もっと深く最初のきっかけはなんだったか。
恐らく、魔力の供給がどうとかという話だったと思う。気分が昂る満月の夜にだけ行われる行為。
そしてその関係は今になっても続いている。
「フェンリッヒ」
「はい」
仲間たちで集まっての食事の最中。静かで落ち着いた声が、名を呼ぶ。
それに返答しながら主を見たフェンリッヒは、真っ直ぐ見つめてくる紅き瞳から言いたいことを汲み取った。
否、汲み取れてしまった。
「…かしこまりました」
「え、なに?まだ何も言ってなくない?アイコンタクト!?」
「うるさい、黙れ小娘!」
きゃあきゃあと騒ぐ少女を黙らせ、満足気な吸血鬼を中心に、また食事は再開された。
仕事が終わり、すっかり日を跨いだ深夜。
ライトが照らす廊下を歩くふたりの影。
「閣下。小娘がやかましいので、ああいう場でのお誘いは少し困ります」
「フフ、悪かった。今夜が満月だと思い出したら、ついな」
あまり悪びれのない主に、これはまたするな、と少し呆れたように微笑みかけ、フェンリッヒはゆっくりと掬い上げるように彼の手を取って、自分の部屋へと導いた。
ここからは、大人の時間。ふたりが過ごす蜜月の時間の始まり。
独特の匂い、熱気、水音と吐息、そしてくぐもった声と甘い嬌声。
軋むベッドが。全てが彼らを形作っていた。
「ア、まて、そこばっか、っり」
「ここがよろしいんですよね?」
「んっ…!」
「ヴァル様、手を退けてくださいませんか」
声が上がりそうになると、手で口を抑える。
それにムッとしながら抗議するシモベに、主は首を横に振った。
「そうですか。では─」
手を取ると、その両手を軽く押さえつける。
与えられる快楽により力が入っていない身体は、それだけで動かせなくなる。
不安そうに見上げた瞳に、ナカに埋められたモノが誇張した。
「ひっ、なん…っ」
「…貴方は一度、自分の顔の破壊力を知った方がいい」
「ン、んんっ」
ゆっくり腰を回すと、その動きに合わせて足が揺らめく。
口が結ばれた顔は真っ赤で、我慢をしているのが見て取れる。
「ああ、もしや─ヴァル様は、ゆっくりされる方がお好みですか」
初めて知りました、と耳元で囁かれた言葉に、ナカが締まる。
「おまえ、は…自分の声を、知れ…っ」
「わたくしの声がどうされました?」
「っ、ゆっくり、するな…ぁっ」
ビクビクと震える身体を見て、フェンリッヒの口角が僅かに上がる。
耳が弱いのは知っている。己の声で囁かれるのに弱いのも知っている。
もう長い間身体を重ねているフェンリッヒには、ヴァルバトーゼの弱点はお見通しだった。
「…大体、わたくしの声がどうとか言いますが、わたくしに言わせれば貴方の声もですよ、ヴァル様」
「あ、や、まて」
「最奥まで挿入らないと意味が無いでしょう?」
「ちが、今は…っ」
「─聞こえませんね」
「あう!?」
奥の奥まで挿入る音が鳴り、細首が仰け反って身体がしなる。
何よりぎゅうぎゅうと締まるナカ。
低く唸ったフェンリッヒが、一間置いてまた動く。
「まて、うごくな…っ!う、んんっ」
揺さぶられて、瞳に張っていた水膜が涙となって流れ、ヴァルバトーゼは声を出すまいと横を向いて枕を噛んだ。
そんな動きを見抜いたフェンリッヒは片手だけを解放し、その頬に手を優しく当て、上を向かせる。
「あまり噛んではいけませんよ」
「この…っ」
睨まれたその顔に微笑みを返し、フェンリッヒが屈む。
首元に舌を這わせた。
「ひっ、う!?」
いつも体温は低いのに、今は触ると熱を感じるほどに熱い。
その肌を舐めて、甘噛みして、軽く吸う。
その動きだけで面白いくらいに締め付けるナカ。
極めた後だからより、だろう。
「吸血鬼の弱点が首だなんて、とんだ皮肉ですね、ヴァル様?」
「おまえ、今日…変、だぞ…っ」
「そうですか?」
いつもよりねちっこくて意地が悪い。
普段のフェンリッヒはヴァルバトーゼに忠実なシモベだが、行為の時はなぜか加虐的になる節がある。
「…なら、いつもよりヴァル様が反応しているからかもしれませんね」
片耳を塞ぎ、もう片方の耳に甘くとろける声が注ぎ込まれる。
面白いほど締め付けるナカに、フェンリッヒもそろそろ限界だった。
「…出しますね」
「あ、アッ」
いつもよりも高められた身体に、過ぎた快楽。
毒にも似たその感覚に、ヴァルバトーゼは縋るように目の前の男にしがみつき、その背に爪が立てられる。
やがて最奥に熱いものが注ぎ込まれた。
「あ、あつ…ぃっ」
出されたものが奥で熱を持ち、じんわりと腹の奥が熱くなる。
「…抜きますね」
フェンリッヒがゆっくりと己のモノを抜いていく。
ヴァルバトーゼは思いを馳せていた。
─血がダメなら、精力はどうだ、と。
どちらかが言った。それがもう大分前の出来事。
なんの根拠もなく、ただ何かで聞きかじっただけだったと思う。だがそれでも試してみる他なかった。
粘膜摂取なら、魔力が必要なヴァルバトーゼが受け身になる必要があり、尚且つフェンリッヒが一番魔力が昂る満月の夜でないとダメだった。
だがお互いに男相手は初めて且つ、ヴァルバトーゼに至ってはそういう行為すら経験がなかったわけで。
一番最初は苦痛だった。ただの魔力供給の手段のひとつ。
そう思っていたが、フェンリッヒは少しでも苦痛を減らせたらと努力をしてくれていた。
そのせいで今や快楽を拾うまでになってしまっていたのだ。
そしてただの主従ではなく、兼恋人となったのは仲間たちと出会うよりも前。
「ヴァル様?大丈夫ですか?」
「─あ、あぁ」
前は行為の後、身体が辛すぎて動くことすら叶わなかった。
今は動くことも話をすることも可能だ。
その余力がダメだったのだろう。
座ってフェンリッヒの隣に移動したヴァルバトーゼが口を開く。
「…お前は、女相手にもああしていたのか?」
「……はい?」
「いつもはそうでないのに、今日はやたらねちっこいというか、しつこかっただろう。俺は女ほど身体が弱いわけでは─」
「ヴァル様」
話の途中で名を呼んだシモベの顔には、満面の笑みが貼り付けられていた。
でも空気は違う。
(……マズい)
これは怒っている時だ、とヴァルバトーゼの額を汗が流れた。
「なぜ今、わざわざ過去の女の話を?…前にもお話ししましたが、その時は気持ちを持ってしたことではないと、そう申し上げたつもりなのですが」
「あ、そ、そうだな」
「……そうですか。ヴァル様はわたくしを煽って、抱き潰されるのがお好みですか?」
「ちが、違う、待て」
後ずさろうとした瞬間に、瞬発力では勝てずに押し倒される。
「では、お望み通りもう一回といきましょうか?」
「待てと言っている!」
「待たないと言っているんです」
笑顔のまま、再び行為が始められる。
ヴァルバトーゼは数分前の自分の発言を早くも後悔したのだった。
「……?」
目を開けると、そこはベッドだった。
朝のようで、日差しが窓から入ってきている。
何時かと確認するためにヴァルバトーゼが急いで身体を起こすと。
「〜〜っ!?」
「お目覚めですか、ヴァル様」
腰に電流が走るヴァルバトーゼの後ろから、フェンリッヒが声をかけた。
「ご無理をされてはいけませんよ。腰が立たないでしょう」
「お前…今日も執務があるというのに、本当に抱き潰す奴があるか!馬鹿者!」
「おや、出てますが声も若干掠れてますね」
抗議する主の言葉を躱し、フェンリッヒはトレイに置いたティーカップを差し出した。
「喉に優しい飲み物を作って参りました。お飲みくださいませ」
「…お前のことだから、また血でも仕込まれてはおるまいな」
「さすがに今はしませんよ。抱き潰した自覚はありますからね」
執事モードで淡々と言うフェンリッヒ。
飲んだカップをトレイに返すと、そのトレイを置いてヴァルバトーゼの手を優しく包む。
「ですが、ヴァル様。よく覚えておいてくださいませ。…あなたのシモベは、存外この関係を気に入っていて、しかも嫉妬深いのですよ。あんな時に女の話など出されては、ヴァル様がわたくしから離れるのかと心配になるのです」
「お前の気持ちを疑うつもりも、お前から離れるつもりもない」
「ええ、信頼しております。ですので、もうそんな話など出されませんよう」
「…わかった、肝に銘じよう」
また抱き潰されては敵わん、とヴァルバトーゼは付け加えた。
「ですが今日は仕事にならないでしょう。デスクワークに切り替えて、他の仕事はわたくしが請け負いましょう」
「…お前のせいであろう」
「半分はヴァル様のせいですよ。…それでは、わたくしは執務へ参りますので。後で業務をお持ちするまではゆっくりお休みくださいませ、閣下」
フフ、と笑みを浮かべるとフェンリッヒは切り替えて部屋を出ていった。
1人になって溜息をつきながら横になると、腰の痛みがまた襲ってくる。
「…あの馬鹿者め、腰が痛む度に思い出すでは無いか」
息遣い、声、空気、感覚。
全てが思い出されてヴァルバトーゼは枕に顔を押し当てた。
同じ時、廊下を歩きながらフェンリッヒはひとり微笑んだ。
(しばらくはあれで記憶が消えないだろう。…たまにはああやって思い知って頂かないと)
──あなたに触れる時、いつもそうしたくなるのを我慢してる、と。
次はいつ意地悪をしてやろうかと、狡猾なシモベは思案する。
満月の夜の度、毎回では芸がない。
すれ違ったプリニーが若干の寒気を覚えるほどの表情をする気持ちを向けられる主が次にまた犠牲になってしまうのはいつなのか。
それは、シモベしか知らぬ話。