《トマ蛍》新居の〇〇になりたい【壁になりたい】
次々に運び込まれる家具たちと、隅に山積みの箱たち。
木の匂いで満たされた新居が少しずつ賑やかになっていく様を、広いリビングに鎮座するソファに腰掛けて眺めていた。
蛍の体より大きな家具を運ばせるなんて、とここで待たされているけど、手伝うくらいならできると思うの。過保護になりたいらしいトーマのために仕方なく、静かに座りながら手近な箱を開封する。
食器を慎重に取り出して、犬の尻尾がかわいいお揃いのマグカップを手に取る。あれ、汗だくのトーマに冷たいお茶でもと思ったけれど、まだ冷蔵庫は空っぽなんだった。
小さな箱を開けてはでへへ、とだらしなく緩む頬。
今日からここで、トーマと二人暮らしをする。同棲ってやつ。
トーマのわがままで買ったキングサイズのベッド。綾人さんが贈ってくれた椿の蒔絵をあしらった桐箪笥。綾華おすすめの収納力抜群の化粧台。一目惚れした花柄のカーテンが、トーマに絡まりながらもレールに掛けられていく。
あちこちに配置されていく家具に、どんどん実感が湧いてきた。
「ニヤニヤしすぎだよ蛍」
「だって嬉しいんだもん」
トーマを見送らなくていい、後ろ髪を引かれながら帰らなくていい。朝から晩まで、寝るときだって一緒。ずーっと一緒。
この家の端から端まで、全部トーマと蛍の空間。楽しいことも好きなものも、ちょっと落ち込んだことも、ここに持って帰ってきてはんぶんこ。
嬉しくないはずがないでしょう。
「あんまりはしゃぎすぎないように。蛍は疲れるとすぐ寝ちゃうんだから」
「トーマがいるから大丈夫だよ。ベッドまで運んでくれるでしょ?」
「こーら、甘えない」
くすぐりの刑だ、と近づいてくるトーマから逃げた先には、とっても広いベッド。
わあ、こんなに大きいのはじめて! まっさらなシーツを被せた上をぽよんぽよんと飛び跳ねて、今度はちゃんと怒られてしまった。
【ソファになりたい】
「トーマ、重いよ」
「うーん?」
「聞いてる?」
革の匂いが抜けないソファに腰掛けてのんびり読書をしていたのだけれど、腿にぐでんと落ちてきたトーマの頭のせいでそろそろ足が痺れてきた。合わせた膝のすき間に吹き込む息も熱くてくすぐったい。お供のお茶菓子も取りに行きたいのに。
それなのに肝心のトーマはソファに体を投げ出して曖昧な返事を繰り返すばかり。体を揺すっても頬をぺちぺち叩いても動きやしなかった。
仕方なく重い頭を持ち上げて無理やり抜け出したのはいいけれど、床についた足がそこからぴりぴり痺れて……あぅ……。
「あ、ちょっ、今触らないでよ!」
「痺れちゃった?」
「わかってるのに意地悪しないで!」
じんじん痛くて後ろを振り向く余裕もないけれど、その声を聞けばにっこにこで蛍の脚をつついているのだとよくわかる。よろよろとキッチンに向かう間も楽しそうな笑い声が届いていた。なによ、トーマのお茶は絶対に用意してあげないんだから!
ソファとくっつきそうなほどに脱力したトーマは蛍が戻ってもまだそのままで。膝掛けからはみ出した長い脚が羨ましい限り。
「トーマ、場所空けてよ」
「んー」
「座りたいの」
「ここ座れるよ」
トーマのお腹の上じゃない。
そんなこと言うならとわざと勢いをつけて腰を落としたのに、こっそり筋肉を隠すその体はびくともしなかった。悔しい。ぽすぽす叩いたところでそれも痛くないんだって。なにこのお腹。
不貞腐れる蛍をくすくすと笑うものだから、それに合わせて体が揺れる。座り心地の悪いソファだなあ、これじゃあ本も読めないよ。
「だから本は終わり、次はオレにしよう」
「トーマに?」
「そう、蛍の大好きなトーマ。どう?」
「自分で言うの?」
「嫌い?」
「……ううん、大好き」
【お皿になりたい】
「ああ、座っててって言ったのに」
「やりたいからいいの。トーマがご飯作ってくれたから、私は片付け」
「じゃあオレはお皿拭こうか」
「それじゃあ意味ないよ!」
オレがやりたいんだから、と同じ言い訳を返されれば頷くしかなく。そうやってすぐ働こうとするんだから。家にいるときくらいゆっくり過ごしてほしいのに。
どうも納得いかなくて、ぶうと頬を膨らませて泡を流したお皿を渡した。
けらけら笑うものだからじとりと睨みつけたけれど、蛍の頬をむにむに潰してふにゃりと笑う表情を見れば怒りたかった気持ちはしゅうと萎んでいく。君といられるのが癒やしなんだって言ってくれるのは本当なんだろうか。本当かも。へへ、そうだったら嬉しい。
隣に並ぶ肩に体を預ければ、面倒な皿洗いだって一瞬で温かくて幸せな時間になる。確かに、トーマと一緒にいるのが一番かも。
ぐりぐり頭を押し付ける蛍を支えながらなのに、トーマはお皿を洗うよりもずっと早く拭き上げてしまう。つい急がなくちゃと焦ってしまって、大皿と、お茶碗と、お箸と、あとはあとは。
「あっ!」
「わっ、アッハハ! びちゃびちゃだ!」
お玉の泡を流そうとしたところで、その丸みに捕まった水が綺麗な放物線を描いて飛んできた。
ああ、またやった。キッチンをトーマに合わせて少し高くした分の距離感が変わったせいか、しょっちゅう服を濡らしてしまう。
「濡れちゃった……」
「ハハ、もう、エプロンしないからだって! オレがあげたやつはどうしたの?」
「汚れたら困るから仕舞ってる」
「エプロンは汚すものだよ!」
トーマから貰ったものを汚せるわけがないじゃない。トーマだって、いつかあげたハンカチ、使ってないくせに。
オレはいいの、と謎理論を展開して蛍の服をぽんぽんと拭いていく。なんだそれは。そんな変なこと言う子にはお水かけちゃうんだから。一緒にびちょびちょになってしまえ。
【ブランケットになりたい】
「蛍、頑張って」
「んー……」
その手から乾いたばかりのシャツを取り上げる。ソファに座ったら洗濯物を畳み終わる前にきっと寝ちゃうから、と床を選んだはずの蛍は、結局うつらうつらと首を揺らしていた。
差し込む太陽が窓際を温めて、心地の良い風が抜けていく昼食後。傍らに積まれた洗濯物の山を片付けようと立ち上がるトーマも、襲い来る眠気と必死に戦っているところだ。
だから気持ちはわかるけれど、私が畳むの! と張り切って宣言したのは蛍だろうに。落ちてくる瞼に抗うことなく、背後のソファに凭れかかろうとする。
「ほーたーる、聞いてる?」
「ん、聞いてない……」
「聞いてるね」
残りはあと少しだよ。
いよいよ返事も諦めた蛍はむぐむぐと口を動かすだけ。どうやら本格的に寝ようとしているらしい。
まあ、あとはトーマがやればいいか。
そうしたらその後は、蛍と一緒に転がって午睡でも。幸い今日は予定もないし、日が落ちるまで寝てしまうのもいいかもしれないな。
「蛍、そんなところで寝ないよ」
「あい……」
「せめてソファの上にしよう」
「……ん」
そうっと持ち上げられた手がトーマを探り当てた。掴んだ指先、肘、肩。辿って首に回された腕にかすかに力が込められる。
自分で動きなさいと窘めるべき状況かもしれないが、残念なことにトーマはいっとう蛍に甘い。当然のようにその身体を持ち上げてソファに寝かせると、回されていた蛍の腕が隣に誘う。
「オレは片付けてくるから」
「……や」
「やじゃないよ。ちょっと待ってて、すぐに戻って来るから」
額に落ちたキスひとつで開放してしまう蛍も、トーマには甘いんじゃないかと思う。それがあまりにも可愛くて愛しくて、洗濯物の片付けなどどうでもよくなってしまった。
山の途中のブランケットを引っ張り出して、蛍ごと包まって転がる。
崩れたものは後で直せばいい。今は、目の前の蛍を抱きしめるのが一番大事だろう。
【ドライヤーになりたい】
「お待たせ蛍、上がったよ」
「はい、こちらにお座りくださーい」
リビングに現れたトーマは勢いよくコップの水を飲み干して、不思議そうな顔をしながらも案外大人しく座ってくれた。後ろのソファに乗り上げてこちらを見上げるその体を脚で挟み込む。
お風呂上がりのトーマが通ったあとには点々と水が垂れていた。
首にかけられていたタオルでその髪をわしゃわしゃかき混ぜれば、察しのいいトーマはノリノリでごっこ遊びに参加してくれた。
「そうだ、襟足を短くしたいんですが」
「美容院ほたるはドライヤー専門店となっております」
「それ美容院なの?」
「はい、前向いて」
ごもっともな指摘をかき消すようにドライヤーのスイッチを入れた。
濡れた重さですとんと落ちる髪に指を差し込んで、ふんわりと空気を混ぜる。蛍よりも硬くて太い髪は、手ぐしなんかには負けないと反発しながらもさらさらと解けていった。ドライヤーの風にのって爽やかなお花の香りが届く。
「トーマ、私のシャンプー使った?」
「ん、なんか言った? ちょっと聞こえなくて!」
「あれちょっと高いやつなんだけど」
「えー!? なにー!?」
耳元ではドライヤーがごうごう響いているのだろう。正面を向いたまま、誰もいない空間に向かってひとり声を張るトーマがなんだか面白い。
まあ、シャンプーは今度トーマに新しいのを買ってもらうことにしよう。ああそうだ、いっそこのままふたりでお揃いにするのもいいかもしれない。カップルっぽくていいね。蛍と同じ匂いのトーマ……蛍のもの、って名前書いてるみたい。いいねいいね。
幸せな妄想にむふむふと笑みが溢れるけど、どうせ聞こえないから。
そうして夢を膨らませている間に乾いて軽くなった髪。トーマの方が毛が多いはずなのに、蛍の髪よりよっぽど早く終わるのは少々納得のいかないところではある。
「はい、おしまい」
「ありがとう。うん、すっかり乾いてる」
「明日からはちゃんと乾かして出てきてね」
「うーん」
「こら、返事は?」
こてん、と倒れた頭から金髪がさらさら落ちる。逆さまのトーマはじっと蛍を見つめていた。
「なあに」
「蛍が乾かして」
「毎日? それはちょっと」
面倒だなあ、と言ってはみたけれど。
トーマがわざとびしょびしょのまま現れて甘えてくるこの時間、それが愛しい気持ちもまた事実で。
てきぱき働く姿からは想像できないようなとろりと溶けた瞳でだめ? と聞かれてしまえば、もう頷くほかないのだった。