《綾人蛍》何でもお願いを叶える券「何でもお願いを叶える券、ただし誰かが悲しくなることはなし、私が恥ずかしいことはなし」
それはもう何でもではないのでは、という問いかけは、いいのいいの! と軽く流されてしまった。
有効期限が今日限りの、画用紙を切り取っただけの小さな紙切れ。今日受け取ったものの中で一番価値がなくて、それでも綾人にとっては十分な魅力がある。
「では、これからもずっとお願いを叶えていただけるように、で」
「それはだめ」
「そのような注意書きはありませんよ」
「だめだよ! 子どもじゃないんだからわかるでしょ」
幼い頃に作った、肩たたき券を思い出す。だいたい十枚綴りで、有効期限はなし。「た」の数がわからなくて、多かったり少なかったり。誕生日やら母の日父の日やら、何かにつけそれを渡していたから、きっと100回分はあったんじゃないだろうか。
ありがとう、と微笑んだ両親は、それを一度も使うことはなかったが。
「そうですね、貴方の手料理が食べたいです」
「ええ、もっと違うことに使いなよ。ご飯は作るから」
「ふむ」
「何食べたい?」
そんな使い方はもったいないと券を突き返して、割烹着を広げる。何でも、という文言は改めるべきでは。
他の使い方、と言われても。元々大した欲もなければ、嫌味でもなく欲しいと思った物はすべて手に入るのだ。
祝われる本人より上機嫌な蛍が、返事に困った綾人を急かす。
「今日いっぱい、考えさせていただけますか」
「うん、待ってる」
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「ではこのオムライスに、『すき♡』と書いてください」
「恥ずかしい、からだめ」
ハートマークだけが描かれたオムライスと、またしても帰ってきた券。
なるほど、好き、は恥ずかしくて、ハートマークは恥ずかしくない。女性の基準はわからないものだ。
LOVEなら書けますかとそっと券を出してみたけれど、無言で押し戻された。
「では、貴方のオムライスに文字を書きたいです」
「そんなの、券使わなくたって」
ふらふらの線でほたる、と刻んだオムライスのお皿だけが回収されていった。これも、満足するお願いではなかったか。一体何が正解なんだろうか。
かけられたケチャップを崩さないように周りからぐるりと食べれば、行儀が悪いと怒られた。
いやあ、貴方からの愛を大切に取っておきたくて。
「そんな言い訳してもだめ。ちゃんと食べて」
「また書いてくださいね」
「わかった、いくらでも書くから」
「『すき♡』って?」
「……そのうちね」
綾人の願いをそんなこと、と切り捨ててしまうけれど、その何でもない小さな出来事が一番手に入りにくくて、一番欲しいものなのだ。
それがどうだ、券などなくてもいくらでも叶えてみせるものだから、当たり前のようになりつつある。それが嬉しくもあり、怖くもある。
どうにか繋ぎ止めたいと願うのは、そんなこと、なんだろうか。
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「お出かけ? いいよ、行こう」
「これは」
「ううん、他のことに使って」
一緒に町へ行ってほしい、は適した使い方だと考えたのだが。もっと意味のあることに使ってよと言うけれど、誕生日に恋人とデートなんて全力で意味のあることだろうに。
もはや、綾人がこの券を使うことに何か不都合でもあるんだろうかとさえ思えてきた。
「手を、繋ぎませんか」
「それは恥ずかしいよ」
「おや」
「……だから、券は使えないね」
そう言いつつも指がゆるりと絡められる。また、券を使わせてもらえなかった。
貴方の髪を結わせてほしいとか、綾人の着替えを手伝ってほしいとか(これは恥ずかしいとちゃんと怒られた)、あれこれひねり出して申し出ても、それはお願いに入らないよとすべて却下。
「もっとわがまま言っていいんだよ」
「十分わがままなつもり、なんですが」
わがままとはなんだろう。無理を承知で自分の欲求を押し通すなど、これまでの生活ではあり得なかった。背負ったものを守ることが、綾人のすべてだったから。
肩の力の抜き方などとうに忘れてしまった綾人には、蛍が用意したプレゼントにたどり着くのはなかなか難しそうだ。
「明日も会いに来ていただけますか」
「うん、もちろん」
「これは?」
「うーん……悪くないけど、違うかなあ」
明日も会いたい、は少しだけ正解に近づけたらしい。
綾人のお願いを叶えるはずがいつの間にか蛍の希望を探し当てるはめになっているけれど、まあもう少し付き合ってみるとしよう。
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果たして、これはどういう意図で作られたのだろうか。
一日揉まれてすっかりくたびれた「何でもお願いを叶える券」は、もうすぐ期限が切れてしまう。
お茶を淹れてほしいとねだって結局無償で差し出されたそれを啜りながら、ほうと一息つく蛍を観察した。
はじめは条件が厳しいと思ったものの、何でもお願いを叶える、はある意味事実だったわけで。あれやこれやと望んだものには券は適用できないと断られ、それでいて全て叶えられている。
「綾人さんのお願い、決まった?」
「いえ……もう、お手上げですね」
「そんなに難しいかなあ」
今日一日のあれしたいこれしたい、は全て口に出してきたつもりだ。
綾人から何を引き出したくてこんなものを作ったのか、一向に思いつきやしなかった。
微笑んではぐらかしてばかりで、ヒントすらくれやしない。
「期限が切れても、この券は私が保管したいのですが」
「そんなものを? 構わないけど、それならもっとちゃんと作ればよかった」
「十分丁寧ですよ」
彼女の丸い字で書かれた、何でもお願いを叶える券。有効期限は当日中! で、狭いスペースに後から足したであろう注意書き。添えられたミルクティーのようなイラスト。世界にふたつとない、大切な宝物だ。
「あ、それはお願いに入らないからね」
「だめですか」
「だめです」
彼女の意図がわからなかったとしても、この券が手元に残るならば、それはプレゼントとして十分だろう。
「本当に、お願い、ないの?」
「……来年も、こうして共に過ごせたら、とは思います」
「来年、だけ?」
ふうんと流されるつもりの発言だった。驚く綾人を見て得意げに笑った彼女が、ずいと身を乗り出す。
旅人である彼女は、未来の話を避けてきたのに。
抱えるものが多すぎる綾人には、先のことなどわかりっこないのに。
お互い、自分のことを犠牲にして日々を過ごしているのに。
「……来年も、その先も、なんて願っていいんでしょうか」
「そのための券だよ」
私が叶えてみせるから。差し出された手のひらが、くたびれた券を求めた。
本当に彼女は。
こんな小さな身体に、どれほどのものを抱えようとしているんだろうか。いくつもの危機を救ってきた事実があったとして、それは、彼女が全てを背負っていい理由にはならない。
そんなことをしたいがために、そんなことを言わせたいがために、今日一日綾人を振り回したのか。
「では、私のお願いを」
「うん」
「貴方の未来を、守らせてください」
「えっ」
券を受け取る手ごと、ぎゅうと握りしめる。
綾人が守るものの中に、蛍がひとり増えるくらい。それすらできない男だと思われているなら、彼女の認識を改めるべきだろう。
「私の願いを、叶えていただけるんでしょう?」