激高と激低でお似合いなんじゃねーか、とはパンダの談。その後一週間、可哀想なモノを見る目をされた。
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人間は、ふわふわした生き物を好む傾向がある。
勿論、全ての人間に当て嵌まるわけではないけれど。犬や猫、うさぎや小鳥といったふわふわ、もふもふとした毛皮を持つ生き物を愛でる人間は多い。
「あー、最高だなこのもふもふ」
「適度に暖かいしふわふわだし、枕にするには最高ですねー」
現にあの真希や野薔薇も、うっとりとパンダの毛並みを愛でながら昼寝をしていた。
「ふふっ、きみはほんとにふかふかだね~」
「ぬ~ん、ぬ~ん」
「ふわふわでつやつやしてて……はぁ、気持ちいい」
「にゃっふ~ん♪」
また、ふわふわもふもふな生き物は癒し効果も抜群なのだそうだ。
実際、犬や猫と触れ合うことでメンタルの安定だけでなく、身体的にも血圧の上昇や心拍数を落ち着かせる効果や、更には病気予防にもなるという研究報告もあるくらいである。
「とげー、そろそろ降りて欲しいんだけどなー」
「おかかぁ」
確かに、ちょっとしんどい任務があった後は、棘がよくパンダのおんぶお化けになっているっけなぁ。
「こうしてると、すごく落ち着くよ……ごめん。もうしばらく、このままでいさせて……」
「……んー?仕方ないなぁ」
更に、何と猫をただ撫でるだけでオキシトシン──通称『幸せホルモン』が分泌されるというではないか。同時に、ストレスホルモンであるコルチゾールが軽減もするため、心身に絶大なリラックス効果をもたらすのだそうだ。
「にゃっふふ~ん♪どうだ~私の魅惑のぼでぃーは?ファンも多いのだぞ、素晴らしかろう!」
「うん……つるふかで、もちもちして……癒やされる」
膝に乗せたまん丸な猫の、三色模様が鮮やかな毛並みに頬を寄せ、憂太が幸せそうに目を細める。
恍惚とした表情を、僕に対して以外にしていることに苛立ちを覚えた。
やはり、僕と憂太が暮らすこの部屋で“保護”するのでなく、然るべき施設で“拘束”すべきだったかもしれない。
物騒な考えが頭を過ったのも、一度や二度のことではない。
人の言葉を解し、話しもする。人と同じ食べ物を好み、酒も嗜む奇妙な“猫”。少し前から僕と憂太が秘匿保護をしている、でっぷり~んさが日に日に増していっている猫っぽい“何か”は、呪霊や呪物の受肉体──ではない。
本人曰く“妖”──それも上位の──だという『別の世界』からの来訪者であるこの超変な“猫”を、憂太はたいそう気に入っているのだった。
然もあらん。動物は敏感だ。
里香を特級過呪怨霊にしてしまっていた時から、解呪後も、僕を超える莫大な呪力がために動物には悉く避けられてしまっていた憂太である。
元来動物好きらしい憂太にとっては、当初こそリカに驚き毛を逆立てていたものの、害意がないのを理解すると逃げずに触らせてくれるようになった。気安くってか馴れ馴れしいまでに接してくれるふてぶてしいブサイクな猫が、憂太は嬉しさも相まり可愛くて仕方ないようで。
「ゆ~うた~、今夜はカレーにしない?」
「すいません、夕飯はエビフライにするって、猫くんと約束してるんです」
「憂太特製の回鍋肉が食べたいな♡冷凍庫に三元豚あったでしょ?作って~♡」
「だめです。あの三元豚は豚カツにしたいって、先に猫くんからリクエストされているので」
僕よりだいふく猫を優先する憂太に、フラストレーションがちょっとヤバいレベルに達しようとしていた。
「僕と猫ダルマ、どっちが大事なの!?」
旧知の気安さからばんばん机を叩いて愚痴った僕に、無下限を破った硝子の絶対零度の視線が突き刺さっていた。痛かった。
「……そろそろ、落ち着いたかい?」
「……ん。ありがとう、猫くん。もう、大丈夫だよ」
「そうか」
我が物顔で、僕だけの特等席であるべきな憂太の膝を専有するメタボ猫に、ぎりぎりと奥歯を噛み締める。
デブ猫はデブ猫で、僕には絶対しない優しい眼差しを憂太に向けるのが、また一層腹立たしい。家主は僕だぞ。衣食住世話になっている恩儀はないのか。
今すぐにでも、リビングに乱入してインチキ招き猫を憂太から取り上げたい衝動が込み上げる。
「……遅くなっちゃったね。大急ぎで、夕飯の支度するよ。今日の献立は、猫くんの大好きなエビを使ったテル」
「エビフライがいい!エビフライが食べたいなぁ~♪」
「えええ!?今夜は、テルミドールにするって、先生が……」
「エビフライがいいーっ!絶対エビフラーイっ!!断固としてエビフライを要求する!」
「……ふぅ、分かったよ、エビフライね……伊勢海老のエビフライって、ちょっと豪華過ぎないかなぁ」
「食べ応えがあってよいではないか!」
現実には、足取りも軽くキッチンへと向かう一人と一匹を見送ったのだった。肺が空になるまで、深く長く息を吐き出す。
邪魔は、できない。
今の憂太には、白くてふかふかもちもちとしたあのブサ猫の存在が必要なのだ。
報告書を読んだだけの僕でも反吐が出た。久しぶりに憂太が赴かされた長期の任務は、人間の悪意をこれでもかとどろっどろに煮詰めたような胸糞案件だったのだ。
憂太は、日本にはもう僕とふたりしかいない特級呪術師だ。しかし、十七歳のこどもでもある。
階級と、心身の成熟具合は必ずしも比例しない。憂太は呪術師向きな精神構造の持ち主ではあるけれど、酸いも甘いも噛み分けられるほどの人生経験は、まだないのだ。
清濁併せ呑む度量の広さを持ち得るまでに至ってはいない、未成熟な心に負った傷を癒やす役目に猫饅頭は最適なのであった。
分かってはいる。頭では理解しているのだけど、心が拒むのだ。
僕では、その“役目”に相応しくないことが。
「……くやしいなぁ」
白くてふかふかすべすべしている生き物の、セラピー能力は絶大だった。
僕に任務報告書を提出しにきた時には表情は固く翳りの色も濃かったのに、パン粉まみれになりながらきゃっきゃと白い子豚とエビに衣をつけている憂太からは、憂いの気配は綺麗さっぱり消えていた。
「おかえりなさい、先生」
駆け寄る足取りも軽快だった。勝手にエビフライに献立を変更しちゃいました、すみません。へにょりと眉を下げて謝る憂太にふっと双眸を綻ばせると、僕は目の前の丸い頭を、くしゃくしゃと掻き混ぜたのだった。
元気になったみたいで、良かった良かった。
「いや、やっぱり良くねぇわ」
曇りのない憂太の笑顔に、ブサイク巨顔猫のこれまでの無作法を許してやるか。生まれた寛大な気持ちは、だが一瞬で消え失せた。
「猫くん、あーん」
「にゃっ!」
「ふふ、美味しい?」
「にゃっふ~ん♪」
カラフルな花の飛び交う領域を展開させ、エビフライをがっつく白豚猫を微笑ましく眺めていた憂太が、徐に自分の皿からエビフライを一本箸に取ったと思うと、あろうことか猫まんじゅうに食べさせたのだ。
ばきっと、僕は箸を握り潰した。憂太からあーん♡してもらえるのは僕だけの特権のはずなのに。
戦慄く僕を余所に、憂太と寸胴猫はきゃっきゃうふふと楽しそうに戯れている。
「はぁー、食った食った」
自分の分は勿論として憂太のエビフライの大半をも平らげ、満足そうにぽんぽこりんになった腹を擦る白い子豚を睥睨しつつ、改めて決意したのであった。
うん、だめだ。一刻も早く、こいつを憂太から引き離さなければならない。
「犬、うさぎ、いっそ本物の猫を飼うとか?あー、でも普通の動物は、憂太の呪力に怯えちゃうからなぁ……んー、でっかいぬいぐるみとか?」
ちんちくりんに代わる、白くてもふもふした“もの”に思案を巡らせる。悶々と幾つもの案を並べるのは、頭の中でしていたつもりだったのだけど、どうやら声に出してしまっていたらしく。
「ゴジョセンうっせぇ、集中できないんですケド」
野薔薇に怒られてしまった。恵からも非難たっぷりに睨まれる。ごめーん☆
両手を合わせて可愛くテヘペロ♡謝る僕を冷たく一瞥して、野薔薇と恵は小テストの回答作業を再開した。恵はスラスラと、野薔薇は所々つっかえながら。鉛筆を走らせる二人の、間で健やかな寝息を立てている悠仁の頭をぽんと叩く。補習頑張ろうね♡
ふと、窓へと視線を走らせた僕は、雷に撃たれたような衝撃に襲われた。
「────っ!!」
がばっと、窓に張り付く僕に恵と野薔薇が目を剥いていた。
瞬きも忘れて凝視する。窓を、正確には窓ガラスに映る“僕”を。
開け放たれた窓から入ってくる風に、ふわふわとそよぐ白い髪を撫でる。
にいっと、口角が弧を描いた。なーんだ。
「──僕でいいじゃん」
灯台もと暗しとはいいえて妙である。最適解は、すぐ近くにあったのだ。
大人として師として心の支えになれて、恋人として心に寄り添え身体も癒してあげられ、更に傷付いた心の癒しにもなれる。
一石二鳥ならぬ三鳥にも四鳥にもなる超有能な存在が、ここにいるではないか。
「グッドルッキングガイ五条先生でいいじゃん☆ほら、白くてふわふわしてるしぃ♡すべすべもちもちもしてるよ~♡ヒーリング効果だって、あんなブッサイクなメタボ猫より断然上なんだからぁ♡」
ルンタった♪教室を飛び出す。上機嫌な僕の足はスキップを踏んでいた。
目指すは二年生の教室だ。
「楽しみにしてたのにな……」
次の日曜日、棘やパンダと遊びに行く約束をしていたのに任務が入ってしまい、しおしおと落ち込んでいた憂太を僕のふわふわさで慰めてあげるのだ。
ちんけな猫もどきより、格段に優れている僕のふわふわすべすべの魅力を憂太に教えなければ。
使命感に燃える僕の耳には、野薔薇の渾身の突っ込みは届かなかった。
「自己肯定感が高いのにも程があるだろっ!!」