拝啓 愛する旅人へ『拝啓 スメールシティへと旅立った君
やあ、こんにちは。素敵な手紙をありがとう。元気そうで何よりです。僕たちも変わらず過ごしているよ。
それにしてもこんなに早く連絡してくるとはね。ついつい笑ってしまった、ごめん。
だって村を出て一週間も経ってないよ?"女の子はお喋りが大好きなんです"、輪になって話に花を咲かせていた女性レンジャーたちを注意した時、そんなことを言われたんだけど……手紙にも当てはまるのかい?
僕はそういった性質を有してはいなくてね、君について行けるか心配になってきたよ。
冗談さ。
手紙、また送ってきて。待ってるから。
ティナリより』
文面に現れている彼らしさに私は小さく笑った。
目を通したばかりだというのに最初から読み返そうとするも、パイモンの呼び声がしたためそれは叶わない。やれやれ、新たなスメールグルメでも見つけたのだろうか?
私は鞄の中に手紙をそっとしまい、急かす彼女に溜息をついたのだった。
ティナリから返事が届いたのはスメールシティに到着して間もなくのこと。伝書鳩ならぬ伝書瞑彩鳥が渡してくれたそれは実にシンプルなデザインの封筒で、真面目で飾らない彼にぴったりだと思った。
(連絡が早い、か)
ティナリこそ、すぐ返事してくれたじゃない。
心の中でイジワルな台詞を浮かべ、聞こえないなと耳をよそに向ける彼を勝手に想像する。
パイモンがねだってきたよく分からない食べ物を仕方なく買ってあげながら、私はガンダルヴァー村に想いを馳せた。
スメール最初の滞在地となったそこは、レンジャーたちが守るアビディアの森に佇んでいる場所。とても穏やかな時が流れていて、緑の美しさも相まって本当に落ち着く所だ。
手紙の差出人でありレンジャー長であるティナリと、彼を"師匠"と呼び慕う少女・コレイ。二人に助けられた私は、スメールのこと、レンジャーのこと、そしてこれからの旅路について……たくさん学び、決意を固めて今に至る。
(クラクサナリデビに必ず会う)
唇をぎゅっと引き結び、慣れないアーカーシャ端末に触れた。ティナリはこれを好まない。私としては便利な品なのだが彼の言い分を噛み砕いてみると、なるほどそういう観点で考えれば良くはないなとも思えてくる。
(アーカーシャ端末を装着した感想、書きたいな)
ティナリに伝えたい。
どうにもウズウズしてしまい、塵歌壺に置いてあるレターセットを取りに行きたい衝動に駆られた。
村を離れる時、定期的に手紙を送っても良いかどうか、彼に確認をしたのだ。
理由は二つ。
一つは、コレイの容態が心配なため。
もう一つは…。
(ティナリと……話したい、から)
短い間の交流ではあったが、私は彼に淡い恋心を抱いていた。
旅の途中だし、通りすがりの旅人に言われても迷惑だろうし、気持ちを伝えることはできなかったのだけれど。
(うそ。こんなの言い訳)
彼の冷静さと学者肌が垣間見えた、先ほどの返信内容。
(恋愛になんて……しかも、私になんて)
きっと興味なんか、ない。
フラれるのが、軽蔑されるのが怖かっただけだ。
年上だろうが臆せずお説教し、それでも慕われている彼。
良くも悪くも年相応の私。あんなに多くの大人を束ねて……それ以上の、数え切れない生命に責任を担うなんて……考えただけで地に足が着かなくなる。
(じゃあ、いつ言おう?)
旅が終わったら。
ティナリに相応しい私になったら。
また言い訳ばかり。
彼の周りには学者もレンジャーも、そうでなくとも。私よりずっと賢くしっかりしていて、彼をよく知る人物がいるに違いない。
早く言わなければ。いや、寧ろその人と結ばれるのを祝う方が。
グルグルグルグル。
考えても考えても結局答えは出なくて。
ティナリの言葉を聞けたらモヤがかった気持ちを吹っ飛ばせると、要するに今夜、手紙を書こうと。
やっぱり自分はまだまだ子供、そんな自覚にがっくりして、私はまたもや溜息をついてしまった。
『拝啓 スメールシティを満喫している君
こんにちは。ううん、さっきぶり。
そう書きたくなるほどに早かった。文通の頻度についての平均データってどのくらいなんだろう?見たことはないけど、君は圧倒的に上回っていそうだね。
コレイは今のところ元気だよ。君がいなくてちょっぴり落ち込んでいるのは目にしたかな?余程気に入られたんだね。
森も異常なし。死域の件を除き。
それから、アーカーシャ端末が耳に馴染んでいるようで幸いです。本音としては複雑。まあいいや。
……近頃、シティに関する物騒な噂を聞くからくれぐれも気をつけて。君ってば勇敢な割に危なかっしいもの。
怒った?一応、褒めたつもりです。
それじゃ、またね。頑張り過ぎないように。
ティナリより』
「蛍ー!何してるんだ、行くぞー!」
「あ、ごめん!」
少し苛立ったパイモンの声に顔を上げる。全く、ゆっくり読む時間が欲しいものだ。
ドニアザードたちと出会った私は現在グランドバザールにいる。
クラクサナリデビに会うのはおろか、スメールシティを取り巻く問題に片足を突っ込みつつあるのではないかと思う。
順調にいくのか些か不安な花神誕祭、教令院の失物、エルマイト旅団……オルモス港で一悶着ある予感しかしないが、やるしかあるまい。
(ティナリがもっと褒めたくなる私になりたいな)
次は"一応"なんて言わせないんだ。
辛辣な彼に文句なしの褒め言葉を言わせるのは極めて難しい挑戦だ。
ティナリ自身にそんなつもりはこれっぽっちもないだろうが、こうしてぶった斬った後も当然の如くいつものおすまし顔でいるのだ。絶対。
(そういうところ、憎めなくて好き)
相手を傷つけようと思って言っているのではないのは伝わってくるし、本心を隠されるよりずっといい。
それに、これがティナリ流の気遣いなことも会話をする内に理解していた。
「こう行って、こう。オイラはこのルートがいいと思うぜ」
「そうだね、私も同感」
オルモス港への道をパイモンと再確認する。結構な距離だな、何日かかるだろう?
(ティナリと、どのくらい離れるだろう?)
また彼のことを考えている。
歩き出した私はパイモンに思考を悟られぬよう努めつつ、フワフワの耳を思い浮かべて口元を緩めた。
ティナリを明確に意識し始めたのはいつからだろうか。
出会った当初はどこか冷めた雰囲気に取っつきにくさを覚えて。
(でも……)
共に過ごす内に、仲間を気にかける姿や森を守るために戦う姿、キノコと自身のしっぽについて語る時のキラキラした表情……彼の本質が見えてきた。
ちょっと怖いかもとか、理屈っぽいのかもとか、私も最初は勘違いしたのだが。
(死域を正常に戻した後の、あの顔)
ティナリに協力したはいいものの体力を根こそぎ奪われた私は、肩で息をしながら彼に視線をやった。こちらには気付いていない様子で、ティナリもまた疲れた風だった。
しかし、解き放たれたように羽ばたく鳥たちを見上げた彼は、木漏れ日に目を少し細め……汗を拭って、そっと微笑んだのだ。
森を、生命を慈しむその心を、確かに感じとった。
すぐにいつもの淡々とした雰囲気に戻ってしまったのだが、私はどうにも熱くなった頬のまま。
きっと、あれが恋の始まりだ。
(先生からの誘いとやらも断っちゃったんだよね)
地位や名声には興味がない。今、目の前にあるこの仕事を大事にしたい。
自分にとっての一番は何なのか。ティナリはその答えをはっきりと出している。
死の匂いに蝕まれるあの森と、臆することなく向き合っている。
幼さの残る容姿から想像もつかない実直さと精神力。
(弱者を当然に受け入れる優しさ)
『文字の読み書きができないのは恥ずかしいことじゃないよ』、師匠はそう言ってくれたのだとコレイから聞いた。学のない自分も、魔鱗病も、全部ひっくるめて対等に話をしてくれるのだと。
知れば知るほど尊敬の念を抱く。
いつか、当たり前に彼の隣で毎日を過ごせたら。
(まずはキノコ料理をマスターしようかな)
未だ拝んだことのないティナリの満面の笑みを想像し、私はオルモス港へと向かった。
『拝啓 オルモス港にいる君
こんばんは。夜光植物の灯りに手伝ってもらいながらこの手紙を書いています。
クラクサナリデビ様にはお会いできなかったんだね。港で収穫があるよう祈っておくよ。
コレイのことだけど、先日体調を崩してね……すぐに症状を和らげてやれる薬があればいいのに。
立ち去ろうとした僕の服の裾を握ってきて、どうすることもできなかった。
幸い、そばにいるだけで安心して眠りにつけたみたいだ。
……少し暗くなってしまったね、今はとても元気だから気にしないで。
そうそう、カカタの話をしてもいいかい?あいつ、素直過ぎるくらい素直で…』
そこまで読んで、星空を見上げた。
(ティナリも同じ星を見ていたり…しないかな)
オルモス港のとある飲食店。
アルハイゼンに課せられたミッションについて話すパイモンをよそに、私は手紙を広げていた。少々疲れているのだ、許してほしい。
ドリーの元へ案内してもらい、且つ元素視角で最も優れた缶詰知識を購入する……失敗すればクラクサナリデビへの道は間違いなく遠のくだろう。
(このことは絶対に手紙には書けないな)
缶詰知識自体ブラックな存在であるし、そもそも危険な行動をとろうとしている自分を知られたくなかった。最悪、ティナリの身に害があるかもしれない。
アーカーシャ端末の底知れなさは十分理解した。迂闊なことはしない方がいいだろう。
(心配かけたくないし)
心配。
……して、くれるよね。
(コレイと同じように)
楽しみにしていた返事。
カカタの話が気になるのに、続きをなかなか読めない。
ちょっぴり痛んだ胸をギュッとおさえ、私は自己嫌悪した。
(ティナリ、コレイにつきっきりだったのかな)
嫌な子だな、私。自分で聞いてるのにね、コレイの容態。
ティナリは純粋な気持ちで返事を書いてくれている。コレイを心から大切に想い、同様に彼女を想う私を安心させるために。
今回の返事もすぐに送ってくれた。私がコレイを気にしているからだろう。
(私の話はどっちでもいいって思ってたらどうしよう)
優しいティナリのことだ、そんなはずはないのにマイナスな方へと考えてしまう。
コレイが元気なのは嬉しい。それは紛うことなき本心だ。
けれど、彼女とティナリは私よりずっとずっと前から共に生きていて、今もそうなんだと思うと…。
(私が入る隙なんてないのかもしれない)
コレイに恋愛感情を抱いてもおかしくはない距離感だ。
彼を好きな気持ちがどんどん汚れていっている気がして、私は「二人とも大事なのに」と無意識に呟いた。すると、
「話聞けよ!」
「わああっ!?」
パイモンに突如、封筒ごと手紙を奪われる。
「返して、まだ途中なの!」
「ドリーの話が先だっ!」
「分かってるよ、分かってるけど!疲れてるからちょっとだけ待って」
「却下だ!」
もみくちゃになりながらパイモンと言い合いをする。他の客の迷惑になってしまう、何で今日に限ってスパルタなのだ、傷心中なのに〜っ!
と、封筒からハラリと何かが落ちた。便箋にしては細長い。
深緑色のそれを拾ってみる。なんと、その正体は。
「葉っぱの……しおり」
ティナリからのプレゼントだ!いや、まだ本文に登場していないが確実にそうだ。
光速で便箋を奪い返した私は尋常ではない速読をしてみせる。
『あいつ、素直過ぎるくらい素直でね。僕が褒めたりご褒美をあげたりすると目に見えて喜ぶんだ。お陰で地響きが起きて机の上の物が全部落ちた。エッセンシャルオイルの瓶は死守したよ。
最近は僕が読んでいる本に興味を示し始めてさ。まあ読み聞かせても全く理解してくれなかったんだけど……。
"読書はとてもいいことだよ"って、しおりを作って渡したんだ。何かのきっかけになると嬉しいな。
君にもあげる。カカタと……僕も持っているから、三人でお揃い。
この知識の国で、君の成長を促す本にたくさん出会えるといいね。
面白いものがあれば教えて。
君が興味を示す本、知りたいって……そう思う。
一ページ目で寝ないように。なんてね。
ティナリより』
「……好き」
モクモクと立ち込めていた黒い霧など、一瞬にして吹き飛んでしまった。
よほど私が薄気味悪い笑みを浮かべていたのだろう、パイモンが引き攣った顔でこちらを見ている。
(初めての恋で振り回されっぱなしだけど)
好きだから落ち込むし、切なくなる。
好きだからそれ以上に嬉しくなるし、幸せになる。
恋愛って難しい。でも楽しい。
頭の中はたった一人の男の子でいっぱい。
私もティナリのそばにいたい。くよくよして後ろ向きになっていては始まらない。
(キノコ料理作る!本を読みまくる!)
私の好きな本、ティナリに伝えたいな。知ってほしいな。
たくさん読んだら、ティナリも自分のオススメを教えてくれるかな?彼の愛読書……暗号みたいな本だろうから、今はおそらく共有してはくれない。
だから、たくさん読んで彼の"好き"を教えてもらうんだ。
アルハイゼンのミッションに関しての作戦会議を終わらせた後、私は本を買いに走った。たったそれだけのことなのに、好きな人に繋がると思うと高揚した。購入したのは背伸びをして分厚い学術書。
その夜、一ページ目の半分で爆睡したのは言うまでもない。
夢を見た。
カカタと会った時の夢。
私がティナリへの深い愛情を抱いた日の出来事。
『バカ。上だよ、上を見るんだ!』
とんでもなく呆れさせてしまったなと、それにしても言葉が酷いと。むくれて着いて行った私。
『まだ交代には早くない?ちゃんとぐっすり眠れた?』
少しだけ振り向いて、静かな中にもあたたかさを垣間見せた彼。
『君がよく眠れるか心配だったから、お香を調合してあげたよ』
自身も疲れていただろうに、私のためを想ってしてくれたこと。
ドキドキして寝つけなかったから、本当にありがたかったこと。
『生命は消耗品じゃない』
『知識は王冠と王笏であっちゃいけない』
ハッとさせられる彼の言葉。
そして、アバッドイに機械パーツを乗せるカカタを見る彼の──僅かに揺れた、あの瞳。
どうすれば追いつけるだろうか?
彼という存在に……。
「また瞑彩鳥を探してるのか?」
気遣いの色が滲むパイモンの声に、ただ頷いた。
ドリーから缶詰知識を買いアルハイゼンに渡したはいいものの、新たなミッションを課せられた私は連日の疲れもあり草の上に寝転んでいた。視線はずっと、広い空をウロウロと…。
「ティナリは忙しいだけだと思うぞ?気にするな、蛍」
「うん……」
ぼうっとした返しをする私にパイモンが困っているのが伝わってきた。駄目だ、笑わなきゃ、パイモンは悪くないのに。
(でも、気になっちゃうよ……)
ティナリからの返事が来ないのだ。いつもは即日書いてくれているのではと考えるくらいに早いのだが。
たった数日空いた程度で何だ。パイモンも言っているではないか、忙しいと。私もそうだと思う。思っては、いる。
(送った内容が内容だけに、邪推してしまう)
缶詰知識のことは言えないからとカモフラージュを混ぜつつ書いたのだ。オルモス港は平和そうだとか、アルハイゼンという青年が世話をしてくれているだとか…。
多分、嘘がバレたのではと。彼は聡いから。
(私、嘘つくの下手だからなぁ)
それはいいことなのだと思うけれど、ティナリに疑われるのはよろしくない。
(嘘つきって思われた?……怒ったのかな、ティナリ)
たかだか数日で大袈裟な。
しかし、私にとっては一大事なのである。
遂に神の缶詰知識について突っ込んだ調査をしなくてはならないというのに気力が全く湧かない。
ティナリは自分に正直な男の子だ。嘘を書き連ねた手紙なんて目にしたら、幻滅…ううん、軽蔑するのではなかろうか。
(もっと別の話題で、本当のことを書けば良かった。たとえ些細な日常の話であっても)
瞼が熱くなる。慌てたパイモンに「大丈夫だ、明日には必ず返事が来る!」と慰められ、なんとか涙を零さずに済んだ。
だが、パイモンの言葉も虚しく更に数日が経過しても返事は来なかった。
アフマルの目と一悶着あった後、スメールシティに戻ることにした私は力ない足どりで目的地へと歩いていた。
ここまで来るともはや彼の身に何かあったのではと不安にすらなる。
(ティナリ、私なんかよりしっかりしてるし強いし、何もないとは思うけど)
雨が降ってきた。
急いで大木の下へと避難する。寒そうにしているパイモンを抱き寄せ、胸の中で眠りについた彼女の髪を撫でてやる。
ここまで来る間に死域を一つ除去した。彼もどこかで今、戦っているのだろうか?
ぽつり。
鼻の頭を濡らした水滴に、ティナリの得意げな顔を思い出す。
『僕のしっぽ、エッセンシャルオイルを塗っていて撥水性も抜群なんだ。雨なんかじゃ艶は失わない』
クスッと笑みがこぼれる。
私がパイモンの暖になってあげているように、そのしっぽであたためようとしてくれたこともあったな。
『寒かったら手を入れてもいいよ』
そう言って。恥ずかしくて遠慮してしまったが、やっぱりお言葉に甘えれば良かったな。
(……あ)
雨雲でいつも以上に薄暗い夜の森が仄かに光り出す。
(夜光植物だ)
ティナリに誘われて見たことがある。ホタルみたいに幻想的で、まるで夢景色だった。
スメール人は夢を見ないらしい。
でも、こんなにも美しいものが身近にあるのならいつだって現実世界で夢を見ていられるのかもしれない。
だって、あの空間に浸ったティナリ、眠っているように目を閉じていたのだから。
(もう一度、一緒に夢が見たい)
急激に恋しくなって、スメールシティを飛び越えてガンダルヴァー村に戻りたい気持ちでいっぱいになる。
ぽつり。
パイモンの鼻に雨粒が落ちた。私の目から零れた一滴。
起きてしまった彼女が驚いたように袖を掴んでくる。そして「あっ!」と声をもらした。
パイモンが小さく叫んだと同時、羽音がすぐそこにやって来た。
雨はいつの間にか止んでいて、勢い良く飛んできた瞑彩鳥が私に封筒を渡してくる。
震える手で開け、パイモンと共に目を通した。
『拝啓 オルモス港を満喫している君
こんばんは。返事が遅くなってごめん、任務が立て込んでて。
あと、汚れた便箋でごめん。これしか残っていなくて。
コレイ、この前の体調不良が嘘かのように元気だよ。毎日こうであればいいんだけど。
港がそんなに平和だとは思わなかったよ、良くない噂が流れているものでね。……僕を心配させまいと、無理はしていないよね?そうでなければ構わない、楽しんで。
アルハイゼンが世話焼きだとも思わなかった。僕の中の彼の印象はあまりよろしくないからね。
そっか、君だから……かもしれないな。
君は人を惹きつける何かがあるよ。少なくとも、辛辣さで有名な僕は君に甘くしてしまいたくなる瞬間がある。
アルハイゼンが同じ風になったって、おかしくないなと。僕はそう考える。……君を気に入っているんだよ、とてもね。
あのさ、ここからは迷惑だと思わせるかもしれない。でも、最後まで読んでほしい。
カカタの一件があった日、僕は自分らしくない行動をとったんだ。
テントで寝ている君を……見つめていた。どうしても目が離せなくて。
見ている内に、君に触れたくなった。
こんな感情、初めてのことで。本はたくさん読んできたけど、研究書だったり生物学の本だったり……そんな僕でもね、分かったんだよ。
ああ、これが愛おしさなんだなって。
誰かのために頑張れる君が好き。
自分の道をまっすぐに進んでいく君が好き。
僕の話を嬉しそうに聴いてくれる君が好き。
純粋で芯があって、けれどそばにいて支えたくなる君が好き。
好きなんだよ。
だから……アルハイゼンが少しだけ、羨ましくなった。
どう返せばいいのか分からなくなった。
幻滅したかな?僕らしくない、こんな稚拙な手紙。
でも、取り繕うのは違うって思ったんだ。飾らない、自分の言葉で伝えなくちゃいけないと思った。
遠い未来の話でもいい。
ガンダルヴァー村に必ず戻って来てね。
コレイと……僕に逢うために。君の帰りをずっと待ってるから。
ティナリより』
汚れた便箋……そうではない。汚してしまったのだ。
(これは、消し跡)
できるだけ綺麗に綺麗に、それでもきっと、何度も消したから取れなくなったのだろう。
何枚も書き直した。そして最後の一枚だけになった。
なくなったのなら買えばいい。しかし、気持ちの丈を綴れる内にどうしても書きたかったのだろう。
私は弾かれたように立ち上がった。パイモンも状況が分かっている様子で、何も問うてくることはなく着いて来る。
(ティナリ、ティナリ……!)
逢いたいよ。
私も、今すぐ逢いたいよ。
目を凝らして何とか読めた一文。最も消したかったのであろう、その一言。
『本当はね……この瞬間も、君に逢いたいです』
控えめに振り向いて、彼が優しく微笑んだ。
「ティナリっ……!」
叫んだ私は、目の前の光景に目を見開いた。
「ここにいるよ。……蛍」
スメールシティを背中に、ティナリが立っていたのだ。夜光植物の光が彼を暗闇に映し出している。
私は、潤んだ瞳でティナリの方へ歩いた。彼もまた、こちらへ歩き出す。
そうして、幻かどうか確かめたくてティナリの肩に触れた。
「……夢、見られた」
「夢じゃないよ、本物」
「ううん、見たいって……思ってたんだもん。叶ったんだ、きっとそう」
「何それ。宗教に勧誘されたの?」
彼らしい言葉に嬉しくなって、私はティナリに抱きついた。
「夢なんて子供の頃に見たっきりで覚えてないな」
「ふふ、私は今もよく見るよ」
「……こういうのがそうだって言うのなら、とても素敵だね。僕も、また見られたことにしておこうかな」
しばらく体温を確かめるように抱き合ったままで。
彼をこんなに近くに感じるのは初めてだ。聞こえてくる鼓動が心地いい。
私の涙が乾いた頃、ティナリが話し出した。
「レンジャーのみんながね、君に逢いに行けってうるさかったんだ」
「そうなの?」
「うん。……僕、ここ最近失敗続きでさ。君からの手紙が届いた辺りからだって、バレていて」
「そう、なんだ」
「森を放っておく訳にはいかないし、何を言われても突っぱねてたんだけど……"私たちがそんなに信用ならないのですか"、って怒られた」
ほんの数日くらいどうとでもなります。さっさと行ってレンジャー長のあなたを取り戻してください。
全員から圧をかけられては流石のティナリも「信じられない」とは言えなかったのだろう。急ぎ、ここまで走って来たのだそう。
経緯を聴いた私は、この関係性がみんなの知るところになったのだとか、自分の手紙がティナリを乱したのだとか、彼が森を後にするほどの気持ちを抱いてくれているのだとか、恥ずかしいやら嬉しいやらで頬が赤くなってしまった。
そんな私を見て、彼がくすりと笑う。
「僕の想いは手紙に書いた通りだよ」
「あ、う、うん」
「……だけど、大事なことは面と向かって言うべきだよね」
キョトンとした私に目線を合わせ、ティナリが目を柔らかく細めた。
「すごく、逢いたかった。君に逢えて本当に嬉しく思うよ」
「ティ、ティナ」
「蛍。──君を心から、愛している」
照れの一切ない、はっきりとした声に顔から湯気が出たかと思った。
なぜここまで余裕を保てるのだ?告白、だと、いうのに。
返事を促すような視線に、私は一拍も二拍も三拍もおいてからこう言った。
「わた、しも。ティナリが好き。好きだから、ここにいる。ガンダルヴァー村まで、走って行こうと思ったの」
「本当に?てっきりアルハイゼンに惚れたのだとばかり。あんな長文で彼との日常を書いてきたくらいだし」
「ち、ちが。あれは」
嘘が下手で。取り敢えず自分は楽しく安全にやっているのだと、それを伝えたくて必死で。
イジワルな目線と声色に私は慌てて言い訳をしようとするも、缶詰知識について口を滑らせてはならないと口ごもってしまう。
すると、焦れったかったのかティナリが近づいてきて、
「ん……!?」
キスをした。
目と鼻の先にある彼の瞳。私は何も言えずに見ていることしかできない。
「違うのなら、これからはアルハイゼンの話は禁止」
「は、はい」
「もし書いてきたら……後ろにいる真っ赤な顔のおチビちゃんが気絶するようなことになるかもね」
「〜っ!?」
私の反応に満足したらしいティナリが珍しく声を出して笑う。パイモンの様子は恥ずかしさのあまり見られない、完全に忘れていた。
「もう一回、する?」
「えっと、それは」
「……と、言いたいところだけど。時間切れだ」
朝陽が顔を出す。
「何だかんだで心配だし早く帰ってあげなくちゃ」、言葉とは裏腹にティナリが名残惜しそうに瞼を伏せた。
気持ちの良い涼風に彼が目を閉じ、微笑する。だから、なぜそうも余裕でいられるのか。
やられっぱなしで納得いかない私は、それでもティナリと想いが通じ合った浮遊感でどうにも怒ることができない。
「手紙、何度でも書いて。約束」
「あ、も、もちろんだよ!」
瞼を開けたティナリに即答すると、返事はなく微笑みだけが返ってきた。そうして、彼が私に背を向けた。
きっと今のティナリはもう、レンジャー長としての顔を取り戻していることだろう。
村へと帰って行くティナリをいつまでもいつまでも見送りながら、次はどんな話をしようかと既に考えてしまっている。
私はまだ知らない。
彼がこれから返してくる手紙の挨拶が、ずっと同じになることを。
『拝啓 愛する旅人へ──