わたしの愛しいあなた馬鹿なやつら。なんでこっちの要求を大人しく受け入れないんだろう。歯向かったところでこれっぽっちも勝ち目なんて無いのに。
皺ひとつ無かった黒のスーツがいびつに歪んで、しなやかな脚が標本ピンのように肩を踏む。痛そう。
「……どうします? もう少し抵抗なさいますか?」
床に倒れる男へ小首を傾げながら問う巳波を横目に、この部屋で一番立派なデスクに鎮座するパソコンへ電気を通す。静かな機械音に続いてキーボードのタップ音が響き、デスクトップが立ち上がったところですかさず持ち込んだメモリをセットする。目的のフォルダへかかったセキュリティは事前に調べたパスワードを難なく打ち込んで解除。データをコピーしている間に周りを見渡すが辺りは死屍累々といった雰囲気だ、全員生きているけど。
部屋に散らばる人間たちはついさっき彼が全て倒してしまったやつだ。人なんて殴ったこと無さそうな優しい顔をしておきながら巳波はすごく強い。下手したらうちの組織で一番強いのかもしれない。トウマや虎於の方が体格も良いし力も強いけど、巳波は身のこなしや技術といった違う強さなのだ。
巳波お得意の鉄扇が音を立てて閉じられる。そのまま倒れた男の首筋に宛てがわれるが、その気になって扇を動かせば頭が吹き飛ぶような代物だ。
「……お前、らの……ボスと、は、なしを……させ、ろ」
「あらあら。ねぇ亥清さん、こういう場合はどうしたらいいんでしょう?」
きょとんと目を丸くしたあとこっちを向いた巳波は楽しそうに笑う。本当、性格は良くない。
自分ではっきり言ってやればいいのに、巳波という人間は他人のこういった反応を見るのが大好きで堪らないのだ。こちらが解を出したあとに信じられないという顔をして欲しいしなんなら絶望までして欲しいらしい。
ディスプレイに表示される数値とコードの羅列を眺めながらわざとらしく溜息をつく。このやり取りに毎回付き合わされるこっちの身にもなってほしい。
「アンタ馬鹿じゃないの?」
欲しかったデータを抜き終えた端末に用は無い。数値をカウントし終えたパソコンに自発性の消去プログラムを入れておしまい。あとは勝手に発動して黙っていても端末は更地同然だ。
座り心地の良い椅子とお別れして巳波のすぐ隣に立つ。先程まで床に倒れている男を踏んでいたはずの彼はいつの間にかその腹の上にちょこんと座っているではないか。なんとなく気に食わなくていかにも不機嫌ですよと言わんばかりに表情を変えても巳波はにこやかに笑うだけだ。ああ嫌だ、コイツわかっててやってる。
「アンタの上に乗ってるそいつが、うちのボスなんだけど」
仕組まれているとわかっているからこそ巳波の手の上で上手に踊ってみせる。五線譜に音符を置いて、音を奏でる彼の譜面から外れないようにメロディをなぞる。ほら俺は、お前の曲でこんなにも踊れるよ。
答えを与えた途端大して大きくもない男の目が見開かれ、くすくすと笑う巳波の声が部屋に響く。独特の金属音を立てて再び開かれた扇で口元を隠しながら一体次は何を考えているんだろう。使い終わった後の片付け方か、はたまた僅かな利用価値を見出そうとしているのか。
そもそも組織のトップが最前線を突っ走り斬り込み隊長をしてるなんてうちぐらいじゃないだろうか。少なくとも俺が把握しているこの国に存在する九割以上の組織はボスが戦闘担当なんてところは無い。
異質なんだうちの組織は。でもそれが一番収まりが良くて、居心地も悪くない。
「では改めてお話し、しましょうか?」
早くコイツは首を縦に振るべきだ。
綺麗に笑う蛇に、丸呑みされたくなければ。