【君との雨は】
昼過ぎからぽつぽつと降り始めていた雨は、授業が全て終わった頃には勢いを増し始めていた。その時点で大分と嫌な予感はしていたのだが、放課後、反省文を書き終えてようやく下校しようと下駄箱へたどり着いたオレが目にしたのは──予想通り、視界が白く煙るほどのひどいどしゃ降りとなった雨だった。
(今日は降らないと言っていたはずなんだが)
ため息をつきながらも靴を履き替える。
天候が不安定な梅雨の時期だ。天気予報ばかりを責めることはできないが、今日に限って折り畳み傘を入れ忘れてきた自分の迂闊さにはさすがに閉口する。フェニランでの練習が休みで急ぐ必要がなかったのは不幸中の幸いとはいえ、走って帰ればいいなんて考えられないレベルの豪雨。騒音にも近い雨音に気分は沈むばかりだった。
──しばらく待つしかないな。
中央玄関のひさしの辺りへ視線を向けたオレは、先客がいたことに思わず目をしばたいた。
雨粒を張り付かせたガラス戸の向こうで紫陽花のように佇む、紫の髪の長身。そんな後ろ姿の男をオレは一人しか知らない。
「……類?」
つぶやいたそれが聞こえるはずもなく。オレは駆け足でそいつの側へ向かった。
「類、何してるんだ?」
「──司くん?」
鞄を肩にかけたまま、ポケットに手を入れてぼんやり雨を眺めていた顔がこちらをゆっくり振り向いた。
「やあ、君も今帰りかな?」
「……ああ。今日の昼、お前の爆発に巻き込まれたオレ一人が捕まった件で、反省文を書かされていたのでな」
「フフ。お務めご苦労様」
しれっと言ってのけるその様子は、まんまと教師と反省文から逃げおおせた主犯とはとても思えない。オレは今すぐふんじばって教師の前までしょっぴいてやりたい衝動を抑え込み、代わりに大きなため息をついた。
「まぁいい。どのみち、この雨からは逃れられなかっただろうしな」
「折り畳み傘は? ないのかい?」
「それが今日に限って忘れてきてしまってな……」
もう少し雨がマシになれば走って帰るつもりだと告げると、類は自分のスマホを取りだして画面を数度タップしてからこちらに見せてきた。どうやら天気関連のアプリを開いたらしい。画面上部には『雨雲レーダー』の文字が書かれていて、雨雲を表しているとおぼしき青や黄緑の色が時間経過の表示と共に動いていた。
「あと十五分ほどで止むと思うから、止むまで待っていた方がいいんじゃないかな。下手に濡れて風邪を引いてしまってもいけないからね」
「む……では大人しく待つとするか」
「うん。僕も一緒に待たせてもらうよ」
空模様とは対照的な明るい笑顔で、類。いつからここに居たかは知らないが一人でよほど退屈していたのだろうか。……とはいえ、オレも一人でぼうっと雨止みを待つより、誰かと一緒の方が気が紛れて助かる。特に気心の知れた類相手なら、退屈なんて感じない有意義な時間になることだろう。
──きっと十五分なんてあっという間だな。
それをどこか寂しく思いながらも変わらず滝のような勢いの雨に目を向け、短く息をつく。すると類が胸の前で軽く手を打ち鳴らした。
「折角の天気だ。てるてる坊主型ロボットがあるんだけど見てみるかい?」
「てるてる……? なぜそんなものがあるんだ?」
「今度の水を使うショーで使ってみようと思って、丁度試作品を完成させたところなんだよ。今回は防水仕様でね、ぴょんぴょん跳ねるんだけど──」
楽しそうに説明しながら鞄のチャックを開け、手のひらほどの小さなてるてる坊主型のロボットをいそいそ取り出した、その時だ。
一瞬ではあったが鞄の中に橙色の折り畳み傘が見えた。ただでさえ目立つ色である上に、以前に一度使っているのも見たから間違いない。
──しかし、なぜ傘があるのに帰らないのだろう。
首をかしげつつ鞄を指差し、
「おい類、それ──」
傘じゃないのか。そう言うつもりで類の顔を見たが、オレはそこで言葉を飲み込んでしまった。
目があった類が、立てた人差し指を口元に当てるジェスチャーをして。……はにかむように微笑んだからだ。
傘を使わない理由。今の表情の理由。それに、そもそもこんな遅くまで類が学校に居た理由……。頭に浮かんだそれらの予想を並べた結果はオレにとってあまりに都合が良すぎる答えだったが、耳まで赤くなってしまっているだろうオレの顔を前にしても、類は微笑むばかりで何も言わなくて。
結局、同じジェスチャーをやってみせたオレは、へらりと顔が緩んでしまうのを止められなかった。
雨が止む気配はまだ遠い。
万雷の拍手のような雨音も当分続いてくれそうだった。