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    ナナシ

    @nanashi273

    アイドルマスターが好きです。
    765、如月千早・高槻やよい・水瀬伊織・周防桃子
    346、橘ありす・大沼くるみ
    315、天ヶ瀬冬馬・伊集院北斗・御手洗翔太・若里春名・冬美旬
    283、小宮果穂

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    ナナシ

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    セカンド・バージンな話を書きたかった。
    ただの書きかけ…

    #北冬
    northernWinter

    君じゃなきゃダメな理由「その…本当に、俺でいいの?」
     その夜、伊集院北斗は人生で一番と言えるほどの臆病さを見せていた。
     想いが通じ合い、結ばれた天ヶ瀬冬馬と、これから一線を越えようとしている。
     問われた冬馬の視線は、まっすぐに北斗を射抜いていた。
    「お前がいいんだよ」
     覚悟が足りなかったのはどうやら自分のほうだったみたいだと、北斗は少し自嘲気味に笑ってみた。
    「ありがとう…冬馬、好きだよ」
     頬に、次は唇に、キスをした。

     つい数日前に恋人としての初夜を迎え、冬馬は見えている世界が変わったような錯覚に陥っていた。
     一人で仕事をしていると、早く北斗に会いたいと思うようになっていた。
     一緒に仕事をしているときは、早く触れたいと思うようになっていた。
     もちろん、理性があるから仕事は決して手を抜かない。今日もバシッと決めて、アイドル・天ヶ瀬冬馬の仕事を終えた。
     スタジオから出て、携帯を確認する。つい数分前に北斗からメッセージが来ていた。
    『そろそろ仕事終わった?事務所にいるから迎えに行くよ』
     今日の現場は事務所からそう遠くはない撮影スタジオだ。冬馬は、事務所に向かうと送信し、地下鉄に乗り込んだ。
     風景の変わらない車窓に、早く会いたい恋人の顔を思い浮かべる。同じユニットのアイドルとして見せてくれていた顔に加えて、恋人として見せてくれた顔が増えた。
     あの夜の、熱い吐息を漏らす北斗を思い浮かべて、あの時の感覚が蘇り、冬馬は一人恥ずかしくなる。体の奥からじわりと熱が広がって、つんと胸が痛くなった。
     冬馬は自分の体を抱きしめる。こんなところで、思い出して、熱くなってるなんて、自分はこんなに恥知らずな人間だったのかと思い知る。
    「(早く、会いてえ…)」
     暗がりに自分の顔が映る。マスクがあって良かったと、冬馬は思った。じゃなきゃ、こんな顔、とても他人には見せられない。
     二、三度深呼吸をする。落ち着けと念じた。
     そうこうしているうちに、事務所の最寄り駅に到着する。冬馬は駆け足でホームを抜けていった。
     エレベーターもエスカレーターももどかしくて、階段を駆け上る。地上に出て、事務所への道のりも走った。ただ、早く会いたい。それだけの想いで。
     たまこやの看板が見えてきて、速度を緩める。体力には自信があるから、そこまで息は上がっていないが、マスクを外し、少し深呼吸する。会いたくて、走ってきたことを悟られたくはなかった。
     事務所の階段をゆっくりのぼり、扉に手を掛ける。やっと、北斗と会える。ドアノブを回す手に力を籠めた。…はずだった。
     冬馬より先に、ノブが回り、外開きのドアは冬馬めがけて開いた。
    「うがっ!?」
     ノーガードの顔面を、ガラスの部分に強打した冬馬は、少し吹き飛び、尻を付いた。
    「駅まで競争しようぜ!」
    「待てって、ハルナ~」
     ドアから飛び出してきたのは、ハイジョーカーの若里春名と秋山隼人だった。
    「わっ、冬馬?!お前そんなとこで何してんだ…?」
     顔を押さえ、あまりの痛みにもんどり打っていると、二人の後から出てきた、冬美旬が冬馬に駆け寄った。
    「ちょっと、大丈夫ですか?」
     顔を下に向けたままの冬馬をのぞき込む。小さい身体の旬だからできることだった。
    「…ってぇ、何が起きたんだよ…」
     のぞき込んだ冬馬の顔は痛みに歪んでいた。
    「その、すみません。春名さんが開けたドアが、冬馬くんにぶつかって…ひっ?!」
     旬は短く悲鳴を上げる。冬馬はあまりの痛みに、その声は聞こえず、旬の驚いた表情だけが見えた。
    「なんだ、よ…」
     顔面が、とりわけ鼻のあたりがひどく痛む。ズキズキとして、空気に触れてるだけでそれが刺激になって痛かった。
     ボタリ、と腕に赤いモノが落ちてくる。
    「え?」
     血だった。冬馬の鼻から出た、鮮血。次々に落ちてきて、服をどんどん汚していった。
    「ちょっと、血、鼻血…!誰か、ティッシュ!!!」
     旬の混乱した叫びに反応した榊夏来が素早く現れ、ティッシュを差し出す。旬が急いで冬馬の鼻に宛がい、止血を試みた。
    「お、俺、俺が、ごめん!」
     春名はその場にしゃがみこみ土下座をし始める。隼人は血を見て気を失ってしまった。
     なにやらドアの外が騒がしい。事務所内で本を読んでいた顔を上げる。
     急いで扉の外へ走っていく夏来の姿を見て、普段マイペースな彼があんな俊敏な動きができるのかと感心してしまった。
    「なんか、外騒がしいね?」
     まだ事務所内にいた伊瀬谷四季に、北斗は尋ねる。たしかさっきまで、誰が駅まで一番に着けるかと競おうと、話をしていたはずだ。
     誰か転んだのだろうか?北斗は心配になり、四季を伴って事務所を出た。
    「…冬馬?!」
    「うわっ!冬馬っち?!」
     そこには、旬に支えられて、血塗れの冬馬がいた。
    「あ、北斗さん…!冬馬君が…」
     青い顔をした旬が、北斗を見つけて泣きそうに顔を歪める。
    「どうしたの?一体何が…!」
     土下座をしていた春名が泣きながら顔を上げる。
    「俺が、冬馬にドアをぶつけちまって…こんなことに…」
     どうやら、冬馬の顔面にドアがぶつかったことにより、出血してしまったらしかった。事件だと思った北斗は、少し安心する。しかし、血が出ているから、焦ってはいた。
    「血が止まらないんです!ずっと押さえてるんですけど!どうすれば!」
     冬馬の鼻をティッシュで押さえている旬の手も、冬馬の血で濡れている。
    「冬美君、落ち着いて。ちょっと待ってて…」
    「ちょっと、北斗っち、どこに行くんすか…?!」
     北斗は事務所に戻り、まだ手を付けていない記念品のタオルと、ボックスティッシュを持ってきた。
    「冬美君ありがとう。手、汚れちゃったね。ごめんね」
     旬とは反対側から冬馬の体を支え、ティッシュとタオルで顔を覆った。
    「いや、いえ…あの、その…」
     まだ動揺している旬の瞳をのぞき込む。
    「もう大丈夫だから、落ち着いて。冬馬は俺がこのまま病院に連れていくから。榊君、悪いけどプロデューサーに連絡してくれるかな?」
     旬の動揺が少し移っているが、この中でまだ冷静な夏来に、プロデューサーへの連絡を頼んだ。
    「う、うん…分かった…」
    「北斗さん、僕は…」
    「手、早く洗ってきて。血だからね、何があるかわからないから…」
    「あ、あの…はい、すみません…」
     北斗の優しい声音に少しは落ち着いたのか、旬は一礼して事務所の中に駆け込んでいった。
    「冬馬、立てる?」
     ほとんどタオルで顔を覆っているから、表情はわからない。冬馬は頭を縦に振ると、立ち上がった。
    「隣の駐車場に車停めてあるから…今から病院に行こう」
     また頭を振り、意思表示をする。北斗に支えられ、事務所の階段を降りた。
     顔がズキズキと痛い。しゃべるのもツラい。北斗のエスコートで車に乗り込み、顔を隠したまま、無言で病院まで行った。
     初夏の夕方だから、まだ外は夕暮れで明るいが、もう夜の時間になる頃だったため、事務所から近い、夜間救急の窓口がある病院を選んだ。
     車ですぐに到着し、受付をすると、程なくして処置室に呼ばれ、冬馬は入っていった。
     北斗は待合室で処置が終わるのを待っていると、プロデューサーから連絡が来た。
    『今から事務所を出ます。そちらに向かいますので、病院の名前をおしえてください』
     メッセージに病院の名前と住所を貼りつけて返信する。北斗は大きく、一息ついた。
    「…びっくりした」
     血まみれの冬馬を見たとき、北斗の心臓は止まりそうだった。まわりの子供たちがあまりにも動揺していたから、逆に平静を装うことが出来たが、北斗ひとりだったら、病院に連れていくということまで頭が回らなかっただろう。
     病院の、シミ一つない真っ白な天井を見上げる。
    「天ヶ瀬さんの治療、終わりましたよー。お話があるのでちょっと来てもらっていいですか?」
     恰幅の良い、年配の看護師が処置室から北斗を呼んだ。
    「はい…!」
     北斗は急いで処置室に足を運ぶ。そこには、痛々しい顔面をした冬馬がいた。
     鼻はガーゼで覆われ、頬も少し青くなっている。あまり見られたくないのか、俯いていた。
    「えっと、天ヶ瀬さんのお兄さんですか?」
     まだ若い、北斗より少し年上であろう医師が尋ねてきた。
    「いえ、俺は彼の同僚です」
    「それは失礼しました。…えっと、鼻の打撲、ですね。彼の希望でレントゲンも撮りましたが、骨に異常はありませんでした」
     医師がレントゲン写真を指し示す。正面と横からのものだ。正直、北斗は見てもよく分からないが、とりあえず骨に異常はなさそうだ。
     北斗はホッと胸を撫でおろす。不幸中の幸いというか、骨折はまぬがれた。
    「腫れ自体は一、二週間程度で引くと思います」
    「え、そんなに時間がかかるんスか?」
    「内出血を起こしているので、そのくらいはかかりますね」
     冬馬は頭を抱える。明日も来週も、仕事がある。しかしこの顔では人前になんて出られない。
    「……わかりました」
    「お風呂もしばらくは控えて、シャワーのみで。血管が傷ついているので、熱が上がるとまた内出血を引き起こしてしまいます」
    「はい」
    「二週間分の湿布と、鎮痛剤を出しますね。鎮痛剤のほうは、痛みが我慢できないときに飲んでください。これは五回分出します。あとお家での処置の仕方を書いた紙をお渡ししますので。それではお大事に」
     医師はカルテを書くと、冬馬に優しく微笑んだ。患者を不安にさせないためだろう。しかし、冬馬の不安の部分は怪我のことではなく、仕事への影響を考えた不安だったため、気持ちが軽くなることはなかった。
    「ありがとうございました」
     頭を下げ、二人は処置室を出る。会計を待っていると、焦った様子のプロデューサーが走ってきた。
    「冬馬くん!」
     息が上がりながら、冬馬に駆け寄る。
    「おい、あんたなんでこんなところに…」
    「冬馬くんが、怪我した、って…はぁ、聞いて…」
    「俺が連絡しておいたんだよ」
    「そうか…すまねえ」
     息を整えるプロデューサー。
    「はぁ…えっと、お会計って、もうしちゃいました?」
    「いえ、今待っているところです」
    「そうですか、よかった…ちょっと待っててくださいね」
     そう言うと、プロデューサーは会計窓口に走っていった。
    「明日の仕事、どうしよう…」
     冬馬は俯きながら、ぽつりと零す。
    「それじゃしばらく無理だよ。というか、仕事の心配じゃなくて、自分の怪我の心配をしなよ」
     北斗の言い分は最もだ。仕事はスケジュールを調整すればなんとかなる。幸い、大きなイベントも入ってはいない。
    「こんな…明日だけじゃない、来週だってその次も仕事があるのに…」
    「仕方ないよ。冬馬が悪いわけじゃないんだから」
    「……」
     それきり、冬馬は黙ってしまった。二人の間に沈黙が生まれる。プロデューサーが戻ってくる間、北斗はとても長い時間に思えた。
    「お待たせしました。さ、帰りましょうか」
    「…おう」
     冬馬は椅子から立ち上がる。遅れて、北斗も立ち上がった。
    「悪いな。いくらだった?」
    「うちの保険を使ったので、冬馬くんは負担しなくていいですよ。あ、はい、これを」
     プロデューサーは窓口で受け取った袋を冬馬に手渡す。中には処方された湿布とテーピング、処置方法が書かれた紙が入っていた。
    「しばらく安静にしていてくださいね」
     俯き気味で元気のない冬馬に、プロデューサーは目線を合わせて微笑んでみせる。冬馬を少しでも安心させた一心からだった。
    「安静にって…仕事はどうすんだ?」
    「とりあえず、これから二週間先までのスケジュールは先方に連絡して、延ばせるものは延ばします。なので、心配しないでください」
    「ありがとうございます、プロデューサー」
    「いえ、これが僕の仕事ですから」
    「迷惑かけまくりじゃねーか…本当にすまねえ…」
     大勢の人に迷惑がかかった事実に、自分を許せなくて、冬馬は震える拳を握りしめた。
    「このまま帰りますよね?それだと電車に乗れないだろうから、タクシー呼びますよ」
     顔面ガーゼの上、着ている服は血まみれ。流石にその状態で帰れるわけはないと、プロデューサーは携帯を取り出す。それを北斗が止めた。
    「俺、ここまで車で来たので、そのまま家まで送り届けますよ」
    「そうですか?それでは、北斗さん、よろしくお願いします」
     頭を下げるプロデューサー。
     病院を出ると、夕暮れだった外は夜の色に変わっていた。
    「それでは、僕は事務所に戻りますね。冬馬くん、お大事に」
     もう一度、頭を下げて、タクシー乗り場に向かうプロデューサー。
    「さ、帰ろうか」
     車まで冬馬をエスコートする。冬馬はずっと俯いたままだった。

     自宅に着いて、心配だった北斗は一緒に冬馬の家に上がった。
    「ごはん、俺が作ろうか?」
     冬馬には勝てないが、北斗も少しばかり料理の心得はある。冬馬の家には材料が豊富にあるから、そこから簡単に夕飯を作ろうと提案した。
    「メシ食う気になれないからいらない」
    「そっか…」
     血で汚れた服を着替え、リビングのソファに横になる冬馬。すると、テーブルに置いたあった携帯が鳴った。起き上がって画面を見ると、プロデューサーからだった。
    「はい、天ヶ瀬です」
    『お疲れ様です。今、大丈夫ですか?』
     スピーカーからプロデューサーの優しい声が聴こえてくる。
    「ああ、構わねえぜ」
    『とりあえず、当面のスケジュールの調整がつきましたのでご連絡をと。詳細はメッセージを送ったので、それを確認して下さい』
    「ああ、なにから何まで本当に悪いな…」
    『気にしないでください。気分はどうですか?打撲といえど、油断はしちゃダメですよ。様子がおかしいと思ったら、すぐに病院に行ってくださいね」
     親のように心配をしてくるプロデューサーに、冬馬はありがたさと申し訳なさを感じていた。
    「ああ、分かった」
    『今日はもう休んでくださいね。では、失礼します』
     電子音がして、通話が切れる。待ち受けに通知が一件あった。
    「プロデューサー、なんて?」
    「スケジュール、調整ついたって。仕事が早いな…」
     冬馬は通知を確認する。プロデューサーからのメッセージだ。開くと、この先二週間のスケジュールが簡潔に記載されていた。
     明日から一週間、スケジュールは白紙になっている。来週は撮影系ではない、インタビューとレギュラーのラジオの仕事だけが残っていた。
    「あ、俺のところにも来てるな…」
     北斗のところにもプロデューサーからメッセージが飛んでいた。冬馬のスケジュール変更に伴い、北斗と翔太のスケジュールにも変更が出ているから、スケジュールアプリを確認してほしい、と。
    「そういえば、翔太にこのこと…いや、もうプロデューサーから聞いてるかな?」
    「だろうな」
     そうこう話しているうちに、冬馬の携帯が鳴る。今度は翔太からだった。
    「おう、翔太、どうした?」
    『どうしたって、こっちの台詞だよ!冬馬君、大丈夫なの?鼻血が止まらなくて病院に担ぎ込まれたって!』
     スピーカーを突き抜ける大音量の声に、思わず冬馬は耳から携帯を離した。
    「声デケーよ!…ったく、大丈夫だよ。病院行ったし、あとは安静にしてろって言われただけだし…」
    『はー、良かった。僕、冬馬君が心配で心配で、ごはんも二杯しか食べられなかったよ』
    「いや、食ってるし、ていうかおかわりしてんじゃねーか!」
    『あははっ、冬馬君、相変わらずのツッコミ!』
    「茶化すなよ…」
    『うん、安心した。プロデューサーさんの言う通り、しばらく安静にしててね。じゃないと、顔が変わって、アイドル辞めるようになっちゃうからね!』
    「ああ、分かってる。サンキュな」
    『じゃーね!オヤスミ!』
     切れる通話。冬馬はやれやれと溜息を吐いた。
    「翔太、心配してたね」
    「うるせーから聞こえたよな…ったく、電話はあんなにデカい声出さなくても聞こえるっつーの」
     携帯をテーブルに置くと、冬馬はまたソファに横になった。
    「少しは、元気になった?」
     帰ってきた頃よりは、冬馬の表情は明るくなっていた。
    「…まあ、でも、まだ痛えから、元気ではねえよ」
    「あんまり痛いようだったら、鎮痛剤飲みなよ」
    「ああ」
     冬馬は寝返りを打って、顔を背もたれの方に向けてしまった。
    「…俺、もう出来ることないだろうから帰るね」
    「え…」
    「いても何も出来ないしさ。何かあったら呼んでよ。病院とか行くなら付き添うから」
     北斗は立ち上がり、部屋を出ようとする。その背中に、冬馬は声を掛けた。
    「ちょ、待て、待ってくれ…!」
    「ん?何?」
    「え、えっと…」
     帰ってほしくなくて、北斗を引き留めたが、どういえばいいか分からず、困惑してしまう。
     様子のおかしい冬馬を、北斗は観察し、もしかしたらまだどこか調子が悪いのかと思った。
    「ぶつけたところ以外もなにかあるの?気持ち悪いとか?」
     怪我をして熱が出ることは大いにある。北斗は冬馬と向き合うと、額に手を伸ばした。
    「触るよ、痛かったら言って」
     長い前髪を掻き分け、北斗の大きな手が額に触れる。少しひんやりとしていた。
    「うーん、熱は…大丈夫かな?冬馬の体温、元々高いからよく分からないな…」
    「お、おう…」
     大好きな人に触れられたことにより、顔が赤くなる。
    「顔赤いね、体温計どこ?計ろうか」
    「テレビの下の右の引き出しに入ってる、はず」
     冬馬の言う通り、体温計はそこにあった。ケースから取り出し、冬馬に差し出す。
    「はい」
     受け取り、わきの下に差す。数秒後、ピピっと電子音が鳴り、測定終了をおしえた。
    「…微熱はあるのかな?とにかく、今日はもうシャワー浴びて寝なさい」
    「わかったよ」
     立ち上がる北斗を不安そうに見上げる冬馬。体温計をしまって戻ってきた北斗と目が合った。
    「そんな顔しないで。心細いなら今晩付き添う?」
    「いや…そんな…お前明日朝から仕事あるし…」
    「また人の心配…こんなときなんだから、自分の心配をしてよ。俺、冬馬の事、ものすごく心配してるよ…仕事なんてどうでもいいくらい」
     北斗は冬馬の手を握る。その手は少し、震えていた。
    「血だらけの冬馬を見て、俺、心臓が止まりそうになったんだよ。冬馬になにかあったらどうしようって…」
     握った手を恭しく持ち上げると、手の甲にキスをする。まるで姫に誓う王子のように。
     顔を上げると、冬馬と目が合う。眉根を寄せ、少し切ない表情をした北斗。冬馬はこの表情に見覚えがあった。
     体を重ねたときに、見せてくれた、熱い吐息を漏らす北斗に似ていた。
     冬馬はふいにその時のことを思い出して、カーッと熱くなった。顔が余計に赤くなり、そこに血が集まったのが分かった。
    「冬馬?」
     なお向けてくる北斗の表情が、冬馬をさらに熱くする。すると、ガーゼに覆われた部分が赤い染みを作り、雫を落とした。
    「と、冬馬ーっ?!」
    「へ?」
     止まったはずの鼻血が、再び流れ出してきた。顎に伝うねっとりとした不快感を拭うと、手には鮮血が付いていた。
    「ーーーっ!」
    「ちょっとそのままいて!氷持ってくる!」
     北斗は慌てて冷蔵庫へ向かう。キッチンにぶら下がっていたビニール袋に氷を詰めて持ってきた。
    「とりあえず冷やして!」
     氷を受け取り、鼻に宛てる。キンとする冷たさが、皮膚を麻痺させ感覚を奪っていく。やがて血は止まった。
    「びっくりした…」
    「俺もだよ」
     血に塗れてしまったガーゼを取る。そうすると、内出血が痛々しい部分が露出した。
    「随分酷いね…」
    「悪い、気持ち悪いよな」
     冬馬は顔を背ける。
    「俺はそうは思わないけど、冬馬は見られたくないよね。ごめんね。帰るよ」
    「あ、ああ…」
     冬馬は再び鼻血が出た理由を分かっていた。それは北斗を想って、体が熱くなったことが原因だった。
     だから、先程のように引き留めることはやめた。せめて、玄関までは見送ろうと、ついていった。
    「異常があったらすぐ言ってね。来るから」
    「お、おう」
     北斗が優しい視線で冬馬を見つめる。患部のすぐ近くだし、キスは出来ないから、撫でようと北斗の手が伸びてきた。
     反射的に冬馬は避けてしまう。触れられると、さっきみたいに鼻血を出しかねないと思ったのだ。
     北斗と目が合う。北斗は、避けられたことにひどく傷ついた顔をしていた。
    「あ、えっと…」
    「…ごめんね。じゃあね…」
     扉をゆっくり閉めて、北斗は家を出て行った。
    「…やっちまった…」
     冬馬はその場に座り込む。こんなことをしたいわけじゃないのに。
     今日だって、本当は、仕事帰りに北斗に会って、抱き合って、キスして…恋人としての時間を過ごしたかったのに…。こんな有様じゃ、到底無理だ。
     少しその場で放心して、冬馬はようやく立ち上がる。
     シャワーを浴びて、処方された湿布を貼り、ガーゼで覆った。痛みがあったから、鎮痛剤も飲んで、すぐにベッドに入った。

     翌朝、起きて、スケジュールが白紙になったことを一番に思い出した。
     今日一日というか、この先一週間の予定が無くなってしまった。
     冬馬は、時計を見る。まだ七時前。ぐ~っとお腹が鳴った。
    「メシでも作るか…」
     ベッドから出て、キッチンに向かう。それなりの食糧はあり、簡単に朝食を作って食べた。
     まだ時間がある。仕事の予定がないなら学校へ行こう。家でじっとしていても仕方ないと思い、学校へ行く準備を始める。
     時間割を確認して、カバンに教科書とノートを詰めた。
    「重いな…」
     丸一日分の授業の教科書は重く、いつも軽い冬馬のカバンは千切れてしまうのでは?と思った。
     久しぶりの制服に腕を通し、カバンを肩に背負う。
     弁当を作ればよかったと思ったが、もうそんな時間もなくなっていた。
    「いってきます」
     玄関に飾られた母親の写真に挨拶をして、冬馬は家を出た。
     自転車のカゴに重かったカバンを突っ込み、通学路を走る。学校までは自転車で十五分ほどで到着する。
    「はよ!」
     駐輪場でクラスメイトに会い、挨拶をする。冬馬の顔を見た彼らは一斉にぎょっとした。
    「おい、天ヶ瀬、その顔…」
     彼らは冬馬がアイドルとして芸能活動をしていることを知っている。だから、この反応に至った。
    「あ…ちょと事故った」
    「事故ってお前…アイドルは顔が命だろ?」
    「仕方ねえだろ。もう起こったことだ。さ、教室行こうぜ」
     クラスメイトを連れ立って、冬馬は教室に向かう。一人でいると目立つから、こうして誰かといることを選んでいる。
     教室までの廊下で、何人かが冬馬の存在に気が付き、驚いた顔をする。隣のクラスの女子が、冬馬の顔を見るなり、教室に駆け込んでいった。
    「……」
     学校に来たのは間違いだったろうか。冬馬は余計なことを言われないか、心配になってきた。
     教室に入ると、先に来ていた、隣の席の友人を見つける。冬馬は机に近づき、挨拶をした。
    「ヨッ!おはよ」
    「あれ、冬馬おはよ……お前、顔、どうしたんだよ」
    「お前もかよ。これ見て怪我した以外ねーだろ」
     椅子に座り、カバンを机の脇に引っ掛ける。ようやく重たいカバンから解放された。
    「この通り、大事な商売道具を傷付けちまったからさ、一週間ヒマになっちまったんだ」
    「ヒマって…お前、休まなくていいのかよ?」
    「顔の怪我以外いたって健康だからな。家にいても仕方ねえし、学校の単位稼がないとだし」
     カバンを漁り、一時間目の教科書を取り出す。
    「なあ、放課後ヒマか?久しぶりに遊びに行こうぜ!」
     冬馬は年相応の少年の顔で笑う。友人は、あまり深刻にするのも冬馬に悪いと思い、放課後付き合うことにした。
     一日中学校にいるのはいつぶりだろうか。座って授業を受けるのが、結構疲れることを改めて思い知った。
     休み時間、友人が話しかけてくる。
    「お前、昼飯持ってきた?」
    「弁当作り損ねてよ…購買に行くつもりだぜ」
    「だったら、俺買ってきてやるよ」
    「は?いいよ、それくらい自分で行く」
    「お前、あの購買のもみくちゃでまた顔でもぶつけたらどうすんだよ」
    「あー…じゃあ頼んでいいか?」
     パシリにするみたいで悪い気がするが、冬馬はこれ以上怪我をするわけにはいかないと、友人の好意を受け入れる。
    「食べたいものおしえてくれよ。次の休み時間に行くから」
    「おう。じゃあ焼きそばパンとカツサンドと…」
    「いや、メモくれ。今言われても忘れる!」
    「悪ぃ」
     冬馬は付箋を取り出すと、買ってほしいものを書きだした。
    「これで頼むぜ」
    「結構量あるな…なかったらごめんな」
    「頼むぜ!」
     授業が始まるチャイムが鳴り、席を立っていた生徒たちが一斉に自分の席に着く。
     そのまもなく、教師が入ってきた。
     次の授業は数学だ。教科書と取り出す。冬馬は、本分である学生の時間を過ごしていた。
     放課後、カラオケに行きたかったが、友人に止められ、ゲーセンに行くことにした。
     ジュピターの三人で遊びに行く機会は、実はあまりなく、久しぶりにハメを外して遊んでしまった。
     冬馬はいま、大きなぬいぐるみをぶら下げながら自転車を押していた。
    「取ったはいいが、コレ、恥ずかしいな…」
    「あ!ママ見て!アイツだー!」
     すれ違う女の子に指を刺され、冬馬は驚く。
    「こら!指ささないの!…すみません…」
    「あ、いや、はは…どうも…」
     母親に謝られ、冬馬は頭を下げる。すると女の子は母親と同じように真似て頭を下げた。
     子供の無邪気さに、冬馬は思わず癒され、その仕草をじっと見てしまう。すると、女の子と目が合った。
    「おにーちゃん、おはな、いたそうだね?」
     冬馬の顔を見た女の子は、頭に付けた大きなリボンを揺らしながら駆け寄ってきた。そして冬馬の鼻を指さして、痛そうだと言った。
    「あ、ああ、ドアにぶつけちまってな」
    「ふーん。はやくなおるといいね!じゃあね!」
     女の子は手を振りながら、母親のもとに帰っていった。冬馬も手を振り返す。もう一度母親に会釈され、返した。
    「早く治るといいな…」
     冬馬は自転車を押しながら、ぽつりと呟いた。

    ***

     怪我をしてから三日が経った。毎日学校に通い、放課後は友人とダベったり遊びにいったり、ごく普通の男子高生と過ごしていた。
    「…楽しいは楽しいけど、そろそろ体動かさねえとヤバいな」
     今までも毎日レッスンをしていたわけではないが、もう三日も体を動かしていない。顔を怪我した以外、なんともない体なのだ。動きたくてウズウズしている。
    「ダメ元でプロデューサーに聞いてみるか…」
     冬馬はプロデューサーにメッセージを送る。確か、明日は元々三人でのレッスンが入っていたはずだ。
    「俺も明日のレッスン、参加したい…と」
     それだけ送信して、冬馬は夕飯の支度を始めた。帰りに食材を買い込んだから、今日はカレーにしよう。友人がバイトがあると誘いを断られてしまったので、早く帰ってきたから、じっくり時間を掛けて作れる。
     材料を切って、煮て、スパイスを入れて…久しぶりに最高の出来のカレーが出来た気がする。
    「これは…ウマい…!」
     冬馬は、これを翔太と北斗に食べさせたいと思い、すぐにメッセージを送った。
     『めちゃくちゃウマいカレーが出来たから食いに来い!』と、送信して、冬馬はハッとする。二人のスケジュールを知らないことを。
     当たり前に、冬馬がオフだから他の二人もオフだと思ったが、そんなことはない。元々入っていた仕事があるから、きっと二人は忙しいだろう。
     一人で舞い上がってしまった。すぐ下に、時間があったら、と書き足した。
    「二人が仕事してんのに、俺、なにやってんだ…」
     ピコン、と通知音が鳴る。画面を見ると、プロデューサーからだった。さっき送ったメッセージへの返事だろう。タップして、メッセージアプリを開く。
    『お疲れ様です。怪我の具合はどうですか?今週は大事を取って休んでほしいので、レッスンはダメです』
     予想通り、NGの返事が返ってきた。
    「はあ…そりゃそうか…」
     冬馬はエプロンを脱ぎ、リビングのソファに座った。プロデューサーに返事をする。
    「『怪我の経過は良好だ。頬の痣はだいぶ消えた。鼻のところも、最初よりも酷くなくなった』…と」
     冬馬はすっかり意気消沈して、携帯をテーブルに投げると、ソファに横になった。
    「あ…制服、脱いでねえや」
     帰ってきて着替えもせず、すぐにキッチンに向かったため、冬馬はまだ制服のままだった。
     衣替えをしてジャケットがないから、気が付くのが遅くなってしまった。
    「ズボン、シワになっちまうな…」
     そう思いながらも、起き上がるのが億劫だった。たった三日で、ものすごく怠惰な人間になった気がする。
     ベランダのカーテンを閉めていないから、西日がキツく差し込んできて、顔に刺さった。
     目を細めてやりすごそうとしたが、耐えられず、体勢を変えてやり過ごすことを選んだ。
    「……やることがねぇって、こんなにツラいんだな」
     一人呟く。誰にでもなく。
     このまま寝てしまうか。いや、せっかく作ったカレーを食べなくては。ご飯を炊いて、風呂に入って…。
     やらなくてはいけないことを考えながら、ウトウトしてしまった。
     その意識と無意識のはざまにいた冬馬に、携帯が存在を叫ぶ。ビクッとして、テーブルの方に向き直ると、携帯が音と振動で着信を知らせていた。
    「びっくりした…はい」
     通知も見ずに電話に出たため、誰からか分からなかった。
    『冬馬?あれ、寝てた?』
     その声は、恋人のものだった。冬馬は、ふわふわしていた意識を一気に引き戻す。体の向きも、横から縦になった。
    「はっ、あ、北斗?!」
    『驚かせちゃったかな?ごめん』
    「いいや、大丈夫、だぜ」
     三日ぶりに聞いた恋人の声。もともと連絡不精の冬馬は、仕事や約束がなければ会う事や電話をしなかったから、こんなに間が開いて北斗の声を聴くのは、おそらく彼と出会ってから初めてだった。
    『メッセージみたよ。今、仕事が終わったんだ。今から翔太と一緒にそっちに行っていいかな?』
    「あ、ああ…時間、大丈夫なら、来てくれよ」
    『冬馬君!やっほー!今から行くから、ちゃーんと準備しておいてね!』
     電話口の人が変わり、翔太の声がした。どうやら、二人は揃いの仕事をしていたらしい。
    「おう…!」
     二人の申し出に、嬉しくなる。
    『じゃあ、一時間くらいで着くと思うけど。必要なものあったら買い物していくよ?』
    「あー…デザートがねえから、食いたいなら買って来い」
    『分かった。じゃあね』
     最後の『じゃあね』の声色はとても優しいものだった。
     冬馬は気持ちを切り替える。単純だが、北斗の声を聴いて元気になった。
    「うっし、コメ炊くか!」
     ソファから立ち上がり、キッチンに向かう。…と、その前に着替えようと、部屋に行った。
     制服を脱ぎ、シャツは洗濯へ。汗のニオイがしないか、デオドラントスプレーをする。まるで好きな人に会う前の乙女のように、準備をする。
    「翔太もいるのに、なに期待してんだ、俺…」
     ただ、三人で渾身の出来のカレーを食べるだけなのだから、なんてことない、ジュピター三人の日常なんだ。冬馬は自分の期待を自分で折った。
     三人分、とりわけ成長期の翔太と冬馬、北斗も割と食べるからと、五合炊きの炊飯器をフルに活用する。万が一余ったら、明日の弁当に使えばいい。
     サラダにするためにレタスとトマトを洗い、皿に盛りつける。今日はツナ缶を乗せて、ツナサラダにしよう。ドレッシングは前に北斗がおすすめしていたものが残っているからそれにしよう。
     そうこう準備しているうちに、あっという間に時間は過ぎていく。ドアホンが鳴った。
    「はーい」
     おそらく二人だろう。一応、受話器の画面で相手を確認する。そこにはドアップの翔太がいた。
    『とーまくん!来たよ!見えてる?』
    『こらこら翔太…』
    「いや、お前の顔、半分も見えてねえよ…」
     ふざけている翔太が映っているモニターを消す。玄関に向かい、ドアを開けた。
    「やーやー!冬馬君、久しぶり!」
    「チャオ☆」
     笑顔の二人を見て、ホッと一安心する冬馬。
    「よう。悪いな、呼び立てちまって。入れよ」
    「おじゃましまーっす!冬馬君の作ったごはんのお誘いならいつだって大歓迎だよ!」
    「おじゃまします」
     ドタドタと走っていく翔太。彼の脱ぎ散らかした靴を整え、北斗も家に上がった。
    「あ、サンキュな。…ったく、翔太のやつ」
    「ふふっ、許してあげてよ、翔太、冬馬に会うのすごく楽しみにしていたみたいだから」
    「ふ、ふーん」
     そう言われると悪い気はしない。冬馬は北斗と共にリビングに向かった。
    「てかさ、冬馬君のそれ、酷いね。すごく痛そう」
     冬馬の鼻を差して、翔太は言った。先日会った小さな女の子に指を差されたことを思い出す。
    「ああ、そういえば怪我してからお前と顔合わせてなかったな」
     大分腫れも引いてきて、冬馬はあまり気にしていなかったが、初めて見る翔太にとっては、ショッキングだっただろう。
    「まあこのザマだよ。これじゃさすがにテレビには出れないだろ?」
    「そうだね。結構ビックリした。でも元気そうで良かったよ。冬馬君、真面目だからお仕事に行けなくてへこんでると思った」
    「いや、まあ…仕事に行けねえのは結構しんどいぜ」
     アイドルになる前は、やりたいことも特になくて、ただ学校へ行って、毎日を消費していたのに、いつの間にか、何かをしていないといられない体になっていた。
    「早く治るといいね。冬馬君がいないとつまんないよ」
    「…お前それ、俺のこと遊び道具だと思って言ってんのか?」
    「うん」
    「翔太ーっ!」
     冬馬は怒り、翔太を追いかける。
    「あはは!冬馬君めちゃめちゃ元気じゃん!」
    「こらこら、転んで怪我したら危ないよ…」
     我が子を心配する父親のように注意する北斗。冬馬はその言葉で足を止めた。
    「…あぶねえ、これ以上怪我したくねえからな」
    「掴まれなくてラッキー!」
     翔太はいたずらっぽく笑う。呆れる冬馬だった。
    「…まあいいや。お、二人とも手、洗って来いよ」
    「はーい」
    「わかったよ」
     翔太と北斗は揃って洗面所へ向かう。二人が手を洗っているうちに、部屋のテーブルを拭く。この家に三人揃うのはかなり久しぶりだった。カレーを作ったのも、それ以来だった。
     拭き終え、キッチンに戻る。炊飯器が鳴り、炊飯終了をおしえてくれた。蓋をあけ、中身を掻き回す。
    「しっかり手洗いしたよー」
     戻ってきた翔太が声を掛けてくる。
    「おお。いま持ってくから、座って待っててくれ」
    「はーい!」
     元気よく返事をし、翔太はリビングを横切り、冬馬の部屋に入っていった。
    「なにか持っていこうか?」
     北斗は手伝いを申し出る。
    「じゃあ、これ、持って行ってくれ」
     サラダとカトラリー、ドレッシングが乗せられたトレーを手渡された。
    「あれ、これまだ残ってたんだ」
     ドレッシングを見て、北斗が反応する。
    「お前らが来たときくらいしか使わねえからな。賞味期限もまだあるし、使ってくれよ」
    「嬉しいな。俺、これ結構好きなんだよね」
     北斗が薦めてくれたモノだから、好みのものなのは当たり前なのだろうが、冬馬はまた一つ、北斗の好きなものを知れた。
    「なくなったら、また買っとくぜ」
     嬉しくて、だけど照れ隠しで、言葉尻がぶっきらぼうになってしまった。
     皿にカレーを盛り付けて、トレーに乗せて運ぶ。寝ころんで携帯をいじっていた翔太は、待ってましたとばかりにテーブルに張り付いた。
    「冬馬君のカレー!いいにおい~」
     それぞれの前に皿を置く。北斗が先にサラダとカトラリーを並べておいてくれた。
    「んじゃ、いただきます」
    「いただきまーす!」
    「いただきます」
     三人は手を合わせて、食べる前の挨拶をする。
     翔太はがっつくように食べ始めた。
    「おいおい、そんなに焦って食わなくたって、カレーは逃げねえぜ。おかわりもある」
    「うん、もぐ…ん、だってー、お腹ペコペコだったんだもん!冬馬君のカレーを食べられるからって、撮影終わってからおやつも食べないで来たんだよ!」
    「しゃべるか食べるかどっちかにしろよ…メシ飛んでんぞ」
    「じゃあ食べる」
     翔太は本当に美味しそうに冬馬の料理を食べている。作ったものを美味しそうに食べてもらえるのは、とても嬉しいものだ。冬馬の視線が優しくなった。
    「本当、冬馬の言う通り、めちゃくちゃウマいよ」
     北斗も、賛辞を贈った。
    「そりゃ良かったぜ」
     二人に料理の味を褒められ、上機嫌になる冬馬。
    「冬馬君、おかわり!」
     空になった皿を突き出してくる翔太。仕方ないと思いながら、機嫌がいいから、何も言わずに受取り、キッチンへ向かう冬馬。
    「メシ、どんくらい入れる?」
    「いっぱい!」
     翔太のリクエスト通り、皿いっぱいにご飯とカレーを盛り付ける。やはり、多めに炊飯しておいてよかったと思った。
    「ほらよ」
    「ありがとう冬馬君!」
    「お前、サラダも食えよ」
    「わかってるってー」
     翔太の食べっぷりを見てるだけでお腹がいっぱいになった冬馬は、おかわりせずに、残っていたサラダを食べた。
    「俺もおかわりもらうね」
     立ち上がり、キッチンに向かう北斗。翔太と違い、自分でやるようだ。
    「冬馬はおかわりするの?ごはんあまり残ってないけど…」
    「いや、俺はいいや。食べきってくれよ」
    「そう?じゃあ貰っちゃうね」
     北斗は炊飯器に残っていたごはんを全て取り去り、スイッチを切った。
    「本当にいいの?分けようか?」
     テーブルに着き、冬馬におかわりしなくていいのか再び尋ねた。
    「いや、お前らが食ってるの見て、腹いっぱいだよ」
    「なにそれ~。お母さんみたいなこと言うね」
    「だから俺はオカンじゃねーっての…」
     冬馬は食べ終わった皿をシンクに持っていく。空になった炊飯釜を取り出し、水につけて冷やした。
    「食い終わったらコッチに持ってきてくれ」
     鍋を見る。まだカレーは残っているから、明日も食べようと思った。一晩寝かせれば、また味が変わるだろう。
    「はーい!」
     翔太の返事を聞いて、自分の皿と、残っていた洗い物を済ませる。水の流れる音に混じって、部屋から聞こえる二人の声。
     誰かが家にいるという事実が、冬馬の心を温かくする。最近、学校以外は一人の時間が多かったから、少し寂しかったのかもしれない。
     急な呼び出しに応えてくれた二人に、心の中で感謝をした。
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