2021.12.11「不死身の長兄」web拍手お礼画面⑥ 昼間であるはずなのに、周囲は闇に包まれていた。
中心にあるのは、白いローブの男。
だが、その白さとは裏腹に、その身にまとうのは、底知れぬ闇だった。
その闇の主が、嘲笑うような声で、煽り立ててきた。
―どうした。その程度か。
白いローブの男の前には、銀の戦士。かつての師を目の前に、血走った目で、睨み据えていた。
―・・・おのれ・・・っ!
彼の周囲の空気がざわめく。
それまで、光の闘気を纏っていたはずの彼に、闇が忍び寄ろうとしていた。
マァムは、声をあげようとした。
―・・・だめ・・・!
だが、白いローブの男の仕掛けた網は、彼女から声までも奪っていた。
男は、さらにけしかける。
―その程度の暗黒闘気では、私は倒せん。
さあ、お前の暗黒の力で、この戒めを断ち切ってみせろ・・・!
―・・・くっ・・・!
彼が、力を込めたのを感じた。それとともに、いっそう、闇の気配が濃くなる。
黒い腕が、嬉々として彼に忍び寄ろうとしている。
それまで光の中にあった彼の姿が、闇の中に沈もうとしていた。
マァムは彼に腕を伸ばそうとした。
だが、動かない。
―・・・やめて・・・!
声も出ない。
次第に、自分と彼の間の闇が濃くなっていった。
白いローブの男と、銀の戦士の姿が、漆黒の中に消えようとしていた。
マァムは、声にならない悲鳴を上げた。
―やめて・・・連れていかないで・・・!
「ヒュンケルっ!!」
マァムは、自分の悲鳴で目をさました。
目を開けて、周囲の様子をうかがう。明かりのない部屋の中は暗かったが、窓からさす月の光と、繊細な装飾の施された窓枠が、ここが、パプニカの王宮であることを告げていた。
マァムは、寝台の上にゆっくりと体を起こすと、荒い息を吐いた。
―・・・夢・・・?
だが、本当に夢だったのか。
生々しい恐怖は、いまも彼女にまとわりついていた。眠りながら泣いていたのか、頬には、涙の流れた跡があった。
マァムは、肌掛けの上から膝を抱え、膝がしらに顔をうずめた。
体の震えは、まだ収まっていなかった。
夢に見たのは、つい先日、現実に起こった出来事だった。
鬼岩城に攻められ、それを迎え撃ったときのこと。
あのとき、魔王軍を率いてパプニカを強襲したミストバーンは、ヒュンケルに狙いを定めた。
かつての弟子であった彼に対し、ことさら攻撃を加え、見下し、あおり、嘲笑した。
そして、何より、ヒュンケルに、再び暗黒闘気を使わせようとしたのだ。
もし、あのとき、ヒュンケルが暗黒闘気を使っていたらどうなっていたのだろうか。
マァムは、そのことを考えると、体が震えた。
膝がしらに顔をうずめたまま、呻いた。
―・・・怖かった・・・。
マァムは、大きくため息をついた。
ふと、窓越しに見上げると、月がまだ高く昇っていた。夜明けには、かなり時間がある。
だが、もう眠れそうになかった。
翌朝、マァムは、眠い目をこすりながら、パプニカ城の兵士詰め所を訪れていた。ここには、先日の鬼岩城戦で傷付いた各国の兵士が大勢、治療を受けていた。
回復魔法の使えるマァムは、その応援に来たのだ。
昨夜は、あれからよく眠れなかった。
おかげで、頭は重くてぼおっとしているし、目も痛かった。だが、負傷者は多く、仕事は山積みで、休むわけにはいかなかった。
マァムが、負傷者の治療に当たっていると、不意に声をかけられた。
「マァム。」
マァムが顔を上げると、獣王が、幾分心配そうな眼差しを彼女に向けていた。
「クロコダイン。」
クロコダインは、マァムに気遣うような声をかけた。
「どうした。疲れているな。」
すると、マァムは、それまで感じていた疲労や寝不足を吹き飛ばすように、わざとおどけた声を出した。
「そんなことないわよ。頑丈なのが私の取り柄だしね。」
だが、クロコダインは、いたわる言葉を彼女に向けた。
「無理をするな。あれだけの戦いの後だ。」
そのクロコダインの配慮に、マァムは素直に礼を述べた。
「ありがとう。」
ようやく、クロコダインは、ほっとしたような表情を浮かべた。
クロコダインは、言葉をつづけた。
「そう、姫からの伝言だ。
ここは大丈夫だ。ヒュンケルについてやってほしい。今、メルルがついているが、彼女と交代してほしいそうだ。」
あげられた名に、マァムは、どきりとした。昨夜の夢が蘇り、背筋が寒くなった。
その微妙な変化を、クロコダインは敏感に感じ取った。
「・・・どうした?
会いたくはないのか?」
「うん・・・。」
クロコダインは、常にない様子のマァムに、彼女を人の輪から外させた。
二人で詰め所を出て、パプニカ城の庭に出た。
クロコダインは、控えめに、マァムに言葉をかけた。
「俺でよければ、話を聞こう。」
「ありがとう・・・。」
マァムは、ぽつり、ぽつりと言葉をこぼした。
「昨日、嫌な夢見ちゃって・・・ミストバーンと戦う夢・・・。」
「そうか・・・。」
クロコダインはつぶやくと、だがマァムをねぎらうように言葉をかけた。
「あのとき、よくヒュンケルを止めてくれたな。
あのまま、アイツに暗黒闘気を使われていたら、そのまま魔王軍側に引き込まれたかもしれん。あの状況で、ヒュンケルに魔王軍側につかれたら、全滅必至だった。
よく止めてくれた。
礼を言う。」
だが、マァムはかぶりを振った。
「そんなこと・・・私は、ただわがままを言っただけなの・・・。」
クロコダインは尋ねた。
「マァム、お前は、ミストバーンの狙いに気付いていたのか?」
マァムは、うなずいた。
「ミストバーンは、必要以上にヒュンケルをあおっていたわ。わざと、ヒュンケルを怒らせるような、彼の気に障る言い方をして、挑発していた。
ヒュンケルが、ミストバーンの暗黒闘気に対抗できないっていうのなら、言葉で言わずにただ攻撃をすればいいだけなのに・・・ミストバーンはそうしなかった。」
「それが、何故だか、わかったのか。」
マァムは、また頷いた。
「・・・ミストバーンは、ヒュンケルを、魔王軍に引き戻そうとしたんだわ・・・。」
「ああ。」
クロコダインも、うなずいた。彼自身も感じ取っていたことだったからだ。
マァムは続けた。
「それは、私にもわかった。そうさせてはいけないとも思ったわ。ヒュンケルなくしては、私たちは勝てない。彼は、要の一人なんだから。」
クロコダインは、呟いた。
「ヒュンケルは、気付いていなかった。少なくとも、あのときは。
ミストバーンが、何故、ヒュンケルに執拗に暗黒闘気を使わせようとしたのか。
普段のあいつなら、その不自然性にすぐ気が付くのだがな・・・。」
その言葉に、マァムもうなずいた。
あのときのヒュンケルは、ひどく感情的だった。それが、積み重ねられたミストバーンに師事をした歳月のためであることは、容易に想像できた。
「ええ・・・。
ヒュンケルが魔王軍側に引き込まれたらダメだって思ったわ。
・・・でも、実際に、目の前でヒュンケルが暗黒闘気を使おうとしているのを見たら、そんな、戦いのこととか、戦略とか、どうでもよくなった。
・・・怖かった・・・。
本当にヒュンケルが連れていかれるかと思ったわ・・・。
私が叫んだのは、みんなのためでも、勝利のためでもない。
ただ・・・ヒュンケルを失いたくなかった・・・。
私のわがままだったのよ・・・。」
マァムは、涙を流してはいなかった。だが、その声は震えていた。
マァムの言葉が、彼女の代わりに涙を流していた。
美しい涙の声だな、とクロコダインは思った。そして、ヒュンケルの言葉を思い出した。
クロコダインは、マァムに言葉を返した。
「だが、その掛値のない思いだからこそ、お前の声はあいつに届いたんだ。」
「クロコダイン。」
マァムの眼差しが、クロコダインに注がれた。懸命に涙をこらえた、潤んだ瞳だった。
ああ、そうか、と、クロコダインは思った。
この美しい涙をあの男は見たのだな、と。そしてそこに惹かれたのだな、とも。
クロコダインは、マァムに尋ねた。
「ヒュンケルがなぜ、バルジ島に駆け付けたのか、アイツから聞いたことはあるか?」
「・・・貴方に助けられたって。それで、過去にとらわれずに戦おうって・・・。」
クロコダインは苦笑した。
大事なところが抜けていた。
ヒュンケルは、いったい、どんな顔でその言葉を語ったのだろうかと思った。
「それも誤りではないがな。
だが、あのときのヒュンケルを動かしたのは、マァム、お前だった。」
「え・・・?」
マァムは戸惑ったように声をあげた。
「俺は、初めは、ひとりでバルジ島に向かおうとしていた。あのときのヒュンケルは、心身ともに大きく傷ついていたからな。無理には動かせなかった。
だが、ヒュンケルは言った。初めて自分のために泣いてくれた、俺と・・・マァムの涙に報いたい、と。
あのときも、ヒュンケルを動かしたのは、マァム、お前だったんだ。」
「・・・そう、なんだ・・・。」
「マァム。お前がまっすぐな思いでヒュンケルに訴えるから、お前の声はあいつに届いた。あのときも、今回も。
戦略のためではない。
仲間のためだけでもない。
お前自身がヒュンケルを乞おうとするからこそ、お前の声が届く。
マァム、あの不器用な男の友として、礼を言おう。
ヒュンケルを止めてくれて、ありがとう。」
マァムはかぶりを振った。
「お礼を言われるほどのことはしていないわ。
ただ必死で、彼を失いたくないと思った。連れていかないでって思った。
それだけよ。」
それが、今回の戦果に現れているのかもしれない。
ヒュンケルが暗黒闘気を使うのを、マァムが止めた、そのことが結果的にヒュンケルの虚空閃の会得につながり、また、ダイの到着までの時間を稼ぎ、鬼岩城を退けられた一助となっていた。
だが、必死の呼びかけが彼に届いた。ヒュンケルが今も自分たちとともにいてくれる。そのことが、マァムには何よりも嬉しかった。
クロコダインは、マァムに頼み込んだ。
「あいつも、お前に会いたがっているだろう。あいつのことを見舞ってやってくれないか?」
今度は、その言葉が抵抗なく受け止められた。マァムはうなずいた。
「ええ。そうするわ。」
そして、マァムはクロコダインを見上げた。
「クロコダイン。」
「おう。」
「聞いてくれて、ありがとう。」
「大したことじゃない。俺でよければいつでも聞こうじゃないか。」
その言葉に、マァムは笑みを浮かべた。
そして、踵を返すと、ヒュンケルの病室に向かって足を進めた。クロコダインは、その背中を見送り、呟いた。
「その笑顔の方が、お前には似合っている。
その顔を、あいつにも見せてやってくれ。」
クロコダインの視界の中、マァムの背が小さくなる。
そのマァムの背中を囲むように、庭園の花たちが風に揺れていた。