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    限界羊小屋

    @sheeple_hut


    略して界羊です

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    限界羊小屋

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    フレリン 本編前
    親友以上友達未満みたいな関係の始まりについての話

    #フレリン
    frelin

    浮き立つ/浮き足立つ開け放して網戸だけにした窓から生温い空気が入ってくる。初夏の夜風がごうごうと低く唸って、下ろしたブラインドがカランカランと音を立てている。
     上の空でシャープペンシルをカリカリと動かす、その脇に置いたスマートフォンがピコ、と音を立てた。少年の目線が一瞬でメッセージアプリの画面を追う。ゲームのキャラクターのドラゴンが吹き出しで喋っている。
    『どこまで行った?』
     アプリ越しに、先週発売したゲームの攻略の話をしていた。クラスの男子の大抵がプレイしていたため合わせるように買い遊んでいるが、実は彼自身あまり得意ではない。
    『キングベヒーモスまで、あれ無理じゃん?』
    『いや無理ではない 手伝う?』
    『手伝って!』
    『じゃ土曜日うち来ない』
    『いく!何時?』
    『5時、てか土曜日夜親いないから泊まりでどう』
     テンポよく返信を返していた少年の手が止まる。友人 - リンドウの家に行ったことはあった、そして前々から泊まりがけで遊んでもいいという話をしていた。だから彼にとっても唐突な提案ではなかったのだが、改めて招待されると心がふわりと舞い上がる。
    『行く!』 よろしくお願いします、と不細工な猫のスタンプがお辞儀する。打ち終えてから少年はスマートフォンを脇に置き直し、よっしゃ、と小さくガッツポーズした。誰かの家にお泊まりするのは初めてではないが久しぶりだ、と振り返る。
     今週も半ばに差し掛かってるけど予習も復習も結構順調、ストレスフリーじゃん明日早起きしよ。で、ゲームちょっとレベル上げしとこ。リンドウのことだからもうラスボス終わってたり?手伝うってくらいだから結構差がありそう。けどそれも土曜で追いつけばいっか。
     紙面の上で証明を求める図形たちも、細い線をいっぱいに広げて自分を祝福しているように見えた。課題の部分を大方解き終える頃には時計の針が11時を回っていた。窓を引いて、風の音を部屋から締め出す。ベッドに身を横たえてもう一度メッセージを開く。
    『もう寝てる?』
     先ほどから一件だけメッセージが足されていた。眠りにつくのは自分が先のことが多い。朝にメッセージを開くととんでもない時間に連絡が来ていることがある。そのせいか、リンドウが午後の授業で船を漕いでいるのを見かけることが結構あった。
    『そろそろ、そっちも夜更かしは程々に?』
     おやすみ、とスタンプを送った。6秒後に返信と、同じような画像が返ってくる。
    『じゃまた』
     おやすみなさい、と眠たげなヒヨコが枕を抱えている。それを確認してからスマートフォンを枕の脇に置いた。緩やかに瞼を閉じると、今の今までやりとりしていた親友が浮かんでくる。軽く跳ねた前髪と少し遠くを見ているような瞳。弾力があるのにどこか柔らかな声。いつも隣で戯け回っているのを持ち越して、夢の中でも彼と遊べればいい、と願う。夢ならもっと色々なことができそう。一緒に空を飛ぼう、夜の公園に行こう、彼の手を取って歩こう、……普段はしないような話をしよう。
     夢ならば何も失うことはない。胸にとどまる黒い不安も、人恋しいと焦がれる気持ちも衒いなく話してしまえるような気がする。
     甘い期待が心地よい夜闇に溶け、少年に柔らかな初夏の眠りが訪れる。
     彼にとっては残念ながら、親友 - 奏竜胆に夢で逢うことは叶わなかった。



     少年は広い道を歩いていた。両脇で満開の桜が風を受け、桃色の花びらを儚く散らしていた。空が妙に暗い。少年は白い百合の花束を抱え持ち、桜を見に来た人々の喧騒に混じって霊園の中を歩いていく。どこに行けばいいかは分かっていた。頭文字を辿って目的の墓碑の前にたどり着き、百合の花をその前に置く。安らかであるように、と祈る。
     中学校の時の友人の墓だった。
     旧友の話をただただ聞いていた日々が胸の奥に蘇る。夕日が入る放課後、部活の声を窓の外に聞きながら、椅子に後ろ向きに座って彼と向かい合っていた。慰めても励ましても、彼の落ち窪んだ瞳に光が戻ることはなかった。どんな言葉なら、どんな声色なら彼の心を楽にしてやることができるだろうか?いくら思いを投げかけても届くことはない、それは下手くそなキャッチボールに似ていた。力ない相手のボールはいつも、構えたグローブのずっと手前に落ちた。こちらから投げかけても相手を大きく外れ、見当外れの方向に飛んでいく。やがて相手は肩を窄めてグラウンドから立ち去ってしまった。グローブをつけたままの自分だけが、日が沈んでいく校庭に独りとり残されている。
     後ろに佇む気配に気がついた少年が振り返る。黒い学生服に身を包んだ旧友がそこに立っている。その瞳は何も映していない空白そのものだった。
    「新しい友達ができたんだね」
    歌うような声で旧友が呼びかける。
    「うまくいくといいね」
    「……ごめん、」
    「いいんじゃない?僕、引きずって欲しいだなんて言ってないよ。新しい友達と仲良くね」
     新しい学校、新しい制服、新しい友人関係。彼の背丈はあの時のままで、自分は少しだけ背が伸びた。その分、少し見下ろすような目線になっていた。でもまだ、まだ足りない。俺はもっと大きくならないといけない。
    「ごめんけど、生きてかないとだから」
    「君は寂しがり屋さんだからね。今度は気をつけてね」
    「きっとうまくやる」
    「うまくいくといいね」
     気持ちの乗らない言葉が春風に乗って耳に届く。そこここで焚かれた香が漂い、春の空気を煙らせていた。その一筋が目に入り、思わず瞬きをする。次の瞬間には旧友の姿はなかった。人工的な線香の匂いがつんと鼻に残った。
     花見がてらの人々の穏やかな話し声があたりに満ちている。旧い友人や家族への挨拶を済ませ、彼らは手を繋いで春の光に満ちた霊園を歩いてゆく。少年はただ一人、旧友の墓碑の前に立ち尽くしている。



     昨日からの風がまだ強い朝だった、その風の音で目が覚めた。過ぎ去った3月の追憶が小さな棘となり、胸に刺さってちくりと痛む。彼の声が耳にこびりついている。「うまくいくといいね」。……あーもう……、と内心でぼやき、ブンブンと頭を振って追い払おうとする。
     うだうだ落ち込むとかキャラじゃないし、彼には申し訳ないけど俺も高校生活という花道をガシガシ歩いていかなきゃいけない。一応自分なりにケリをつけたつもりだったのに何で夢にまで出てきちゃうかな。忘れる、とは言わないけど必要以上に引きずりたくはない。じゃないと、死にたくなるじゃん。
     グズグズした胸のつっかえを取ろうとして、スマホを開いた。
    『おやすみ』
    『おやすみなさい』
     翳りないやりとりが少しだけ灰色の霧を払ってくれる気がした。そうだ、きっとうまくやれる。そう信じて前向きに、楽天的に。リンドウとは楽しいことだけ、面白いことだけ一緒に過ごそう。それならきっと間違わないはずだ。軽く頭を掻いて、曇った感情に句読点を打つ。
     土曜日の約束のことを思い出す。流石に今からゲームのレベル上げをする気にはならなかったが、少し気持ちが軽くなった。機械的にリビングに向かい「母さんおはよー」と空々しい挨拶を投げかけた。考えずに動けることは自分の長所である、とっとと学校行って早出組の連中とつるんでいよう。それで、リンドウを待とう。



     日めくりカレンダーを持っていたら(持っていなかったが)赤丸でカウントしたいほど胸を躍らせながら、少年は平日の日々を送った。ワクワクと同時に心の中で膨らんでいく灰色の不安には、大丈夫きっとうまくやれる、と蓋をした。木曜が過ぎ金曜が過ぎて、土曜日の午前の授業はやけに長く終わりなく感じた。最後のチャイムが鳴り終礼の時間が過ぎる。横目でだけチラリとリンドウを見やると、彼は不自然なほどゆっくりとした手付きで教材をしまっていた。そっと目をあげてこちらを伺う彼の姿に少し満足を覚えながら、乱暴に鞄を背負って彼の机に向かい声をかける。
    「今日の夜ね!」
    「ん、待ってる。時間あったら宿題やろ」
    「これどうせやらない流れじゃん?」
    「いやそうとも限らない」
    「まーおけ、持ってく」
     悪戯っぽく約束を交わし、じゃまた、と一旦お別れをした。自分の部屋に帰り、サブバッグから教科書をぽいぽいと放り出す。着替えとタオル、それから部屋中の好きなものを探しては詰め込んだ。最後に宿題の分だけをそっと入れ直した。特にリンドウが苦手な数学の分だけは絶対に忘れないようにして。
     3時半を待って家を飛び出す。『渋谷から地下鉄に乗って郊外へ、駅を出て大通りから一本入って左右』彼の家までの道筋を頭の中で反芻しながら駅までの坂道を降っていく。16歳の6月3日の昼下がりは人生で一度きり。そして同じく一度きりのその夜はリンドウと一緒に過ごせる。初夏の光の中では街路樹もマンションのガラス窓も電信柱の広告も全てがキラキラ輝いて見えた。
     お土産何買おっかな、リンちゃん何が好きだろ。帰り道にコンビニで唐揚げを買って分けたり、休日にファストフード店でポテトを摘んで駄弁ったりしたが、改まったものを買うのは自信がなかった。ちょっと迷ったが、渋谷駅の地下と周りのデパートで大体世界の全てが揃ってしまう。結局駅の地下で箱入りのマドレーヌを見かけて、それに決めた。ハズレがなさそう。

     少年は長い連絡通路を抜けて地下へ地下へとエスカレーターを降り、郊外行きの銀色の電車を待った。2分ほど経ってやってきた電車にはちらほらと空き席があったが、少年はそのまま吊革を掴んで窓に向き合った。やがて地下鉄は出発し、窓の外で深海のような暗闇がゆらりと揺れる。その暗さは薄曇りの昨日の夢を思い出させた。やっぱり忘れられないか、少年は自嘲する。せっかく楽しいことをしに行くのに、面白くもない夢を引きずってしまっている自分に嫌気がさしてくる。
     友人の役に立てなかった。話を聞くことも、言葉で励ますことも意味がなかった。それを痛感して以来、真面目な話をするのが怖くなった。自分を守ろうと貼り付けた軽薄なトーンはいつの間にか声帯に張り付き、剥がせなくなっていった。しかし誰とも触れ合わずに時間を過ごすのも不可能だと思った。自分なりの想像を持って未来を覗けば、のっぺりと暗い霧がそこに横たわっていた。おそらくそれは未知とか退屈とか絶望、もっと単純には”時間”そのものとでも言えそうだった。一人で向き合うにはあまりにも強大な化け物。
     立ち向かう自分はちっぽけなヤマアラシだった。長い冬を何とか乗り切ったが、鼻先が凍え、身体は傷だらけ。仲間と、休息が必要だった。棘が刺さらない程度に近寄って、傍で温度を分かち合って安らかに眠りたかった。

     地下鉄が暗闇を裂いて走り、少年は回想を続ける。

     ぎこちない音を立て回り始めた高校生活の中、無鉄砲に快活に人間関係を増やしていった。分け隔てなく声をかけるのは得意分野だったが、それでも好き嫌いはある。カナデリンドウくんのことは気に入っていた。彼の言葉は自分の外殻をそっとなぞるだけで、深い部分にまで指を突っ込むようなことは決してしなかった。たまたま会話が穿った内容を含んでしまっても、彼は「そうかな」とか「ふーん」とか短い言葉でそれに終止符を打ち、ひらりと躱す。それがとても心地良くて、安心して寄りかかり話を続けることができた。
     知り合いから友人になった頃には、正直言って本格的にカナデリンドウくんを気に入り始めていた。お互いを傷つけない温く甘い距離感、柔らかさを含んだ声、多くを語らず短い言葉で受け止めてくれること、それらが実に気に入っていた。友人から親友になれるだろうという確信が二人の間に漂い始めたタイミングで、彼に最初で最後のマジメな話を切り出した。



    「俺らはさ、楽しいことだけにしよ」
     用意した台詞を思い切って口にする。普段の軽口と比べると少しぎこちない言葉に、リンドウが訝しむ様子で眉根を寄せる。彼と過ごす何十プラス何回目かの放課後、遅い春の風が入る教室でたまたま二人きりになった。向かい合ったままで念押しする。
    「要するに、重い話とか?お悩み相談とか、そういう青春!みたいのはナシってことで」
     ある種の賭けだった。ギリギリ今なら引き返せる。今なら、仮にリンドウくんが受け入れてくれなくても何とか別の友人候補を探すことができるだろう。都合の良い親友、彼はどうしてもそれが欲しかった。
    「あぁ、なるほど?」
     少なくとも第一声で否定されることはなかった。リンドウは右上の一点に目線をやり、少し沈黙した。それから目線を戻してぽつ、と呟く。
    「メンドーなこと言うなってことなら」
    「ま〜〜ともかく一緒に遊んだりしよ!」
    取り繕ったつもりの言葉は誤魔化しのようにも懇願のようにも聞こえてしまう。しかしリンドウは呆れたように笑った。
    「フレット、かっる」
    そして小さな声で、しっかりと言った。
    「いいよ了解」
     ニッと口端を歪めて見せた、悪巧みをするようなその笑みに、胸にあるもやが一気に晴れたような気持ちになった。
    「サンキューリンドウ、話が分かる!」
    よかった。よかった!これでいい。舞い上がりたいような、抱きつきたいような気持ちだった。どう切り出しても奇妙なお願いだけど、これだけは念押ししておきたかった。「楽しいことだけ一緒に」。楽しめないことには二人で目を背けて知らんふり。関係性の苗木に水をやる面倒は見ぬふりをして、「親友」という果実だけを享受したかった。一番近くに身を置いて他愛ない話を長く長くダラダラと続けられればそれでいい。深い意味を交換せず、空回りする会話とともにただただ近くに寄り添って、傷つかないままで目の前の底知らぬ暗闇をやりすごそう。
     それならきっとうまくいくよね?瞼の裏に焼きつく青白い旧友の影に呼びかける。学生服に身を包んだ旧友は微笑んだまま、夢の中での言葉をただ投げ返す。
    「うまくいくといいね」


    彼の家は電車で5駅行ったところだった。かつて訪れた道をそのまま、軽い足取りで辿ってゆく。大通りから一本入って左、右。レンガ風のタイルを張った大きめのマンションがリンドウ部屋……もとい奏さんのお部屋、だった。メッセージアプリで彼を呼ぶと、少し待ってエントランスまで降りてくる姿が見える。制服を着替えてやや大きめのTシャツを被っていた。
    「悪い、待った?」
    「全然、今来たとこ」
     廊下をリンドウに従って歩き、彼の部屋まで案内を受けた。インテリアで整えられた玄関と対照的に、彼の部屋はモノが多くないもののどこか雑然としている。特段片付いているわけでも散らばっているわけでもない、しかし統一性のようなものが感じられない部屋だ。荷物を置いて見回し、翼を広げてこちらを威嚇する竜のフィギュアやら、鍵下げに吊り下げられたヒヨコのキーホルダーやらに心の中で挨拶をした。お邪魔します。


     リンドウが冷えた緑茶を出して、それから2時間ほどぶっ続けでゲームをしていた。ゲームの中のリンドウは小柄な獣人のキャラクターを選んでいた。先陣を切って不似合いな大剣を振り回し、モンスターの群れを蹴散らしていくリンドウ。その後ろから補助魔法やら回復魔法やらをかける。前線に立たず、援護で構って遊ぶ方が好みだった。
    「補助メインで育ててたらソロはきついかもな」
    「かもねー、けどなんかこっちのが好きなんだわ」
    「それ二週目でやる奴だよ」
     一週目は戦士でクリアした方が早い、と言いつつリンドウが剣を振り上げる。大鴉と健気に対峙する可愛らしい戦士の背後では、恐竜が大顎を開けて今にも噛みつこうとしていた。慌てて防御の魔法をかけてやる。透明な壁がリンドウの周囲を包み、恐竜の大顎はガチン、と音を立てて堅固なバリアを穿った。何事もなかったかのようにリンドウは烏を真っ二つにし、振り向いて恐竜に対峙するとガシャリと大剣を構え直した。
    「あ、今サポートしたのに」
    「知ってた。サンキュー」
    「俺がいないと死んでたでしょ〜」
    「見てたってば」
     そう言いながらもリンドウはひらひらと恐竜の爪の連続攻撃を躱し、隙ができた懐に軽やかに飛び込んで一撃を叩き込んだ。まぁこう言うのはお互い様ということにしておいて、恐竜の動きを止める電撃を落とそうと念を込めた。



    「やっぱり勉強しないんじゃん?」
    「今からでもやるか?」
    「いやー……目、疲れたわ」
    「俺も、明日でいっか……」
     コンビニで夕食を買い出し、マドレーヌの箱から一つずつ取り出して二人で食べた。ゲームの方は首尾良く攻略され、クリアまでもう少しのところまで進んでいた。それに気を良くしてストーリーを追い続け、気がついたら時計の針が9時50分を指していた。シャワーを浴びて着替えてしまうと、今から勉強を始めるには少し遅い時間に思えた。
    「そういや布団とか敷く?」
    「いや、俺床でいい」
     彼はカーペットに枕を放り投げ、そのまま横になる。「フレット、ベッド使っていいよ」
    「それは流石に申し訳ないわ」
     招いてもらってそれはどうかという気がして、しかし自分としても床で寝ることには慣われていなかった。というか初めてである。
    「……狭くなければ二人で行けない?」
     俺そっち寄ってるからさ、と壁際に身体を寄せ、スペースを作ってやる。でもだって、と数回やりとりを繰り返したが、結局彼はモソモソとベッドの反対側に身を寄せた。明かりを睡眠灯に切替え、お互いに反対側を向いたまま「おやすみ」と声を掛け合った。
     そう、背中合わせで寝ていたはずだった。
     妙な気配を感じる。と言うより奇妙に静かで、まるで息を殺しているように感じられる。エイヤ、とばかり体勢を変えると、驚いた様子で目をぱちくりさせるリンドウがこちらを向いていた。
    「今めっちゃ見てなかった?」
    「……まぁ見てた」
     長い沈黙ののち、所在なさげに彼が小さく口にする。
    「何?照れるじゃん」
    「は?いや、見てただけだけど」
     リンドウはぶっきらぼうにぼそぼそ呟いた。何かを言いかね、取り繕い隠すようなその様子に少しピンとくるものがあった。確認のために少しだけ攻勢に出てみる。
    「リンちゃーん、ちょっとこっち向いて」
    「何?」
    「にーらめっこ」
    「ハァ!?」
     じっと目線を合わせる。何……と言いつつもすぐには目を逸らさない。少々の怯えを含んだように見開かれた瞳は、5秒程持ち堪えた後に耐え切れずに動き、そのままくるりと顔ごと横を向いてしまった。耐性がないのだろう。永遠とも思えそうな5秒の間で、彼の頬に紅が差し、耳まで真っ赤になっていくのが見えた。もしかして。歓喜と愉悦が胸に湧き上がる。
    「勝った」
    「勝手に勝つな」
    「おけ、大体分かった」
    「な、何が!?」
    「リンドウ、……今めっちゃ顔赤い」
    「えぇ……」
     心底困った、といった様子で眉を八の字に寄せている。何かを言いたげで、しかし言葉を探しあぐねる様子で口を開いては、閉じる。もしも……、もしも気持ちが一緒なら、それは願ったり叶ったりだった。見たい触れたい、もう少しだけ近くに行ってみたい。時に夢見るような遠い瞳に綺麗だと憧れ、彼が所在なげに自分を探す姿を見て後ろ暗い安心を感じてしまう自分がいた。内心を吐露せず心の距離を保ったままの友人関係は甘く穏やかだったが、暗い霧に取りつかれた心の中の自分は「それでは足りない」「それでは寂しい」とぐずり続けていた。
     せめて彼に触れて、その温かさを感じたいと思っていた。
    「あのさリンドウ……俺ちょっと言いたいことがあるんだけど」
    「あー……はぁ」
    「言っちゃっていい?」
     それでも最後の選択肢を彼に渡す。いちいち聞くのはズルいやり方かもしれない。臆病なのは自分の悪い部分だという自覚はある。
    「じゃあ任せる」
     小さな声が委ねるのを確認して、すっと息を吸った。ふ、と吐いてから、もう一度彼を見つめる。
    「リンドウ……俺、リンドウのこと好きだよ」
     こういう場合の上手い言葉を探し慣れていないからか、図らずも直球勝負になってしまった。言ってしまってからなかなかハズカシイ、と頬の辺りが勝手にびくついた。
    「あ、ありがと……俺も好き」
    「それは……好きって意味の好きで合ってる?」
    「合ってる。だから今日呼んだ、親いないから」
     パズルのピースがカチリと音を立てて合う。リンドウも顔を真っ赤にしているけれど俺も何だかこそばゆい、と思う。だとしたら、もしかしてもっと彼と一緒に居られる?そこまで考えて、急ブレーキのように心に引っかかるものがあった。あれ、でもそこまで踏み込んで大丈夫なんだろうか?傷つけてしまうことはないだろうか?……また離れてしまうことはないだろうか?
     ぐるぐると忙しく葛藤を回し、不器用な沈黙が支配する。その間にリンドウが次の言葉を投げかけてきて、混乱する。
    「フレット、俺メンドーなこと言わない。だから大丈夫」
     内容は軽薄で、口調は真摯だった。頭の中が真っ白になりそう。
    「こういうの分かんないけど、多分適当にやれると思う」
     多分に曖昧さを含んだ言葉は意図的なものなのだろう。それなら、とこちらも具体的なことは何一つ言わない提案をした。
    「俺もわかんないけど、凄く嬉しい。嬉しいから触ってみていい?」
    「……好きにしていい」
     顔の横のあたり、シーツの一点を見つめたままで彼は告げた。結構凄いことを言っている。もしかしたら色々と想定済みなのかもしれない。
    「ありがと、無理だったらすぐ言って」
     多少強引かもしれないが、返事を聞く前にそのまま彼の身体に手を伸ばした。寝間着のボタンを順に外し胸をはだけさせる。正直、何をするべきなのか正確には分からなかったが、何をしたいのかは確かだった。触れたい。
     好奇心と本能の赴くままにその上半身にぺたぺたと手を沿わせると、皮膚の下で心臓が強く鳴っているのが感触として分かった。
    「リンちゃん緊張してる」
    「あ、たり前だろ……っ!」
     這わせた手が胸のあたりを触れると強張った身体がびくっと震えた。ヒュ、と彼の喉が鳴る。急いで手を離す。
    「あ、ごめん大丈夫?」
    「大丈夫、驚いただけ……」
     そのままでいい、と促す声に甘えて再び同じ場所に手をやった。ゆるゆると掌を当ててから胸の膨らんだ部分を軽く爪で掻いた。耐えるような吐息が漏れる。
    「ふ、うぅ……」
     苦しげに眉を潜め、若干涙目になっている。何だかいじめているようで、少々の征服感と共に可哀想な気分になってきた。そのまま手を上にスライドさせ、指の腹で鎖骨を、肩を、首筋を撫でる。暖かい拍動とともに、緊張しているのだろう小刻みな震えが感じられた。
     首筋を何度か、下から上へ撫で上げる。ドクドク言っている動脈の上に指を乗せる。ふと、その脈に手をかけ力を込めるイメージが思い浮かぶ。ここまで近づいてしまえば、小鳥の首をへし折るように簡単に壊してしまうことができるだろう。それでも彼は、触れるこの手を拒絶しない。それが嬉しかった。
     首筋から手を離し、人差し指で彼の唇に触れて問いかける。
    「……いい?」
     一瞬、彼の瞳が怯えたように揺れる。だが彼は震える声でしっかりと口にした。
    「いい」
     そのままの体勢で斜め右下をじっと見つめている。顎を少し上向かせて、吸い付くようにそっと唇を重ねた。鼻先がぶつかるような距離で柔らかな感触を直接感じる。確認するように二度、三度口付ける。もう少し……もう少し近づけるだろうか?
     特に押し返されないことを確かめてから、そっと舌を出して彼の唇を舐めてみる。そこで初めて胸を強く突かれる。突き返しながらも彼は「ゴメン!」と謝った。
    「ゴメン、びっくりした」
    「いいよー?むしろずっと怖がらせてたみたいでごめん」
    「怖いわけじゃない……緊張してただけ」
    「それは本当?」
    「いやちょっと怖かった」
     素直に打ち明けてくれたのが嬉しくて、よしよしと頭を撫でてやる。
    「そんなもんじゃね?俺もわかんないし、ちょっとずつ慣れてこ」
    「なんかゴメン……次は俺ももっと調べとく」
    「え?」
    「お、おやすみ!」
     向こう向いてろ、と小さく命令されて、あっハイと従うほかなくなった。素直に体の向きを変えてから自分も結構辛い状況にあることを自覚し、彼に時間を与えるついでにお手洗いを借りることにした。無理して怖がらせるのは嫌だけどこのまま眠れるような気もしない。大丈夫、今日はここまで。もっと大胆なことは次回に回そう。
     本当は弦が切れるまで掻き鳴らしたい、飢えが癒えるまで貪りたい。
     動けなくなるまで遊んで、疲れ果てて一緒に眠りたい。なまじ触れてしまったせいで余計に、その身体の温もりが恋しくなった気がする。
     


     適当なところで手を引いたのが良かったのか、その日は何とか眠ることができた。胸騒ぎにフワフワと浮き立つ浅い眠りの中で、昨日のゲームの世界の夢を見た。
     夢の世界のリンドウはゲームのキャラクターの姿を借りていた。小柄な獣人。リンドウの雰囲気を残した跳ねた前髪、灰色の瞳、それから尖って濡れた鼻、ピンと反り立った両耳。背中から突き出る無数の針。はりねずみの姿の彼は不似合いに大きな大剣を背に担いで、何も言わずにただ隣で戦っている。
     目が醒めて最初に見たのもリンドウの後ろ姿だった。ベッドに二人分の温かさが感じられる気がして、何となくホッとした。


    21℃の柔らかな空気がもったりと肌を包む。大きな窓から落ちてくる木々の影はうっすらと透けて、白い机に淡い緑色を落としている。机の上に置いたプリントを風にさらわれそうになり、少年は慌てて教科書を重石がわりに載せ直す。向かいに座った奏竜胆も同じ動きで教材を庇った。
     窓の外からシンバルや金管楽器の音、校庭の野球部やサッカー部の声が混ざり合って聞こえる。少年は部活動に入っていなかった。彼は思いを巡らす。高校3年間は長いし、濃い体験をすることに興味がない訳じゃないけど。でも想像が具体的になるほど、なんか違くね?って気持ちになった。例えば、サッカー部に入ったとして、俺は11人に選ばれようと仲間たちと切磋琢磨できる?例えばギターバンド部に入ったとして、俺は音楽性の違い?とやらでメンバーとツノ突き合って喧嘩できる?それを考えると何だか足がすくんで、部室の扉を開くことができなかった。すくんでいるうちに最初期の入部期間は終わってしまって、それきり。
     目の前で同じ問題を解いている少年。カナデリンドウ。リンドウも帰宅部仲間だけれど、どこか部活に入ろうとか思ったんだろうか?前に聞いてみたら「別に」という答えを頂戴して、それ以上は聞かないことにしておいた。まぁ別に?お互い色々あるのは分かる、でもいつか話してくれるなら聞いてみたい。リンドウはシャープペンシルを走らす手を止め、図形の群れを見つめてうーん、と唸った。その証明難いよね俺も手こずったわ。
     奏竜胆はため息とともにペンを置き、傍らのサブバッグから桃色の小箱を取り出す。期間限定、という文字と鮮やかな苺のイラストが描かれている。購買部で売っている苺チョコレートだった。パコリ、と箱を開いて中身を引っ張り出し、机の上に広げて一つを手にとり、口に入れる。眠たげなその顔に安堵した色が浮かぶ。浮かべてから、目線を上げてお誘いの言葉をかける。
    「フレット、食う?」
    「いる、もらう〜」
     少年も手を伸ばし、桃色のチョコレートを口に運んだ。人工的で気取らない香料の苺の甘味がぶわりと口の中に広がる。普段自分ではあまり菓子を買わないが、リンドウに差し出されるものならいくらでも欲しい、と思う。
     結局あれ以来、自分たちの関係は特に何事もなかったかのように続いている。問い直すのはなんとなくこそばゆく、何より怖くて切り出せずにいた。だから今日もいつもと同じだけの重さで話しかける。
    「今週土日どっち暇?」
    「……日曜日」
    「じゃあまたリンドウの家、遊びに行っていい?」
     定点観測、と戯けて言った。
    「テイテンカンソク」言葉尻を捉えて彼は口に出す。徐にスマートフォンに文字を打ち込み、「一定期間の調査や記録をつづけること」と説明した。急に鼓動が早鐘を打ち始める。間違えただろうか、ここから逃げ出したくなる。
    「あー嫌ならやめるけど?」
    「嫌ではない」
     ふとリンドウが顔を上げた。困ったように口の中でモゴモゴと言葉を探したあと、やっとのことで絞り出す。
    「……前も言ったけど、嫌じゃない。俺も調べとくって言ったし」
     夢でも幻でも、状況的に気を遣われた訳でもなかった。改めて多幸感が胸の中を一瞬で満たし、叫び出したいような気持ちになった。
    「やたー、じゃ次はもっと楽しいことしよ!」
    「お前声大きいよ……」
     辟易といった声色で彼は辺りを見回した。幸い今日も教室に二人きりである。それを確認してホッとした表情になると、彼はおもむろにスマートフォンを持ち上げた。ぽちぽちと画面を操作し、何やら青い画像を表示して見つめている。微睡むような、どこか夢見るような口調で彼はその文字を読み上げた。
    「……歩く時僕らの足は必ず地面を踏んでいる」
    「何ソレ?」
    「好きな言葉」
    「ふーん……」
     取ってつけたような言葉は彼の口から聞くには何だか意外だった。が、詮索はしない。代わりに心の中で反芻してみる。歩くとき僕らの足は必ず地面を踏んでいる。
     そうだ、俺も歩いていかなきゃいけない。何とか「高校生活」をやり遂げなければならない。一人じゃ足がすくむから、リンドウの側で。彼と一緒に歩きたい。本当は彼がどんな風に見て、どんな風に聞くのか知りたかったけれど、そこまで近づくだけの勇気は持てそうになかった。だから、せめて一緒のものを見て一緒の音を聴きたい。「楽しいことだけ一緒にやろう」。そしてもしかしたら、「気持ちいいこと」も一緒に分かち合えるかもしれない。
     次はもっと近くに。その心に触らないギリギリのところまで。
    「うまくいくといいね」
     灰色の残響が胸の奥にざわめく。うまくやるよ、と内心で返して、灰色の記憶を箱の中に押し込む。何百回目かになるその作業ののち、ハリネズミのリンドウくんがひょいと箱を片付ける姿を思い浮かべた。大丈夫、俺たちは楽しいことだけ、適当に、一緒にやる。そうだろリンドウくん。
     想像の中、彼は黙ったまま落ち着いた色の瞳でこちらを見つめていた。
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    限界羊小屋

    DONE用語
    <キルドレ>
    思春期で成長が止まり決して大人にならない種族。一般人からは異端視されている。
    ほとんどが宗教法人か戦争企業に所属して生活する。
    <戦争>
    各国に平和維持の重要性を訴えかけるために続けられている政治上のパフォーマンス。
    暴力が必要となる国家間対立は大方解決されたため実質上の意味はない。
    <シブヤ/シンジュク>
    戦争請負企業。
    フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
     ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
     無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
    8396

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    DONEフレリン クリア後世界
    ワンライのテーマ「バッジ」
    バッジ操作デモが彼らの撮影動画だったら?というとこからの発展形
    Forget me not.「リンドウと撮ったやつさ、全部消えてた」
     「死神ゲーム」が終わって2日目の朝。早い時間の教室で、リンドウと一つの机に向き合っていた。机の上に載せたスマートフォンは何も変わらない渋谷の風景を映し出している。
    「フレットも?俺も消えてた」
     同意を返される。全く同じ状況らしい。
     本来ならば動画に映っているのは、コートを風になびかせて鮮やかな斬撃を叩き込む新米サイキッカー・リンドウの姿のはずだったのに。

     撮影会を始めたきっかけはほんのお遊びだった。バッジに念を込めることで「サイキック」が発動し、不思議な力で炎やら水やらを出して自在に操ることができる。サイキック能力を使って襲ってくる動物型の「ノイズ」を撃退する。まるで映画の主人公になったように感じて刺激的だった。試しに虚空に斬りかかるリンドウをスマホのカメラで撮影してみると、特撮を爆盛りにしたSF作品の主人公のようにバッチリ決まっていた。UGに来たばかりの頃はそれが新鮮で、豪華なイベントだなどとはしゃぎながらお互いの姿を撮りあっていた。
    2051

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