20221105江晩吟生誕祭子の刻に藍曦臣が訪れた先は蓮花塢。
江晩吟の生誕を祝う為に訪れたのだが、この日の江晩吟の行動は祠堂で父上、母上、姉上の位牌の前に座り祈祷をする日。
江晩吟自身の生誕は祝わない。
「その日は誰も来ないでくれ」
とあらかじめ言われているため、藍曦臣は子の刻に訪れることにした。
夜狩でもあるまいし、深夜に訪れるのは迷惑だと思われるだろうが、その覚悟で、藍曦臣は蓮花塢へと来た。
陽が明るいうちに御剣に乗って雲夢に訪れて、雲夢の商人達と会話したり食事を摂っていたらあっという間に陽は落ちて、蓮花塢に行く頃合いの時間になった。
蓮花塢まて歩き門構えの前で人影が見えた。
夜になると肌寒くなる季節になる。
羽織りを着て寝衣の姿のまま、江晩吟が門構えに立っていた。
江晩吟の姿を見かけて藍曦臣の胸の内がドクンと高鳴る。
「江宗主、あ、いや、晩吟、どうして外に、ここに
いらっしゃるのですか?」
藍曦臣が発言しようと言葉を探すがしどろもどろで言いたい言葉が出てこない。江晩吟に逢うことができて嬉しいはずなのに。
「曦臣か。夜遅くによく来たな。何か用件があるのか?」
「あの…貴方に逢いに来ました」
なんて言えばいいのだろうか。江晩吟の生誕の日だから江晩吟、今夜、貴方に逢いに来ましたと率直に言いたいけど、これは江晩吟を驚かせる為に黙っておく。
「まぁ…いい。外は寒いから私室に上がってくれ」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
藍曦臣は江晩吟の手、指先を握り、江晩吟の手背に軽く口付けを落とし、江晩吟を見つめた。
「…貴方に逢えて光栄です」
「はっ、恥ずかしい。誰もいないから許したものの、人様の前では、こんなこと…するな」
江晩吟の体温が一気に上がる。恋仲といえども、突然、藍曦臣から手背に口付けを落とされた江晩吟は照れを隠しながら、藍曦臣の手を指を絡ませて握った。江晩吟も藍曦臣の突然の訪問には驚いているが内心は嬉しいのだ。
「今夜は冷えるから暖めてくれないか?」
「はい」
指を絡ませて手を握る二人は身を寄せ合い、歩幅を合わせて歩き、江晩吟の私室へと入って行った。
時刻は経過し辰の刻となった。
太陽の陽が江晩吟の私室に入り込む。
背の高い大人二人が横になるには窮屈な寝台に藍曦臣と江晩吟の二人は身を寄せ合って眠っていた。
「曦臣、おい、起きてくれ」
「…晩吟、どうかしたのですか?」
眠い眼を擦りながら昨夜の余韻が消え失せないように藍曦臣は江晩吟の頬に口付けをして急いで起き上がろうとする江晩吟を押し倒した。
「もう少しこのままでいてくれませんか?」
瞳を潤ませながら藍曦臣が江晩吟に問う。藍曦臣の潤ませた琥珀色の瞳に弱い江晩吟は髪の毛を掻き上げながらまた寝台に横たわった。
「どうもしてないんだが…家規に反しないのか?」
「ここは雲深不知処ではありません。蓮花塢です。私は晩吟、江澄と一緒に居たいのです」
そうなのか…でもこの衣類がはだけた姿、髪がほどけた姿を門弟がみてしまったらどういう風に説明しようかと、江晩吟は考えてみたが考えても無駄だということが理解できた。
藍曦臣の幸福感が漂うにこやかな表情をみていると宗主の立場とかどうでも良くなってくる。愛する人の傍に居たいという気持ちを大切にしたくなってくる。
人を愛する事に戸惑いを感じていた江晩吟に人を愛する事を教えてくれたのは藍曦臣だ。藍曦臣は宗主の立場を乗り越えて人として江晩吟と関わってきてくれた。そして、今、幸せを二等分にして江晩吟に与えてくれている。
「二人で一緒に過ごすことができることが私の幸せです。江晩吟、江澄の生誕を祝います。この世界に産まれてきてくれてありがとうございます。そして、私の愛を受け入れてくれてありがとうございます」
二人は右足、左足を交互に重ね合わせながら背丈を目元に合わせて見つめ合い、二人同時に笑顔になり微笑み合った。
姑蘇藍氏の男は照れ臭い言葉をすんなりと口に出すことができるのか。江晩吟の顔は照れているのか頬が朱色に染まっている。
「あぁ…ありがとう。毎年、自分の生誕を祝う人等居ないから、祠堂に籠っていたんだがな。今年は、曦臣、藍渙が祝ってくれるから、生誕の日の色が変わった」
眉間に皺が寄っていない江晩吟の顔つきは柔らかく嬉しそうに微笑んでいた。
「江澄に渡したいものがあるのです」
藍曦臣は起き上がって、正座をして座り直し、脱いだままの袖から乾坤袋を取り出した。乾坤袋の中から取り出したのは透明な袋の中に入っている珍しい石の色をした髪飾り。
「江澄に似合うかと思って翡翠の石を専門の業者に依頼をして髪飾りにしてもらいました」
仁・慎・勇・正・智の五徳の名を持つと言われている翡翠。しかも翡翠の色は淡い緑ではなく、薄紫色の翡翠だった。薄紫色の部分は、ヒスイ輝石に含まれる微量のチタンと鉄が色の原因で変色しているが変わった色である。
藍曦臣は江晩吟に合う色として薄紫色の翡翠の石を探したのだろう。その事を思ったら江晩吟の胸の中から何かが込み上げてきた。
「…藍渙、ありがとう」
簪の形をした髪飾りに五つの翡翠の玉が揺れ動いている。翡翠の玉をじっくり見ている江晩吟の紫紺の瞳は嬉しさが溢れでて目頭が熱くなっていた。
「大切にする」
簪の髪を挿す方を手に握りしめている江晩吟は藍曦臣の肩に寄り添い、体重の半分を藍曦臣に預けて五つの玉の揺れる簪を見つめていた。
この二人に永遠なる幸福を…