想・喪・葬・相 11曦臣と別れて三年が経った。
この三年、自分は何も変わっていなかった。
任される仕事が増え、やり遂げる度に評価が上がって、昇進もした。その後しばらくして転勤があって、住まいが変わった。縁もゆかりもない土地だったから関わる人間も三年前とは皆違う。
表面上は変わったことがたくさんあったように思うが、それらを遠くの景色でも眺めるかのような毎日だった。
(どうでもいい)
何に対しても興味も気力も湧かなかった。
仕事が上手くいこうが、上司に嫌われ地方に飛ばされようが、出世コースを外れた俺を同僚達がどんな目で見ていようが、心がひくりとも動いたことはなかった。
時間の流れに身を任せ、その日その日に与えられた物事をやり過ごす。
ただ、それだけ。
特段死ぬ理由もないから、今日も生活している。
電池切れを待つ機械、それが今の自分だった。
『ごめんね、阿澄』
あの言葉は何よりの罰だった。
罵倒され、軽蔑され、「もう顔も見たくない」と拒絶される。
それが一番重い罰だと信じ込んでいたから、まさかその上があるとは思わなかった。
自分の告白により、曦臣は彼自身を責めてしまった。紡ぎ出される言葉の数々に悲鳴をあげそうになった。
「やめてくれ、悪いのは俺なんだ。曦臣は俺を罰する立場なんだ」
そう言い縋ってしまいたかった。
裁かれるべき者に謝罪し、「最低だね、私は」と暗い表情で目を伏せてしまった彼に、どんな言葉をかければ心を軽くしてやれただろうか。
そのことを考えない日はなかった。
「曦臣、今どうしているんだ」
もう傷は癒えただろうか。あの数か月の歪んだ関係はもう過去のことだと切り離せただろうか。
「最低だ」なんて曦臣に似合うはずがない卑下から解放され、以前と変わらない穏やかな笑みを浮かべられるようになっただろうか。
曦臣が幸せでいること。
最早それしか願うことはない。だが、その願いが叶ったかどうかを知ることは出来ない。
(叶わない願いを抱え続けることが俺の人生だった。なんてくだらない人生だったのだろう)
「曦臣」
もう一度呟き目を閉じて、この日も終わりを迎えた。
「曦臣、いい加減にしないか!」
叔父の怒号が部屋に響きわたり、隣にいる弟が気まずそうに叔父を制止しようと手を宙に彷徨わせた。
「相手の女性が泣いていたと苦情が入ったぞ!何を言ったんだ、お前は!」
「何も。話すことがないので何も話さなかったまでです」
「あの女性は昔からの取引先の娘だと言ったではないか!」
「ですから先方の希望通り、仕方なく見合いをしました。そこでどう振舞うか、それは私の自由です」
無表情のまま悪びれもしない曦臣に対し、藍啓仁はますます顔を赤らめ憤怒した。
このまま役職を解かれるかもしれないとも思ったが、それならそれでいい。弟がきちんと跡を継いでくれるので、自分がいなくても何も困らない。
変わりがきく部品。それが今の自分なのだ。
叔父が何か言い放ち大きな音を立て出ていった。弟が歩み寄り、心配そうに話しかけてくる。
「叔父上も暫く休養させたいと思ってああ言ったのでしょう。ここ数年兄上は働き過ぎでした。叔父上もそのことをひどく心配していたので」
きちんと聞いていなかったが、どうやら私は休職扱いになるようだ。
「すまないね、忘機」
「いえ」
「業務上困ったことがあればいつでも連絡しなさい」
「…はい」
身内の二人が心配してくれているとわかっているのに、それでも申し訳ないという気持ちは少しも湧いてこなかった。
(しかし、仕事を取り上げられるのは困るな)
何もすることがないとどうしても江澄のことしか考えられなくなる。
どれだけ想っていても、もう関わってはならない。それが自分への罰であり、傲慢で勝手な自分から江澄を守る術だった。
あの数か月、江澄を独占し束縛することに自分は仄暗い幸せを感じていた。羞恥に染まった顔を見る度、涙まじりの声で名を呼んでくれる度、充足感を得ていたのは紛れもない事実だ。
(私は何て浅ましい人間なのだろう)
江澄の一途な想いを受け取り恋仲になれば、間違いなく自分はまた支配しようとする。そして江澄は傷つけられても、側にいようとしてしまう。
(こんな私を十数年も純粋に思い続けてくれた阿澄。大事な大事な幼馴染で、そして今や生涯唯一の人。彼にはどうしても幸せになってほしい。温かく優しい人からの愛情に包まれ笑っていてほしい)
そのためには、自分のような化物は、彼自身にも彼の人生にも触れてはならない。
「阿澄」
彼は今どうしているのだろう。
彼は不器用ではあるが情に厚い人だ。今頃、その魅力に気づいた誰かが側にいるのではないだろうか。
(きっとそうだ。阿澄はその人の横で今度こそ幸せになっている)
かつて自分に向けてくれた笑顔を思い出しながら、深いため息を吐いた。