぞ。心の中で自分に一喝入れてから、あたりを改めて見渡す。なるほど確かに、フローリーの言う通り猫ではないがねこと呼ばれているあの生き物がいない。
    「うん、ねこは戦う力はないから、基本的にお留守番させてるの」
    「へえ……そういや任務で一緒になるのはしばらくぶりか。だよね、エリス?」
     フローリーに頷いて返してから、先輩へ向き直って頭を下げる。
     もうあなたにあんな対応をするつもりはないんだ、と。直接言うことのできない意気地なしでも、こうして態度で示すことはできるはずだから。
    「今日はよろしくお願いします!」
     腹から出した声、よく響くそれは、我が寮に馴染んでから身に着いたものだ。先輩が驚いたように俺の名を呼ぶ声が聞こえて、心の中で少しへこむ。当たり前だろという感情と、まだ足りないのかという感情。浮かんだそれをぐっと飲みこんでから、頭を上げた。そこに居たのは、やっぱり困惑した様子の先輩で。漏れ出そうになった感情をまたぐっと飲みこんでから、笑顔を作って口を開く。
    「さて、そろそろ移動しません? 現地確認しねぇと」
    「あっそうだね! そしたらまずは移動用の箒借りに行こうか。すぐそこだもんね」
     先輩の提案に頷いて歩き出す。任務や授業で使う用の箒は、学校の校庭に出てすぐの場所にある。そして今日の集合場所は校庭の入り口だった。
     ずらりと立てかけられている箒から、自分の身長に合ったものを一つ取ってからフローリーに問いかける。
    「フローリー、今日どうする?」
    「荷物増やしたくないでしょ? 一本で行こう」
     そう言って、フローリーはすぐに人型から猫の姿になった。なるほど今日はそれで行くらしい。
    「エリスくん、出発して大丈夫?」
    「はい。必要なもんは持ってるし、もう出れます」
    「じゃあ――行こうか」
     先輩の言葉に頷いて箒に跨る。俺の後ろにフローリーが乗ったのを確認してから、浮上を始めた。ふわり、足が浮く。幼いころから慣れ親しんだ感覚だ。どんどん高度を上げて、モーンストロムの校舎を見下ろせるぐらいまでになってから一度静止した。懐から羅針盤を取り出して、方向確認。
    「エリスくん! あっちであってる?」
     声に視線を上げる。先輩の指す方向は、羅針盤の指す目的地の方向だった。「あってます!」と返して、少し箒の距離を詰めてから並走する。
    「それで、役割分担はどうする? 一応、私は前の方で戦ってることの方が多いんだけど……」
     普段よりやや意識して張られたであろう声に問いかけられる。飛行中はどうしても、普段より声が通り辛いためだった。
    「俺もそっちの方が得意ではありますね。現地見てからでないと何とも言えないとこはあると思うんすけど、フローリーに後方支援任せて俺と先輩で前出る感じでもいいんじゃねえかな」
     こちらもやや張った声で返す。俺の後ろのフローリーが「にゃあ」と一つ鳴いた。多分同意のそれだ。
    「じゃあ、そうしようか! 苦手なこととかってある?」
    「あー……火と光で、細かい調節が必要な魔法は、ちっと苦手です。火力出すだけなら、いけるんですけど」
    「そっか! 教えてくれてありがとう、覚えておくね」
     そんな調子で、得意不得意なんかを確認していく。任務に置いて、情報交換はいくらしても足りないことはない。気づけば指定された場所の上空まで来ていた。
    「……このあたり、だよね?」
    「その、はずっすね……」
     じわじわと降下していき、目的地より少し離れた崖の上に着地する。
     俺と先輩が二人揃って歯切れが悪いのには、理由があった。
    「なんだ、この量……」
     事前情報と、エネミーの様子がまるで違ったからだ。事前情報では、スライム状の大型のエネミーが一体だけ居る、と伝えられていた。けれど、今眼前の崖下に居るの報告通りのそれじゃなかった。丸っこくて攻撃手段なんて持たなそうなスライム状のそれらは、報告に聞いていたよりもずっと小さく、そしてあまりにも数が多い。
    「厄介なのを引いたもんだねぇ」
     いつの間にやら人型に戻っていたフローリーが言う。
    「どういうことですか?」
    「多分、分裂型。あいつらは切ったり刺したりしても殺せない。それどころか切ればまた分裂するんじゃないかな」
    「……じゃあ、どうすればいい?」
     フローリーの目が俺を見る。どういうわけか少し笑んだそいつは一言、「燃やす」とだけ口にした。
    「まるごとか?」
    「そうなるねぇ……ああでも、この手のやつらはどっかに核を持ってる本体が居るんだ。それ見つけ出して始末すれば、他のも消滅する可能性は高いよ」
    「……そうか」
     フローリーから先輩へ視線を移す。先輩は耳だけで会話を聞いて、視線はずっと崖下のエネミーに向け続けていたようだった。
    「先輩、フローリーの知識と経験は確かです。こいつは俺相手に嘘をつきません。だから」
     その先を続けようとして、それより先に先輩が口を開く。
    「全部燃やして回ればいいってことだね?」
    「そうなります」
    「分かった」
     そう言って、視線の向ける先を変えないままに先輩は杖を取り出した。先端に青い水晶のついた、かわいらしいデザインのそれ。けれど、そこから放たれる魔法の威力はかわいらしいなんてものじゃないことを、俺は知ってる。
    「……でも、確認だけしていい?」
     先輩が言うと同時に、周囲に風が吹いた。それが、先輩の杖の先端へ収束していく。それで、先輩が何をしたいのかが分かった。
    「先輩が確認したら、一気に突っ込む感じでいいですか?」
    「うん、それで。後ろは、フローリーさんに任せていいですか?」
    「任せといて、嬢ちゃん」
    「じゃあ――行くよ」
     先輩が杖を持つ手をゆっくり上げていく。それは、恐らく大木さえ切り裂くような風を纏っている。
    「ヴィアトニス」
     先輩の声が聞こえるが早いが、地面を蹴った。崖から飛び降りた俺の横を、先輩の魔法が過ぎ去っていく。下にたどり着いたその風は、一体のエネミーを切り裂いた。そうして……エネミーは、フローリーの言うとおり二つに分裂した。ならば。
    「アルタグニス!!」
     燃やすだけのそれに、細かい呪文なんていらない。火の塊を作り出して、エネミー連中のずっと上からそれを叩きつけた。今さっき分裂したエネミーと、その周囲に居たエネミー数体も巻き込んで地面で火が爆ぜる。ぶわり、熱気が頬を撫でた。
     空中で落下するに任せていた体に、ふわりと風が触れる。それはやがて俺を包むように集まり、そうして俺の体は火の海から少し離れた場所に降ろされた。フローリーだ。
    「フローリーありがとな!!」
     振り返ることなく叫んでまた駆ける。エネミー連中はどうやらまだ混乱しているらしい。なら、今が勝負だ。
    「アルタグニス・スペエラ!」
     後方から聞こえたのは先輩の呪文だ。俺が駆けていく先に、複数の火の球が飛んで行ってエネミー数体を燃やし尽くした。それに内心で舌を巻きながら、目に付いたエネミーをどんどん燃やしていく。俺では、あの呪文で複数の火の球を出して思い通りにコントロールすることはできない。
     やっぱりすごい人だよ、アンタ。
     内心で呟いたそれの代わりに、また「アルタグニス!」と叫んでエネミーを燃やした。
     
     燃やす、燃やす、燃やす。ひたすら炎を生み出し続けて、どれだけ立っただろう。だんだんと、全身に疲労がたまってきていた。
     ぐるり、あたりを見渡す。……減っては、いる。けれど、それにしたってやはり膨大な量だった。
    「クソ、どれだけいるんだよ……!!」
     悪態が口をついて出る。背後に近づいてくる敵意があったから、振り向きざまにまた炎を生み出した。振り返った先でエネミーが燃えている。ああクソ、ほんと、なんだってこんなに数が居るんだ。
     食傷、辟易……あとなんだ。そんな単語が脳内をちらついた。こんなこと考えたってエネミーの数は減らないのだから、恐らく現実逃避と呼ばれるものである。思わずため息をつきそうになった、その時だった。
    「いっ! ぅ、」
     うめき声が聞こえた。苦痛に満ちたそれ。この場でそんな声を上げるのは、俺以外には一人しかいない。
    「先輩!?」
     声の方に向かって振り返る。そこには、足からだらだらと血を流す先輩がいた。どういうことだ、素早く周囲に視線を走らせる。いつの間にか、いくつかのエネミーの形状が変化していた。ただの丸いぶよぶよとしたそれから、刃物状の部位が伸びている。切られたのか、とそこでやっと理解した。一瞬脳内がぐちゃりと混ざる。その直後、俺の真横を火球が過ぎ去った。フローリーだ。肌に触れるか否か、そんなギリギリを飛んで行ったそれを追って視線を動かせば、いつの間にか背後に居たエネミーが焼き尽くされている真っ最中だった。そうだ、今は任務中なんだ。
     理屈は分からないし、恐らく今理解する必要はない。今の俺にできることは、まず。
    「先輩、いったん離脱を!」
     どういう理屈にしろ、足を負傷していては動けない。出血も、見た限り多い。このまま戦うことはできないはずだ。だから、まずは一旦離脱して、傷を見てから応急処置をして、それから。
     そう、考えながら先輩の方へ駆ける。けれど、それはすぐに制された。
    「大丈夫!」
     先輩がこちらに向かってそう投げる。んなわけあるか!
    「でも!」
    「魔法使っちゃえば、痛くないの! だから、まだ立てるから!」
     言われてハッとして先輩を注視する。確かに、彼女の足は血でぬれていたが、彼女自身はなんでもないように、いつも通りに立っていた。足を引き摺る様子もない。彼女の言う魔法は、恐らくデュナミス魔法か俺の知らない複合魔法のどちらかなのだろうと思った。きっと、傷を治すとか、そうでなくとも傷がこれ以上悪化しないようにする魔法とか。そういうものなのだろうと、思ったのだ。
     
     だから、俺は。
    「分かりました! なんかあったらすぐ言ってくださいね!」
     彼女の言葉を信じて、またエネミーに意識を移した。
     
     変異したエネミー連中を優先的に処理していく。ただ燃やすだけでなく、斬りつけられないように注意しなくてはならなくなったからか、さっきまでよりも疲労がたまりやすい。それでも、着実にエネミーの数は減り続けていた。
    「フローリー、どれくらい減った!!」
     上空、あるいは後方にいるであろうフローリーに向かって投げかける。その姿は確認してなかったけど、フローリーは俺の声を聞きもらすことはない。実際、答えはすぐに返ってきた。
    「ざっと見て三分の一! エリス、まだ倒れんじゃないよ!」
    「言われなくとも!」
     会話を続けながらも、エネミーを燃やし続ける。そんな中、エネミー連中の動きに変化があった。動き出したのだ。燃やし続けながらも、その動きを観察する。
     こちらに攻撃しようとするわけではない。
     どこかに逃げようとしているわけでもない。
     ……じゃあ、なんだ。
    「エリスくん、気づいた!?」
    「動きが変わったことには!」
     少し先、同じように燃やし続けている先輩から問われる。正直に返して、それからまたエネミーを燃やした。
    「たぶん、一つになろうとしてるんだと思う!」
     先輩の言葉でハッとする。そうだ、こいつらは元々、一つのエネミーだったものが分裂していたんだ。だったら、また一つになってもおかしくない。
     そして、フローリーはおそらくどこかに核があると言っていた。ならば。
     その核だって、一つになればその巨体のどこかに隠されているはずなのだ。
    「フローリー、俺を上に!」
    「オーケー、ご主人!」
     それは賭けでもあった。どこかにいるであろうフローリーに指示を出せば、優秀な使い魔は俺の意図を正しく汲んで行動する。俺の足元の地面が音を立てた。それから間を置かずに、地面がせりあがる。一気に体にかかる負荷から耐えるために、姿勢を低くして上がり切るのを待った。
     視界がどんどん高くなる。
     視界の中でエネミーは融合を進めている。
     まだ、まだ足りない。
     融合はまだ終わっていない。
     まだ、もう少し。
     ――今だ。
     
     自分の足でしっかり立つ。これから大きな負荷がかかることが分かりきっていたから、自然と足に力が入った。構えた杖に、魔力を集めていく。調整なんていらない、今あるものをすべて出し切れば、それでいい。
     俺は火魔法の成績が低い。けれどそれは、細かい調整がへたくそだから。何も考えず、火力を出すだけなら、むしろ。
    「アルタグニス!! !」
     それは間違いなく、俺の得意分野だ。
     杖の先に集まっていた魔力が姿を変える。赤く煌々と燃えるそれは、すべてを焼き尽くす炎だ。熱気が俺を包む。俺の視界すら覆いつくすほど巨大なそれ。じわり、滲んだ汗が地面へ落ちた。
     ――そうして。
    「いい加減、くたばりやがれ!! !」
     眼前のエネミーに向かって、それを叩きつけた。反動で俺の体が空中に投げ出される。落ちていく視界の中、燃えていくエネミーが見えた。地面に落ちる直前、またふわりと風に包まれた。そうして、すとんと特別衝撃もなく着地する。その頃には、エネミーの全てが燃え尽きていた。
     疲労感はとんでもなかったし、魔力切れを起こしているだろうから普通にしんどい。でもそれ以上に、達成感があった。
    「エリスくん」
     呼ばれて振り返る。そこには、ボロボロの先輩が立っていた。まあでも、俺も似たようなものだろう。
    「お疲れさまです、先輩」
    「うん、エリスくんも、おつかれさま。さいごの、すごかったねえ」
     疲労からだろうか、先輩は普段よりもたどたどしく話していた。
    「ありがとう、先輩。さっさと学校戻って、報告済ませようぜ」
    「うん、そう、だ……」
     先輩の言葉は途中で途切れた。ふらり、目の前で彼女が倒れる。慌てて抱えたその体は、人の体にしては冷たすぎた。
    「先輩……?」
     声をかけても、その瞼は閉じられたままで、反応もない。ぞわり、嫌な感覚が全身を走る。
    「先輩!!」
     なんで、どうして。だって、先輩は大丈夫だって。声を大きくしてまた呼んでも、先輩の反応はないままだった。
    「エリス」
     呼ばれて声のした方を見る。フローリーだった。
    「早く医務室連れて行ってあげた方が、その子のためだよ」
     そうだ、医務室。でも、ここから学校までは距離がある。さらに言うならば、この状態の先輩を抱えて学校まで飛ぶ魔力も体力も、俺には残ってない。
    「フローリー、ここから学校まで跳べるか」
     フローリーは、基本的に俺よりもできることが多い。その中には、難しい複合魔法の一つである転移魔法も含まれていた。
    「できなかない、けど。そのあとしばらくはアタシも魔法が使えなくなるよ」
    「構わない!!」
     先輩を抱えたまま、叫ぶように言う。
    「フローリー、やれ」
     見上げたその先、フローリーの赤い瞳が笑んだのが分かった。
     
     次の瞬間、たどり着いたのは学校の入り口だった。ここからなら、走ればすぐに医務室に着く。先輩を抱えたまま、医務室に向かって駆ける横で、並走するフローリーがこう説明した。
    「多分だけど。その嬢ちゃんが言ってた魔法ってのは治癒なんかじゃないんだろうね。アタシの見立てだと、恐らく痛覚遮断。まあだから、ずっと血は流し続けてたわけよ。ついでに言うなら、その子の魔力はエリスよりは少ない。デュナミス魔法を使いながら、あの量のエネミーを燃やし続けてたんだから……まあ、相当限界だったろうね。肉体的にも、魔力的にも」
     唇を噛む。それでも足は止めずに走り続けていた。どうして俺は、気づけなかったんだろう。フローリーはこうして気づけているんだから、俺だって気づけたはずなのに。
     
     バン、音を立てて医務室の扉を開ける。そんな俺に文句を言おうとしたのか、治癒専門の先生が振り返る。その顔色が変わった。
    「任務?」
    「はい」
    「応急処置は」
    「……できてません」
     短いやり取り。彼女の冷たい体をベッドに寝かせる。
    「先生、俺、ここに居ていいですか」
    「……邪魔だけはしないでね」
     許可を得て、ベッドの横に座り込む。先生が処置をする間、彼女の冷たいままの手を握っていた。
     
     先輩は、処置が終わっても目覚めなかった。先生の「朝までに目が覚めなければ、危ないかもしれない」という言葉を聞いてしまっては、先輩の傍を離れることもできなかった。倒れた時に比べれば、暖かくなった手。それでも、普通の人にしては冷たすぎる手。その手を握って、祈るように己の額に当てる。医務室に来た時は一緒に居たはずのフローリーは、気づけば居なくなっていた。
     
     医務室に月の光が入り込む。先輩の目は、閉じられたまま。
     また、あの柔らかい色の瞳で俺を見てほしかった。色の乗らない寝顔なんかじゃなくて、暖かい笑顔が見たかった。
     
     そうして、悔みながら夜を過ごして、気づけば少し眠っていたらしい。
     目が覚めたのは、握っていた手がピクリと動いたからだった。ハッとして先輩を見る。ゆっくりと、瞼が持ち上げられた。
    「先輩!! 俺が、分かりますか?」
    「……え、りすくん?」
     ややかすれた声に、それでもすごく安心した。体を起こそうとする先輩を支えるために、握っていた手を放してその背に手を添える。先輩が体を起こし切ってから、コップに水を注いで持ってきた。
    「飲めそうですか?」
     こくりと頷いた先輩に、コップを渡す。先輩は震えたりすることもなくきちんとコップを持って、そしてこくこくと水を飲んだ。それに、安堵の息がもれる。
    「ありがとう、エリスくん。……迷惑、かけちゃったみたいだね」
     申し訳なさそうに言う先輩に、首を横に振る。
    「そんな、先輩が謝ることじゃないです」
     俺が、気づけなかったから。俺が、力不足だったから。……それを言ってしまったら、きっと先輩はもっと気に病んでしまうだろうから、口に出すことだけはぐっとこらえた。
     気づけば俯いていた。視線を少しだけ上げて、先輩を伺い見る。顔色は、少なくともさっきよりは良くなっている。
    「あの、先輩」
    「どうしたの?」
    「……手に、触れてもいいですか」
     言ってから、失敗したと思った。年頃の女性に言うことではない。ちらり、覗き込んだ顔は予想通り困惑していた。撤回しようと思って俺が口を開くより先に、先輩が「いいよ」と言う。今度はこちらが困惑してしまった。
    「はい、どうぞ」
     そう言って差し出された、細かい傷の多い手。彼女はこの手で、様々なことができるのを知っている。魔法だけじゃない、勉強だけじゃない。料理や裁縫、生きていくために必要な技術をこの人は身に着けている。
     そう思えばこそ、すごく尊いものに思えたから、触れることに抵抗を感じた。
    「……失礼します」
     それでも、それ以上に。どうしてもこの人に触れたかった。
     
     そっと、その手のひらに触れる。伝わる温度は、人の温かさだった。
     
     ぐう、喉の奥で音が鳴る。目の奥が熱くなった。溢れ出ようとするそれを堪えるために目を閉じる。抑えろ、抑えろ、と己に言い聞かせた。俺に、泣く資格なんて、無いだろ。
    「……頼む、」
     それでも、溢れ出た感情だけは堪えきれなかった。だって。なんで。
     アンタはすごい人なんだ。魔法でも、それ以外でも。俺にはできないことができる。すごい人なのに。
     大丈夫なんて、嘘だったじゃないか。まだ立てる、なんて。どうしてそんな無茶をした。
     分かってる、俺じゃ頼れなかったからだろう。原因は俺にもある。分かってる。
     でも、それでも。
    「もう、こんな風に、自分を使わないでくれ……」
     閉じた瞼の向こうで、先輩が息をのむのが分かった。伝わったんだろうか。分かってくれたんだろうか。そんな期待をした直後、先輩が「ありがとう」と言った。
     そろり、目を開く。やや濡れて歪んだ視界の中で、先輩が笑っているのが分かった。何度も見た、やや困っているような、それでもこちらに不安なんかを感じさせることはない、先輩の笑顔。
     けれど、続く言葉で俺は絶望した。
    「でも、大丈夫だよ!」
     ああ、このひとは、ずっとこうやって生きていくつもりなんだ。
     
     
     そのあと、なんと言って医務室を出てきたのかは、覚えていない。ぼんやりした意識が再び輪郭を得始めたのは、寮の手前の廊下だった。ふと、今は何時なんだろうと思う。窓の外を見る。まだ太陽は見えない。夜はまだ明けていないらしいことしか分からなかった。
    「フローリー」
     静かに呼ぶ。するりと足元に毛皮が触れる感覚があった。視線を下げれば、二つの赤い目が闇夜の中光っているのが分かった。
    「……頼みがある」
     音もたてず、足元の猫が姿を消した。瞬きの間に、目の前に使い魔が現れる。暗闇の中、フローリーの赤い目だけがぼんやりと光っている。
    「なぁに、エリス」
     その瞳が歪んだことと、その声色から、フローリーは薄く笑っているのだろうと想像がついた。
    「できれば定期的に、あの人の様子、見ておいてくれないか」
     フローリーは「あの人ってだれ」なんて、そんなことは聞いてこなかった。優秀な使い魔は、俺の意図を正しく汲む。
    「……仰せのままに、ご主人」
     仰々しい言葉に対して、声色は余りにも笑っている。昔ならそれが気に食わなかったけれど、今はどうでもよかった。
     くるり、体の向きを変えて、フローリーが俺に背を向けた。そうして寮に向かって歩き出す。俺もその背を追って歩きだした。明日も授業がある。寝られるだけ寝ておくべきだということは、分かっていた。
     
     寮内に入って、誰も居ない談話室を通り抜ける。その時、ずっと黙っていたフローリーが思い出したように口を開いた。
    「気に入っちゃった?」
     その言葉が指すのは先輩だ。すぐに「そういうんじゃねえよ」と返して、それから少し考えこむ。
    「……目を離したら、気づいたら居なくなってそうだと、思ったんだ」
     ただ、フローリー相手に素直に伝えるのは憚れて、言葉を濁した。
     ……俺は、あの人が、俺の見えないところで同じようなことをしたらと思ったら、怖くなった。
     ただ、それだけだった。
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