Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    限界羊小屋

    @sheeple_hut


    略して界羊です

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 68

    限界羊小屋

    ☆quiet follow

    フレリン クリア後世界
    大学生ネタ①
    【概要】雪の日の街角、飲み帰りにダウンしちゃったリンドウを助ける話

    #フレリン
    frelin

    ストレイドッグ 駅の改札を出ると少しだけ雪が降っていた。クシュン、とくしゃみが出る。サークルの納め会で一日が過ぎていった。クリスマス前イベントのため3ヶ月ほど前からそれなりに忙しく、他大学からのメンバーとのプログラム調整や主催との連絡、練習用スタジオの予約など走り回っては、空き時間を練習に回していた。その甲斐あってか最後のOB挨拶まで手際よく終えることができ、一同は解放感を持って本日の納め会を迎えた。俺のショーケースにもミスはなかったし、全体的に満足のいく出来だったな、と振り返る。
     そしてそれも片付けば今年の用事は大体終了になる。
     3ヶ月分、学業が少々傍に追いやられていたことは否定できない。早く帰って課題を片付けてしまおう。クリスマスを2週間後に控え、街は少しずつ明かりを増やし始めている。強い寒気が関東を覆っていて、しばらくは気温が下がるそうだ。
     乾いた軽い雪が静かに落ちてきていた。駅前にはコートに身を包んだ人々が早足で行き交う。駅前広場を過ぎて俺もその人影のひとつに交じり、帰路に向かう。

    「……」
     繁華街の外れで意外なものを見つけた。雑居ビルの階段の下、街灯に照らされて旧友が落ちていた。
     いや落ちててたまるか。
     男女4人のグループが心配げに話し合っている。その奥に見覚えのある人物がへたり込んでいた。彩度の低い瞳。同じく色素の薄い髪にはほんの軽く癖がつけてある。奏竜胆は後ろ手をついて、見るともなしに雪空を見上げていた。脇に青いバッグが半開きで投げ出されている。あーあーパソコン入ってる、濡れちゃうじゃん。
     友達です、とグループに声をかけて俺はその目の前に蹲み込んだ。
    「おーいリンドウ」
     目の前に掌をひらひらと振ってやる。反応がない。
    「……」
    「リーンドーウさーん」
     語調を強めてもう一度呼びかけると、ようやくとろんとした目がこちらに焦点を向けた。しばらく会っていないが、ぼんやりとした印象を受ける目元は間違えようなく旧友のものだった。言葉を宙に投げかけるように、彼が口にする。
    「ふれさわさん」
    「おーおー、しっかりしてんねー」
     前みたいに呼んでくれないのか。寝ぼけているだけか。ともかくこの寒さの中の野外泊はとてもお勧めできない。幸い歩いて帰れる距離だし、今日はだれも泊めていない。
     だらしなく開いたビジネスバッグのジッパーを締めて持ち上げる。反対側に彼の腕を捕まえて肩に回す。「はい起きる!」力を入れて立ち上がると、彼の重さがまともに両肩にかかった。
     一人で歩けば10分もかからない距離を、時々立ち止まったり、背中をさすってやったり、彼が口を抑えるたびにコンビニを探したりしながら歩いた。結局帰り着くまで25分かかった。その間、彼はポツポツと謝罪の言葉を口にしていた。
    「ゴメン」
     せっかくならお礼を言って欲しかったところだが、きっと歩くだけでキャパ一杯だろう。ハイハイハイ頑張って歩こうねー、と励ましてやると、ウン、と素直な言葉が返ってきた。



     エレベーターの力も借りて、なんとか3階の自分の部屋まで彼を引きずり上げる。居間まで引っ張り上げたところで彼の力は尽きたようだ。へなへなとその場にへたり込む。
    「うー……」
     具合悪さの塊のような彼が気の毒になってくる。力なく虚空に揺らぐ瞳。何もしたくない、といったその表情にはまだ少年らしい甘えが残っているように見えた。あ、ちょっと懐かしい。いつもは生意気な癖に、何かあると結構俺に委ねようとしてくる。
    「……酒飲んだでしょ?」
    「飲んだ」
    「どれくらい」
     彼は少し数えるように視線を上に上げてから、苦しそうに目を閉じてしまった。うーん、と唸り、答える。
    「覚えてない」
    『数えきれないほど』だろう。状況は大体把握した。
    「シャワー浴びれる?」
     答えは予測できていた。本当はきちんと身体を温めて、髪を乾かしてタオルでしっかり身体を拭いた方が良いにきまっている。……実現可能性があるなら。
    「ごめん……キツイ」
    「うん、そうだよね」
     立ち上がるのも辛そうだ。とはいえ、彼の纏うコートは溶けた雪でしっとりと濡れてしまっていた。そのままでは風邪を引いてしまうだろう。
     部屋着を適当に見繕い、上着を剥ぎ取って無理やり被せた。その間、彼は子供のようになされるがままになっていた。この際下着はまぁ仕方がない、明日着替えてもらうことにしよう。
    「ゴメン、フレット」
     心底すまないと言った顔で彼が絞り出すように口に出す。ようやっと名前で呼ばれたような気がする。フレット。懐かしい響きだ。
    「いいから早く寝ようねリンちゃん」
     ふらつくリンドウを支えて、居間の壁側に置いた鼠色のソファに半ば無理やり横たえた。膝掛けを上からそっとかけてやる。
    「はい、おやすみ」
    「……おやすみ」
     あまり感情の篭らない声色で彼はそう返し、大人しく目を閉じた。
     その呼吸はまだ微かに苦しげだった。小さく上下する肩。高校の時、少し目線が下になる彼をたまにからかっていた。結局その身長差はあまり埋まらないままで彼の成長は止まってしまったようだ。その小さな肩ですでに重すぎるものを引きずっているのではないだろうか。
     ねぎらいの言葉をかけてやりたかったが、それ以上に早く休ませてやりたい。
     自分の寝室は一つ扉を隔てた向こう側にあったけど、起きた時に一人では勝手が分からず困るだろうと思った。結局、敷布団と毛布だけを引きずってきてソファの下に広げて横になった。暖房を23度に設定し、電気を消してやる。
     暖かな暗闇の中で彼の雰囲気を思い出していた。あぁ変わってないな、と感じる。実際のところ、直接顔を見合わせたのは高校卒業以来はじめてだった。俺たちは高校時代という青春の短からぬ時間を寄り添って過ごした。大学は違ったけれどお互い都内で、そんなに離れてはいない。故にこの関係を持ち越すのはあまりにも容易かったが、それはやめた方がいいという結論に至った。何よりもリンドウに良くないと思った。それで、綿密な意識合わせの上でお互い距離を置こうということになった。
     それ以降のリンドウが気にならないと言ったら嘘になってしまうが、彼には新しい友人が必要だと確信していた。連絡はスマホのメッセージ程度に留めておいた……のだが、サークルの合宿や学祭で写真が増えるたびに写真を送り合うことはやめなかった。
     やりとりの度に俺はどこかにいる友人を思い浮かべた。どこにいて何をしているのか、知ろうと思えば一瞬である。それでも意識的にアプリ画面越しの存在にしておこうと思った。写真の中で楽しげに友人とポーズを取る姿に祝福を送りたい自分がいて、その隣に戻りたい自分がいた。二人の自分は心の中で喧嘩していた。
    会って話がしたかった。なぁ、リンちゃん今どこいんの。虚しく空転する頭で何度もそう考えた。
    ……そして何故か今になって、すぐ手が届くところに彼がいる。
    おやすみリンドウ。また明日会えるといいな。



     低く柔らかなエアコンの音で目が覚めた。なんかいいことがあったような気がする。なんだっけ、と3秒考えて、ふと腰の下の妙な硬さに気づく。ベッドじゃない。と言うか、寝室じゃない。何でだっけ……
    昨晩の記憶が鮮烈に蘇った。リンドウ!
     ばっと飛び上がってソファの上を確認する。彼は昨日とほぼ同じ姿勢のまま静かに横たわっていた。宙を眺めていた気怠げな目線が移動し、俺と目があった。
    「フレット?」
    「おはよ。まだ寝てていいよ」
     眠たげな目にほっとしたような色が宿った。
    「ゴメン、ありがとう」
     なんだか昨日から謝られ通しな気がする。万一にも申し訳ながって勝手に出ていかれることがないよう釘を刺しておく。この状態で帰られたら最悪事故か、まぁいいところ風邪を引いてしまうような気がする。外はまだ寒そうだよリンちゃん。
    「俺ちょっと外出てくるけど、まだ帰んないでね」
    「わかった」
     大人しく聞き入れる声を聞いてから、軽く着替えてスマホを手に玄関を出る。小さな都市型スーパーに駆け込むと、いろんな色彩が挑発するように目に飛び込んできた。その中から俺は必要最低限をカゴに放り込んでいく。卵と野菜と牛乳とベーコン、あと何があればいいかな。それから向かいのファーストフード店でハンバーガーを二人分頼んだ。紙袋とスーパーのビニール袋を抱え持って急いでマンションの3階に戻る。
     そっと鍵を開け部屋に戻ると、彼は再びすうすうと寝息を立てていた。昨晩よりはだいぶ楽になったようだ。良かった。買ってきたものをそっと冷蔵庫に移した後、ソファに寄りかかって課題図書に目を通していた。勿論あまり集中できなかったけど。

     彼が目を覚ましたのは10時頃だった。
    「……頭痛い」
    「おはよ。水飲む?」
    「飲みたい」
     冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、手渡す。軽く喉を鳴らして半分ほど飲んだ。「ありがとう」
    「おけ。もう起きる?」
    「起きる……」
     彼は小さく伸びをした。その答えを確認してから、俺は昨日の着衣を洗濯機に入れてスタートボタンを押した。低く唸る洗濯機の音が部屋を満たす。目線を上げて窓を見ると、垂れ込めた雲の灰色が一面に広がっていた。雪はまだ止んでいない。
     一言目に何と声をかけたものかは少し迷った。
    「……昨日、何してたの」
    「えー……と、飲み会?飲み過ぎた」
     それは大体わかってます。
    「何の飲み会」
    「バイトの打ち上げ」
     彼のバイトについては軽くだけ知っていた。IT系だよ、俺まだデバッグメインだけど、と報告を受けていた。それ以上は知らなかった。
    「何の会社だっけ?」
    「……アプリゲー作ってるとこ。本社が横浜にあって、いつもは渋谷のオフィスで働いてる。昨日はリリース祝いがあって横浜行ってた。……酒の席になって、俺成績良かったから部長に注いでもらった。そこまで強くないしセーブするつもりだったんだけど」
     ぽつぽつと説明してから、彼は誤魔化すようにへらりと笑みを浮かべた。へぇ、そんな表情するようになったんだ。
    「一杯だけって思って飲んだら先輩方が色々注いでくれた。それで俺の酒が飲めないのか、とか言い出すわけ。意外とそういうとこ保守的っていうかさ」
     とりあえず一番言いたいことだけ、釘を刺しておく。
    「その会社やばくね」
    「大手だよ」
    「今そういう話してない」
    「でもみんなリリース明けで浮かれてたからさ」
    「ふーん……」
     言いたいことが山ほどあるのを喉元に押し留める。
    「で、今日どうすんの?」
     土曜日だった。大学はないだろうが、もしかしたら遊ぶ予定か特別ゼミでも入っているかもしれない。が、彼の口をついて出てきたのはやはりバイトの話だった。
    「一日目だから運用から色々回ってくるかも」
    「あーはい、そうね……で、今から行くの?」
     うーん、と彼は唸った。真剣に迷ったようだが、結局「流石に今日はキツイ、休む」と案外簡単に折れた。うん、俺も無理だと思う。
    一つ提案があった。
    「あの、さ」
     彼の一日はすでに午前の殆どが潰れている。仮に今日予定があったとしても今からのリカバリーは少し難しいだろう。俺はちょっとだけ賭けることにした。
    「俺に一日くんない?」
     思い切って口にだすと、彼はきょとんとして、一日あげる、と反芻した。よく飲み込めていない様子である。
    「何すんの」
    「何もしない。ズル休みして、思い切りダラダラしよ」
     前みたいにさ。そう言うと、彼は再びうーんと唸った。そして少し間を置いて悪戯っぽい笑みを返す。
    「何もしない。わかった」
     昔のままのリンドウの笑顔だ。ホッとした。良かった、俺の知ってるリンドウだ。



     ちょっと遅い朝食か、ちょっと早い昼食の時間だった。コーヒーを淹れて、冷蔵庫から低温殺菌の牛乳を取り出してかき混ぜてやる。二杯分のカフェオレをお盆の上に乗せ、先ほど買ってきた大きなハンバーガーを温め直し、お盆に乗せて机に運んだ。
     暇潰しに点けてやったネット番組の音がリビングルームを満たしていた。ナレーションのお姉さんがにこやかに案内する。都内の動物園でナマケモノの赤ちゃんが生まれました。平和で特に意味を持たないそのニュースは、予定のない土曜日の朝にいかにも相応しかった。
    「どうぞ」
     トレイを差し出す。彼はぼんやりとそれを見つめてからマグカップを手にし、カフェオレをそっと啜った。それからガフガフとハンバーガーに取りかかる。結構腹が減っていたのだろう。
    「打ち上げは何か食えた?」
    「ケータリングだったけど、絡まれててあんま食う時間なかった。主に酒」
     ……それ一番マズイ奴じゃん。俺の中でガラガラと音を立てて”バイト先”の信用が崩れていく。もしかしてもう少し何か買っとくべきだったかな、と思いつつトマトを切って出してやると、それも素直に全部平らげてしまった。餌をあげているような気分になる。

     朝食を片付けてしまえばやることがなくなった。ソファに並んで腰を落とし、畳んであった膝掛けを広げて横に渡す。彼の両手がそっと膝掛けの下に潜り込む。まだ少し寒いのかもしれない。
     付けっぱなしにしていたモニターの画面は見知らぬ漁港の暮らしを映し出していた。漁港の画面も灰色の寒空の下だった。そのままでも良かったが、折角だからなんか映画でも見よっか?と聞いてみる。
    「いや……あんましっかり画面見たくないわ」
     気怠さが抜けない様子で彼は答えた。
    「さっきの動物園のやつみたいな、疲れない奴がいい」
    「わかるー、猫動画観たい時ってあるよね」
    「そんな感じ。動物がいい」
     ぷちぷちと作品を探していると、二羽のペンギンのサムネイルが画面に映った。
    「それがいい」
     コウテイペンギンのドキュメンタリー映画だった。「これにしよっか」再生ボタンを押してリモコンを置く。緩やかな音楽に続いてナレーションが流れる。
    “ 恋の季節になると、ペンギンたちは群れを作って繁殖地へと歩いて行きます”
     氷の大地をとぼとぼと歩き続けるペンギンを眺めがら彼はボソッと呟いた。
    「やっぱこの感じ落ち着くわ。昔はよく俺の家に来てたよな」
    「リンドウの部屋狭かった」
    「そうだっけ。そうだったかも」
     思い出の中、彼の狭い部屋は様々なジャンルの本が散乱していた。攻略本と、漫画本と、参考書。棚の上にはゲームのキャラクターのフィギュアが飾られていた。そして彼の匂いがしていた。落ち着く匂い。
    ペンギンは腹這いになり、羽根で氷を叩いて滑っていく。
    「トボガン」聞き慣れない言葉がその口をついて出る。「っていうんだって。腹で滑るやつ」
    「アレまともにぶつかられると結構痛いよな」
    「経験者は語る」
    「トボガン被害者の会」
     そう言って俺たちは顔を見合わせ、吹き出した。ペンギンと生身で格闘した人間は、日本中探してもそう多くはあるまい。そのうち二人が俺たちである。



     しばらく無言で画面を見つめていた。
     モニター画面の中では、ようやく孵化した雛鳥たちが現実と必死で戦っていた。寒さや飢えや、突然襲ってくる盗賊鴎にやられてその数は少しずつ減っていく。鴎の大きなくちばしで首元を引きずられる雛鳥を見ているのはあまりいい気がしなかった。
     時折彼の頭がガクンと揺れて、その度にハッとしたように首が持ち上がった。その繰り返しだった。
     無性に撫でてやりたくなった。頭から首筋から背中から腹まで、犬にしてやるように掌でわしゃわしゃ撫でてやりたかった。外で駆け回って、疲れて帰り道を見失ってたまたま元の家に帰り着いた迷い犬。俺がまた外に離してやったら、また寂しげに雪を眺めているのだろうか。そんな目をさせるくらいなら、もう少しここに置いてやりたかった。
     流石に寝てる人間をガシガシと撫でてやるわけにはいかないから、そっと肩を貸してやった。こくこくと揺れていた彼の頭の重みが右肩にかかってきて、安定する。
     TVの画面はエンドロールに変わっていた。ペンギンたちが遠くの海を目指して、よちよちとおぼつかない足取りで行進してゆく。俺は代わりになる番組を探してリモコンを弄った。

     チャラチャラと場違いなほど軽い音楽が不意に流れた途端、彼ははっと頭をあげた。
    「あ、それ」
     画面に広告が映り込む。DragonsGO。聞いたことのあるゲームアプリだ。
     トランペットの旋律をバックに、青い竜が半透明の大きな翼を広げた。こちらに向けて見栄を切り、大きな口を開けて吠える声とともにタイトルロゴが表示される。
    「昨日のリリース。俺のチームのだ」
    「え?」
    「新しいシナリオが出たんだ。あのボスめっちゃ面倒でさ」
     死ぬほどデバッグさせられた、と彼は苦々しい思い出し笑いを浮かべた。ポケットからスマホを取り出し、ムービーを覗かせてくれる。CMに映っているのと同じカットだが、途中で不自然に全ての動作が止まった。
    「これが必殺技のとこ。でもこんな感じで、よく処理落ちしてた」
    「やばいねー」
    「プロトタイプだしこれでもいい方だよ。これ直すのスゲー時間かかった」
     遠い目をしている。きっと彼自身何度も戦ったのだろう、ドラゴン及びドラゴン以外のモノたちと。その作業や労苦は俺には計り知れなかったが、今度こそねぎらいの言葉をかけてやった。
    「お疲れ様です」
    「作業おわんなくて会社泊とかした」
    「本当にお疲れ様です……」
     それはバイトが付き合う作業なのだろうか?
     その作業に何時間かかるものか知らないけど、何時間かかろうと彼はやり遂げるということだけは知っていた。ぼんやりしているようで、意外と意志が強いのだ。頑固と言ってもいい。
     自分の信じる方向に歩き続けるその真っ直ぐさがとても眩しく、とても好ましく思っていた。俺にその真摯さを向けられたことはないような気がするけど。本人に聞いたら真っ赤になって
    「それとこれとは違うだろ」
    と言われた。そんなこと言われたら尚更全部全部欲しくなる。自分に向けられた好意のベクトルも、誰かや何かの方を見ている尊敬のベクトルも全部。でも、月に手を伸ばすほどバカじゃない。好意の部分は美味しくいただいて、尊敬の部分は彼の持っている美しい部分として眺めることにした。
     今も変わっていないことがわかって嬉しかった。綺麗だと思う。……それを向ける対象が何であれ。
    「飲み会の件もそうだけど、その会社大丈夫なの?」
     バイトに深夜労働をさせるような会社はまともじゃないんじゃないか。だいぶ心配になってきていた。彼はたじろぎもせずに答える。
    「ちょっと仕事は多いかも。でももしバイト続けてインターンに残れれば、内定結構いいみたい。そうじゃなくてもここで経験したこと話せば、アプリの会社なら多分受かる」
    「すごいじゃん」
    「そうなんだよ」
     彼は誇らしげな表情を見せた。すごいんだけど、手放しでは褒められないと思う。
    「でも無理して倒れたら台無しでしょ」
    「大丈夫」
     何がどう大丈夫なんだろう。昨日だって階段下に雑に捨てられてた癖に。頭を抱えたくなる。
    「あのさ、バイトなんだから無理に付き合わなくてもいいっしょ?」
    「でも俺別に仕事もあの会社も嫌いじゃない」
    「昨日とかめちゃくちゃ飲まされてたじゃん、マトモじゃない」
    「みんな悪い人じゃないよ」
    「リンドウちゃんしっかりして〜……」
    やはり変わっていない、良くも悪くも。
     彼とは3年間の濃い付き合いがあるし、その内面については少々詳しい自負がある。なかなか他人に胸襟を開かないくせに、独自の基準で信頼できると判断すると尻尾を振って奈落の底までついていく。だから話を聞いていても別段驚かなかった。元々こいつはそういう奴である。こう……根っこのところに何か重大な問題を抱えているんじゃないか。
     が、それ以上その話を振るのは諦めた。性格というのはなかなか変わらないものだ。そうである以上、何らか外部からセーブをかけてやったほうがいいのかもしれない。俺とか。あれ、俺やっぱリンドウの隣に居た方がいいんじゃない?そこまで考えて苦笑した。我ながら都合の良い言い訳だった。
     それでも、試してみる価値はあると思った。
    「てか」話を変えて、というトーンで切り出す。「リンちゃん見るのメッチャ久しぶり」
    「会わないって約束したの、割とお前じゃん」
    「そだね。どう、アレ時効にしない」
    「は?」
     怪訝そうな顔で彼が覗き込んできた。俺の都合で振り回して申し訳ないとは思う。思うけど、顔を見ればやっぱりこれからも会いたいというのが本音だ。
    「大学入ったらお互い環境変えたほうがいいよなって思ったけど。もう多分サークルもゼミも関係固まったと思うから。……友達やり直したい」
    「友達か?」
     え。友達じゃなかったの、だとしたら結構ショックなんだけど。
    「俺ら多分もう少し行ってたと思うんだけど……」
     言いづらそうに彼は口に出した。あ、そっちか。ハイ、そうですね。
     正確に言えば俺は彼を抱いたことがある。何度か。いや何度も。だから友達というのは一種の言葉のあやと言えなくもない。
    「え、えと、できるならそこに戻りたいです」
    「じゃあ……仲直り」
     喧嘩してないよリンちゃん。でもじわじわと嬉しさが胸を浸して行った。
     本当に本当に本当?俺意図的に距離とってたけど?怒ってない?てか今更大丈夫?気にしない?聞きたい言葉が無限に胸から湧いてきた。……が、言葉を尽くして訊いて逃げられたら台無しだ。こういう時、敢えて流すのは自分の得意技である。敢えて軽々しい声色を作った。
    「まじ?ハグしていい?」
     なんと彼はおずおずと手を広げ、胸を開いた。生意気にも楽しそうな笑みを浮かべている。
    「するか」
    「会いたかった」
     強く抱き竦めた。リンドウの体温と匂い。やっぱ、すごく落ち着く。互いの胸の鼓動が届きそうなほど近くにあった。

    「な、も一個だけお願いしていい」
    「何だよ」
    「撫でさせて」
     前よくやってたみたいに。
     直接肌を撫でてやりたかったが、どこまでで止まれるか自信がなかったのでやめた。今最後までやってしまったらアンフェアだ、それだけはしたくなかった。
     お互い初めてでもない。ないが、突然の状況で無理をさせたくなかった。こういうのはきちんと準備して進めたい。何より貸しがある状態で無理な『お願い』をしたくなかった。彼とは厳密に対等な関係でありたい。
     内臓の奥の方で獣が無邪気に跳ね回り、噛んでしまえばいいのに、と不服げに唸っている。彼が欲しかった、その中心の一番やわらかな核に歯を立てて食い荒らしてしまいたいほどに。だが下心があって助けたわけではなかったし、そこだけは余計な勘違いを生みたくなかった。でも何もしないでいるにはあまりにも切なかった。人生には時に妥協が必要だと思う。
    「……どこまで?」
    「マジで撫でるだけ。後は何もしない」
     本当だ。多分。彼は一瞬だけ考えて、すんなりと口にした。
    「分かった、いいよ」
     ぼすん、と音を立てて彼は仰向けに寝転がった。妙にガードが甘いのは自惚れていいのだろうか。ともかく、彼の気が変わらないうちに小さなその身体の上に覆いかぶさる体勢になる。
     当たり前だが彼に触れるのも久しぶりだった。感覚を思い出せないのか、彼の表情には隠しきれない怯えが覗いていた。部屋着の上にそっと手を添えると、柔らかな身体が一瞬びくりと震える。落ち着かせるように少し手を置いたままにする。皮膚を通じて温い体温が伝わり、軽く拍動が撥ねるのが感じられる。強張って震えていた腹筋から少しだけ力が抜ける。置いた手をそっと、壊してしまわないように慎重に往復させる。二回、三回。リラックスしてくれたのか、リンドウの表情が少し緩む。
    「気持ちいい?」
    「それ言わせる?」
    「言ってほしい」
    「気持ちいいってか……なんか安心する」
     それは喜べばいいのか残念がればいいのか。まぁ、最後までする気はなかったんだからこれで良しとしよう。ゆるゆると撫で続けてやる。次があったら今度は直接触ってやりたい。腹以外も。
     お互い止まらなくなる前に急いで身を引く必要があった。ぱっと手を離して体勢を立て直す。彼ものっそりと隣に身を起こした。少しだけ空気が張り詰めていたが、それすら愛おしく感じた。

     時計が17時30分を差している。ぎっしりと水滴がついたガラス面を少しだけ拭って、その間から外を見てみる。一応雪は止んだようだが、垂れ込めた雲には依然切れ間がない。
    「外寒いかな」
     後ろから彼の声が呼びかけてきた。
    「寒いだろうけど」
    「俺いつ出たらいい?」
     気にしているのだろう。折角だからもう少し話したかった。取り急ぎ後一晩でいいので。
    「一日くれるって言ったじゃん?明日の朝とか」
     おけ、ありがとう、と彼は返し、続ける。
    「そういえば……この辺イルミ近くなかったっけ」
    「あるけどどったの」
    「ちょっと観たかった。けど今日寒そうだなって思って」
     俺んとこも帰り道にあるけど、帰るときは遅くて消えてるからさ。ぼんやりした表情のままそんなことを言われて切なくなった。だからさ、そんなとこ辞めちゃえって。身体もたないでしょ。……とは言えないので、代案を出しておく。
    「じゃあまた来週来れば、一緒に見にいこ」
    「考えとく」
     拒絶じゃないならチャンスはある。俺は高速でデートプランを組み立てる。えっと、バイトで使う技術書?とか探すのはどうだろう。坂の下に広めの本屋があったはずだ。それから魚料理が美味しいイタリアンがある。変に怪しまれないように早めの夕食にして、終わったら二人で冬の街灯を眺めに行こう。うん、いい。凄くいい。
    「ぜひ考えといて」
    「りょ、あのさ、フレット全然変わってなくて、何かよかった」
    「リンちゃんこそ」
     高校の終わりまでお互いを見続ければ大体性格は分かったと言ってもいいのかもしれない。そして卒業時点で俺たちは相当お互いが気に入っていたと思う。だとしたら無理に距離を取る必要はなかったかもしれない。要はやり方の問題だった。

     夜は軽く料理して出してやった。パスタを茹でる片手間で鷹の爪とベーコンを炒める。和えて山形に盛り付けてから、葉物と粉チーズを軽くのせた。彼は実に旨そうにそれを平らげた。

     サブスクリプションの映像チャネルをポチポチと移動する。熱帯の海の映像があったので、音量を思い切り小さくしてそれを流した。彼が寝入るまで話をして、途切れてしばらくしてから俺は身体を起こした。最後の点検。
    乾燥機で乾かした服は紙袋に畳んで入れて用意してあった。ハンガーにかけておいた彼のコートも、一日中暖房の下に置いたおかげですっかり乾いていた。……よし、大丈夫。
    モニターの電源を落とし、再び部屋は暗闇に包まれた。暖かな部屋。朝に買い出しに行って以降、今日はずっとここに篭ってたな。
    二晩目も寝室に帰らずソファの足元で眠ることにした。



     翌朝起きたのは4時だった。彼の希望どおり、始発の電車に間に合う時間だ。半ばまだ眠っているような彼を揺り起こし、二人で家を出ると切られるような寒さだった。
    「寒い!」
    「寒いねー」
     口々に言い合う。思い切り肩を縮めた彼の姿は、昨日観たコウテイペンギンを思わせた。

     彼を駅に見送り、改札を挟んで別れた。
    「ありがとう」遠くからではその声は聞こえなかったが、口元がそう動くのが見えた。俺も大きく手を振ってやる。
    「じゃまた!」
     4時50分の改札前には人が少なかった。彼の息が白く見えていた。

     部屋に戻りメッセージアプリを開くと、未読が4件溜まっていた。
    " 昨日はありがとう、色々楽しかった "
    " 次から気をつける "
     3通目に送られてきていたのはハチ公を模したキャラクターだった。丸まった尻尾を元気よく振りながらコミカルな笑みをこちらに向けていた。「ありがとう」。
     それから3分間を置いてもう一通。
    "また遊びに行っていいかな"
     顔がにやけてくるのが止められない。ステップを踏みたくなる気持ちを抑えて、俺も直打ちのテキストに続けてハチ公のスタンプを返した。
    " 気にしてない。てかまた遊びに来て "
    " 絶対また来て!"
    " おつかれさま "
     ハチ公が甲斐甲斐しく緑茶を差し出すスタンプが画面に現れた。スマホを机の上に置いた。深呼吸。
     彼は今日からまた、俺の知らない飼い主のもとで元気に走り回るのだろう。でももし疲れたら、どこかで道に迷って見せればいい。そしたらまた何度でも拾ってやるから。それから、これからは俺もちゃんと探す。彼が屋根の下で眠れるように。それで一緒に人生をズル休みしよう。
     また会えるのが楽しみで、今から心が踊る。
     窓の外には明けたばかりの冬空が広がっていた。薄い雲を一枚隔てて、太陽が街に白っぽい薄明かりを投げかけていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    限界羊小屋

    DONE用語
    <キルドレ>
    思春期で成長が止まり決して大人にならない種族。一般人からは異端視されている。
    ほとんどが宗教法人か戦争企業に所属して生活する。
    <戦争>
    各国に平和維持の重要性を訴えかけるために続けられている政治上のパフォーマンス。
    暴力が必要となる国家間対立は大方解決されたため実質上の意味はない。
    <シブヤ/シンジュク>
    戦争請負企業。
    フレリン航空士パロ 鼻腔に馴染んだガソリンの匂いとともに、この頃は風に埃と土の粉塵が混じっていた。緯度が高いこの地域で若草が旺盛に輝くのはまだもう少し先の話。代わりのように基地の周りは黒い杉林に取り囲まれている。花粉をたっぷりと含んだ黄色い風が鼻先を擽り、フレットは一つくしゃみをした。
     ここ二ヶ月ほど戦況は膠着していた。小競り合い程度の睨み合いもない。小型機たちは行儀よく翼を揃えて出発しては、傷一つ付けずに帰り着き、新品の砂と飲み干されたオイルを差分として残した。だから整備工の仕事も、偵察機の点検と掃除、オイルの入れ直し程度で、まだ日が高いうちにフレットは既に工具を置いて格納庫を出てしまっていた。
     無聊を追い払うように両手を空に掲げ、気持ちの良い欠伸を吐き出した。ついでに見上げた青の中には虫も鳥も攻撃機もおらず、ただ羊雲の群れが長閑な旅を続けていた。
    8396

    related works

    限界羊小屋

    DONEフレリン クリア後世界
    ワンライのテーマ「バッジ」
    バッジ操作デモが彼らの撮影動画だったら?というとこからの発展形
    Forget me not.「リンドウと撮ったやつさ、全部消えてた」
     「死神ゲーム」が終わって2日目の朝。早い時間の教室で、リンドウと一つの机に向き合っていた。机の上に載せたスマートフォンは何も変わらない渋谷の風景を映し出している。
    「フレットも?俺も消えてた」
     同意を返される。全く同じ状況らしい。
     本来ならば動画に映っているのは、コートを風になびかせて鮮やかな斬撃を叩き込む新米サイキッカー・リンドウの姿のはずだったのに。

     撮影会を始めたきっかけはほんのお遊びだった。バッジに念を込めることで「サイキック」が発動し、不思議な力で炎やら水やらを出して自在に操ることができる。サイキック能力を使って襲ってくる動物型の「ノイズ」を撃退する。まるで映画の主人公になったように感じて刺激的だった。試しに虚空に斬りかかるリンドウをスマホのカメラで撮影してみると、特撮を爆盛りにしたSF作品の主人公のようにバッチリ決まっていた。UGに来たばかりの頃はそれが新鮮で、豪華なイベントだなどとはしゃぎながらお互いの姿を撮りあっていた。
    2051

    recommended works