目薬の味「相澤先生、お久し振りです」
職員室に響いた懐かしい声。
ここにいるはずのないその人物に思わずキーボードを打つ手を止めて相澤が振り返ると、声の主が悪戯っぽく笑った。
「ちょっと日本に用がありまして、」
「多忙なのにこんなところに油を売りに来る暇はあるのか。時間は有限だと嫌になるほど教えたはずだが?」
「その言い方、先生らしいな」
元担任に苦言を呈されても全く怯む様子も無く寄ってくる緑谷に、相澤は困ったように溜め息を吐いた。
相変わらずの問題児振りが懐かしく思えるとは焼きが回っただろうか。
「先生もお忙しそうですね。相変わらずクマがすごいですよ」
「ああ。今も昔も問題児の多さに変わりは無いようだ」
緑谷にそう言われて目の疲れを思い出したようで、相澤は背凭れに寄りかかりながら目頭の辺りを揉んでいる。あっ、と緑谷が短く叫んで、ポケットから何かを取り出した。
「先生、そのまま上を向いていてください」
これ、新発売の、良さそうなんで買ってきました。
その手に握られたエメラルドグリーンの小さな容器。
意図を察した相澤が断る間も無く緑谷の手が顎に添えられて動けなくなってしまう。眉間に皺を寄せて真剣な表情でこちらを見つめる緑谷に相澤も観念してその目をじっと見返した。
ぽたり、
と左目の上に正確に落ちた滴に相澤の睫毛が震える。
とろりと目の表面を覆う目薬に何度かゆっくりと瞬きを繰り返していると、相澤の視界が真っ暗になった。緑谷の手のひらが相澤の目元を覆い隠したからだ。
「先生、片目なんですからちゃんと労ってくださいね。片方だけだと両目の時より頑張っちゃって視力が落ちやすいって聞きました」
少しは温かいですか?
「緑谷はまだ子ども体温か」
「……いつまでも子ども扱いしないでくださいよ。温かいなら良かったですけど」
真っ暗で温かくて、そんな中で目を閉じてしまえば過労気味の身体はあっという間に睡眠を求めてしまう。睡魔を振り払って身体を起こし、相澤はディスプレイに向き直った。
「他にも挨拶に行くんだろう、時間無くなるぞ」
「あ、はい!そうでした!ではまた!」
ぱたぱたと慌ただしく緑谷は職員室を出て行った。相澤のデスクの上には緑谷の買ってきた目薬が当たり前のように置かれている。一瞥してから相澤はそれをポーチの中に仕舞った。
(甘い、)
口の中に広がった目薬の味は、妙に甘ったるかった。