ココイヌ/東リベ「なあ、オマエ」
九井の声に、しばらく反応はなかった。部下の男は、灰皿の中身をゴミ箱に捨てると、ようやく九井に向き直った。
「え、オレっすか?」
「オマエ以外誰がいるんだよ」
奥に設置されたデスクに座る九井は呆れた声を出し、背もたれに体重を預けた。ぎしり、とバネが軋む。九井が係るこのフロント企業の一室は、彼の許可なく入ってくる者はいない。今は部屋の掃除をする部下の男だけだ。まるでITに縁がなさそうな、一目でその筋のものだとわかるような人相の悪さをしていた。
「は、はい。で、なんすか」
「オマエ、女に物やるときって何にする?」
「へっ?」
思いがけない質問に、男は間抜けな顔を見せた。ちらり、とカレンダーに目をやる。
「クリスマスの話っすか?」
「ちげーよ。いやまあ、それでもいいけどよ」
九井は珍しく歯切れの悪い様子を見せたが、男は大して気にしていないようだった。単純に、気づいていないだけかもしれない。
「いやーまだ決めてないっすけど、フツーにアクセとか、そこら辺っすかね」
「普通だな。つまんねー」
「じゃあココさんは何にするんすか」
逆に聞き返され、九井はしばし考え込んだ。
「バイクとか……車とか……」
スケールの大きい答えに、男は鼻の穴を膨らませて興奮した。
「さすがココさんっすね! 彼女さん、バイクとか乗るんすか?」
「いや……」
九井は言葉を濁すが、男は興奮した様子で続ける。
「てかココさん決まった女いたんすねー。最近できたんすか?」
「べつに、昔からの付き合いだよ」
「ああ、じゃあマンネリってやつっすね」
「んー……」
再びパソコンに目を落とし、九井が気のない返事をすると、男は閃いたという顔で振り向いた。
「もしかして喧嘩でもしたんすか?」
なぜか急に察しがいい。思わず黙り込んだ九井に、男は拳を握りしめて熱く語る。
「でもそういうときに物で誤魔化すのって逆効果っすよ! オレ、昔それやって、女に刺されたことあるっす!」
「それはやべーな」
「そうっす! やっぱりふつーに謝るのが一番だなって」
九井は、猫を追い払うように手を振った。
「うるせーな。もういいから出てけ」
「っす! お疲れっす!」
男は元気よく挨拶をして出ていった。九井は大きくため息をついて頭を抱えた。
なんであんな奴に相談なんかしてしまったのかと後悔をしながら。九井は渋々ケータイを取り出しす。
その名前を出して、指が迷って数十秒。ようやく意を決してボタンを押す。
しばしのコール音。
「ああ、イヌピー? いや、その……この前のことだけどさ——」