雨音と沈黙デート中に急遽降り出した雨に、咲子と磯貝は慌てて近くの喫茶店に避難した。
店に入った途端に強くなる雨足。
あまり濡れずに済んだ2人はホッとため息をついていると、マスターであろう老紳士風の男性がカウンターから出てきて2人を窓際のテーブル席に案内してくれた。
案内された席に2人が向かい合わせで座ると、マスターは水の入ったグラスとおしぼりタオル、そしてメニュー表をそれぞれ2人の前に置く。
「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのベルでお呼びください」
マスターは優雅に頭を下げて去って行った。
その後ろ姿を見守りつつ、店内を見回してみる。
レトロな内装に耳に心地よいジャズが静かにかかっていて、とても落ち着けそうな反面、ちょっと緊張してしまいそうだ。
そんなことを考えていた咲子に、磯貝がテーブルの端に置いてあるメニュー表を差し出す。
「池田さん、何頼む?雨はしばらく止まないだろうし、このままここでゆっくりさせてもらおうか」
「良いですね!えっと…じゃあ、この本日のおすすめケーキセットにします!」
「良いね。飲み物は?」
「ちょっと冷えるので、ホットのミルクティーで」
磯貝は頷いてベルを鳴らした。
マスターが穏やかな物腰で2人の席にやって来る。
「ご注文はお決まりですか?」
「はい。ホットのブレンドコーヒーと本日のおすすめケーキセットを。飲み物はホットミルクティーでお願いします」
「かしこまりました。ミルクティーの茶葉はアッサム、ウバ、ディンブラからお選び頂けますが、いかが致しましょう?」
思ってみなかった返しだったのだろう。咲子が少し焦った様子を見せたので、磯貝はそのまま会話を続ける。
「おすすめはどれですか?」
「そうですな…本日のケーキはチョコレートムースのケーキですのでウバがよく合います。ただ渋みが少しありますので、お苦手であればアッサムがお口に合うのではないかと」
「池田さん、どうする?」
「で、ではウバでお願いします!」
「かしこまりました」
マスターが笑顔で静かに頷き、メニュー表を回収して去っていく。
咲子はそれを見送って磯貝に軽く頭を下げた。
「ありがとうございました。お店の方を待たせちゃうところでした」
「ううん。それにしてもびっくりしたね?」
「はい。ケーキの方ばかりに気を取られて、紅茶の茶葉が選べることまで見れてませんでした」
咲子らしい返しに、磯貝は吹き出しそうになりながら頷いた。
「それにセットの飲み物で茶葉まで選べるところはあまりないよな」
「確かにそうですね!そう思うと、今からとても楽しみです!」
咲子が期待で目を輝かせる。
磯貝はつられて緩みそうになる口元をグラスで隠しながら、窓の外を見た。
雨は容赦なく窓を叩きつけている。
磯貝の目線に気づいて同じように窓を見た咲子も、降り続ける雨に困った表情を浮かべた。
「どんどん強くなりますねぇ…洗濯物全滅です」
「俺も。天気予報は晴れだったもんな…」
想像するだけで少し気が滅入りそうになる。
そんな2人のところへ、マスターがオーダーしたものを持ってやってきた。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」
磯貝の前にカップが置かれる。花柄模様が描かれた美しいカップだ。
「こちらは本日のおすすめ、チョコレートムースのケーキです」
こちらも同様に花柄模様が描かれた食器で、ケーキの周りにはフランボワーズやブルーベリーが散りばめられている。
「うわぁ…!」
小声だが目を輝かせて感嘆の声を上げた咲子に、オーナーは静かに微笑みを浮かべながら彼女の前に回転茶漉しが乗ったティーカップ、ミルクピッチャー、シュガーポット、砂時計、そして最後にティーポットを置いていく。
ティーポットには毛糸の帽子のようなティー・コージーが被せられていた。
どれも同じ花柄模様のブランドで統一されているため、テーブルの上はまるで小さな花畑が出来たように華やかになる。
「ウバティーでございます。こちらは4分蒸らす必要がございますので、この砂時計が落ち切りましたらお召し上がりください」
「わかりました。ありがとうございます」
咲子が笑顔で礼を言うと、マスターはまたニッコリ微笑み、磯貝と会釈してから静かに去って行った。
「凄く本格的ですね!」
砂時計は三分の二ほど残っているだろうか。
咲子は嬉しそうに砂が落ちるのを見つめている。
「そうだね」
相槌を打ちながら、磯貝も砂時計の砂がさらさらと落ちていくのをなんとなく見つめる。
2人の会話は自然と止まり、店内の控えめなジャズミュージックと窓を叩く雨音だけが2人を包み込んだ。
それは砂が落ち続けるまで続き…
「あ、全部落ち切りましたね」
磯貝は咲子の声で我に返った。
「え?あ、うん…」
咲子がポットを持ち、カップに紅茶をゆっくり注いでいき、次にミルクを入れていく。
磯貝はそれを見守りながらコーヒーカップを手に持ち、フーフーと息を吹きかけた。
ふんわりと香るコーヒーの良い香りに、質の高さが伺える。
また会話は止まってしまったが、磯貝には何故かとても心地良く感じた。
(前までは沈黙が苦手だったのにな…)
磯貝はコーヒーカップに口をつけ、窓を叩く雨を聞きながら独り言ちる。
咲子はいよいよケーキを口に運び、花がパッと咲くような笑顔を浮かべていた。
テーブルの上の花柄のティーセットと相まって、雨なのにここだけ晴れやかな空気が広がるようで、磯貝はまた口元が緩むのを感じた。
咲子とは自然体で居られるから、気にならなくなったのだろうか。きっとそうに違いない。
磯貝が小さく吹き出すと、咲子は首を傾げた。
「磯貝さん、どうかしましたか?」
「いや…たまにはこんな時間も良いもんだなって思って」
「そうですね!」
咲子が満面の笑みで同意してくれるのを、磯貝は嬉しそうに微笑む。
窓を叩く雨音が、なんだか優しくなったような気がした。