お風呂に入る秀百々 百々人先輩が成人して初めて自分で選んできたアパートは、どう考えてもアイドルが一人で暮らしていけるものではなかった。そのアパートは、築年数は少なく見積もっても俺たちの年齢の三倍以上はあるような、風呂トイレも共用のしろものだった。値段と駅からの距離、それから即入居の可否だけで選んだらしい。契約する前にプロデューサーに確認に来てくれたのが幸いして、俺と鋭心先輩とプロデューサーで必死に止めたのだが、百々人先輩はなぜ俺たちが必死なのか全く理解してないような顔で、「じゃあやめるー」とかなんとか言って次の日には全然別の物件を選んで、今度も律儀にプロデューサーに確認しにきた。俺も心配で覗き込んだところ、どうも以前のアパートから家賃をだいぶ上乗せしたらしい、事務所のそばの高そうなマンションだった。あまりの極端さに俺は絶句していたが、鋭心先輩は「コンシェルジュが常駐してるのか。これなら安心だな」とかなんとか平気な顔で言っていた。プロデューサーも下手なことを言ってあまり安すぎるアパートにされても困ると思ったのか、ほにゃほにゃとなにか言おうとして飲み込んだ後、「手続きしておきますね」とだけ口にしていた。俺も、クラスファーストのこのままの勢いが維持できれば別に贅沢ということもないか、と思って、何も言わずにとどめておいた。
あの時の判断は正解だったよな、と広い風呂でシャンプーを流しながら一人考える。
俺と百々人先輩は付き合い始めたあと、そのお高いマンションで半同棲のような生活を送るようになったからだ。百々人先輩のマンションが駅近で事務所からも徒歩圏内でとにかく便利だったのもあったが、先輩が一人暮らしでコンビニ食ばかりになっていないか心配だったのもあった。ベッドルーム一つの単身者用マンションにしては妙に広い三口コンロのキッチンは、今はほぼ俺専用みたいになっていた。
シャワーを止めて、俺は湯船に体を沈めた。シャワーだけでも事足りるが、俺は湯船でゆっくり思考に耽るのが好きだった。スマホを手放すことも滅多にないし、風呂以外ではそうしたいとあまり思わないために、情報を遮断して考える数少ない機会だからかもしれない。
「ふー……」
肩まで浸かると思わずため息が漏れた。その時だった。
「アマミネくん、入るね?」
そういうと、先輩はノータイムで風呂の戸を押し開けて入ってきた。
「ちょ、ちょっと」
裸の百々人先輩に俺が慌てて顔をそらすと、先輩がふっと笑ったのが空気で伝わってきた。
「変なの。着替えとかで、裸なんて何回も見てるでしょ」
そう言って百々人先輩はこちらに構わずシャワーを使い始めた。
「それとこれとは違うでしょ」
俺がこぼした呟きに、百々人先輩は「なあに?聞こえなかった」とわざわざシャワーを止めて聞きなおしてくれたが、やっぱりそんなことでごちゃごちゃいうのは子供っぽい気がして、「なんでもないです」と誤魔化した。
「そう?ならいいけど」
シャワーをまたひねって体を洗い出した百々人先輩から目を逸らして、湯船のなかに視線を落とす。
そうしてる間に百々人先輩はもう身体を洗い終わったのか、ざばんと勢いよく音を立てて俺の足の間に入ってきた。
「一緒に入ると狭いですよ」
小さく文句を言ったが、白いうなじは悪びれることなく小さく笑うだけだった。
「お湯に浸かりたくて。でもうち、追い焚きできないから」
「あとでお湯捨てて入れ直したらよかったじゃないですか」
「たしかに、そうかもね」
俺が小言をいっても全然気にしてない様子の百々人先輩の後頭部を、先輩から見えないのをいいことに、穴が開くほど見つめてみた。俺も高一から少しは身長が伸びたものの、結局二人にはおいつかなくて、でも足が長い二人と比べると座高はほぼ変わらないくらいにはなった。
いつまで経っても、付き合い始めても、百々人先輩は俺にとってずっと百々人「先輩」で、やっぱりこの人は謎めいててちょっと怖い、と思った。
その後ろ髪の金髪から緑色に変わる境目をじっと見つめて、「ヘアオイル、あとで塗ってあげます」と言ったら、百々人先輩が素直に「やった」と喜んでいてちょっと嬉しかった。その後すぐに百々人先輩は「もう限界」と出ようとしたので、「まだ入ったばっかりですよ。十数えてから」と意地悪を言ったら、これもまたちょっと嬉しそうな顔で上げた腰を戻した。それで俺は、やっぱりこの人はよくわからん、と思いながら、普段よりゆっくりと十を数えた。