はんぶんこ祝日。午前十時。教師寮。
エリちゃんと僕は相澤先生のお部屋で午前のおやつタイムを過ごしていた。先生はまだ仕事があるとかで別の部屋に篭っている。
「はい、デクさん。チョコはんぶんこ」
「わあ、ありがとう。エリちゃんは優しいね」
小さなチョコを小さな手ではんぶんに割って、エリちゃんはそれを僕の手に乗せてくれた。まだ六歳で、育ってきた環境も過酷だったというのにエリちゃんはとても気配り上手だ。その優しさに自然と笑みを零したらエリちゃんが不思議そうに首を傾げた。そんな仕草ひとつも愛らしい。
「でも、デクさんも相澤先生もいつもはんぶんじゃなくて全部くれるよ?」
「大人はね、お菓子よりも子どもの笑顔が大好きなんだよ」
そう言ったら、何故かエリちゃんは右頬だけをぷくっと膨らませてみせた。
「……デクさんはまだ子どもでしょ?相澤先生が、デクさんはまだまだ子どもなんだからもっと大人を頼って欲しい、って言ってた」
「……先生てば、」
エリちゃんにまでそんな話をして……。
僕もエリちゃんを見習ってぷくっと右頬を膨らませた。
いつまでも子ども扱いしないで欲しい。
後でちょっとつついておこう。
「ねえデクさん、」
「なあに?」
エリちゃんは思い詰めたように手の平のチョコをじっと見つめている。もうはしっこが溶けてきてしまっていて、エリちゃんは意を決したようにチョコをぽんと口に放り込んだ。
「相澤先生……どうしたら笑ってくれるかな」
「……?」
エリちゃんが作ってくれたミルクココアにふっと息を吹きかけながら僕は質問の意味を考えた。ふんわりと甘い匂いがあたりに漂う。
「相澤先生、エリちゃんの前だとよく笑うと思うけど……」
もしかしてエリちゃんには伝わってないのかな。首を捻る僕の横でエリちゃんはふるふると頭を横に振った。先生がいつも丁寧に梳かしている白い髪が日差しを受けてキラキラと輝く。
「ちがうの。ふわ、とか、にっ、とかじゃなくて、いっぱいいっぱい笑顔になってほしいの。いつも私ばっかりニコニコさんなの」
ああ、そういうことか、と納得した。
確かに先生がニコニコしているところは見たことがない。エリちゃんが言う通り、ふわ、とか、にっ、の笑い方ばかりだ。
うーん。
先生の笑顔、先生の…。
点数悪いヤツは除籍、とか合理的虚偽を言っているときの先生の顔はエリちゃんには見せられないなあ、とその凶悪な顔を思い出しながらココアを飲む。僕が微妙な顔をしていたからだろう、エリちゃんが不思議そうな顔で見上げてくるから、僕は先生の顔を脳内から無理矢理追い出した。
「ねえエリちゃん。思い出してみて。通形先輩は、あっはっは!って元気よく笑うよね」
「うん」
「波動先輩はとっても明るく笑うし、天喰先輩は静かに笑うよね。A組のみんなはどうかな。麗日さん、飯田くん、轟くん……笑い方って、みんなそれぞれ違うと思わない?」
エリちゃんがコクンと頷いたのを確認して僕は話を続ける。
「相澤先生はさ、思いきりは笑わないけど、ふわ、とか、にっ、とかの笑顔の時も、とってもとっても嬉しいんだと思うよ」
うーん?とエリちゃんは小首を傾げる。上手く伝わらなかったかな、と思ったらエリちゃんがおずおずと口を開いた。
「……じゃあ、先生に動物がいっぱい出てくる絵本を読んであげたときも喜んでくれてたのかな……?」
「うん、きっととっても喜んでたよ」
エリちゃんの顔が少し晴れる。
「じゃっ、じゃあ、先生とねこさんが遊んでる絵を描いてプレゼントしたときも、喜んでくれてたかなっ?」
「うんうん、絶対喜んでたよ」
だってその絵はデスクの目の前の壁に貼られているくらいだ。嬉しくなかったはずがない。
そうだ、と僕は手を叩いた。
「エリちゃん。このチョコさ、大好きな人とはんぶんこするとね、たくさん幸せになれるんだって。相澤先生とはんぶんこしたいって言ってごらん。きっと喜ぶよ」
「だ、だいすきな人とはんぶんこで、しあわせ……!うん!!してくる!!」
ぴょこり、と椅子から降りたエリちゃんはとてとてと先生のいる部屋へ走っていった。コン、コン、ときちんとノックをして先生の返事を聞いてからドアを開けるエリちゃんの姿を目で追う。
先生はきっと、ちょっと驚いたように目を丸くして、それから嬉しそうに目を細めるはずだ。その姿が容易に想像できて、僕は緩んだ口元をマグカップでそっと隠した。
コン、コン。
軽いノック音。
これはエリちゃんだろう。仕事中に入ってくるのは珍しいな、と俺は作業の手を止めて振り向いた。
「はい」
「お邪魔しても、いいですか」
少し緊張した面持ちのエリちゃんがドアの隙間から顔を覗かせる。
「どうぞ」
肯定を返すとぱっと顔を輝かせてエリちゃんはぱたぱたと走り寄ってきた。そして小さな両の手に乗せられたチョコを差し出す。
「あのね、あのね!このチョコはね、だいすきな人とはんぶんこすると、いっぱいしあわせになれるチョコレートなんです!」
キラキラの眼差しを向けられて思わず顔が緩んだ。これは緑谷の入れ知恵だな。二人の可愛いやりとりが目の浮かぶ。
「それでね、それで、相澤先生とはんぶんこしたいの!……ダメかな?」
「……!」
期待と不安で揺れているエリちゃんの瞳に、驚いている俺の顔が映っていた。
大好きな人とはんぶんこで幸せ。
エリちゃんはその相手に俺を選んでくれたのか。
「もちろん。先生で良ければ」
そう返事をしたら、エリちゃんがぱっと顔を輝かせた。
「先生!とっても嬉しいの顔!」
「ん?」
「ううん、なんでもない。はい先生。はんぶんこ!」
ぱき、とチョコを半分に割ってエリちゃんは俺にチョコをくれた。食べて、と促されてエリちゃんと一緒に口に運ぶ。仕事でずっと頭を使っていたせいか、いつもよりその甘さが有り難く感じられた。なにより、エリちゃんがはんぶんこしてくれたからそう感じられるのだろう。
「あとね、これ」
エリちゃんが渡してくれたのは、まだはんぶんこにしていないチョコだった。
「これは?」
「あのね、さっきデクさんと私とはんぶんこしたの。いまは、相澤先生と私がはんぶんこしたでしょ。次はね、相澤先生とデクさんがはんぶんこする番だよ」
──行こう。
思考する前に小さな手に引っ張られて席を立つことになってしまった。
待て。
このチョコは大好きな人とはんぶんこするととても幸せになれるのだろう?つまりこれを俺が緑谷に渡すってことは……。
エリちゃんを止めたくても、楽しそうな後ろ姿に声を掛けることができない。
まあいいか、とあっさり諦めてエリちゃんの手を緩く握り返した。
このチョコを渡した時の緑谷を想像しただけで随分と大きな、幸せの予感がしたから──。