いつも思い浮かぶのは…咲子と付き合うこととなり、磯貝は生活的にも内面的にも様々な変化が訪れた。
その中で一番変化したというのが――
「あ、これ美味い」
(…これ、池田さん好きそうだな)
これを食べてニコニコと笑う咲子の顔を想像して、磯貝は小さく笑みを浮かべた。
そう、その変化とは美味しいものを食べると、真っ先に咲子の顔が思い浮かぶことになったことだった。
もちろん今までも浮かぶことは多々あったのだが、付き合い始めてから、それが顕著になってきている。
「磯貝さんが名古屋メシ以外を褒めるなんて珍しいですね」
「普通に褒めるわ、失礼な奴だな」
「ははは、すみません」
企画部の後輩と軽口を叩き合いながら、磯貝はもう一口料理を含み、美味しさに口を綻ばせる。
残業で遅くなったので、企画部の男二人で新しい店で軽く飲んで帰ることにしたのだが、店選びは正解だったようだ。
ただお通しとして出されたものなので、小皿の上はすぐに空っぽになってしまった。
すると磯貝の中で思い描いていた咲子が残念そうな顔を浮かべる。想像の中なのに、なんと表情豊かなことか。磯貝は片眉を上げた。
磯貝が小皿をじっと見ながら黙っているので、もっと食べたいのだろうかと後輩は首を傾げた。
「これ、そんなに気に入ったのなら、メニューにあるかお店の人に聞いてみましょうか?」
「あ、うん…頼む」
我に返った磯貝は、その気遣いに感謝しつつビールを口に含んだ。
店の人を呼び、壁に貼られている料理のメニュー指差しながらやり取りしているのを見ながらも、磯貝がまた考えるのは咲子のことだ。
「初めてのお店は一人で入ると緊張する」と前に言っていたから連れてきてあげれば喜ぶかもしれない、と考えたり。
店のメニューに唐揚げなど咲子の好きそうな料理がないかを確認してしまったり。
美味しい料理を、花が咲くような笑顔で頬張るのを想像したり。
磯貝の中に住み着いた咲子は、日に日に存在が大きくなってきている。
(…重症だな)
磯貝はグラスの裏で苦笑を浮かべた。
だがその変化は嫌なものでは決してなく、むしろ喜びの方が強い。
「磯貝さん、メニューにありましたよ」
「お、マジか。じゃあそれ下さい」
磯貝はまだ側にいた店員に少し頭を下げて注文する。
「他は何食べますか?」
「うーん…任せる」
これ以上考えると、咲子のことが更に頭から離れなくなりそうだった。
磯貝は注文を任せて、グラスの中のビールを一気に飲み干す。
だがそう思いながらも、グラスの中の泡の中からまた浮かぶのは咲子の顔で。
これは一刻でも早く彼女を誘わなくては、と磯貝はこっそり笑みを浮かべたのだった。