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    限界羊小屋

    @sheeple_hut


    略して界羊です

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    限界羊小屋

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    フレリン 2w6d後のif
    モトイさんの裏切りに落ち込むリンドウにエールを送る話

    #フレリン
    frelin

    「明日がいい日になりますように」明日がいい日になりますように。レールに頭を押し付けながら、縋るように俺は呟いた。それは単なる習慣だった。辛いことや嫌なことがあった日は、お守りのようにその言葉を抱きしめていた。口に出してから、言わなければ良かったと後悔した。
    明日なんか来なければいい。明日の方向を向きたくない。俯いて膝を抱えて、耳を閉ざしていたかった。
    叶うなら……深く眠っていたい。
    俺は目をつぶった。

    「……?」
    あれ……?
    視界が急に白く明るくなる。
    聴き慣れた渋谷の雑踏。しかし……全てが違っていた。
    さっきまで俺は渋谷川のテラスに寄りかかって流れを見下ろしていた、はずだった。暑い一日は終わりに差し掛かろうとしていて、斜めの光が川面に反射して目に痛いほど煌めいていた。しかるに目の前にあるのは見慣れた犬の像だった。いつまでも帰ってこない主人をいまだに待ち続けている。その背中にまっすぐ陽光が当たっている。
    「リンちゃんってば」
    聴き慣れた声に顔を上げるとこちらを見つめる友人とまともに目が合った。いつもの軽薄な表情に少し影が差して見える。
    「フレット」
    「急にボーッとしちゃってどったの」
    「ここは……スクランブル……みんなは……?」
    「みんな?」
    友人は怪訝そうな顔で問い直した。何、リンちゃん立ち寝?もしかしてものすごく器用?
    「……じゃない。ミッションは……」
    「あー……結構しっかり夢見てた感じ?」
    夢か。夢だっけ。急速に記憶が遠ざかっていく。えっと、フレットに呼び出されてたんだった。特に用事ないけど。特に用事ないからブラブラする会。いつものやつ。要は暇潰しだ。思考が現実に馴染んでくる。
    「ごめん、本当に寝てたかも」
    「器用だねー」
    フレットが呆れたような感心したような声色で結んだ。ハラ減ってない?ラーメン食べにいこ、とそのまま104の方面に歩き出す。
    11時過ぎくらいだろうか。本格的に暑くなり始めていた。ビルの窓と壁に白い光が反射して眩しい。目が眩み、また眠たくなってくる。
    「ちなみに何の夢?」
    「何だっけ……」
    もうだいぶ薄れてしまった記憶を辿る。断片断片しか残っていない。思い出さなければそれすらも指先をくぐり抜けてしまっただろうが、僅かに残った欠片を繋いでみる。鳥。カエル。スクランブル交差点。黒フードの男。熱が上がるとか、何とか。
    落ちてくるトラック。
    ぎょっとした。当たり障りない内容になるように繋ぐ。
    「......あんま覚えてないけど、変なゲームやってた。カラスとか倒すやつ」
    「どうやって?」
    「どうだっけ。ビームとかだったと思う」
    「鳥撃ちのゲーム?面白そ〜」
    面白いって、フレット死んでたんだぞ、って言おうと思ったけどやめた。あまり愉快なイメージではないし、何となく口にしたらいけない気がした。フレットは指でピストルの形を作り、ゴミ箱を漁っていたカラスに向けて撃つ真似をした。「バーン」
    黒い目のカラスは顔を上げ、不服そうにカアと一言鳴いた。睨んでいるようだった。

    渋谷にラーメン屋なんて掃くほどあるけど、何となく俺たちは道玄坂の下の「麺処 鈴」がお気に入りだった。そこは不思議と最初から意見が合った。中華そばがとても良い。スタンダードな味で、油が強すぎない。昔ながらのスタイル、とはいえ実物として「昔ながら」を感じたことはないけれど。
    その入り口を潜ると、目に入った壁掛け時計は11時半を指していた。この時間帯には珍しく席は3割も埋まっていなかった。隣り合わせのカウンターに席を取り、入り口の脇で購入しておいた小さな食券の紙切れを机の上に二人分並べる。
    俺は中華そば。フレットは塩檸檬そば。大抵そうする。たまに交換してる。
    空いているからかすぐにそれらは届いた。立ち上る湯気とともに、鶏ガラの優しい香りが鼻腔をくすぐった。ぐぅ、と切なげに腹が鳴った。そういえば……しばらく何も食べていない気がする。昨日何食べたっけ。
    「あー、俺もハラ減ってた」
    「でしょー?」
    いただきます、と小さく呟いて、箸を取る。透明なスープを纏った麺を啜る。前と同じ味、尖ったところのないスタンダードな味わいだった。体の中にゆったりと熱が伝わってきて、無性に泣きたいような懐かしい感覚に襲われた。
    腹、減ってたんだ。

    時間はゆっくりと流れていく。箸を置いて横を見ると、フレットはまだ半分強を片付けた段階だった。勿体無げに少しずつ麺を持ち上げ、息を吹きかけている。12時ちょうど。
    「食べるの遅くね」
    いつもそうだったろうか。一口分を飲み込んでしまってからフレットが言葉を返す。
    「猫舌」
    「そうだっけ?」記憶にない。カレーとか普通に食べてただろ。
    「今だけ〜」
    何だそれ?
    「別に急いでないなら良いっしょ?」
    「いいけど……」
    食べ終わった中華そばが腹の中でぽかぽかと暖かく、欠伸が出る。店内は冷房が効いていて気持ちが良かった。
    「リンちゃん、さっきから眠そ」
    そうかもしれない。寝不足かも。そのまま何となくフレットが食べるところを見ていた。

    店を出るなりフレットは「パルコ行こパルコ」と軽く先導を取った。
    「新商品チェック」
    「いいよ」
    別に反対する理由もない。のんびりとした足取りで俺たちは大通りに沿って歩く。道玄坂から104へ。渋谷の周りには大学が多いから、俺から見れば少し年上の集団とすれ違うことが多かった。たまに彼らにぶつかりそうになり、よろめく。TSUTAYAを曲がったあたりでポケットの中のスマホがブルブルと震えた。そろそろ召喚獣の配置が替わるエリアだ。経験値を稼げないだろうか……とスマホに手を伸ばしたところで、その手首を掴まれた。何?と顔を上げると、妙に据わった目でフレットがこちらを見ていた。
    「まだ見ないほうがいいよ」
    「何で?」
    「何でも」
    意味が分からない。
    「一緒に居るのにスマホばっかりじゃ寂しいじゃん」
    「いや、カノジョかよ」
    「面倒なカノジョでごめんね?」彼は妙な科を作り、笑う。
    「否定しろよ!」
    「リンちゃん冷たーい」
    ともかく彼は手を離してはくれなかった。仕方がないからスマホを諦めポケットにしまい直した。

    「……あ」
    映画館を通りかかる。
    「カシキ君の新作!」
    封切りなってたんだー、とフレットは新作ポスターの一つの前に足を止めた。見覚えがある。動画サイトに宣伝が流れていた。とある家族の一夏をテーマにした作品で、鮮やかな南国の海の青がポスターの背景を埋めていた。胸をときめかせるような、まさにコーラルブルーだ。
    「好きなのか?」
    「好きですねー。でも今は良いかな」
    映画デートもしたいけど、見てる間喋れないし。今はパス。と彼は繋げた。やっぱコイツモテるよな、と内心でぼやいてから気づいた。今?
    「いやいやデートって何だよ!」
    「ハイハイハイハイ」
    彼はカラカラと笑った。もう一度ポスターを見やる。涼しげな風景の中で、ヒロインがまるで祝福するような笑顔をこちらに溢していた。綺麗な青だ、今年は海に行けるだろうか。

    パルコに着くなり彼はエスカレーターに直行した。化粧品売り場を抜け、2Fにあるお目当ての店舗の新作は既に在庫がはけ初めていた。限定という文字が店頭に踊っている。あーやっぱり売れるんだコレ、と、点検するような目で売り場を見ている。
    「急いで買わないと売り切れない?」
    「ただのチェックだから絶対買うって訳でもないかな」
    「ふーん……」
    「リンドウはなんか欲しいものないの?」
    「いい、荷物増える」
    そこで彼は悪戯っぽく口を歪めた。
    「センセイ、似合うの選んであげましょうか」
    「考えときます」
    「リンちゃん素材が良いからきっと色々似合うよ?俺も興味ある」
    「それはどうも」
    ねぇ俺のセンス信用ない?と彼は口を尖らせる。そうじゃない。信用していない訳じゃない、すごいと思っている。ただ……タイプがあまり合わないのではないか。彼ほどオープンかつ薄着のスタイルは好みではない。ちょっとモサいかもしれないけど、袖があった方が安心できて好きなんだ。
    「そうじゃないんだけど、一応俺も自分で選びたいし」
    「言ってくれれば合わせるけど?」
    それだけ返されたが、それ以上追及されることはなかった。彼には他にも見るものがあるのだろう、奥の方へずいずいと進んでいく。
    その後何店舗か見て回った。フレットの買い物に付き合うのは嫌いじゃないけど、結構疲れる。ごちゃごちゃした色彩と価格と素材と……ともかく情報が次々に飛び込んできて、少し頭が痛い。
    「ちょっと……休んでて良いか?」
    「おけおけ、もう少し見たら俺も行くから」
    一人店舗を出て、近くのベンチに腰掛けた。自然と溜息が口をついて出た。ふぅ。
    色々見たけど正直あまり頭に残っていない。後でフレットに聞きなおそう。そんなことを思いながらスマホを取り出してメッセージアプリを開く。未読の一番上には"スワロウさん"のトーク欄が光っている。そのままトークを開いた。
    "そろそろですよ"
    可愛らしいツバメのアイコンが喋っている。スワロウさんは"ポケコヨ"のフレンドで、会ったことはないけど結構渋谷周りのイベント情報をくれた。もしかしたら近くに住んでいるのかもしれない。俺はスイスイと文章を打ち込む。
    "そろそろ"
    返信はすぐに帰ってきた。
    "イベントです"
    忘れてた。今日は時間限定でレアモンスが出るんだっけ。シルドラ育てたいから経験値ボーナスも稼いでおきたい。
    "そうだった、どこだっけ"
    "ストリーム前に行ってください"
    "了解、ありがとう"
    "リンリン、"
    気をつけてくださいね、とメッセージは続いた。黄色いヒヨコがお辞儀をしているスタンプを貼り付けたところで、ふと違和感を覚える。
    ……気をつけて?何かあっただろうか。強キャラ?
    一応、全滅しないように編成を変えた方がいいかもしれない。ポケコヨのアプリを立ち上げたところで、戻ってきたフレットがスマホを覗き込んできた。
    「お待たせー……えっと、それはポケコヨ?」
    「フレット、ストリーム行っていいか?」
    イベントがある、と続けると、一瞬ギクリと彼の動きが止まった。彼が返してきたのは、らしくない不器用な笑顔だった。
    「……もう行っちゃう?」
    もう少し遊んでない?と彼は続ける。もう?もうって何だ?
    「3時から。イベント」
    「今何時」
    「2時20分」
    「あー……まぁそっか……」
    フレットはなぜか気まずそうだ。さっきから様子がおかしくないか。フレットも、スワロウさんも。
    「ストリーム、行きますかぁ」
    彼は少々気乗りしない様子で語尾を伸ばした。そんなに俺がスマホゲーやってたのが気に入らなかった?
    「もしかしてスマホばっか見られてると嫌とか?」親か。カノジョか。
    「そこは別に気にしてない、いつものことだし?俺も明確にやることあるわけじゃないし?付き合うわ」
    なんか申し訳ない。
    ともかく俺たちは次の目的地に向けて歩き出す。


    ヒカリエを回ったあたりで、彼はやや唐突に話を振り向けてきた。
    「こないだ……露店で靴見ててさ」
    「露店?」
    「そう。怪しげな店だったけど、いちおブランドだったし名前は知ってた。俺の小遣いで買えるものとしてはなかなか凄いなって思った」
    「型落ち品とか?」そういう店ってたまにあるよな。
    「んー……雰囲気はそんな感じだったんだけどねぇ」
    「で、買ったのか?」
    「買った。……もちろん偽物だった」
    フレットはニカッと笑った。意外だった。ファッションに敏感な彼のこと、その辺の見分けはすぐつくものだと思っていた。そんな子供みたいな失敗はしないものだと思っていた。
    「ま、ブランドものが露店で売ってるのもおかしいし、俺も半分は諦めてた。でも半分は本気だったから、ガッカリはしたよね」
    「フレットでもそんな失敗あるのか……でそれ、結局どうした?メルカリ?」
    「いや?別にモノは悪くないから普通にまだ使ってる」
    「え?」
    「気にならないわけじゃないし、もう適当な買い物はしないけど。でも靴自体は全然履けるし、デザインも悪くないし。高い買い物でもなかったから、もう俺は納得してる」
    良いんだろうか。俺だったら、目にするたびに摑まされたことを思い出して少し恥ずかしいかもしれない。
    「俺、フレットはもっとそういうの気にするかなって思ってたわ」
    「気にするよ〜?気にするけど、あくまで基準の一つってだけ。気に入ってれば別に良いでしょ」
    「そんなもんなんだ」
    「そんなもんだと思っとこ」
    俺は詳しくないけど、案外そんなものなのかもしれない。何の気なく俺は言葉を繋いだ。
    「露店って、リョウジさんとこみたいな?」
    あれ、リョウジさんって誰だ?嫌な感じの名前だ。この近くだったっけ。何が?
    「……そんな感じかも」
    妙に沈んだ声が返ってきた。何かまずいことでも言っただろうか。言ったんだろう。
    気付いたら結構歩いていた。もう首都高の高架下だ。交通量の多いこの界隈はいつ来ても埃っぽい匂いが充満している。それなのに、しばらく嗅いでいない匂いであるように感じた。
    少し、動悸がしてくる。
    息が苦しくなる。
    もうすぐ着いてしまう。
    「リンちゃん、大丈夫?準備できてる?」
    まだブラブラしてよっか?と、フレットの声が聞こえる。この先にある景色を俺は知っていた。
    アプリの中のシルドラやイフリートには悪いけど、今日ここに来たのはポケコヨのためではなかった。そうじゃなくて......。
    この後何が起こるのかを予感していた。
    本当は見たくなかった。でも一度足を背けたら二度と向き合えないような気がした。今行くしかなかった。
    「いや、行ける。行けるうちに済ませたい」
    「……そーね。こういうの、多分勢い大事」
    じゃあ行くか、と言い合って、二人でステップに足をかけた。下りエスカレーターはゆっくりと俺たちを運んだ。


    それは見知った光景だった。
    恰幅の良いスーツの男と、あの時の俺が向かい合っていた。スーツの男……モトイさんと正面から向かい合うと、必死で言葉を探している自分の姿はいかにも幼く小さく、頼りなかった。
    彼は何とか絞り出す。
    「俺はあなたの言葉、全部好きだった」
    「僕も好きだったよ、あれは僕が考えたんじゃないけど」
    「え?」
    間髪入れずに帰ってきた返答に彼は目を丸くしている。その後の展開は分かりきっていた。「アナザーさん」の作品は全て盗作であったこと。そしてそれを微塵ほども悪いと思っていないこと。聞かれてもいないのにベラベラと話し出し、止まらない。残酷な言葉の楔を心に打ち込まれ、眼前の俺はただ立ち尽くしている。前段に聞いた裏切りの話も含めて、その時俺の頭はいっぱいいっぱいになっていた。
    やがてモトイさんは去っていき、俺は力なく虚空を見つめ続けていた。

    「……リンドウ、大丈夫?」
    「……おう」
    あの時、モトイさんと向かい合って、直接言葉を投げかけられるのが辛かった。今は後ろから見ているだけだから、だいぶ落ち着いていられた。
    それでも……ゆっくり受け止められる余裕が出来た分、その言葉は毒のように静かに心に染み込んできた。
    俺が好きだった言葉は空虚なものだった。意味のないものだった。
    ……。
    沈黙を分かち合うのはちょっと苦手で、こういう時は大抵フレットが適当に間を埋めてくれていた。でも不思議と今は二人して黙り込んで、それが嫌じゃなかった。何となく、俺から話し出せるのを待ってくれているような気がして嬉しかった。
    なるべく自分に触れないように、慎重に話を振る。
    「あのさ……あの後、みんな何してた?」
    「何も。ただ」
    一瞬口を噤んだ後、やや話し辛そうに彼は口を開いた。
    「リンドウはずっとボーッとしてたからちょい心配だった。それでリマインドしといた」
    「覚えてないわ」
    「……悪い夢を見ないように、って送った」
    「夢、か」
    そっか。向こうが現実で、現実の過去だ。こっちが夢だ。
    「リマインドが効いたのかも。良い夢だった」
    「それは良かった」
    フレットはホッとしたように顔を緩ませる。うん、良い夢だった。そして、どうせ夢ならもう少し......もう少し甘えさせてほしかった。
    「もう一つ頼みたいことがあるんだけど」
    「内容次第かなぁ」
    間髪入れずに軽口を返した後、あー……と一息ついて彼は言い直した。
    「……ごめん、今の癖。言ってみて、できるだけ協力すっから」
    「ありがとう。明日が来たら俺、ちゃんと戦わなきゃいけない。……だから」
    奪われた言葉の代わりに、背中を押してほしかった。
    「励ましてくれないかな」
    「励ましてあげたいけどさ」
    フレットは申し訳なげに小さく笑い、頭を掻いた。
    「月並みな言葉しか思い浮かんでこない。頑張れって言ってあげたいけど、それしかない」
    「……」
    それは自業自得だった。俺たちは向かい合って独り言を投げ合い、その場の空気をやり過ごしてきた。真面目に言葉を交わし、お互いを知ることをしなかった。そうして俺は自分の心の中に彼を招き入れず、いつも距離を置いていた。だからどうすればいいのか分かりかねているのだ。
    申し訳なく思った。
    同時に、ぎこちなく差し出された彼の友情がありがたかった。
    「じゃあ……明日がいい日になりますように、って言ってほしい」
    「リンドウ、その言葉……」
    「いいんだ」

    たとえ”アナザーさん"が俺の憧れる人でなかったとしても。
    そして彼の言葉が、彼自身のものではなかったとしても。それでも……その言葉が好きだったことに変わりはない。
    中学生の時の幾つもの夜が心に浮かんでは流れていった。曖昧な友人関係に戸惑い、全く見通しが効かない将来に怯え、家族と喧嘩すれば鬱屈した感情を飲み込んで枕を抱えていた。それらは今から振り返れば他愛ない悩みだったけど、その時の自分には大きな困難だった。乗り越えるために、彼はベッドの中で呪文のように繰り返していた。明日がいい日になりますように。明日がいい日になりますように。
    その言葉だけは自分の中で生きていた。
    まだ生きていてほしい、と願った。

    「好きなんだ。別にアナザーさんの言葉じゃなくてもいい」
    いつか誰かが放った言葉に、俺が勝手に希望を見出した。自分で価値があると思ればそれで良いのかもしれない。……そんなものだと思っていても良いだろうか。
    「そっか」フレットの声色は優しい。「良かった」
    俺は小さく息を吸って、一息に呟いた。
    「明日がいい日になりますように」
    かつて魔法の呪文だった。まだ効果があれば良いのに、と思った。フレットが後に続く。
    「明日がいい日になりますように」
    大好きな言葉だった。だから本人に否定されるのは辛かった。まるで、何とかやり過ごしてきた幾つもの夜を否定されたような気持ちになった。
    「明日がいい日に、」
    自分の声が震えているのが聞こえる。胸が詰まり上手く声を紡げない。けど、聴き慣れた声が、いつもより落ち着いたトーンで最後まで続けてくれた。
    「なりますように。明日がいい日になりますように」
    目の前のもう一人の自分はまだ、虚な目で渋谷川の流れに目を落としていた。声をかけてやりたかった。代わりに心の中で呼びかけた。
    今日は良くない一日だった。でもきっと運が悪かったんだ、それだけだ。次の日にはルーインに勝って、それで。俺たちはRGの渋谷に戻って、……また何でもない日常を送ろう。
    「明日がいい日になりますように」
    俺は念を押した。昨日の俺に届けばいいと思った。昨日の俺はそのまま、渋谷川沿いのレールに頭を伏せてしまった。おやすみ。悪い夢を見ないように。

    「フレット」
    俺は隣を見る。
    「どした?」
    「優しくしてくれてありがとう。今日、凄く楽しかった」
    「珍しく直球じゃん」
    いいよ、全部終わったらまた遊ぼ。彼はそう言って笑みをこぼした。
    「あぁ」
    その時は一緒に映画を見ても良い。流石に恋愛映画はどうかと思うけど、アクションものならお互い退屈しないだろう。それから彼のお勧めの服を買ってみよう。ポケコヨもダウンロードしてもらえば一緒に遊べて楽しいかもしれない。
    胸のあたりに暖かいものが広がっていった。所詮夢だ、でも夢だけでも幸せだった。

    突然、ざわ、とリアルな音が頭を揺さぶった。聴き慣れた本物の渋谷の雑踏の音。思考が透き通り、醒めていくのを感じる。ずっとこの夢を覚えていられたらいいと思ったが、それでも世界は端の方からモノクロの砂嵐になり潰えていく。
    忘れてしまうのだろう。それも良いかもしれない。浸ってばかりはいられないから。
    「もう終わっちゃうか」
    フレットは砂嵐の方向を寂しげに見つめていた。「俺も今日話せて良かったし、楽しかったわ」
    俺は彼の手を握った。最後まで一緒にいられれば良いと思った。体温と、微かな拍動を感じる。その感触はあの時と同じだった。少し戸惑ったように俺を見つめ返して来るその目線も、あの時と同じ。
    「リンドウ ?」
    「フレット、」
    “死神ゲーム”が始まった最初の日、俺はこの手を掴んで走った。彼のいない未来を確定させないために。最悪の運命から逃れるために。そしてまだ俺は走り続けなければならない。
    明日から逃げてはいけなかった。
    「俺、頑張るから。お前と一緒に、絶対に、戻る」
    「そっか」
    それ以上何も言わず、フレットは俺の言葉を受け止めて爽やかに返した。
    「明日もよろしく」
    「頑張れ、」
    リンドウ、という声が脳裏に響いて、それが最後だった。全てが砂嵐に飲まれていく。渋谷川の風景も、彼の声も、最後に手のひらに残った柔らかな体温の感覚も。全てが混じり合い溶け合って、曖昧になっていく。
    そして目が醒めた。
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    限界羊小屋

    DONE用語
    <キルドレ>
    思春期で成長が止まり決して大人にならない種族。一般人からは異端視されている。
    ほとんどが宗教法人か戦争企業に所属して生活する。
    <戦争>
    各国に平和維持の重要性を訴えかけるために続けられている政治上のパフォーマンス。
    暴力が必要となる国家間対立は大方解決されたため実質上の意味はない。
    <シブヤ/シンジュク>
    戦争請負企業。
    フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
     ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
     無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
    8396

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    DONEフレリン クリア後世界
    ワンライのテーマ「バッジ」
    バッジ操作デモが彼らの撮影動画だったら?というとこからの発展形
    Forget me not.「リンドウと撮ったやつさ、全部消えてた」
     「死神ゲーム」が終わって2日目の朝。早い時間の教室で、リンドウと一つの机に向き合っていた。机の上に載せたスマートフォンは何も変わらない渋谷の風景を映し出している。
    「フレットも?俺も消えてた」
     同意を返される。全く同じ状況らしい。
     本来ならば動画に映っているのは、コートを風になびかせて鮮やかな斬撃を叩き込む新米サイキッカー・リンドウの姿のはずだったのに。

     撮影会を始めたきっかけはほんのお遊びだった。バッジに念を込めることで「サイキック」が発動し、不思議な力で炎やら水やらを出して自在に操ることができる。サイキック能力を使って襲ってくる動物型の「ノイズ」を撃退する。まるで映画の主人公になったように感じて刺激的だった。試しに虚空に斬りかかるリンドウをスマホのカメラで撮影してみると、特撮を爆盛りにしたSF作品の主人公のようにバッチリ決まっていた。UGに来たばかりの頃はそれが新鮮で、豪華なイベントだなどとはしゃぎながらお互いの姿を撮りあっていた。
    2051