他愛ない日常修羅場。それは全てのクリエイターに重くのしかかる言葉であり逃れられない宿命である。そしてそれは普段遊び呆けているように見えるハッカー集団にも関係のある話で。
「ううううう。デバッグが、デバッグ作業が終わらない……」
パソコンの前で頭を抱え込み、恨めし気にモニターを見つめる男が一人。メガネハッカーズのリーダーである目金は、今まさに修羅場の真っ只中にいた。前作『幕末!サムライファイターズZ!』は無事ヒット作として名を上げ、目金達は完成の余韻に浸る間も無く次作へと着手した。その名も『英傑!三国ファイターズV!』。目金の突飛ともいえるアイデアを元に、萌が形を整え作品として仕立て上げ、芸夢によりそのシナリオを引き立てるゲーム演出が考案される。その作業の大部分を他者に頼る事無く3人で完結させ、普通では考えられない程の超少人数チームでメガネハッカーズの面々はゲームを作成している。こうして最新作である『英傑!三国ファイターズV!』の粗方の作業は終わり、後は地道にバグを潰すのみ、なのだが。
「そろそろデバッカーのバイトでも雇った方がいいのですかね。いや、万が一バイト経由で顧客情報が漏れたりなんかしたら洒落にならない……」
目金はその途方もない作業の大部分を1人で担っているのであった。本来デバッグ作業は多人数で行うものであるが、ハッカーという本業との兼ね合いで外部の人間の手を借りることが出来ないのが現状である。
元秋葉名戸学園サッカー部のメンバーにも幾らかは作業を手伝ってもらっているのだが、給料は出しているとはいえほぼ善意で作業を手伝ってくれている彼らに自身と同等の仕事を背負わせるわけにはいかず、目金はゲームを作成する度に地獄のデバック作業に苦しみ悶えているのであった。
「目金君、今回も大変そうだね」
「漫画君。僕はもうダメかも知れません……」
「弱気なんて君らしくない。ほら頑張って」
「ううう……」
萌からの叱咤を受け目金は机に突っ伏す。その姿は目金を知る者からすれば信じられないほど弱り疲弊しきっており、何処から湧き出てくるのか分からない己への自信は消え失せて髪の横ハネは目金に呼応するようにヘナヘナと萎れていた。
本来なら目金の作業を手伝ってやるべきなのだろうが、萌はあえてそうはしなかった。何故なら、萌は目金がもがき苦しんでいる姿を見るのが大好きだからだ。デバッグが終わらず苦しむ姿や、ゲームを攻略出来ず呻く姿など見ていて愉快で仕方が無い。当然、萌は決して目金のことが嫌いなわけではない。寧ろ好きといってもいい。堂々としたその姿も、どんなジャンルもこよなく愛するオタクの鑑といえる生き様も、そして苦難に悶えるその有様も、その全てが見応えがあるのだ。だから萌はギリギリまで目金に手を貸さずにそろそろ手伝わないと納期的に流石にまずい、という段階に入るまで放置するのであった。
「……試合中に発生するバグが全然修正出来ないんです。ばらばらに書き込んだプログラムを繋ぎ合わせているから不都合が発生している、という事はわかっているのですが」
萌が心底楽しそうな笑みを浮かべ自分を見ていると気付いていない目金は、机に突っ伏したまま今抱えている問題を語る。見ていただいた方が早いですかね、と目金はコードを表示し萌へと見せる。
「……このコードを書いたのは」
「芸夢君です」
「そうだろうねえ、これは酷い」
表示された無秩序なコードを見せられ萌は頬をひきつらせる。コード入力の大部分を芸夢が担っているのだが、芸夢が書くコードは書いた本人にしか読み取ることが難しい独自性の高いものである。目金の書く教科書のお手本の様なコードとは真逆の存在と言えるだろう。どこがどうなっているのか、何故これで動くのか、そう言いたくなる文字列なのにバグは滅多に発生しない嘘のようなコードだ。今回は目金が請け負った部分と芸夢が請け負った部分を繋ぎ合わせている為問題が発生しているのだが、その問題が芸夢側のコードに有ると分かり目金は頭を抱えているのであろう。
「で?その当の本人は今どこに」
「僕が彼の居場所を知るわけがないじゃないですか。どうせ何処かのゲーセンに行っているか、ゲーセン主催の大会に参加でもしているんじゃないですかね」
疲れがそうさせるのか目金の口調はいつになく乱れやさぐれていた。流石にそろそろデバッグ作業位手伝った方が良いかもしれないと考えている内にアジトの扉がバンッと大きな音を立て開かれる。振り返ると話題の中心人物である芸夢が両手に大きな紙袋を持った姿で帰ってきた。
「芸夢君……今まで何をしていたのですか」
「ふっ、聞いて驚け!今日はレトロゲーを買いに遠出していたんだが、そこで長く探し求めていたゲームソフトを見つけたのだ!市場価格2万円はくだらない品なんだがそこでは1万円以下で売られていたんだ!他にもオタク垂涎の品が数多くあってだな__」
「……要するに、レア物のゲームを格安で購入してきたのですね」
「そういうことだ!」
芸夢の元気な返事に目金はがっくりとうなだれる。普段の目金ならノリノリで話に乗っていただろうが、今の目金にそんな気力は残っておらず、それどころか僅かに残っていた気力が今のやり取りで全て持っていかれたのだろう。
「はいはい、もう何をしてきていたっていいですから。後でゲームの修正作業手伝って下さいね」
「あん?修正しなきゃならない箇所があったのか」
芸夢はパソコンを覗きこみ、コードをじっと見つめる。
「ええ、今発覚しているのは一か所だけですがそれが曲者でして。かれこれ丸一日は向き合っているのですが一向にどう修正してやればいいかわからないのですよ」
「……ここを書き換えちまえばいいだけじゃねえか?」
「へ?」
芸夢は割り込むようにパソコンの前に座りコードの一部を書き換えていく。これでどうだと変更内容を見せられた目金はしばらくじっとコードを眺める。そして、
「芸夢君!!!」
感極まったのか芸夢に抱き着いた。どうやら問題は無事解決したようだ。
「ありがとうございます、これで何とか峠は乗り越えられそうです!」
「ふっ、俺の力が必要になったときはいつでも呼びな!」
心からの礼を述べる目金に、芸夢はどこかのゲームのキャラクターが元ネタであろうセリフがかった言葉を返す。元はと言えば芸夢のコードの書き方が滅茶苦茶だったが故に起きた騒動であるがそれは言わないほうが良いだろう。
「いやあ、何処をどう直せば良いのか全く分からず一時はどうしたものかと……。あ、ところで芸夢君。君に任せた修正箇所はどうなりましたか?買い物に行っていたという事はもう終わっているのですよね?」
思い出したかの様に問うてきた目金に対し、芸夢はびくりと肩を揺らす。
「……え、嘘ですよね。君に任せた箇所は膨大な時間がかかると前もって説明しましたよね?」
「……急用を思い出した。俺は帰らせてもらう」
「させませんよ馬鹿!今日は絶対に逃がしませんからね!!」
さっさと逃げ出そうとした芸夢の腕を目金は両手でがっしりと掴む。これはまた面白いものが見られそうだと、ほくそ笑んでいると「こうなった以上漫画君にも手伝ってもらいますからね」と予期せぬ流れ弾が飛んできた。
「ええ?!僕も巻き込まれるのかい!?」
「今は猫の手だって借りたい状況です!少なくとも一週間は覚悟してくださいね」
目金は変なスイッチが入ったのか不気味な笑みを浮かべ「お前だけ助かるなんて許さねえからな」と芸夢は萌の肩を鷲掴む。これは数日カンヅメ作業になりそうだなと、萌はこの先待ち受けているであろう途方もないデバッグ作業を憂い大きな溜め息をついた。