side O (マサ音)梅雨入りなんてウソのように燦々と照りつける太陽が夏の訪れを告げている。それでもそよ吹く風は涼やかで、まだまだ初夏のはじまりなんだな〜、なんて思いつつも日差しだけが突然の真夏日和のようで対応できていない身体はだらだらと汗が滴り、早々にシャワーを浴びたい気持ちにかられてしまう。
夜明けとともにはじまった仕事が正午近くでようやく終わり、今日は午後からマサの部屋で一緒にオフを満喫する約束をしていたから適当にお昼ご飯を済ませて急ぎ足でマサの家へと直帰した。
早る気持ちに合わせて貰っていた合鍵でガチャガチャと乱雑に鍵を開けて部屋に入れば、どうやら家主はまだ帰ってきていないらしく中から少しもわっとした空気が流れて身体中に纏わりついてくる。
「うっわ、あっつ!」
密室の熱気に温められた床は生ぬるく、それだけで汗が割増に流れてきそうな気がしてそそくさと部屋にお邪魔してベランダの窓を全開で開け放ち、すかさず網戸にすれば涼しい穏やかな風が舞い込んで部屋の熱気がだんだんと薄れていった。
暫く窓辺で涼んでから換気もそこそこに、勝手知ったるなんとやらじゃないけどささっとシャワーを浴びてドライヤーをかけてから置きっぱなしにしてるTシャツとハフパンに着替える。それからリビングへと戻り、自分の荷物から取り出した水筒の中身を飲み干して流しを借りて洗ってからマサお気に入りのクッションを抱いてソファーに転がった。途端にふわりと鼻をかすめた彼の残り香に自然と表情も身体も弛みつつ家主の帰還を待っていると、どうやら眠ってしまっていたらしい。目を開ければといつの間にか帰ってきていたマサがかけてくれたっぽい薄手のタオルケットが身を包んでいて、先ほどよりも強く香るマサの香りにほんのりと胸が熱くなる。
そのマサ本人はどうやらキッチンにいるらしく、軽く身体を起こしてソファー越しに見れば、洩れた照明に揺れる影が天井に写っていた。
俺が今起きてそっちに行っても邪魔だろうし、折角マサの匂いに包まれている今を逃すのもなんだか勿体ない気がして、代わりに目を閉じて耳を澄ます。
オーブンをセットする音、卵を割る音、泡立て器で混ぜる音、冷蔵庫の開け閉めをする時の音。生活音っていうの?キッチンの方から色んな音が響いてきて、それに合わせて動き回るマサが目に浮かんでくる。
「(今日は何作ってるんだろ?)」
壁にかかった時計を見た限り、居眠りをしてから一時間も経っていなかったから夕飯の支度をするにはまだ早い気もするし、お菓子とかかな?マサの作るご飯もお菓子も、何でもおいしいから俺もおこぼれに預かれたらいいなぁ。なんてぼんやりと考えていたらオーブンのタイマー音が鳴って、直ぐにスタート音が軽快に響く。何かを焼き始めたみたいだから片付けが済んだらこっちに来るのかな、などと思っていると水の流れる音が聞こえてきて、同時に片付けの音が始まる。かちゃかちゃ、こぉん、じゃー、と響く洗い物の音に幼い頃の記憶がよみがえる。
「(そういえば昔もこんな風に家事の音、聞いてたな。母さんがお菓子を作ってくれて、でも、待ちきれなくてその時も寝ちゃって……)」
在りし日の思い出に少しだけ鼻がツンとした気がして、それを振り切るようにクッションに顔を埋めれば途端にマサの香りがまた広がって、別の意味で目頭が熱くなってしまった。
「(マサ、早くこっち来ないかな……声が聞きたい)」
焦がれる思いを胸に、またうとうとと船を漕ぎはじめた遠くでタイマー音が再び鳴った気がした。